家に電話をかけてきたメリーさんがポンコツ過ぎて、娘がガイドし始めたんだが
「あたしメリーさん。今あなたの後ろにいるの……」
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
リビングに幼児特有の元気な叫び声が響き渡る。
今日は十二月三十一日、いわゆる大晦日で、時刻は十八時。俺は娘と共に、遠出している妻の帰りを待つ間、怪談に興じていた。
娘に話したのは『メリーさんの電話』。捨てられたはずの人形メリーが、持ち主だった少女の家にどんどん近づいていき、それを電話で報告してくるという都市伝説だ。
どうやら娘はこの話がお気に召したらしく、悲鳴をあげながらもキャッキャッと楽しげにしている。ホラーに強いタイプなのかもしれない。
それにしても……妻の帰りが遅い。予定ではもうそろそろ着いているはずなのだが、何かあったのだろうか。そんなことを考えていると――
プルルルっと、固定電話から着信音が鳴った。
「…………!?」
ぎょっとした様子で固まる娘。あまりにもタイムリーで俺も少し驚いた。まあ、大方妻からの連絡だろう。
ソファから立ち上がって電話の前まで行くと、ズボンをつかまれる感覚が。見ると娘が意を決した表情で俺を引き留めている。
「……わたしがでる」
さながら戦地に赴く兵士のような、覚悟を宿した目。いつになく真剣だ。これは……断るのも野暮なのだろうか。
「知らない人だったらすぐパパと代わってね」
「うん、わかった」
深呼吸をしてから、娘は受話器を取った。
「もしもし。…………っ!?」
血の気が引き、愕然とした表情になる娘。手を震わせながら受話器を置いた。そして、ゆっくりとこちらを向いて口を開く。
「めりーさんだった……」
「マジ?」
そんなことある? 本気の怯えようを見るに、冗談を言っているわけではなさそうだが。聞き間違い、だろうか。
「相手は何て言ってたの?」
「あたしめりーさん。いま、しんじゅくえきにいるの……って」
新宿って。妙にリアリティのある場所からかけてくるメリーさんだな。
しかし、そこまで明確に聞き取れているのなら聞き間違えてはなさそうだが。いたずら電話……は流石に考えづらいよな。となると……。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「え!? は、はやくかえってきてね、ぱぱ」
「うん」
不安そうにこちらを見つめる娘。少々心が痛むが、スマホを持ってリビングを離れる。
数分後、戻ってくると、娘は顎に手を当てて何やら考え込んでいた。かわいい。
「どうしたの?」
「……めりーさんは、わたしに、ふくしゅうしたいのかもしれない」
「復讐?」
これはまた物騒なワードが。いや、メリーさんの怪談的にはそれで正しいのだろうが。
「わたしがめりーさんをこわしちゃったから……」
「……え? そんな人形持ってたっけ」
「ううん、ぬいぐるみ」
「あぁ。そういえば、あったね」
数日前、娘はお気に入りであった羊のぬいぐるみを、不注意で引きちぎってしまった。あの時は大泣きで大変だったが、妻が直すと言って収まったはず。
「あのぬいぐるみ、名前つけてたんだ」
「つけてない。でも、ひつじだったから、あれはめりーさん」
……ああ、なるほど。いや、『メリーさんのひつじ』は羊の飼い主がメリーさんなのであって、羊=メリーさんではないのだが。
どうやら娘の中ではそれが真実として確定しているらしい。まあ、可愛いしいいか。
「これは、わたしのせきにん。わたしがかいけつしないといけない」
ぐっとこぶしを握り締め、使命を誓う娘。覚悟が決まったようだ。
「でんわはぜんぶ、わたしがでる。ぱぱは、うしろをみはってて」
「分かった。あ、今度からスピーカー機能オンにしてくれる?」
コクリとうなずいてから娘は電話の前に立ち、いつでも受話器をとれる体勢になった。そしてしばらくたってから、プルルルっと電話が鳴った。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今池袋駅にいるの……』
電話の相手が名乗るのは、やはりメリーさん。着々と我が家に近づいているらしい。
「わかった。――わたしは、にげもかくれもしない。かかってこい、めりー!」
『……!?』
腰に手を当て、彼女は堂々と宣言する。啖呵を切られるのは流石に予想外だったのか、驚いた雰囲気のメリーさん。
そのまま電話は切れ、静寂が訪れる。
数分後。三度電話が鳴り出した。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今新大塚駅にいるの……』
「しんおおつか……?」
電車乗り間違えてるじゃねえか。新大塚は我が家とは反対方向だ。
耳慣れない駅名に娘が困惑したような声を出す。
「……? それ、どこ?」
『わかんない。初めて来た……』
初めて降りた駅に不安を感じるな。震える声で泣き言を漏らすメリーさん。ホラーとして恥ずかしくないのだろうか。
『なんか……疲れてて副都心線と丸の内線を間違えたみたい……』
そんなことある?
いやまあ、マークの色合いが似てる、か……? うーん? 茶色と赤だぞ? ……まあ、なんにしても光景やらアナウンスやらで気付いてほしいところだが、乗ってしまったものは仕方がない。
「だいじょうぶ?」
『大丈夫じゃない……。つらい』
娘に心配されて泣き言を漏らす。疲労で精神が限界を迎えているようだ。現代社会の闇はメリーさんをも蝕んでいるらしい。
「うちは、ひかわだいだから。がんばって」
『うん、がんばる』
「おちついて、しっかりでんしゃかくにんしてね」
『うん』
優しく教える娘に素直に頷くメリーさん。親子のようで微笑ましくはあるが、年端も行かない少女に諭されるメリーさんが少し心配になってきた。
そのまま電話はプツンと切れる。心配しているのか、娘はそわそわと落ち着かない様子だ。
というか、
「メリーさんを助けてよかったの?」
「これはけじめ。めりーさんとは、あわなくちゃいけない」
「襲われるかもよ?」
「かまわない。あいも、にくしみも、すべてうけいれる」
覚悟が決まりすぎている。胸を張った姿からは覇王の風格を感じた。娘の将来が怖い。
いや、父親としては自分の身は大切にしてほしいのだが、見てて面白いなこれ。
二十分後。またしても電話がかかってくる。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今氷川台駅にいるの……』
「! すごい! えらい!」
『えへへ……』
メリーさんは無事最寄駅へと辿り着いたようだ。どうやら褒めて伸ばす教育方針らしいうちの娘の言葉に、満更でもない様子。悲しいかな、その姿にホラー要素は一ミリもない。上機嫌なメリーさんは、そのまま電話を切った。
数分後。電話が鳴り、娘が受話器を取る。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今信号の前にいるの……』
メリーさんはそれだけ呟き、すぐに電話を切ってしまった。娘はぽかんとしている。
具体的な位置を知らせないことによって、居場所が把握できないのに確実に近づいてきているという得体の知れない恐怖を演出してきたようだ。ここにきてメリーさんがホラーの自覚を取り戻したらしい。
数分後。プルルルっと電話が鳴った。
「はい、もしもし」
『あたしは今どこにいるの……?』
「どこ……?」
どこだよ。不安げなメリーさんの言葉はいつもと違い疑問形だ。というか名乗りすら忘れている。え、もしかして迷ってるの? 嘘でしょ?
『なんかね、道が暗くて、いつもと違って、わかんなくなっちゃった……』
泣きそうな声色で弱音を吐く。窓を開けて外を見ると確かにもう日は沈みすっかり暗くなっていた。
「だいじょうぶ。がんばって、みちさがそ?」
『うん……』
「ちかくになにがみえる?」
『えーっと、スーパーがある』
「ほかには?」
『家』
スーパーか。駅から今までの時間でたどり着けるスーパーマーケットはそう多くない。流石に線路を挟んだ反対方向には行っていないと仮定するならば更に絞られる。
商店街にあるものを指しているならば他の店のことも言うだろうからそれを除くと、もう恐らく一つしかない。娘も同じ結論に至ったようで、机の上に置いた俺のスマホで地図を確認し、頷いて口を開いた。
「すーぱーのじてんしゃおきばにたって、こうさてんをみて」
『はい』
「みぎななめまえのみちを、まっすぐすすんで」
『わかった』
娘の指示に素直に従うメリーさん。メリーさんってこんなんだっけ。まあ、なんとかなりそうでよかった。
少し娘ガイドに不安もあるが、大丈夫そうなのを見て俺はキッチンに移動する。そろそろ夕食の準備をしなければ。
「ちょっとみちがぐにゃってなるところにきたら、ひだりにまがって」
『ちょっとぐにゃ……ここかな』
「すすんですぐ、けいさつがあったらせいかい」
『あたしメリーさん。今交番の前にいるの……』
ちょっと余裕出てきたぞこいつ。思い出したかのように口上を述べるメリーさん。
『……あ! この道知ってる!』
あとは自力でたどり着けるところまで来たらしく、露骨にテンションが上がっている。
「こい、めりー! いえで、まつ」
大声で宣言し、娘はガチャリと受話器を置いた。
プルルル、プルルル。着信音が鳴り響く。おそらくこれが最後の電話になるだろう。緊張が走った。
「はい、もしもし」
『あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの……』
たったそれだけのやりとりの後、切れる電話。娘は一歩一歩踏み締めるように玄関へと向かう。
「ぱぱ。わたしのうしろをみはってて」
「わかった」
娘の言葉に答えて俺も玄関に足を運んだ。ドアの前で仁王立ちする娘。宣言通り逃げも隠れもする気はないようだ。
しかし、十秒ほど待ってもドアが開く気配はない。痺れを切らしたのか、娘はサンダルを履いて扉を開け放つ――
「…………? いない……」
前には誰もいなかった。ただ冷たい風が家の中に入り込んでくるのみ。困惑する娘。
――その時。背後からこちらにゆっくりと近づく足音が聞こえてきた。まさか。娘の首筋に冷や汗が流れる。
はっと振り返る。そこには、
「あたしメリーさん。今あなたの後ろにいるの……」
「……………………っ!?」
声にならない悲鳴を上げ、目を見開いたぎょっとした表情で固まる娘。数秒して何かに気づいた彼女はゆっくりと硬直が解けていく。
信じられないといった表情で確認するように口を開いた。
「…………まま?」
「うん、ただいま」
娘の言葉を肯定するメリーさん。そう、メリーさんの正体とは彼女の母であり俺の妻だったのだ!
衝撃に口をぱくぱくさせる娘。理解が追いついていないらしい。
「ごめんね、ちょっといたずらしちゃった」
てへぺろっと謝る妻。ぽかんと口を開けた娘はこちらを見てくる。俺は無言でサムズアップした。
そう、もちろん俺はメリーさんの正体を知っていた。というかなんなら共犯者である。最初あまりにもタイムリーなメリーさんからの電話には驚いたが、トイレに行くふりをしてメールで妻に確認し、彼女の仕業であるとわかってからは二人で共謀して娘にサプライズを仕掛けたのだ。
「どうやって、うしろからきたの?」
「そっちの窓から」
そういって彼女が指した先には開け放たれた掃き出し窓があった。というか開けたのは俺だ。外が暗くなっているかを確認するふりをしてさりげなく準備しておいたのである。
「まよってたのも、えんぎ?」
「えっ?……いや、う、うん、そうだよ!」
見栄を張るな。演技で副都心線と丸の内線を乗り間違えるわけないだろ。もうちょっと現実味のあることするわ。
「あ、そうだ。これ見て」
そういって彼女は鞄の中から何かを取り出す。白くてふわふわした物体だ。
「じゃーん!」
「めりーさん!?」
なんと、それは娘が壊してしまったはずの羊のぬいぐるみであった。
「おばあちゃんに直してもらいましたー!」
ドヤ顔でぬいぐるみを掲げる妻。確かに義母は裁縫が得意だった。突如大晦日に実家に行ってくると言い出した時は何事かと思ったが、修復のためだったのか。
ぬいぐるみを受け取った娘は、満面の笑みを浮かべながら妻に抱きついた。
「ままだいすきっ!」
「ふふっ、ママもだよ」
ぎゅーっと抱きしめ合う二人。仲が良くて何よりである。俺も参加したいところだが、夕食の準備を進めなくては。
「もうご飯できてるから、二人とも座って」
「「はーい」」
二人は元気よく返事して、自分のものを片付けてから席についた。そのうちに俺は机の上にどんぶりを並べる。特製年越しそばだ。
「「「いただきます」」」
これからも、この賑やかで楽しい日々が続いていきますように。