第3話 水不足
鈴丸が泰斗とともにネイバーシティへ帰ってからしばらくして。
不思議な現象が起きていた。
「ここのところ、水の勢いが良くないんだよねえ」
それは月羽が旧市街を訪れていた時のこと。
「どうしたの?」
クイーンたちが水飲み場に集まって、いつもならかしましく井戸端会議をしているのだが(その日もかしましくない訳ではなかったが)その日に限っては、みんなが首をかしげつつ話をしていた。
「あ、月羽さま。聞いて下さいよ、っていうか、見て下さいよ、この水の量」
「水?」
月羽が流れ出ている水を見やると、言われてみれば、勢いが衰えているように見える。確かめるように手をかざすと、いつものような爽快な感じがしないのであった。
「そうねえ、なんだか物足りないって言うか」
「ですよね。実際、いつもならこの水瓶いっぱいになるのにこれっぽっちもかからないのに、ここしばらく、えらく待つことになって、行列が出来ちまう」
ひとりのクイーンがそんな風に言うと、家のわき水もチョロッとしか出なくなっただの、川の水位が下がったの、あとからあとからそれはかしましく意見が出ること出ること。
月羽は、これは放っておけないと、原因を調べる約束をして、その時は旧市街を離れたのだった。
その日の午後、ここは王宮。
丁央の執務室のドアが軽くノックされる。
「月羽か? 入っていいよ」
「よくわかるわね」
丁央が言ったとおり、顔をのぞかせたのは月羽だった。
「そりゃあ、愛の力に決まってるでしょう? 王妃様」
「ふざけないの」
ふふ、と軽く笑って中へ入った月羽だが、そのあとはただ黙って応接用のソファへと腰掛け、サイドテーブルに手を伸ばす。しばらくは丁央が書類をめくる音と、空間に浮かび上がったディスプレイのかすかな稼働音だけが聞こえていたが、「よし」と、顔を上げた彼は、執務机をまわって月羽の隣に腰を落ち着けた。いつの間にかテーブルには入れ立てのハーブティが置かれている。
「どうした?」
「うん、お疲れ様。まあ飲んでちょうだい」
「ありがとう」
月羽の心づくしのお茶で一息入れた丁央は、彼女から旧市街での出来事を聞いた。
「ああ、水、か」
「何かあるの?」
「うん、実はさ、俺も何件か水の出が悪いって言う話を聞いてるんだ」
「そうなの?」
驚くように言う月羽に、丁央は自分の机からタブレットを取ってきて月羽に見せる。
「本当だわ、でも王宮や自宅ではあまり感じたことはないわよね?」
「そう。大昔の名残で、王家の生活するところは何においても優遇されている。水管が旧市街に比べてかなり多く張り巡らされているんだ」
「まあ! ひどいわ、自分たちだけ」
自分が王家なのにそんな風に言う月羽に微笑みながら、丁央は続けた。
「俺が報告を受けているのは、旧市街と北の森。ブレイン地区のはずれだ。えーとそれと」
「まだあるの?」
「ああ」
と言って画面を一つめくると、
「ダイヤ国でも、このところ水不足が起こりつつあるらしい」
月羽が見ると、ダイヤ国王宮広場の噴水の水が、少し減っている写真が映し出されていた。
「と言うことは、この問題はクイーンシティだけに限ったことではないのね」
「そうなんだ。だからダイヤ国王とも相談したんだけど、俺たちの世界の水源探しから始めることにした」
「水源探し?」
「そう。月羽はさ、クイーンシティの水がどこから来てるか知ってるか?」
丁央が質問すると、月羽は立てた人差し指をあごにあててしばらく考え込む。
「ええっと・・・、そういえば地下水が豊富にあるって言う事実だけで、その源なんて考えたこともなかったわ」
「だよな。俺だってそうだ。ダイヤ国王はじいちゃんだから知ってるかと思いきや、やっぱり考えたこともなかったそうだ」
「じいちゃんだなんて、失礼よ」
吹き出して言う月羽に、丁央はお構いなしだ。
「じいちゃんに違いないじゃないか。で、これはもう、もっとずうっと年寄りに聞かなくちゃな、と、思って・・・」
ニヤリと不敵な微笑みを見せる丁央の考えは、容易に察することが出来る。
「まあ、ひどい、ラバラさまはまだまだお若いわよ」
「もっとずうっと年寄り、で、ラバラさまを思い浮かべるなんて、月羽ちゃんの方がひどいと思うー」
と、子供のような言い方をしたあと、月羽に提案した。
「まあ正解だ。このあと予定がなければ、一緒に行くか? 旧市街」
月羽はさっき帰ってきたばかりだけど、と心の中で苦笑いしたが、幸いこの後は予定もないことだし、丁央に同行することにした。
この日ラバラは、最近にしては珍しく占いの予約を何件か入れていた。
なので、本日最後のお客様を占っている間、丁央と月羽は、店の奥にある客間で遼太郎とステラと話をしていた。
「それでラバラさまに話を聞きに来た、という訳か」
「ああそうだ。なんか文句、ある?」
さっきから丁央の話を聞いていた遼太郎が、ちょっと含みのある笑みを始終浮かべているのが気になっていた。
「なあ、丁央」
「なんだよ」
「いくらラバラさまが超年寄りだと言っても、何千年も何万年も生きてるわけじゃないだろう?」
「はあ? あったりまえだろ! お前ラバラさまをなんだと思ってるんだ」
その言いぐさには、さすがの丁央もちょっと憤慨する。
「いや、ラバラさまがどうのじゃなくて、何千年も何万年も昔のことを調べたり研究したりしてる奴が、いるんじゃないかなって」
「え?」
しばらくほけっとしていた丁央が、いきなり「わー!」とか言いながら頭に手をやる。
「そうだったー! こんな近くに伏兵がいた!」
立ち直って遼太郎を指さしながら、悔しそうに言う。
「なんで言ってくれなかったんだよ、遼太郎~」
「いやだって、話聞いたのさっきだし」
そのあと可笑しそうに「それに」と言葉を続ける。
「俺も知らないよ。水の起源」
「はあ?」
丁央はさらっと言う遼太郎にまた頭を抱える。
「なんだってー、期待させやがってコノヤロウ」
「なんじゃなんじゃ、うるさいのお」
そこへのほほんとした声が入ってきた。
「ラバラさま!」
ニンマリと笑っているのはラバラだ。どうやら占いが無事終わったらしい。
「おばあさま、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
ステラと遼太郎は自然に立ち上がって頭を下げている。
「あ、お、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
それを見た丁央は慌てて立ち上がり、月羽はそれを可笑しそうに見やってゆったりと立ち上がる。
「おう、そんなしゃっちょこばるなといつも言っておるじゃろ」
「いえいえ! 年長者、えーと、尊敬できる年長者に敬意を払うのは当たり前です」
「そうですよ、ラバラさま。俺たちだって敬意を払える相手かどうかはきちんと見てますよ」
すると、ラバラは可笑しそうにガッハハと笑って、2人の背中をバシバシひっぱたいた。
少しも痛くないのだが「いってえー」などとふざけて丁央が言う後ろで「あのお」と、控えめな声が聞こえる。
「はい?」
それに気づいたステラが入り口の方へ行く。
「おうおう、忘れておった。ささ入れ入れ」
そこには、本日最後のお客様がいた。そおーと言う感じて入ってきた彼女の手には、少し大きめの図鑑のような本があった。
それを見て、遼太郎が少し固まる。
「あの、その本」
珍しく心ここにあらずという感じで本を凝視している。
「ああ、ええっと占いが終わった後、なぜかラバラさまがこの本のことを言い出されて。びっくりしました。持ってること一言も言ってないのに」
表紙が見えるように持ったそのタイトルは「大陸のなりたち」というものだった。
「それ、たしか、ずいぶん昔に絶版になったはず・・・」
「そうらしいんですけど、私、小さい頃からこの本が大好きで、ずっと大切に持っていたんです。で、いつもは持ち歩いたりしないんですけど、今日はどうしてだか持って行かなくちゃて言う気になって、こうして持ってきてしまったんです」
呆然としている遼太郎の肩に手を置いて、ラバラがまたニンマリと微笑んだ。
「わしも、何万年も生きている訳ではないぞ、じゃが、何万年を見つけだすのはそんなに難しいことではない」
「は、はい」
そのあと、遼太郎は彼女に向き合って願い出る。
「あの、その本、少しだけ貸していただくことは出来ませんか?」
けれど彼女は申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい。これ、すごく大切なので・・・」
「あ、そうですよね」
あっさりと納得して引き下がる遼太郎。
「本当にごめんなさい」
本を胸に抱いて頭を下げる彼女に、遼太郎は言う。
「いいえ、もし俺が同じ立場なら、絶対に人に貸したりしませんから」
「あ、あら・・・」
遼太郎の言葉に、隣で思わず吹き出してしまうステラ。
丁央はどうも訳がわからんと言う表情をしつつ、遼太郎に聞く。
「なあ、その本ってそんなにすごいのか?」
「当たり前だ」
と、強めに言ってからはっと気づき、遼太郎は丁央や月羽やステラに、よくわかるように説明した。
「この本は、何百年も前の大陸の様子を事細かに著した本だ。そのうえ、主人公が滞在する街々で降りかかる不思議を解明し、何千年、何万年前の大陸がどうなっていたかも解明するんだ。だけど、これは俺たちのような歴史学者が書いたものじゃない」
「じゃあ誰が書いたんだ?」
「おとぎ話のようなフィクションの小説を書く作家が書いたものだ。出版されたときは、ただのファンタジー小説として読まれていた。ただ、主人公が訪れる街の描写がかなり細かくて、まるで見てきたようだと当時はストーリーよりもそれが評判になっていたらしい」
「なるほど」
感心したように頷く丁央に、ちょっと微笑みかけた遼太郎が話を続ける。
「ただ、その謎が解けたのは、これを書いた作家が臨終の床で、あの本はフィクションではなく事実を書いたのだと告白したからだ」
「事実?」
「ああ、大陸の成り立ちを自分の目で見てきたのだと」
「ええー?!」
丁央だけではなく、ほかの2人も少し目を見張っている。
「それを見せてくれたのが、当時の魔法使い団と呼ばれておる集団らしい。本の中にも出てくるがの。どうやらわしらのご先祖様のようじゃ」
と、横から口を挟んだラバラが、最後のセリフはステラに向かって言う。ステラは黙ったまま深く頷いている。
「当時は大騒ぎになって、皆が争って本を手に入れ、実際に世界を探検する者も現れた。けれど誰もこの本に書かれているような場所を見つけることは出来ず、この本はデタラメだと言われ、捨てられたりひどいときは焼かれたりして、今ではほとんど残っていないような状態なんだ」
「そんなことがあったの。でも、だったらなんで今の歴史学者さんはその本を貴重だと思うのかしら?」
月羽が独り言のようにつぶやくのに、ラバラがまた楽しそうに言う。
「そんなもの、決まっておるじゃろう。この本が本物だからじゃよ」
あのあと、遼太郎は次の予定はないと言う彼女にブレイン地区へ来てもらっていた。
ここには彼の勤め先、歴史学の権威である朔を中心とした歴史研究所があるのだ。そこで本をスキャニングさせてもらいたいと申し出ると、彼女は快く了解してくれたのだった。
興味深そうに、本を開きもせずにスキャナーされていく様子をのぞき込んでいた彼女は、できあがった複製を「本物とまるで変わりませんね」と驚いてまじまじと見た後、良ければもう一冊作ってもらえないかと願い出た。
「貴重な一冊は、大切に家で保管したいので」
と、恥ずかしそうに言った。
歴史学を学ぶ者は、本物を大切に保管したいという意見に大喜びで、すぐさま複製を作成し彼女に渡したのだった。
「嬉しそうだったな」
研究所の前から自動運転タクシーに乗る彼女を見送っていた遼太郎に、一緒に見送りをした朔が声をかける。
「はい、今までは汚したりするのが怖くて、ほとんど開かずに本棚の飾りだったようですから」
「では、持ち主も喜んでくれたようなので、早速、国王の要請を検討するとするか」
「はい」
国王丁央の要請とは、もちろんクイーンシティの水源を探ることだ。それがわかれば、丁央は、水不足の原因を探るための調査隊を結成するつもりでいる。
書かれた当時はなぜ誰もそこへたどり着けずに本がデタラメだと言われたのか。それは、当時の人々は、魔術をあまり信用していなかったからだ。
けれど今。
科学技術と魔術を融合させる。
誰が言い出したのかはわからないが、いつの頃からかクイーンシティではそれが合い言葉のようになり、魔術や魔法と名がつくような、目に見えないものを馬鹿にする者はいなくなった。だけでなく、積極的にそれらを科学技術に取り入れるのだ。
そのため彼らは決して本の内容を馬鹿にしたり、はなからデタラメだと疑うような事はしない。
歴史研究所ではスキャナした本をまたコピーして研究所の全員に配り、ことあるごとに目を通すようにしている。
また、そのコピーは王宮にも、ブレイン地区の各方面にも、ハリス隊や近衛隊にも、旧市街にも・・・とにかくクイーンシティにいればどこででも手に入るように配布した。
もちろんダイヤ国でも配布してもらえるように、ダイヤ国王に渡したのは当然だ。
それはまるで、宙に浮かぶ杯
それはまるで、宇宙の王ののどを潤す
それはまるで、煌々と輝くプリズム
「うーむ、何なんだ? これは」
丁央は、コピーされた「大陸のなりたち」を読み返しては、毎回どこかで首をひねる。
「詩? 」
またひとつ首をひねって。
「けどこの人、事実を書いてるんだよなあ。宙に浮かぶ杯がどう事実になるんだろ」
「そのまんまなんじゃじゃないの?」
ソファにごろんとひっくり返る丁央の前にマグカップが現れる。
月羽が笑いながら飲み物を持って立っていた。匂いからするとどうやらココ(ネイバーシティではココアと言う)のようだ。
「はい、どうぞ」
「お、サンキュー」
渡されたマグカップから一口ココを飲んで、「あちっ」と顔をしかめる丁央。
「慌てないの」
「てへへ」
「ココだけじゃなくて、本の解釈もね。遼太郎にさんざん言われてるじゃない」
そうなのだ、コピーを全域に配ったのは出来るだけ多くの人に読んでもらって、いろんな解釈をしてもらうためだった。人はひとりずつ違う。どこの誰がどんなヒントを持ち出してくれるかわからない。気づいたことがあれば、どんどん意見を言ってもらえるように、アンケートや掲示板や、音声通信は充実させてある。
この本は人の数だけ意味の違いがあるのではと思うほど不思議な文章が綴られている。
遼太郎たちは、かたよらない解釈を求めて広くコピーを配布することに決めたのだ。
「そうでした。じゃあ、一緒に読んでくれよ。月羽の解釈聞いたら俺もピンとくるものがあるかも」
「はいはい」
嬉しそうに笑って、月羽は丁央にくっつくようにソファに腰掛けた。
出てきた意見は誰でも自由に閲覧できる。
「ふふ、この子感想、面白い」
「どれどれ? ・・・うーむ、ほほう! なかなか深淵で常識にとらわれない思考の持ち主だねえ~。ロボット作りに向いてるかもしれないなースカウトしようかなー。ねえ~ナオも見てみなよお」
ここはブレイン地区、ロボット研究所。
所員の水澄とジュリーがタブレットに載せられた数々の意見を眺めている。少し離れていたナオにジュリーが声をかけたが、彼女はぼんやりとしている。
「ナーオ、どうしたのお~」
ジュリーはふざけてナオに近づくと、その首に抱きついて髪をクシャクシャッとする。いつもなら、ものすごく怒って阻止するのだが、今日はただその手をするっと外すだけだ。
いや、今日だけではない、ここのところしばらく元気がない。
そう、泰斗がネイバーシティに行ってしまったあたりから。
ため息をついたジュリーの肩に水澄が手を置いて苦笑して。わざと大きな声で言ってみる。
「あーそう言えば、この物語とこの感想、泰斗が見たらなんて言うかなー」
「え?!」
このセリフにはナオが素早く反応する。それを見たジュリーがすかさず追加する。
「あーそうだねえ。泰斗に見せてあげたいねえ。俺、ネイバーシティに持って行ってあげようかなあ」
「私が行きます!」
また素早く、しかも手をびしっと上げて宣言するナオに、2人は彼女には見えないように顔を見合わせて微笑んだ。
「じゃあ、行ってきます!」
クイーンシティ旧市街、その外れにある次元の扉。
ナオが両手いっぱいの荷物と満面の笑みでその前に立っている。
「いーなあ、やっぱり俺が行こうかなあ」
ジュリーが荷物をひったくるような仕草をすると、ナオはきっぱりと「ダメです!」と言って阻止した。
そしてもう一度「行ってきます」と元気よく挨拶すると、扉の中へ消えていった。
「あーあ、いいねえ、青春だねえ。俺にもあったかなあ、あんな一生懸命な時」
ジュリーはつぶやきながら旧市街へときびすを返す。
「でも、本当にわかりやすいわね。ナオの恋煩い」
ともに見送りに来ていた水澄が、隣を歩きながら何度目かの苦笑をして言う。
「ほんと、いっそのこと泰斗に言ってしまおうかなって何度も思うよ」
「ダーメよ、そんなことしたら、一生ナオの恨みを買うわよ」
「だよね~。ある日突然、泰斗の鈍感がビビッとはがれ落ちるのを待つばかりなり、だな」
「そうね」
いつの間にかその横に、一角獣が何頭かやってきて、彼らの前になり後ろになりながら旧市街への道を歩いていくのだった。
「ナオ、久しぶり」
「ようこそネイバーシティへ」
次元の扉が開き、まばゆい光が消えて目が慣れると、そこに泰斗と鈴丸が微笑みながら立っていた。
ナオは嬉しくて思わず飛び跳ねそうになるのを、懸命にこらえる。
「わざわざありがとうね」
「いいんです!」
すまなそうに言う泰斗に、ナオは上気した顔で答える。
「で? ジュリー先輩の話だと、ものすごーく面白い感想があるって言うことだけど、どれ?」
ナオの持っていた大荷物は、泰斗が用意した運搬ロボに乗っている。
「ああ! ダメです! まずは「大陸のなりたち」を読んでから!」
「ええ? そうなの? 」
「そうです。そこを飛ばすと、感想も意味不明になってしまいます」
「相変わらず厳しいんだから、ナオは」
2人のやりとりを笑いながら見ている鈴丸。それを見た泰斗も肩をすくめて笑い出す。
ナオは今、とても幸せだ。