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社長【短編】

 徳雄はウニ軍艦を雑に咀嚼しながら社長の弁舌に相槌をいれる。酒をどれくらい飲んだだろうか。飲んでいるのは生ビールのみだ。回転寿司屋ではない、カウンターで注文する寿司屋で食事をするのがはじめてで、どの酒を飲めばよいのかもわからなかったので、一番注文しやすい生ビールを飲んでいた。それにくわえて社長の話は日経新聞に書いてあることをそのまま暗記したような内容である。それを嬉々として話されたらたまったものではない。新聞を読んでいない徳雄としては苦痛の時間であった。徳雄には相槌をいれるか、生ビールを飲むしかやることがなかった。


 徳雄は新聞を読んでいないことを棚に上げて、「そんなのただの暗記じゃねえか、誰にでもできる話をしやがって」と心のうちで悪態をつく。社長はそんな徳雄の心のうちには一切頓着せずに話しつづける。


 何時間ぐらい経ったのだろう。徳雄は腕時計を確認すると、時計の針は11時を示していた。徳雄の会社で運営している仙台市での合同企業説明会が終わったのが6時、機材や備品の片づけなどが終わり完全撤収になったのが7時半で寿司屋に入ったのが8時ごろだったか。寿司屋に入店してから3時間ていど経過している。そのあいだ社長はずっと話を続けている。徳雄は早く社長から解放されたいのだがその兆しはいっこうにない。明日は新幹線に乗って東京に帰るだけなので、仕事のことはさほど気にしなくても良いのだが、一日の仕事の疲れが溜まっていて、それが徳雄の心痛を加速させる。社長も徳雄と同じように働いていたのだが、疲れが全然見えない。今年で74歳ということだが徳雄よりもよっぽど体力がある。


 徳雄はだんだんぼうっとしてきた。相槌が雑になってきているのを自覚するが、どうでもよくなってきた。はじめは「そうですよね」とはきはき相槌をいれていたが「そうっすよね」になってしまっている。社長はそんな徳雄の口調の変化を気にしている様子はないのだが、徳雄としてはそれが恥ずかしい。


「畑中君。さっきからかしこまってばかりだよ。せっかくなんだから、仕事の質問でもないのか。もちろん、プライベートのことでもいいんだが」

「はあ」


 徳雄は突然の社長からの問いかけに困惑する。質問など、ない。これならば社長の話を聞いているだけのほうが精神的に気楽である。


「そうですねえ……あのー……こんなこと訊いていいのか分からないんですけれど、仕事上のことなのですが……例えば、私の至らない点などがあれば、ぜひお伺いしたいです」


 社長は目を瞑り、腕を組んで少しのあいだ、思案する。そして徳雄のほうをむいて言った。


「畑中君は年はいくつだっけ?」

「26です」

「若いな」

「あ、ありがとうございます」

「ほめてるんじゃないよ」

「はあ。そうですか」


 徳雄は自分の口から自然にでてきた「ありがとうございます」にとてつもない嫌悪を感じた。それと同時にその「ありがとうございます」を否定されたことに、ひるんだ。


 社長は横目で徳雄をうかがいながら、呟く。


「なぜだと思う」

「そうっすね。仕事ができないからですか?」


 徳雄は迎合の微笑を崩さずに訊ねた。迎合している自分を意識しているといたたまれなくなってくる。


「違う」


 きっぱりと言われるた。徳雄は他に理由を思いつかない。


「では、なんですか?」


 社長は、徳雄の困惑を楽しんでいる。それは若い社員の成長を暖かく愛でているというものではなく、どちらかといえばサディスティックに、徳雄の困惑を楽しんでいる。徳雄はその社長の胸中を察してうんざりする。


「君が実家暮らしだということだよ。君はまだ若いと高をくくって、まだ実家暮らしでもかまわないなどと思っているのだろうが、僕としては社会人になったらすぐに家を出るべきだと思うね。とくに君ぐらいの年齢ではね」

「そうっすね」

「君ぐらいの年齢で実家暮らしだと、仕事に責任感が生まれないと思うんだよ。どうせ仕事を辞めったって両親がどうにかしてくれんだろう。君の顔はそんな顔だ。……だいたいさっきから僕の話を聞いてばかり。新聞を読んでないのなんてバレバレだよ」

「そうですか。すみません」


 徳雄は舌打ちをしたくなるのをこらえた。この場面で舌打ちという選択肢がでることが徳雄の傷心をあらわしている。


「君は気づいていないかもしれないけどね、そんなの豚と一緒だ。自分の人生に責任をもっていないんだよ」


 徳雄はどこで社長の怒りのスイッチを押してしまったのかと考えるが思いあたる節がない。そういえば社長はもともとそういう人だ。

「すみません。気をつけます」

「まあ、これから頑張ってね。期待してるから」


 ふざけるな。徳雄は心のうちで毒づく。頭に血がのぼっていくのを自覚する。煙草を吸いたい。


「畑中君? どうした、顔白いよ。……飲みすぎだな。そろそろ出るか」

「はい」


 徳雄は返事をするので精一杯だった。


 社長は勘定をすませ、そうそうに退店していた。それを追うようにして、徳雄も店を出る。


「僕はもう一杯飲んでからホテルに戻るけど、君はどうする」

「私は、もう戻ります」

「そうか」


 社長はそう言うと、駅のほうに歩いていって、やがて姿が見えなくなった。





 徳雄がホテルに着いたのは12時を少し過ぎたころだった。不意に「豚」と社長が言っていたのを思いだす。徳雄は自分が「豚」なのだとしたら社長はいったいなんなのだと心の中で、ぼやく。『豚』と言えば簡単に徳雄を傷つけることができると考えたのだろうか。なにより徳雄は「豚」を嫌いではない。家畜だとうことの例えで「豚」という言葉を使ったのであろうが、徳雄は社長のその言葉選びの浅はかさに、優越感をもつ。そしてその優越感こそが何よりも浅はかな感情だということに思い至った。

 

 壁掛け時計の秒針の音が、徳雄の頭に響いた。



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