第一〇二話「余談 ~マーシウの場合」
――雨が激しい夜、こんな夜はなかなか寝つけない。色々、昔の事を思い出すからだ。そんなときは誰もいない酒場で独り酒を呑んでいる。
俺はマーシウ・マシュリィ。冒険者ギルドおさんぽ日和でまとめ役をやっている。元々俺はそれなりの商家の末っ子で適当に家の手伝いをしていれば食うに困らない人生だった。
だが十代のガキだった俺にはそれが疎ましくて、一五の時に帝国騎士学校に志願した。ここは平民にも門徒が開かれていて、成績と素行さえ問題無ければ騎士にさえ取立てて貰える。中でも近衛騎士はエリートで、普段は皇帝陛下やその親族である公爵家や伯爵以上の上級貴族の護衛や城内の警備。有事の際は皇帝陛下直轄の兵力として動員される。
俺は努力の甲斐あって、近衛騎士に抜擢された。まあそのせいで貴族の子息達にはやっかまれもしたが、選抜に皇帝陛下や宰相閣下、貴族院も関わってるので表立って批判できる奴は居なかったけどな。
それでも地味な嫌味や嫌がらせはあったが、俺は日々の訓練や公務を地道にこなす事でお偉いさん方の信頼を得ていった――
ある日の訓練を視察に来ていた宰相閣下が、何を気に入ったのか出掛ける時の護衛を俺に任じられる様になった。それで知ったのだが、閣下は度々平民のふりをしてお忍びで帝都を視察していたのだ。
「閣下、本当に護衛は私だけで宜しいのですか?」
「物々しくなったらお忍びとは言えんだろう? それに街で閣下などと呼ばれたら不味いのでな。今、儂は隠居した商人ドヴァン。物見遊山で帝都を見物しているという事にしておいてくれ」
「ドヴァン様……ですか?」
「うむ。お主は平民出身だから立ち居振る舞いはお手の物じゃろ?」
(帝国宰相ドルヴイユ大公殿下、先々帝陛下の弟である皇家のお方が平民出の俺を護衛に抜擢された訳はこれか……)
こうして俺は訓練、城内の警備、要人警護と宰相閣下こと隠居商人ドヴァン様の付き人マシューとしての日々を送る事になった。
――そんな過去を思い出しながらちびちびと酒を呑んでいると、不意に気配を感じて振り向くが……誰もいない。
「気のせいか……うお?!」
テーブルに向き直った俺の向かい側に人が座っていた。
「メイダか? 脅かすなよ……」
俺と同じくこの冒険者ギルドの創設メンバーで斥候兵のメイダだった。普段はギルドの事務方やマスターの秘書兼護衛で、酒場の厨房管理や調理もしている。ギルド結成前に出会っているので、もう長い付き合いだ。
「酒場でゴソゴソと聞こえたから様子を見に来たんじゃない。どうしたの、独りでこんな時間に?」
「こう雨が激しい夜は寝つけなくてな、寝酒をあおってるのさ」
メイダはテーブルから立ち上がると厨房に入り酒瓶をと木のカップを持ってきた。
「こっちはどう、美味しいわよ?」
ひと目で高い酒と分かる瓶だ。これって確か……。
「おい、これマスターがキープしてるやつじゃないのか?」
「フフ、後で少し頂きましたって言って謝っておくわ。貴方も共犯ね」
メイダは俺のカップと自分のカップになみなみと酒を注いだ。
「少しねえ……って共犯かよ? 流石、凄腕の斥候兵は抜け目が無いな」
お互いに笑い合い、カップを重ねて乾杯して一口呑む――
「美味い……流石はマスター・ドヴァン」
――ふと前を見るとメイダも窓の外、激しく降る雨を見ていた。
「それにしても、本当に嫌な雨ね……あの時の様で」
メイダの表情は暗く瞳は沈んだ様に見えた。
俺たちが出会ったのもこんな酷い雨の夜だった。もはや表沙汰になることはないが、一〇年前、ドルヴイユ殿下暗殺未遂事件があった。俺は騙されて殿下から引き離されて、メイダは殿下とは知らずに暗殺を命じられていた。
お陰で俺は肝心な時に殿下を護れなかった事と、暗殺事件を隠蔽するために人知れず処刑されかけて、メイダは殿下もろとも殺されかけた所で逆に殿下に命を救われた。そこで自分が殺そうとしていたのが宰相殿下と知り、雇い主である侯爵を見限って殿下の配下となった。
まあそんな事情があるのだが、詳しく思い出すと俺もメイダもなかなかに胸糞の悪い事まで思い出さないといけなくなってしまう。
「昔話は止めておこう、折角の酒が不味くなる」
「そうね、呑みましょ」
メイダの表情はくるりと変わった様に微笑む。すると、階段から足音が聞こえてきた。
「ふぁぁ……あれ、灯りがついてる?」
「ふぁ~ ううん……あ、マーシウとメイダ?」
アンとファナが階段から大きな欠伸をしながら降りてきた。
「二人共こんな時間まで呑んでたの?」
「この雨でしょ? 眠れなくて寝酒を呑んでたのよ」
「それはいいね……あたしも!」
アンは階段から駆け降りて厨房からカップを持ち出して俺たちが呑んでいたマスターの酒をなみなみと注いでゴクリとカップの半分程呑んだ。
「こりゃ美味しい、こんなの内緒で呑むなんて人が悪いねぇ?」
「おいアン、そいつはマスターの酒だぜ?」
俺の一言でアンはピクリと固まり俺とメイダを交互に見た。
「マジ?」
「マーシウと明日謝ろうって言ってた所よ」
アンはそっと瓶にカップの酒を戻そうとした。
「オイオイもう遅いだろ、てか戻すなよ」
「ファナもなんか飲みたい!」
メイダがファナに「はいはい」微笑むと厨房に入り発火で火を点けて果実酒にハチミツを入れて暖め始めた。
「いい匂い……」
ファナは鼻をならしてカウンター越しに厨房を見ている。
「果実酒にハチミツを入れて温めたものよ。飲むとポカポカしてよく眠れるし、酒気も飛ぶからファナでも大丈夫なはずよ」
木のカップに注がれた温かい果実酒をファナは息を吹きかけて冷ましながら飲んでいた。
「なんかつまむ物欲しくなってきた、干し肉とか塩漬け豆とか無い?」
「おいおい、寝酒だろ? こんな時間に呑んで食ったらただの酒盛りじゃないか」
俺は苦笑いしながらそう言うとアンは「あ、そうだった」と照れたように笑う。
(嫌な雨の夜かと思ったが、まんざらでもない時間になった――)
「我ら、おさんぽ日和に乾杯だな……」
宙に向けて盃を掲げて俺はかけがえのない、この仲間達との日常に感謝した――




