第一五四話「レティの居ないギルドにて(後編)」
――酒場の扉が開きギルドマスターが入ってきて、開口一番に「レティが帰ってくる」と告げた。私たちは突然の事に驚き、固まる。
「今日の分の伝書精霊が来ていないか見に行ったらレティからの手紙があってな――」
マスターが喋っているとマーシウが立ち上がる。
「マスター申し訳ありません、小間使いみたいな事を……」
マーシウは申し訳なさそうに頭を下げる。しかし、マスターは手のひらを振って「いやいや」と言い微笑む。
「身重のメイダにお遣いをさせられんからの、こんな事くらいは幾らでもするわい」
マスターのその言葉に皆の視線がマーシウに注がれる。
「マーシウ、メイダおめでたなの?!」
ファナは素っ頓狂な声を上げ、私も突然の事に驚く。
「あ、ああ……すまん、もっと早く皆には伝えようと思っていたんだが――仲間内で男女のこういうのは気が引けてしまって、申し訳ない」
マーシウは私たちに頭を下げた。
(まあ、マーシウとメイダが良い関係になっているのは皆、察してはいたけれど――)
「気にしないで、別に迷惑もかけられてないし……それに子供が生まれるって、良い事じゃない?」
私がそう言うと他の皆も「うんうん」と頷いていた。
「メイダ、最近体調が悪いって休んでたのって……へえ、そういうことだったのかい?」
アン姐が冷やかす様な笑みを浮かべている。
「マーシウ、所帯を持つのか?」
ディロンの問いかけにマーシウは「ああ、まあそういうことになるな」と照れ臭そうに答えた。私たちがマーシウに「おめでとう」と祝いの言葉を告げていると――。
「そうだ――てか爺ちゃんレティ帰ってくるって?!」
ファナは思い出したように声を上げる。確かに、マーシウとメイダの事でレティの話題が飛んでしまっていた。
「うむ。手紙には、イェンキャスト方面で遺跡調査をするからお主らに同行して欲しいということじゃ」
ファナとアン姐はハイタッチして喜びを確かめ合っていた。そして、マスターは私とマーシウを呼ぶ。
「マーシウ、シオリちょっと話がある。儂の部屋まで来てくれ」
(私たちだけに話とは……?)
何の話だろうと考えながらマスターについて三階にあるギルドマスターの部屋に向かった。部屋に入ると、中央にある丸テーブルに座るように促される。
「さて話だがな――今すぐにというわけでは無いが、そろそろギルドの運営を譲っていこうと思っておる」
私とマーシウはギョッとした。
「……それは、何処かお身体が?」
「いや、健康そのものじゃよ。だから、元気なうちにちゃんと引き継ぎをしておこうと思ってな」
どうやら病を患っている訳ではないようなので安堵した。まあ、確かにその方が混乱は少ないと思うけれど……。
「マーシウ、やってみんか? おさんぽ日和のギルドマスターを」
「俺が、ですか?!」
「お主以外にはおらんだろう?」
マスターは微笑みながらさらりと言った。
「いや、まあそうかもしれませんが……」
マーシウは次のギルドマスターの指名をされて戸惑っている。
「そう気負うな、儂もギルドマスターとして特に何もしとらんしな」
(いえ、ドヴァンマスターの采配で、ウチのような小さなギルドが発言権を持ってるのですよ……)
因みにドヴァンマスターの正体を知っているのは、このイェンキャストではウチのギルメンだけだ。だから皇家一族の力を使ったのではなく、マスター本人の手練手管で冒険者ギルド連合の重鎮に収まっているのだ。
「そしてシオリ」
「は、はい」
突然話を振られて声がうわずってしまった。
「お主にはメイダの担っていたギルドの会計や事務などをやって貰いたい」
「私が、ですか?」
確かに、最近メイダの手伝いで会計や事務の補佐はしていたけれど――。
「儂もしばらくは可能な限り関わってゆく。シオリは貴重な治癒魔術師でもあるから裏方に徹してもらうわけにはいかんしな」
――世代交代が出来ずに解散する冒険者ギルドは多い。冒険者として優秀でもギルド経営はまた別の能力が必要だからだ。また、個人の損得ではなく組織としての損得に意識を向けられる事に重きを置けるか――個人主義の冒険者の中では限られているのは仕方ない事かもしれない。
「私はこのギルドが好きです。もし力になれるのであればお受けします」
マスターは流石に安堵の表情を浮かべていた。
「ありがとう。儂はいずれ帝都に戻ることになる、それまでに引継ぎを済ませたい」
「帝都に? それは一体――」
「この老いぼれの力がまだ必要な事になりそうでな。レティ、あの娘は帝国を――この国の在り方を変えるかもしれんのだ。それはあの娘の後の代かもしれんが……少なくともその種を撒こうとしているのだ」
マスターは立ち上がって窓の外を見つめながらそんな事を言っている。
「儂があと何年生きるかは分からんが、儂にしか出来んことがあるならそれをしようと思う。儂の我がままではあるのだ――」
マスターは深々と頭を下げた。
「マスターお止め下さい、俺はマスターに命を救われてから貴方の夢のお手伝いをする為に冒険者になりました。ですが、もうそれは俺の人生になっています。おさんぽ日和も、仲間も、かけがえのないものです。ですから、どうかお気に病まれず為すべきことを為して下さい」
マーシウは堂々とした態度で言った。私も彼のその様子に覚悟を決める。
「私も精一杯務めます」
マスターは「ありがとう」と微笑んでいた。
――マスターの部屋を後にして私はメイダの部屋に行く。ベッドの上で具合が悪そうにしていたので出直そうとしたけど、彼女が招き入れてくれた。
「マスターからお話を聞いたわ。落ち着くまで貴女がやっていた業務は私が引き継ぐから、安心して良い子を産んでね」
「ありがとうシオリ……驚いたでしょう?」
メイダは横になったまま少し気だるそうに微笑む。
「本当に。もうちょっと早く教えて欲しかったわ」
メイダはゆっくりと上半身を起こして苦笑いしている。
「マーシウには"俺から皆には言うから"って止められてたのよね……まあ、なかなか言えなかったみたいだけど」
「確かに、そんな事を言っていたわ」
マーシウの狼狽っぷりを思い出して苦笑する。
「別に悪いことじゃないのに、ギルドの和を乱したと思ってるのよ……あとで釘を刺しておくわ」
「マーシウは真面目だからね……」
(冗談も真面目に受けてしまって謝るような人だし――)
「まあ、そこに絆されたんだけどね」
珍しく、少し照れて視線を外すメイダを見て私も思わず微笑む。
「フフ……ごちそうさま」
「レティが帰ってきたらびっくりしそうね」
確かに、想定もしていない気がする。
「ええ、十中八九ね」
レティの驚く様を想像して二人で「クスクス」と笑っていた――。
 




