第一三三話「恐るべき暴君」
――マンティコアはズブズブと嫌な水音を立てながら溶けるようにドス黒い粘液になり、やがて黒い霧のようになって消えました。魔剣達もいつもの様に白い霧になって消えて行きます。
その直後、わたくしの身体は激しい疲労感見舞われました。流石に一瞬とはいえあれだけの魔剣を一度に呼び出したら無事では済まない様です。わたくしは床に座り、腰のポーチから疲労回復のポーションの小瓶を取り出して一息に飲みます。
「大丈夫か?」
周囲の警戒をしていたルーテシアさんがわたくしのもとに近付いてきました。
「はい、魔剣の使役による一時的な疲労ですので。今、休息のポーションを飲みましたから少し休憩すれば大丈夫です」
そんなやり取りをしていると転移装置の部屋の外から足音と話し声が近付いて来ました。
「なんだもう片付いたのかよ、仕事が早えな」
「二人共、大事無いか?」
ゲイルさんとヲチャさんも獅子蟻を全滅させた様で、こちらに追いついて来ました。
「レティ、大丈夫か?」
座っているわたくしを見てヲチャさんが近付いて来ます。
「はい、少し魔剣を使い過ぎてしまって……でもポーションは飲みましたので大丈夫です」
わたくしが答えていると、ヲチャさんはポーチから小袋を取り出してわたくしに差し出しました。
「魔力の回復を助ける香袋だ、持っておくといい」
手のひらに収まる程の小さな布の小袋から良い香りがします。それは以前も嗅いだことのある香りです。
「これは……以前お会いした時にファナさんに下さったものですね?」
わたくしの問いにヲチャさんは少し考えてから「ああ」と思い出した様な表情をしました。
「そうだったな、あの魔術師は元気か?」
「はい……と言ってもわたくしも最近はあまり会えていないのですが、元気だと聞いています」
わたくしとヲチャさんが話している間にルーテシアさんとゲイルさんは周辺の調査を終えてこちら来ました。
「どうやらここで行き止まりみたいだな、隠し通路とかそれらしい仕掛けも見当たらない」
ルーテシアさんは古代の仕掛けなども調べた様でした。
「俺は一応念の為に入口で警戒しとくから、存分に装置とやらを調べてくれ」
ゲイルさん片手半剣の刀身を眺めながら「あっちゃあ……曲がっちまってる、気に入ってたんだがなぁ」と呟くと旅人の鞄に剣を仕舞いました。
替わりに戦斧を取り出して、試すように左右片手で振り回したり、両手で持って素振りをしていました。その姿は、わたくしの知る戦士や騎士の方々に引けを取らない凄味の様なものを感じました。
(ゲイルさん、また服は裂けたり破れたりしているのに身体には傷一つありません……そういった魔道具か何かお持ちなのでしょうか、気になります)
わたくしの体調がある程度回復したところで、転移装置の調査を再開します。ヲチャさんは辺境出身ですので、古代語を共に解析して頂けてとても捗りました。
「……調査を纏めると、どうやら転移中に転移先である装置が故障もしくは消失してしまった為に保留されていたものが稼働した装置に送られてくる現象……の、様です」
「ということは、転移装置を稼働させると、その保留されたものが出てくる可能性があるということか?」
わたくしの言葉にルーテシアさんが問いかけます。
「まだ詳しい条件等は不明ですが……今までの出来事から推測すると、保留されている転移装置の最寄りの転移装置が起動する事で転移されてくるのでは、と考えます」
わたくしの返答にルーテシアさんは何か思案している様子です。
「では、これを再び起動させるとまた何か魔獣が転移されてくるかもしれんということか、状況は変わらんのだな?」
ルーテシアさんの仰る通り今は出口を塞いでいるだけですので、開けばまた出てくるかもしれません。
(そういえば、後宮地下にある転移装置を調べた時に、この転移装置の不具合が表示されていました)
「ヲチャさん、辺境語で"保留されている転移物の種類や数を教えて欲しい"というのは何といいますか?」
「ふむ、そうだな……」
ヲチャさんがそれを辺境語で喋ると、装置の金属板に光る文字が現れました。
「……保留、容量? これは何かの値かよく分からん。物体、検出、不可……ということは、何なのかも不明だそうだ」
ヲチャさんは文字を指でなぞりながら説明してくれます。
「なんか知らんがよ、ゴミが溜まってるってんなら掃除すりゃいいんじゃないか? 古代魔法帝国の放ったらかしたゴミ掃除してんだろ、ルーテシア」
入口で見張りをしているゲイルさんがそんな事を言っています。
「そうだな、容量とやらが表示されているということは終わりがあるということだろう。レティ、悪いが、もう一度装置を起動してくれないか?」
ルーテシアさんは自在棍を伸ばして一振りしてから構えました。
「蠍が出るか大蛇が出るか……」
ヲチャさんはそう言うと数珠を握りしめました。
わたくしも覚悟を決めて文字盤を操作し、装置を再び稼働させる操作をします。部屋の中心にある石柱と床の紋様が青く輝き、光の粒子が渦を巻きました。わたくしは眩しさに手のひらで目元を隠します。
光を直視しない様に手のひらで目元を隠しながら横目で金属板に目をやると……「転送」と書かれた項目の数字がどんどん減り、やがて0になりました。
(……これは、残り全てが転送されてくる?!)
「来ます! とても沢山、或いは大きなものと思われます」
わたくしが声を上げると、部屋の中心に大きな影が浮かび上がります。輝きが治まるにつれその姿がはっきりとしてきました。
それは二足で立つ、高さ五メートルはある大きなトカゲ……いえ、亜竜という方が正しいでしょう。長く太い尾も含めると全長は一〇メートル近くあります。大きな頭に大きな口があり、牙がびっしり生え揃っています。
腕……前脚は、後ろ脚に比べるととても小さいです。そして、体表は鱗鎧の如き銀色の鱗で覆われていました。わたくしはその凶暴そうな外見に怖気が走ります。
「ぬお? ありゃあ暴君亜竜じゃねえか?!」
ゲイルさんが驚きの声を上げました。
暴君亜竜――わたくしが読んだ文献によると、狂暴な陸生の亜竜です。大きく太い二本の足に片刃剣の如きの爪を備えた二足歩行の亜竜……胴と同じ位太い首と大きな頭――その口には牙が沢山生えていました。
太く長い尾を持ち上げながら走る事が出来、巨体に似合わない敏捷性も持ち合わせているといいます。かつて地上の様々な動物や怪物を捕食対象にしていた事から暴君の二つ名で呼ばれていた亜竜……だそうです。
(最後の目撃例は数百年前と聞いていますけれど……)
「だが、あんな鎧みたいな鱗が付いた奴は知らねえなあ……」
確かに、文献とは特徴が異なります。暴君亜竜はもっとトカゲのようなの皮膚だと図鑑には載っていました。
「魔法帝国で造られた、鎧の様な鱗を纏う暴君亜竜……さしずめ甲冑亜竜と言ったところでしょうか?」
キマイラやグリフォン、獅子蟻の様な複数の生物が合成されたような魔獣を生み出した古代魔法帝国の技術であれば造作もない事なのかも知れません。
そして、甲冑亜竜はこちらに気付くと、大きく太い二本の後ろ脚で歩き始めました――。




