第一六〇話「レティとガヒネア」
――魔道具店薔薇の垣根の玄関扉を開けるとベルが「カランコロン」と鳴ります。古い本や道具たちの匂いが充満する狭い店内は殆ど変わっていません。
「誰だい?」
奥から店主のガヒネアさんの声が聞こえてきました。
「只今戻りました」
「……レティ?」
ガヒネアさんは目を細めて微笑んでいます。事前に伝書精霊の手紙で帰ることは伝えていました。
「ご無沙汰しておりました、ガヒネアさん」
わたくしは座っているガヒネアさんに一礼します。
「公認魔道具鑑定士だってね。そんな役職を皇帝に許させるなんて、アンタなかなかやるじゃないか?」
ガヒネアさんが率直に褒めて下さるなんて――気恥ずかしくも、嬉しさで胸がいっぱいになります。
「いえ、偶然と色々な人達との縁、そしてガヒネアさんが教えて下さったこと……それらの結果です。わたくし一人の力ではありません」
「ふふ……口達者になったじゃないか」
ガヒネアさんはいつになく嬉しそうにしていましたが……少しやつれた様にお見受けしました。
「ガヒネアさん、少々お痩せに?」
「まあ、歳だからね。食も細くなってきてるのさ」
わたくしはガヒネアさんに公認鑑定士としての活動を話しました。呆れたり感心したりする様子はいつものお変わりないガヒネアさんです。
――すると、入口扉の鈴が「カランコロン」と鳴ります。店に入ってきたのは青い髪の美しい女性……冒険者ギルドの仲間であり友人の治癒魔術師、シオリさんでした。
「……レティ? 久しぶりね! 今日着いたの?」
「はい、お久しぶりですシオリさん」
(シオリさんが一人で薔薇の垣根に……何の御用でしょう?)
「ガヒネアさん、えっと……」
シオリさんはわたくしをガヒネアさんを交互に見ながら何か言いたげな口ぶりです。それに応える様にガヒネアさんはコクリと頷き安楽椅子にゆっくりと腰を沈めてため息をつきます。
シオリさんはその横に膝をついてガヒネアさんの手を握ると魔法を唱えました。
『……身体探知』
それは身体の状態を確かめる治癒魔術師の専門的な魔法です。暫く手を握っていましたが、シオリさんはハッとした様子でガヒネアさんに触れていた手を離しました。そして、わたくしの方を一瞥してからガヒネアさんに深刻な表情を向けます。
ガヒネアさんはシオリさんに対して頷き、わたくしを傍に呼びました。何やら不穏な空気にわたくしは跪いて両手をガヒネアさんの右手に添えます。
「あの、ガヒネアさ――」
「シオリ、レティに説明しとくれ……」
ガヒネアさんはわたくしの言葉を遮ります。シオリさんは目を閉じて深呼吸をするとわたくしを真剣な眼差しで見つめました。
「レティ私はこうして定期的にガヒネアさんの身体を診てきたのだけど、ここ一年で病が少しずつ進行しているの」
わたくしは寝耳に水でしたので言葉が出ず固まってしまいます。
「あ、そ……え……っと、ガヒネアさ……ん」
なんとかそんな言葉を紡ぎ出すのが精一杯でした。
(全く聞いていませんでした、そんな事になっているなんて……)
わたくしは全身から血の気が引いてふらついたのを、シオリさんが支えてくれました。
「レティ、大丈夫?」
傍に合ったカウンターを支えに体勢を整えます。
「ガヒネアさん、わたくし……その様な事、全く知らなくて……」
「当たり前さ、言ってないし言わないように頼んどいたからね。レティは大変な仕事を抱えてると聞いていたからさ」
ガヒネアさんは淡々とした口調で言いました。
「そんな……」
「老い先短いババアが将来のある若者の仕事を邪魔するなんてのは――」
ガヒネアさんは自嘲気味な笑みを浮かべました。
「そんな事言わないでください!」
わたくしは思わず語気を荒げてガヒネアさんに言ってしまいました。ひとりでに涙が溢れて止まりません。
「レティ……」
ガヒネアさんは驚いた表情でわたくしを見つめます。
「貴女は……わたくしの恩師で……そして……もう一人の母と……思っていて……」
嗚咽で震える喉を抑える様にして懸命に喋りました。
「ガヒネアさんは、何処の誰とも知れない、鑑定を齧っただけの生意気な娘に、一から教えて下さり……そして、全てを失い孤独になったわたくしに……ロズヘッジの名を、与えて下さいました……」
わたくしは涙でくしゃくしゃになりながらガヒネアさんを抱き締めます。
「レティ……」
ガヒネアさんもわたくしの背中に腕を回しますが、力の無い細腕に胸が締め付けられました。
「レティ、ガヒネアさんはすぐにどうこうなるという危険な状態という訳ではないわ。まだ大いなる癒しの効果も認められるから、取り敢えず私でもなんとか出来てる……ただ、いつ急に何があるかは分からないわ」
シオリさんは俯き気味でそう言いました。すると、ガヒネアさんはわたくしの背中をぽんぽんと叩きましたので、抱きしめていた腕を離します。
「人間、ただ道歩いてたって死ぬときゃ死ぬんだ、気にしたって仕方ないさね」
ガヒネアさんは鼻で笑ってシオリさんにそう言いました。
「それは……そうだけれど、でも――」
ガヒネアさんにアッサリと言われてシオリさんは困惑した表情です。
「あの、わたくし暫くイェンキャストに――薔薇の垣根に留まってガヒネアさんの看病を……」
――と、言いかけた時にガヒネアさんは「はああ……」と大きな溜め息をつきました。
「レティ、だからアンタにゃ言わなかったんだよ。ここには何しに帰って来たんだい? 公認鑑定士とやらはそんなに悠々自適で暇なのかい?」
「あ、え……その……」
「レティ、ガヒネアさんは私が付いているから安心して? レティは自分の仕事を――」
「かあーっ、もう褒めたのは間違いだったかい?」
わたくしは自分の頬を自分の両手で挟む様に「バシっ」と叩き、気を取り直します。
「すみません、ガヒネアさん。薔薇の垣根の名に恥じぬよう、行って参ります。シオリさん、宜しくお願いします」
シオリさんは強く頷いてくれました。
(ガヒネアさんはわたくしに鑑定士として活動し続けることを望んでいます。それを果たすことが一番のお返しでしょうけど……)
このイェンキャストと帝都を結ぶ転移装置が発見できればもっとガヒネアさんに何かあった時にすぐ駆け付けられる――元々その調査で来たのですが、改めてわたくしの目標と覚悟が決まりました。




