過去
俺は普通の人間だった。そこそこイケメンの父と優しい母の間に生まれた。俺自身もそこそこ顔は良かった。学校に通い、恋愛をして、バイトをして、大学にいって、大手証券会社の営業部に入ることができた。まだ新人として働いた帰り、俺の住んでいた東京に雷雨が襲った。傘を忘れていた俺は定時になると急いで自宅のアパートに帰った。東京の郊外、2階建ての小さなアパートだ。その2階4号室に俺は住んでいた。
俺は趣味の読書をしたりしてくつろいでいた。時折轟く雷の音は俺を時々驚かせたが、さほど驚くほど俺が雷に弱いという訳ではない。ただ、落ちる場所がアパートの近くだったのだ。
俺は一冊本を読み終えると、夕飯の支度を始めた。男の1人暮らしで自炊をするのはまぁまぁえらいと俺は自画自賛しながらニンジンを切っていた。その時だった。部屋の天井が光を発したのだ。部屋に雷が落ちたのだ。俺はその雷の直撃を受けた。頭がびりっとしたのは憶えていたが、それからは憶えていない。俺が目を覚ますとそこは病院のベットではなく、どこかの部屋のベットだった。ベットの横にはメイド……否、お手伝いさんと思われる格好をした女性が佇んでた。外国人だろうか。
「あ、目を覚ましましたね。少しお待ちください。」
そう言って部屋を出て行ってしまった。部屋の窓を覗くと、外は見慣れない景色だった。都会だとは思うが、東京の象徴たる高さ600メートルを超えるタワーもなかった。
ドアが突然開き、先程のお手伝いさんと慌ただしい女性が入ってきた。
「よかった。目を覚ましたんですね。」
俺とその女性はとりあえずその部屋のソファーに向かい合って座った。お手伝いさんが紅茶を出す。
「私は第564代女神ガイアに任じられたリコ・アディ・ラ・ガイアと言います。今は宰相やってます。」
彼女は一体何を言っているんだ?
「この度は本当に申し訳ありません。エデン戦線での戦いが地上世界にも影響を及ぼしているとは…。」
ん? エデン?
「あの、ここはどこですか? エデン? 戦争が起きているんですか? 女神って何ですか?」
俺の顔を見て女神さまとやらはきょとんとした顔をする。
「ああ! 言っていませんでしたね! あなたは死にました。そして、大して悪いことはしていなかったのでここ、天国に来ました。それが事の次第です。通常なら1人1人審判に掛けられるのですが、ここのところの東西戦争でごたごたしておりましてね。ただ、あなたの場合は特殊なので、宰相で女神たる私が預かったのです。」
なんとなく理解できた。先程の言葉から察するに、俺は自然の摂理ではなく天界の影響によって死んでしまったのだろう。
「あの、女神さまは本当に宰相なのですか? 見た目だとものすごく若く見受けられるのですが。」
第一に浮かんできた疑問を訊いた。
「はい、私は正真正銘宰相です。あと、見た目は若いですが年齢は80を超えていますよ。」
衝撃のカミングアウトだった。到底80歳には見えない。年齢を上乗せして考えても30代そこそこにしか見えない。しかも美人。
「天上の世界では自分の見た目を変えることができます。脳年齢も。」
納得した。窓の外に見える人々がやけに美女美男子ばかりだった理由が。
それなら自分も容姿をもう少し変えてみようか考えていると女神さまが話しかけてきた。
「彼方が送られるべき場所は、本当なら東方管区のはずが戦争によるごたつきでここは西方なのです。今、西方と東方は戦争状態です。あなたが東方人と分かるとここ西方神国では迫害をうけます。あなたの名前は?」
「相良優人です。」
ポカンという顔をした女神様だったが、すぐに話を続けた。
「なら、アルフォンス・……ヘルグヴィストとでも名乗ってください。」
こうして俺はアルフォンスという名になった。女神さまは俺にどう暮らすか訊いた。天界にも一応財政というものがあるらしく、お金持ちは大都市に、貧乏人は地方の村に住むことになるらしい。それは生前の財が深くかかわってくる。
「就職するなら宰相の名で企業に斡旋いたしますが。」
嬉しいことを言ってくれた。有名企業にでも就職しようか考えていると、女神がふと思い出したように付け足した。
「あと、この西方神国には徴兵があります。大神ゼウス様はたとえこちらの不手際でも法を犯させるなとの仰せでしたので、東西戦争に出ることになります。」
心の中の自分が「ot oh」と言ったのが聞き取れた。徴兵、つまりは東西戦争の最前線に出なければならないという事だ。
「士官学校ってありますか?」
俺は訊いた。士官学校に入れば一兵卒ではなく数名の兵の隊長として従軍できる。そう考えてみたが、女神様からの答えはノーだった。だが、一兵卒にならぬ方法があるという。
「神の使徒たる天使となるのです。天使は兵を率いて東西戦争に出ます。ほとんどは後方待機です。比較的安全な職業と思いますが。」
話を聴いてみると天使という職業は結構な高賃金らしい。だが、制約が厳しい。天使は穢れてはいけないのだ。どんな些細な犯罪も犯してはいけない。そして、武芸に長けている必要がある。
「一応体術なら自信があります。」
俺は高校から日本拳法を習っていた。今では五段までの実力を持っている。源流は柔道と空手だが、十分実践で活用できる。経験済みだ。東京は危険。ひったくり恐るべし。
女神さまは俺に使徒学院に入らないかと勧めてくれた。使徒学院に入るには超高難易度の入学試験を受けるか、神様からの推薦が必要らしい。女神さまは推薦してくれると言ってくれた。それが西方神国からの謝罪の気持ちらしい。
アルフォンス・ヘルグヴィストとしての人生が始まった日だった。