第一〇〇話「余談 ~シオリの場合」
――私はシオリ・レンシャク。冒険者ギルドおさんぽ日和に所属する治癒魔術師。今日は出張鑑定に行っているレティの替わりに魔道具取扱い店の薔薇の垣根にギルドマスター・ドヴァンの遣いでやってきた。
「すみません、ドヴァンさんからの書面をお持ちしました。目を通して頂いてサインか印を頂きたいのですが……」
「カランコロン」と鈴のなる扉を開けて一言かけ、店内に入る。薔薇の垣根の店内、所狭しと魔道具、古物、書籍が並んでいる奥のカウンターに座る老女がこの店の主人、ガヒネア・ロズヘッジだ。
いつもなら店に入った者を一瞥してから「何か用かい?」と無愛想な口調で話しかけてくるのだけど、今日はカウンター向こう安楽椅子に座ったまま動かない。
「ガヒネアさん、寝てます?」
この老店主が居眠りは珍しい。いつもは来客を一瞥した後に興味無さげに本を読んでいると見せてその動向は観察しているのだけれど……。
「ガヒネアさ――」
私の二度目の声かけの途中で目を覚ましたのか頭を上げ私の方を見た。
「……シオリかい。びっくりするじゃないか、何の用だい? レティは……」
ガヒネアは少し驚きの表情を浮かべたけれど、すぐにいつもの無愛想な表情に戻った。
「レティは今日は出張鑑定に行っているわ。私はマスター・ドヴァンからこれを預かってきたので、目を通して貰ってサインか印を下さい」
ガヒネアに預かった書面を渡すとカウンターに置いていた眼鏡をかけ目を通している。
「なんだい、商店組合の寄合の日程かい。こんなのレティにでも預けてくれればいいじゃないか?」
文句を言いながらガヒネアは書面に自分の名前を書いている。
「ガヒネアさん、お体は大丈夫ですか?」
私の言葉にガヒネアはペンを止めて私の目を見た。
「なんだい藪から棒に。アンタに嫌味言うくらいは元気だよ」
「居眠りとは珍しいなと……」
私がそう言うと途中だったサインを終わらせて書面を返してきた。
「レティの居ないときに……ドヴァンの旦那の差し金かい? あの人もお節介だね。アンタ、治癒魔術師だったね」
「はい。なにか……ご病気ですか?」
ガヒネアは溜息をつくと微笑んだ。
「もう歳だからね……流石にあちこちガタが来てるのさ。そう何年も生きられないかもしれない――寿命さ、自然の摂理ってやつだよ」
「……レティには話していないのですか?」
「ああ。あの子は必要以上に心配するだろうから、黙っていてくれないかい?」
(確かに、加齢による身体の衰え、そして寿命は誰しも逃れられないものだけれど、レティには……)
「分かりましたけど、ちゃんと然るべき時にご自分でレティには仰ってくださいね。彼女、そういう事もちゃんと受け止められると思いますよ?」
私のその言葉を聞いてガヒネアさんは自嘲気味に笑いました。
「あー、そうだね。言えないのはあの子のせいじゃないね……アタシがあの子に言えないでいるんだ、あの子との今の日々を失いたくないと思っちまってるアタシが」
「ガヒネアさん……」
思いもしない、ガヒネアの本心を打ち明けられて私は戸惑ってしまった。
「シオリ、アンタを腕の立つ治癒魔術師と見込んで頼みがある。たまにアタシの身体を診て欲しいんだ……無論依頼料は払う」
普段の――私の知るこの老鑑定士は気丈で口を開けば皮肉を言うような偏屈な人だったけれど、やはり一人の人間ということだろうか。
「依頼料は要らない――と言いたい所ですが、ガヒネアさんにもプライドがありますよね。治癒魔術を生業としている者として、イェンキャストに居る時であればお受けします」
そういうやりとりをしている時、不意に店の扉の鈴が「カランコロン」と鳴った。
「やっほー! ガヒネアばあちゃん居る?」
ファナが満面の笑みを浮かべて入ってきた。
「なんだい騒がしいね、またお前かい。いつも用も無いのにやってきて……騒々しいのは嫌いだって言っただろう?」
ガヒネアは呆れた様な表情でファナにそう言った。それを意に介さずファナは店の奥、私達の居るカウンターまでやってきて紙袋を置く。
「これこれ、帝都で流行ってる焼き菓子だよ! なんか行商人が屋台出してて凄い行列出来てたけど、並んでやっと買えたんだ~一緒に食べようよ?」
ガヒネアは短いため息をつくけれど、表情は穏やかだった。ファナはガヒネアにとても懐いているのだ。師匠であった老魔女に育てられたらしいのでどこか重なる所があるのかもしれない。
「ファナ、アンタ最近めっきり背も伸びたと思ってたんだが、菓子ではしゃいでるのを見るとまだまだ子供だね」
「えー でも婆ちゃんもシオりんも好きでしょお菓子?」
「そういうんじゃないよ、まったく……はあ、茶でも淹れようかね」
「やっぱ好きじゃん」
ファナとガヒネアがわちゃわちゃと言い合いをしていると、また「カランコロン」とドアの鈴が鳴る。
「ガヒネアさんわたくし今日は……あら、シオリさんとファナさん?」
「あ、レティお帰り! 帝都で流行ってるお菓子買ってきたから食べようよ!」
「まあ、そうなんですね! じゃあお茶を淹れます。あ、ガヒネアさんわたくしがやります」
――今まであまり意識して見てはいなかったけど、ガヒネアのレティに向ける眼差しは本当に優しい。孫を見る祖母というのはこういうのだろうか。
「ガヒネアさん、竜舎利ゴーレムってご存知でしたか?」
「は? なんだいそりゃ……聞いたこと無いね」
「実は今日、出張鑑定に行ったのですが――」
レティにとって私は仲間として友として、寄り添う事は出来ても彼女の得意な事やしたい事の行く先を教え導く事は出来ない。
(レティは私達に出会った事が奇跡と言ってくれたけれど、ガヒネアの様な師に巡り会えた事もまた奇跡なのでしょうね……)
治癒魔術師として出来る事があるならばこの師弟の穏やかな日常を見守りたい、そう思って私はふと――ギルドマスター・ドヴァンが言った言葉「冒険者達の何気ない日常を見守りたい」というのを思い出した。
「――なるほどね」
私は、そんな自分が可笑しくなり「フフ」と微笑む。
「シオりん、何ニヤニヤしてるの?」
「ニヤニヤじゃないわよ、これは微笑み」
「何それ……まあいいけど」
――そう、これは何気ない日常のひとコマ。何気ない、でもかけがえのない時間なのだ。




