第一七六話「葬送」
――私はシオリ・レンシャク。今は夜が明けたところで、陽は街の外壁から顔を出し街並みを照らし始めていた。
目の前、ベッドの上では老鑑定士ガヒネアが静かに横たわっている。その瞳が開くことはもう無いであろう。
私は彼女の枕の下にあった手紙に気付き、横たわっている手紙の主に断りを入れて読む。そこには私やこのギルド、おさんぽ日和への感謝が綴られていた。普段の慇懃無礼な口調とは違い、畏まった丁寧な文章だった。
溢れる涙で手紙が濡れない様に封筒に仕舞い、拳を握りしめる。涙の粒が手の甲を伝い自分の膝を濡らしていた。
――その時、ノックと共に扉が開く。
「シオリ、休みなよ。治癒魔法使いっぱなしだろ?」
アン姐とファナが部屋に入ってきたので涙を拭う。私の様子を察したのか、アン姐は一瞬何か言おうとしたみたいだが、特に何も言わなかった。
「大丈夫よ、アン姐もさっき探索から帰ってきた所でしょ?」
本来ならアン姐は三日後に帰ってくる予定だったが、伝書精霊での連絡を受けて馬を借りて夜通し駆けて来たらしかった。
「あたしは平気だよ、シオリのが顔色悪いじゃん……」
「シオりん、昨夜から大いなる癒しとか使い過ぎだよ、ちょっと休まないと……ハサラも魔力切れで倒れちゃったし」
ここ数日、ガヒネアさんは大いなる癒しでは抑えきれ無い痛みを訴えたので、ハサラと交代で鎮痛の魔法も並行して施していた。
痛みはなんとか抑えられた様だったが、連続で鎮痛を受けた反動でガヒネアさんの意識は朦朧としていた――そして昨日の夕暮れ辺りから意識を完全に失う。
私とハサラ、そしてウェルダはありったけの治癒魔法を施したが……彼女は眠るようにそのまま息を引き取った。
この手紙をマスターに見せないといけないと思い、私はこの場をアン姐とファナに任せて部屋を出る。しかし、部屋を出てすぐに私は一瞬意識が遠のき床が揺れて回る様な感覚に見舞われた――。
「シオリ?」
名を呼び、倒れそうな私を抱き止めて支えてくれたのはウェルダだった。
「シオリ……ごめんなさいね、貴女ばかりに負担をかけさせてしまって。部屋まで一緒に行くわ」
ウェルダは私を心配そうに見つめてそう言った。
「その前にちょっと、マスターにお渡ししないとならない物があるの……」
「――わかった。皆、酒場の方に居るわ、そちらへ行きましょう」
ウェルダと共に一階の酒場に降りると、そこにはギルドマスターを始め本部に居たギルドメンバーが集まっていた。私はマスターにガヒネアさんの手紙を手渡す。
「枕の下にありました。私やおさんぽ日和ギルド宛です」
マスターは手紙に一通り目を通すと目を瞑り、目頭を押さえてから深く呼吸をしてマーシウに手渡した。
「……レティへの報せは?」
「つい先程、伝書精霊で報せを送って貰いました」
マスターの問い掛けにメイダが答える。
「帝都のツテで高速艇を手配したが、それでも一〇日程度かかるかもしれん。葬儀はどうするか……」
「遺体の保存は皆で魔法を駆使すればそれくらいは保たせられるとは思います」
マスターの呟きに私が答える。
「レティの到着を待って葬儀とするか、それとも……」
そんな時、不意に酒場の扉が開いた。その場に居た全員が扉の方へ振り向き、そこにいた人物に驚いて場が静まり返った。
「レティ?」
その姿に私は名を呼んでいた――そう、扉を開けたのはレティだった。
着ている服は所々かぎ裂きにほつれ、顔は汗にと土埃にまみれていた。肩で息をしていて疲労が色濃く表情に出ている。
「レティ、あなた帝都じゃ――どうやってここに?」
私の言葉が聞こえていないかの様にレティは酒場の中へと入って来る。
「あの、ガヒネアさんは……」
レティは酒場中を見渡して、ギルドメンバーの殆どが集まっている事に何かを察したのか、私達が返答する前に二階へと階段を小走りで駆け上がった。
私も後を追って階段を駆け上がるとガヒネアさんの部屋の扉が開いていて、アン姐が扉の前で部屋の中を沈痛な面持ちで見つめていた。
部屋の中――レティはベッドの前に膝をついてガヒネアさんの手を握っていた。その隣にはファナが付き添っている。
「レティ、ガヒネア婆ちゃん眠るように亡くなったよ。シオりんとかハサラとかウェルダとか……皆で治癒魔法唱えてくれたから、多分最後まで苦しいとかは無かったと思う……」
ファナが涙を堪えながらレティに説明してくれていた。
「わかります、こんなに綺麗なお顔ですから……きっと安らかに眠れたのでしょうね。皆さんありがとうございました……」
レティは立ち上がると深々と頭を下げた。その表情は穏やかで、恐らく私達の方が取り乱していたと思う。
――その後、レティはドヴァンマスターと話をし、指示を仰ぎながら粛々と葬儀の段取りを進めて行った。ガヒネアさんのギルド宛の手紙には「葬儀不要」と書かれていたけれど、マスターの申し出でギルド内だけで葬儀を済ます事にした。
しかし、近所の住人や商業ギルドの人々、鑑定士仲間、そして鑑定で薔薇の垣根を懇意にしていた一部の冒険者たちが聞きつけた様で……結局、葬儀には一〇〇名近い人が入れ替わりに訪れて老鑑定士の死を悼んでいた。
レティは来客それぞれに礼を言い頭を下げた。その間も一切涙を流さず気丈に振る舞う姿には、かつての気弱で涙脆い貴族令嬢の面影は無かった。
ガヒネアさんは生前レティに薔薇の垣根を譲ったと言っていたけれど、その時からレティも覚悟を決めていたのかもしれない。
葬儀の後、ガヒネアさんの遺体は火葬された。両手に乗る程の大きさの陶器の壺に入った遺骨を、レティは大切に抱えていた。しかし、皆の心配を他所にその表情は落ち着いていて内心ほっとしている自分が居る事に気付いたし、そんな自分に少し嫌気がさした。
――葬儀も終わり、弔問客も落ち着いたので、会場にしていたギルド本部の酒場も皆で後片付けをしていた。レティは皆に休むように促されて二階の個室に下がった。
「レティ、凄いね……全然泣いてなかったじゃん。ファナ、油断したら今でも泣きそうなのに」
「あんたガヒネア婆さん大好きだったからね……」
ファナとアン姐がそんな話をしていると、ギルドマスターが声を掛けてきた。
「レティは何も食べていなかった様に見えたから、これを持って行ってくれ」
マスターに渡された木皿には弔問客に振る舞った料理の一部が載せられていた。私はそれに加え果実水を入れたカップをトレーに載せて二階のレティが居る個室へと向かう。
ドアの前に立ち、ノックしようとしたその時……部屋の中から嗚咽と慟哭が聞こえてきた。気丈に振る舞っていた彼女も、やはり感情を押し殺していただけなのだろう。その声に私は胸の中が鷲掴みにされた気分だった。
ガヒネアさんの名を何度も呼びながら「あの時帝都に戻らなければ良かった」「まだ教えて欲しいことが沢山あった」「恩を返せていない」など……。
そんな後悔と自省を延々と繰り返しながら悲しみに昏れている様子だった。あまりの取り乱しぶりに心配でノブに手を掛けようとした時に肩を掴まれた。
振り向くとそれはウェルダだった。彼女は無言で首を横に振り、囁くような声で「今はそっとしておきましょう……」と。
私はウェルダと共に一階の酒場に戻り、マスターにレティの事を報告した。
「そうか……まあ、変に抑え込むより今は感情を吐き出す事が良いと思う。我らは実務的な事を助力しながら待とうか」
この日はもう夜遅くなっていたので解散となったけれど……皆寝付けずに酒場でそれぞれ過ごしていた。私も含め、皆レティの事が心配で仕方ない様子だった。




