第一六話「余談 ~アンとディロンの場合」
――わたくし達は竜舎利が高値で換金できたことを喜びながら勇魚亭へ向かいます。そして近くまで帰ってきた時、どこからか異臭が漂ってきました。かつて嗅いだことのないとても不快な悪臭です。
「な、なんでしょうこの……臭いは?」
他の皆様も鼻や口を手で覆っていますのでそう感じているのはわたくしだけではないようです。
「みんなぁ……ただいま……」
背後から突然話しかけられてわたくし達は驚いて振り返りました。するとそこには悪臭を放ち粘液状の汚物にまみれた人型のものが二つ立っていました。
「「ぎゃあああああ!!」」
わたくし達は思わず悲鳴を上げました。
「ひどい……あたしだよ……アンだよ……こっちはディロンだよ……」
そうです聞き覚えのある声、アン様でした。
「あ、アン姐……どうしたのその恰好?!」
「シオリ聞いてよぅ~」
汚物まみれのアン様は泣きそうな声でシオリ様に抱きつきました。
「いやぁぁぁ!! 浄化! 浄化ぃぃ!」
――そして、お二人ともシオリ様の治癒魔法のひとつ「浄化」で身体の汚れがすっかり綺麗になりましたが、身体にしみついた匂いが記憶に残っていて魔法でも取れていない気がするらしく、「さっぱりしたい」という事で皆で大衆浴場というものに行きました。
この港町キシェンの名物のひとつである大衆浴場は大きなお風呂があって食事なども出来る娯楽施設です。元は地下から湯が湧き出る温泉と言われる温かい水を溜めただけの小さな入浴施設だったらしいですが、船乗りたちや隊商の御者達が汗を流して旅の疲れを癒す施設として発展して現在の様な大浴場になったようです。
大衆浴場の中は大きな浴槽のある大浴場が男女別になっていて、それ以外の施設は共通に利用できるようになっています。以前貴族専用の入浴施設を利用したことがありますが……。
(あちらも男女別にはなっていましたが……浴場では全裸の決まりでしたので気恥ずかしくて、すぐに出てしまいました……)
この大衆浴場という場所では、浴場で入浴着という薄い肌着のようなものを着て入浴するとのことで少し安心しました。わたくし達女性陣四人は身体を流してからゆったりと湯船に浸かっています。
「やっぱキシェンに来たら大浴場だよね!」
「はぁ……本当にそうよね、なんかここしばらくの疲れが抜けていく感じがするわ……」
「いやぁ、生き返るわ……比喩じゃなくてホントに生き返るわ……」
皆様それぞれくつろいでいますが、特にアン様は深いため息をついて心の底から安堵されています。
「アン様、お疲れさまでした……何があったのですか?」
「聞いてよみんなぁ……ひどい目にあったのよぅ」
そしてアン様はその「ひどい目」の事を語り始めました。
――そう、知っての通りあたしとディロンは大鼠退治の為にこの街の地下水路に入ったのよ……。
「さっきから大鼠がちょいちょいいるけど、こんな細かく処理してても効率悪いよね、巣とか探さないと」
「うむ、先ほどから精霊探知を使っているがあまり芳しくないな。こういう人工物の地下では探知しにくい」
それでも何とか探知できた大鼠を片っ端から仕留めて行ってたんだけど、かなり奥まで入り込んじゃって道に迷ってさ……ゴミが溜まってて水はけが悪い場所を通らないと行けなくてそこを歩いてたら、斜め下に流れ落ちる所に気付かなくて流されてしまったのよ。
「うげぇ……げほげほ! うわ、臭いぃっ!!」
「ぬう……悪い冗談だなこれは」
「ドロドロした臭い泥とゴミまみれじゃんか……シオリ連れてきてたら浄化の呪文で綺麗にしてくれるのに~」
「シオリ殿はこんな状態になったら恐らく気を失うだろうな……」
「あの子はこういうネチャネチャドロドロは特に嫌いだったね……まあ好きな奴がいるかって話だけど」
そうしてなんとか水のたまった水路から這い上がったんだよね……。
「なんかこの辺ぬるぬるしてない?」
「どこもこんなのだろう……いや、アン逃げろ!」
で、暗くて見えなかったから松明を点けたんだけど……這い上がったあたしらを待ち構えていたのはスライムだったんだよ! そこはスライムのたまり場になってたのさ。大鼠の骨とか大量に散乱してたから多分奴らを餌にしてたんだろうね、だから数が減ってたんだよ。もしかしたらここが大鼠の巣だったかもしれない。
ともかく、ディロンの声であたしはとにかく後ろに飛び退いたんだ、そしたら天井からスライムが落ちてきた。ディロンが気づいてなければ完全に頭からいかれてたよ。
「……火精の矢!」
ディロンはありったけの呪文をぶち込んでくれてなんとかその場にいたスライムは全滅させたと思ったんだけど……。
「あぶ?! ごぼぼぉ!?」
あたしの頭の上にスライムが降ってきたんだ、もうねなんかこいつ臭くて臭くて……。
「アン、動くな……火精の矢」
ディロンはあたしごと火精の矢でスライムを焼き払ったんだよ。熱いの臭いの気持ち悪いのでもう最悪だったけど、なんとか命だけは助かったのさ。そのあとディロンの頭の上にもスライムが降ってきて……でもあいつ冷静に自分に向かって火精の矢撃ってたわ……ああいうところ肝が据わってるのよね。
「これ、もう帰ろう……大鼠の替わりにスライム沸いてること報告したほうがいいよ……」
「了解だ……」
でもまあ帰る時にもまた散々迷った挙句、なんとか戻って来たってわけ……。
――というのがアン様の語るスライム……ではなくて大鼠退治の顛末でした。
「それであんなに粘液状の臭いものだらけだったのですね……」
「アン姐ったらひどいわ、それで抱きつくんだもの!」
「いやぁごめんごめん……みんなの顔見たら急に感極まってさ」
「アン姐の目にも涙だね!」
そんな話を和気あいあいとしながら、温かい湯船に浸かっていると……今までの事は夢まぼろしだったのではないかと思ってしまいます。
「どうしたのレティ、ぼぉっとして……のぼせた?」
シオリ様が黙って天井を見つめていたわたくしを心配して声をかけられました。
「いえ、わたくしは少し前までは一介の貴族の娘で……自分の屋敷やその周りだけが世界の全ての人生でした。それが突然辺境の地下迷宮の奥深くに転送刑で追放されて……でも偶然皆様に出会えて、ここにこうして今のんびりと湯船に浸かって楽しくお喋りしている……すごく不思議だなと思いました」
そういう感傷に浸っているとつい目頭が熱くなって涙が自然と溢れてきてしまいました。
「あ、え、ちょっとレティ大丈夫かい?」
アン様がわたくしが涙を流したのを見て慌ててらっしゃいます。
「すみません、ちょっと感傷的になっただけですから心配しないでください」
「ああレティったら……大丈夫よ、みんなあなたの仲間だからね」
するとシオリ様がそっと身体を抱き寄せて頭を撫でられました。
「あーシオりんがまたレティ甘やかしてる、独り占め禁止ぃ!」
ファナ様がさらに抱き付いてこられましたのでわたくしはバランスを崩して湯船に顔まで浸かってしまいました。
「おいおいレティを溺れさせる気かい?!」
止めに入ったアン様も引きずり込まれて頭から湯船に突っ込んでしまい……騒がしくしたので周りの方に怒られてしまいました。怒られたのにわたくし嬉しくてたまらず、ずっと心がウキウキしていました。
こんな日も、たまにはいいですよね?




