番外編「副社長編」5
まだランセツ出ねえのかよ……。
魔導室に敷かれた魔方陣マット。
マッスルとレイリンは共にウィーナ一行が現れるのを待ち続けていた。
「ずっとここで待ってるの?」
ローリエが呆れたように問う。
メクチェートとローリエが魔方陣マットを設置し、いつでも転移できるようになっている。しかし、ウィーナやシュロン、ランセツがソローム地方から戻ってくるのは夕方としか聞いておらず、来るタイミングが分からない。
「すぐにでもウィーナ様やランセツ殿と話したいんや。副社長のことを」
マッスルが答える。魔方陣マットの前で腕を組んで仁王立ちしたまま。
「分かったわ。それじゃあ、私はメクと研究所を見学してるから」
ローリエはヒールの音を響かせながら魔導室を去っていった。
無言で待ち続けるマッスルとレイリン。
どれだけの時が流れただろうか。
赤き冥界月が昇り始めた夕刻、眼前のマットに描かれた魔方陣の輪郭に光が走り、光で満たされた輪郭は天井に向かって光の柱となり上昇していく。
「あ、来た」
つぶやくマッスル。無言でうなずくレイリン。
光の柱が消え去ると、そこにいたのは一人の人物。
それは、ウィーナでもランセツでもシュロンでもなかった。
初めて見る、鎧姿のキリン型の獣人。長い首の上に小さな頭部が乗っている男だ。
「どうも、お疲れ様でごぜぇやす」
キリン男が長い首を曲げ、こちらを見下ろすように挨拶してきた。
ソローム訛り。ウィーナが長期出張している現地の者だろうか。
「誰?」
「誰やねん!」
ほぼ同時に声を上げたレイリンとマッスル。見たことのない、初対面の人物であった。
「私? 私に対して言ってますか? 誰とは」
キリン男が何故か顔を赤らめてキレ気味になる。
「そうよ!」
「いいでしょう。いいでしょう。それでは申し遅れてないと思いますが、まあ、いいでしょう。申し遅れたということにしておきましょう……」
「いやお前誰やねん!」
マッスルもレイリンも怪訝な表情を隠さない。
「超絶期待の大型新人、ソローム地方期待の新星! 否、エリア・ソローム期待のホープ! 武芸万端、魔法千番、手足ある歩く才能! 出世しそうな男アンケート№1、ワルキュリア・カンパニーがソローム地方の領主と協力して開催した臨時新人戦闘員募集試験唯一の応募者にして唯一の合格者! 故に入社試験トップ! 就職初日、通算勤務時間二時間半にして既に脅威の働きっぷり! 勤務開始一日目、ランセツ隊配属初日! 人見知りのシャイボーイ! 初対面の人の前では極端に口数の減る物静かな男! 自己評価最低の超絶謙虚野郎! しかし他人からは高評価鰻登り! 勤務初日の新人にしてランセツ隊長の側近! 否、ランセツ隊長の右腕! ウィーナ様も思わずキュンとしてしまう超新星の首長イケメン戦士、ついに初内定ゲット! 感涙の就活卒業! ワルキュリア・カンパニー初の顔採用枠! 自己アピール0%! 無駄な口数前年比0.00000001%! 同僚のアンケートでは『初対面の人には緊張してしゃべれない奴』と書かれまくる男! しかし仕事は超絶できると近所の奥様方のもっぱらの噂! 井戸端会議で話題独占の好青年! 行く所嵐を巻き起こし全てを破壊して去っていく男! 乱世が生んだ超絶風雲児! 否ァッ! 太平の世が生んだ究極麒麟児! エンカウントした雑魚モンスターが首の長さにドン引きして逃げる率97%! 入社一年目でウィーナ様との社内恋愛パートが展開する確率87%! 女は惚れる、男は掘れる! ソローム地方が生んだ脅威の両刀使い! 好きな料理は母上の手作りシチュー! 歩く親孝行! 否ァッ! 走る親不孝! 趣味は首を長くして待つこと! 十年後の目標はこの長い首を分離して冥界一首の長いデュラハンになること! 異世界転生経験78回! 入社一日目にしてウィーナ様から超好感触! 特別ボーナス確定コース! 歯が命のベストガイ! ランセツ隊の新兵器! 待望の即戦力! どんな現場でも八面六臂間違いなし! 衝撃の最強ルーキー! 人呼んで『瞬殺のキリング』! 否ァァッ! 誰が呼んだか『一番搾りのキリング』! 呼ばれて飛び出てここに見参! 否ァァァァッ! 先駆け押しかけこれに推参! 推されて請われてついに爆誕! イカにもタコにもそれは海産! お疲れどつかれこれで解散! でなわけで、どうも、お疲れさんでごぜぇやした。さいなら」
キリングの自己紹介を二人は唖然として聞いていたが、話すだけ話したキリングがおもむろに歩き出し、レイリンやマッスルの脇を通り過ぎてその場を去ろうとした。すぐレイリンが呼び止める。
「ウィーナ様やランセツ殿は?」
「私の名前はキリングでごぜぇやす。母上がつけてくれました。私はウィーナ様でもランセツ殿でもありやせん。人違いですよ?」
話が噛み合わない。レイリンが顔をしかめる。
「なんであなただけなのよ! ランセツ殿はどうしたのよ?」
「私が何者か、聞いていやせんでしたか? ま、いいでしょう。大サービスで、もう一度、最初から自己紹介致しやしょう。超絶期待の大型新人、ソローム地方期待の……」
「もうええ! 長い! 長いねん!」
話が噛み合わない。たまらずマッスルが遮る。
「何ですかあなた? 馴れ馴れしい。そうですよ。私の首は長いですよ。長いのでごぜぇやすよ。そうです。話が簡潔で短い割に、首が長いのでヤンス。私はね、『瞬殺のキリング』なんですよ。超絶期待の大型新人……」
「待て待て! もうええねん!」
再びキリングの話を遮る。
「待てって、何を待つのですか!? 私の首を長くして待てと言うのですか? 何を待つのですか!? もうええとは、何がええのでごぜぇやすか!? この世の中は不思議なことでいっぱいですね! 不思議と言えば、そもそもこの大宇宙が……」
話が噛み合わない。聞いている途中でマッスルが眉をひそめる。
「ランセツ殿はどうしたのよ!?」
レイリンもキリングの話を遮り問う。
「質問を質問で返さないで下さい。聞いているのは私なんですが? 私は何を待つのですか? 私は何に対して首を長くすればよいのですか?」
「知らない。ランセツ殿は?」
「さっきからあなた方、部外者のくせして馴れ馴れしいですね。私とあなた方は初対面ですよ? 赤の他人ですよ? 知り合いでもないのに何ですかその態度? 距離感間違ってやせん? さっきから何でそんなに気安いんでごぜぇやすか? いかに心が広く温厚なこのキリングも、マジムカつくでヤンス」
「黙れ。私に聞かれたことだけしゃべろ」
レイリンが怒りを露わにし、殺気を放出させる。剣呑な空気が醸成され、マッスルは内心焦った。
「部外者の分際で今度は脅迫ですか? ワルキュリア・カンパニーの戦闘員呼びやすよ?」
レイリンの怒りなどどこ吹く風といった様子で、キリングはレイリンを高い位置から見下した。
レイリンが反応を見せる前に、すかさずマッスルが割って入る。
「ワイらはお前の上官や! お前今日入ったばっかの新米なんやろ。ワイがマッスル、こっちはレイリン。そんでレイリンは、ランセツ隊長の副官やねん。ワイもレイリンも、新人君のお前に対し、命令権あんねん! お前の行動を指示することができるの!」
「はぁ!? 聞いてやせんよ」
「じゃあ今教えるけど、私達は管轄従者。ヒラのあなたより階級が上なの。だから命令聞いてね」
「そんな話、このキリングが信じるとでも?」
「そら」
マッスルはズボンにしまっていた財布からワルキュリア・カンパニーの身分証を取り出し、腕を伸ばして高い位置にあるキリングの頭に見せつけた。
「私は今持ってないけど」
不機嫌そうにレイリンが言う。
「これで十分やろ」
「……ま、いいでしょう。どうせすぐスピード出世して追い抜くと思いやすが、今は部下として、命令を聞いときやしょうかね。で、キリングに何を望むでヤンス? この『瞬殺のキリング』改め『一番搾りのキリング』、そしてやっぱ改め『瞬殺のキリング』に何を命じるというのですか? あなた達がこの私に! 一体! 何を命じることがあるのというのでごぜぇやすか? 世界でも終わるんでごぜぇやすかい!? この大宇宙そのものに関わる事態でヤンスか!?」
「だからずっと話さんでええねん。区切りいいとこで一呼吸置けや。会話って双方向やねん」
「ランセツ殿はどうしたの?」
「私はねぇ。敵と戦うとき、こうやって長い首を振り回して! 周囲の敵をバッタバッタと薙ぎ倒していくでヤンス」
長い首を振り回すキリング。話が噛み合わない。
「ランセツ殿はどうしたのよ?」
「どうしたとは、どういう意味でしょうか? 質問が不明瞭ですねぇ。これでは正確な回答ができないでヤンス」
「ランセツ殿は来るの?」
「なるほど。つまり、今のレイリンさんの質問は、ランセツ殿がここに来るのか? 来ないのか? それをこのキリングに問うていると。そういうことですね」
「そうよ!」
「なるほど。分かりやした。それでは、只今より、記憶を確認致しやっすので、少々お待ち下さい」
キリングは腕を組み、長い首を横に曲げ、頭をひねり考え込み始めた。
「う~ん、う~ん、どうでごぜぇやしたかねぇ……、どうだったんでごぜぇやしたかねぇ……? ランセツ殿は……」
眉間にしわを寄せ、大きな溜息が漏れる。
マッスルは窓を見た。真っ赤な冥界月は空のてっぺんまで昇り、夕刻から夜になろうとしている。
「何なのよあなた。何でそんなことすぐ答えられないの?」
「今記憶を確認してやっすので。今記憶を確認してやっすので」
「もしかしてあなた隊長に私達を足止めするよう言われてる? わざと時間稼ぎでもしてんの?」
「ちょっと待っておくんなまし。そんないっぺんに言われると、いかに常人の三倍の情報処理能力を持つ脳を有するこのキリングも、頭がこんがらがってしまうヤンス」
「早くして」
「大宇宙の始まりがビッグバンだって、知ってやすか?」
話が噛み合わない。
初登場から終始一貫してキリングの口から出続ける強いソローム訛り。更にマッスルを苛立たせるが、何とか腹の中に飲み込む。しかし、レイリンはそれほど平静ではいられなかった。
「あんたふざけてる?」
レイリンが苛立ちを増幅させ、キリングに詰め寄る。マッスルがすかさず両者の間に手を伸ばしてレイリンを制止しつつ「大宇宙はええねん、まずは記憶確認せい」と、キリングに目配せした。
「う~ん、ああー、はい、はい。結論から言うと、ランセツ殿はここには来やせん」
「何で?」
「今のレイリンさんの質問は、どうしてランセツ殿がここに来ないのか。そういうことで間違いごぜぇやせんね?」
「うん」
「そうですか……。分かりやしたぁ……。さすれば、記憶を確認致しやっすので、大変長らくお待ち下さい」
再び考え込むキリング。
「また!? 絶対あなた時間稼ぎしてるでしょ!? 私達がランセツ殿に会うと何か問題あるわけ?」
「はてさて、何のことやら」
「もういい、直接話しに行くから!」
レイリンが魔方陣マットへ向かう。
「今から行ってももうランセツ殿はいやせんよ!」
キリングが長い首を振り返らせて言う。
「どういうこと?」
「ランセツ殿はつい先程、ソローム地方を出立したんでごぜぇやすよ。残念でしたね……。向こう側のマットの前で別れたときには、まだいたんですが。転移するの見送ってもらったんで」
「マッスル、追うわよ!」
「お、おう。でも追うったって、どこ行けばええねん」
「キリング、ランセツ殿の向かった先は? 一秒で思い出して」
キリングに詰め寄るレイリン。
「はい一秒で思い出しやした。実は、レイリンさんより階級が上のランセツ殿から命令を受けてるんでごぜぇやすよ。行き先は誰にも教えるな、とね」
キリングは間髪置かず即答した。
「今隊が大変なことになってるのよ! どうしてもランセツ殿に会いたいの!」
「仮に行き先を知ったとしても、もう追いつけやせんよ。私よりランセツ殿との付き合いが長いのならば、あの人の移動スピードはご存知でしょう? 残念でしたねー。私と話してないですぐに向こうに転移してたなら、ギリギリ会えたのに」
「やっぱり時間稼ぎやったん?」
「人聞きの悪い。私と悠長に話してるからこういうことになるんでヤンスよ」
「ランセツ殿の行き先は?」
なおもレイリンが問う。
「私、ランセツ殿からレイリンさんに、伝言預かってるんでごぜぇやすよ。もちろん、私はランセツ殿がどこへ向かったか知ってやすよ。よーく存じておりやす。ただし、それを教えたら、伝言は伝えられやせん。伝言を伝えてしまったら、行き先は言えやせん。それがランセツ殿のご命令でヤンス。レイリンさん、あなたが選択するように、とね。どっちにしやす?」
「……伝言を」
わずかの後、レイリンがキリングを見据えて言った。
「それでは言いやすね。『隊を頼む』。以上!」
「それだけ?」
「それだけでヤンス。でも確かに、これだけだと些か言葉が足りないと思うので、僭越ながら私の方で少々アドリブ利かせて補足しやしょうかね」
「何よ?」
「つまり、ランセツ隊長は、あなた達を巻き込みたくないのでヤンスよ。これはランセツ殿と副社長の問題でごぜぇやすから」
「それはちゃうで。個人間の問題じゃ収まらへん。これは組織全体の問題やねん」
キリングは長い首をマッスルの方に向ける。
「脳筋のあなたにも分かるよう言うと、足手まといなんでごぜぇやすよ。あなた達は。弱いあなた達が首突っ込んでも、ランセツ殿は一人であなた達を守り切れる自信がないのでごぜぇやすよ」
「ほなら、ワイだけでも行くわ。ワイは別に守ってもらおうと思っとらん。死んでもかまへん。『隊を頼む』っちゅう伝言はレイリンに託されたものでワイやあらへん」
「そんな。私も行くわ」
レイリンがマッスルを強く睨む。
「お前は副官としてランセツ隊を守らなあかん。ギャアやゴルシュ達がウチの隊にちょっかいかけるさかい」
「そんなことできない。隊長は私が守る」
「傲慢でヤンス。ランセツ殿はあなたに守ってもらおうとは思ってないでヤンス」
「今日就職したばかりの新人に何が分かるの」
「ランセツ殿から大体の状況は伺いやした。実は私、事前に説明されて知ってたんでヤンスよ。あなた達のことも最初っから。レイリンさん。マッスルさん。ランセツ殿はあなた達が追ってくることも予測してたんでごぜぇやすよ。だから私がこうしてここにいる。あなた方はここにいる。そういうことでごぜぇやすよ」
「そんな……」
落胆するレイリン。
「もう一つ。行き先は言えませんが、ランセツ殿はウィーナ様やシュロン殿と別れて、一人で行動しておりやす。ウィーナ様とシュロン殿はソローム地方を滅ぼす恐れがある悪霊を退治しに行く必要があって、やはりここに来る時間的余裕がなくなってしまったでヤンス。お二人とも、当分長期出張は続きそうでヤンス。もちろんウィーナ様もランセツ殿がどこへ向かったかはご存知ですよ。でもこれじゃあ聞きに行くことはできやせんね。そうそう、ウィーナ様からも伝言を預かっておりやす。『仲良くやるように』、と。てなわけで、レイリンさん、マッスルさん、今後とも、この期待の新人キリングを、どうかよろしくお願いしやす」
翌日、朝イチでキリングはワルキュリア・カンパニーに退職願を提出し、一日分の給料だけもらい魔方陣マットでソローム地方へ帰っていった。
◆
冥王天領・「龍影寺」――。
「弟子入りしたいだと?」
門番を務める門人が問う。
龍影拳を代々伝承する寺院、龍影寺に弟子入りを志願する者達が現れたのだ。
「はい! 何卒お願い致します!」
志願者は全部で七人。
ビーソー、ジョージャック、カーモ、バイアス、シューグ、マンマート、ヒッカカールであった。
「ウチの修業は厳しいぞ。耐えられるか?」
「はい! 頑張ります!」
「よし、しからば弟子入りを許そう。しっかり修業しろよ」
「ありがとうございます!」
門が轟音を立てて開き、七人は門人に案内され、ぞろぞろと寺の敷地へと入っていった。
◆
ウィーナの屋敷・副社長室――。
「どうやらランセツはウィーナやシュロンと別れ、単独で動き出したようです」
参謀ゴルシュがダオルに報告する。
「どこへ?」
「ソローム地方を出て、東へ向かっております」
「天領か?」
「はい」
参謀ゴルシュがうなずく。ランセツは冥王天領にある龍影寺に向かっているに違いない。
「あいつらは寺に潜り込ませたのか」
「はい。弟子入りという形で。ランセツが戻る前に、あの七人の内の誰かが奥義の秘伝書を見つけ出せれば……」
「ああ、そうか」
「はい。さすがに七人の目で探せばそれほど時間はかからないと思うのですが」
「安心しろ。ランセツは永久に龍影寺に帰ることはできない」
不敵に笑うダオル。
「と、言いますと?」
「すでに政僧ギャアとマザー・卑弥呼に先回りさせ、道中で奴を消す手筈だ。さすがにウィーナやシュロン相手ではあの二人でも手に負えないが、ランセツ一人であれば十分いける。勝利圏内だ」
「なるほど。ギャアと卑弥呼のコンビなら危なげなく勝てる。これで龍影寺の現当主であり龍影拳正統伝承者のランセツは死んだ。支柱を失った龍影寺は衰え、時の冥王達から古の時代より封印を命じられてきた、究極の秘奥義が綴られし伝説の秘伝書が我らの手に……! ククク……」
「ハーッハッハッハッハ! ランセツめ! 龍影寺め! 冥界王家の武術指南役を奪われし我が一族の積年の恨み、思い知るがいいわ!」
「クックック、待ち遠しいですなぁ。ギャアと卑弥呼がランセツの首を取ってくるのが!」
ほくそ笑むダオルとゴルシュ。
窓の外は相も変わらず暗雲立ち込めていた。