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『西天こころ』は文字の上で生きる2@単位剥奪編

 西天こころが事件に巻き込まれたのは2016年の三月十五日で、大学の入学式が行われたのが四月八日で、僕、現野彼方にこころの声が聞こえるようになったのが五月四日。そして僕が日記をつけ始めた現在は五月の二十六日であると記録しておこう。

 今日までの大まかな流れを書いておくとこうだ。こころが事件に巻き込まれ、死人同然になって僕は落ち込みました。しかし奇妙な形で現れたこころに励まされ、僕はなんとか平常運転ができるくらいには復活しましたとさ。おしまい。

 これからは現在進行形の出来事を記録していこうと思う。こころが巻き込まれた事件については、僕とこころは触れないように決めている。おそらく、僕達がその事件と向き合うことは一生ないだろう。

 さて、僕は頭がファンタスティックなことになっている可能性がある以外は、極めて平均的な、いや、平均以下の大学生である。大学へ行って講義を受けて、気が向いたときにサークルに顔を出す。大学生の半分くらいが行ってそうなサイクルで日々を過ごしていた。

 問題があるとすれば、四月と五月の半分以上を死んだ目をして過ごしていたせいで同じ学科に友達ができなかったということだろうか。

 今日は、梅雨に入ってもおかしくない時期なのに、空に雲一つないめまいがするような晴天だった。

 伊吹大学工学部情報工学科に所属する僕は、コンピュータシステム1という名前のいかにも工学部らしい講義を受けに大学のキャンパスに向かった。僕が部屋を借りるアパートから徒歩十分のところに伊吹大学はあり、茨城県の水戸市にあるそこそこ名前の通った私立大学だ。総生徒数は少子化のせいで減りつつあるのだけど、それでも一万人前後をうろちょろしている。近場の筑波大学とはライバル関係にある模様だ。

 伊吹大学のキャンパスは四つあり、茨城県内に点在している。そのうちの主要キャンパスが水戸のものだ。歴史ある大学で古くなってしまった建物もあるのだけど、逐次建て替え、補強工事を行っているようで全体としては新しく見える。キャンパスの広さは二百五十万平方メートルで、近場の筑波大学と比べると十万平方メートルほど小さい。それでもキャンパスの端から端まで移動するとしたら学内を通るバスを使って移動しなくてはめんどくさくなるような広さだ。単純にキャンパスの形が正方形だとしたら、平行する線と線の間は千五百メートル以上ある。

 実は、僕の家からキャンパスまで歩いて行くのと、キャンパスについてから講義を受ける教室に歩いて行くまでの時間は同じくらいかかる。

 現在の時間は一限目がはじまる前で、ちょうど登校して来る生徒がピークに達する時間帯だ。キャンパス内を移動するバスが混む。僕は人混みが好きではないので、歩いて講義がある教室にまで移動する。大学内の道は、レンガ敷きでそれを挟む様に等間隔で銀杏の木が立っている。周りにいる人は当然大学生だらけ。今歩いている区は主に農学部関連の建物が集まる区域で、男女比は半々だった。北西方向に進むと、さらに教育学部と文学部の区域を通り過ぎる。そしていよいよ工学部の区域だ。

 うん、冗談じゃなくて空気が変わるんだよね。男くさくなるんだよ。文学部は女の子比率が高いから、そのギャップで余計にそれがわかる。今日みたいに暑い日に工学部塔で過ごすのは最悪だ。

 ちなみに、工学部の区域の通称は、ホモの楽園またはバラ園だ。僕は名付けた人間をぶん殴ってやりたい。

 北西の端っこにある工学部塔E-48。

 僕は講義が行われる大教室の左端一番後ろの席を確保する。教壇の後ろには、上下を入れ替えられる二段になった黒板がある。それを中心に半円を書くようにして机が列を作って並んでいた。すでに生徒は大勢いて、小学生の集団が集まったみたいに騒がしい。擬音を付けるとすればみんなでワイワイはしゃいでいるではなく、みんなでウェイウェイはしゃいでいるが大学生的には正しいと思う。工学部塔だけあって、男女比は悲惨だった。男二十に対して女一くらいかな。

 両手で足りてしまうくらいの数の女子は目立つ。ただでさえ目立つのに、同期の情報工学科にはぶっちぎりで目立つ女の子がいる。

 その子はいつも教室のちょうど中央に陣取っていた。目立つのは服装からだろう。リアルでゴシックロリータを着ている人間を見たのは、僕は彼女がはじめてだ。まるでお姫様のように工学部の男子を侍らせている。男をあごで使ったりしている辺り、遠くから見ているだけでもずいぶん自己中心的な性格をしているのがわかった。工学部に入った女子は、男子に祭り上げられて姫化するケースがあるというけど、彼女はその極端な例だろう。正直言って関わりたくないので、あの子に関する観察はここでやめにする。

 ちょうど講義を担当する准教授が入ってきて、その人が咳ばらいをすると教室が静まり返った。

 准教授はぼさぼさの髪にあごひげを生やし、さらに汚れた白衣をまとっている。見た目はマッドサイエンティストチックなおっさんだけど、まだ三十路を歩み始めたばかりらしい。

 元々海洋系の生物が専門の人らしいが、なぜかコンピュータシステム1の講義にも講師として出てきている。他にも様々な講義を担当していて、見た目によらず多才のようだった。

「よっし、講義をはじめるぞホモ共」

「違うわ!」

 同期の男子が声を合わせて叫ぶ。

「別に間違ってねえだろヒト属共め。じゃあ、言い換えてやる。ホモサピエンス共」

「納得いかねえ!」

 なかなかに捻くれた准教授で、過去に色々な不祥事を起こしているらしい。

「出席取るからいつも通り生徒証もって並べ」

 うちの学校では生徒証にICチップが埋め込まれており、それを使って機械による出席確認が行える。ICチップのデータを読み取る小さな機械に生徒が各々の生徒証をかざしていく。駅の改札口でSuicaを使う感じだ。

 僕も列の後ろの方に並んで、流れに身を任せて出席を取りに行く。スキャナに僕の生徒証をかざす。

「なんだ現野、お前来てたのか」

「ひどいですね。僕も一応単位が欲しいんですよ」

「そりゃ無理だ。前期は諦めろ」

「はい?」

「シラバス読んでなかったのかこのホモルーデンスめ」

 ホモルーデンスって、遊ぶ人って意味だっけ。センター試験で倫理を使っていた僕には聞き覚えがあった。

「俺の授業は五回欠席したらもう単位は取れねえんだよ」

「……まじですか」

 僕には落ち込んでいた時期があると言った。その期間の僕の生活は、腐ったりんごのようにぐずぐずでどろどろな生活だった。実に恥ずかしながら大学も休みまくった。持ち直してから欠席回数を数えて顔面蒼白になったりしたけど、大体の講義は欠席六回でアウトなので休まずテストでしっかり点数をとれば単位は取れるはずだった。

 ああああ! 適当に付けた勇者の名前とかじゃなくて僕の単位があああああああああああ!

 大学生になって、実際に単位システムを突きつけられ、単位を落とすというのがどういうことか今わかった。半端ない喪失感だ。たとえそれが真面目に講義に出なかった自業自得だとしても。

 大学生が単位を取るためなら火の中水の中どこにでも行ってやるって騒いでいるのを見たことあったけど、今その理由を身に染みるほど感じた。

「俺の講義を受けるのは構わんが、どうせ単位取れないんだ。これまで道理さぼって遊んどけ。そっちのが有意義だ」

「教授としてどうなんですかそれ! ちょ、ま、なんとかならないんですか!?」

「無理だ無理。青春を謳歌するには代償が必要ってことよ。お前も覚悟のうえで遊んでたんだろ? よく言うだろ、大学は高校とは違うんだよ。てめえの尻はてめえで拭え。今更わめくな」

 何も言い返せない。単位を落とす覚悟とかなかったけど、自業自得であるのには変わりない。

 僕の単位剥奪宣告はけっきょく変わらず、講義が開始される。僕はどうすればいいかわからず、とりあえず席に戻り講義を上の空で聞いて、講義が終わったら一番遅く教室を出た。

「現野」

「なんですか?」

 単位剥奪宣言をされてから急に憎たらしく思えてきた准教授が僕を呼び止める。

「お前、サークルには入ってるか?」

「ぶっちゃけ何の活動もしてませんが、一応入るだけ入ってます。文芸サークルに」

「そうか。てっきりどこのサークルにも入ってないと思ってたがちょうどいい。課題を出す。それを解け。そしたら欠席を一回だけ取り消してやる」

「本当ですか!? ありがとうございます! ありがとうございます!」

 憎たらしいなんてとんでもない、准教授様は神様だったみたいだ。

 僕は准教授からその課題を聞き、文芸サークルの本拠地へと向かった。伊吹大学の広大な敷地の北東部分には、サークル用の施設が集まった場所がある。運動場や体育館はもちろんのこと、サークル用の教室や部室を内蔵した建物がいくつも立てられている。

 E-59塔の三階に文芸サークル用の部室ともいえる小教室があった。

 僕がサークルに入ったのはつい最近だった。文芸サークルには、こころに勧められて入った感じだ。僕は小説や詩を書く趣味があるわけでもない。

 僕は文芸サークルの小教室に入った。小教室と言うだけあって、十畳ほどの広さだ。古びた本棚が三つあり、そこにはぎっちり本が詰まっていた。部屋の一辺には同じく年季が入った木製の机と椅子のセットが三つ並んでいる。後、めぼしい物と言えば、読書用の安楽椅子が三つ用意されているくらいか。綺麗に三セットあるわけだ。昔のサークル員が三人組の仲良しだったのだろう。

 部屋はきれいに掃除されているけれど人はいない。

 文芸に興味のない僕がこのサークルに居座る理由はいくつかある。

 まずメンバーが僕以外に一人しかいない。サークル名簿にはもっといるのだけど、このサークルに来ているのは実質一人だけなのだ。なので、ここには秘密基地のような居心地のよさがあった。しかも文芸サークルと銘打ってあるのに活動はなにもしないから負担がない。漫画を読もうと、ゲームをしようと自由だ。伊吹大学の中はどこも人だらけで、人混みが苦手な僕にとって心休まる場所がなかった。僕は文芸サークルに入ることで、伊吹大学の中に避難所を手に入れたのだ。講義と講義の間の空き時間は、よくここで過ごしている。

「さて――、『課題』はほんとに来るのかな。それとも文月ちゃんが持ってるのやら」

 文月彩は、この文芸サークルの唯一の部員であり、サークルリーダーだ。

 僕は安楽椅子に腰かけて、しばらく漫画を読んだりして時間を潰した。週刊誌を二冊読み終わったところで、文月ちゃんがやってきた。

「おー、うーちゃん。来てたんだねー」

 脱力した感じのゆるい声が響く。

「うーちゃんって呼ぶのはストップだ、文月ちゃん」と、僕。これはこころにも言っていたのだけど、こころの方はもう矯正不可能と諦めた。

「えー、一番似合うと思うんだけどなー」

 某艦隊ゲームのぴょんぴょん言ってる子と被るからさ。

 唯一のアクティブサークル員であり、サークルリーダーでもある文月ちゃん。人数がいないためにサークルリーダーになってしまった文月ちゃんは、僕と同期で花の文学部に所属している。身長は女の子としては平均くらいだろう。ふんわりとしたウェーブがかかったセミロングで、大きな目はちょっぴり目じりの方に垂れている。それらが一層緩い雰囲気に拍車をかけていた。ニットトップスを着ているが、意図的にか、そういうタイプの物なのか、胴の丈がかなり長くなっていてスカートのようになっている。そのせいで、下には何を履いているのか、興味はあれど僕には覗く勇気もないのでわからない。

 大学序盤で友達ができなかった僕にとって、文月ちゃんとの関係は大学における貴重な繋がりだと言っていいだろう。と、言ってもまだ友達とも言えないんだけどね。ただ一緒の空間を共有している仲ってくらいだ。

 僕はよく知らない人と閉鎖空間にいるのは苦手な人間なのだけど、文月ちゃんは不思議と嫌にならなかった。それが僕が文芸サークルに居座る一つの理由になっているのも間違いない。

「またお邪魔してるよ」

「ごゆっくりー」

 文月ちゃんは教材が入っているのであろうカバンを置き、本棚から本を出すと安楽椅子に腰かけた。僕も同じタイプの安楽椅子に座っている。これがけっこう良いんだよね。ゆりかごのように揺れるのが気持ちいい。ほんとリラックスできる。

「文月ちゃん、ちょっと聞いていいかな」

「なにー?」

 僕は漫画を読みながら、文月ちゃんは小説を読みながら話す。この距離感が僕は好きだ。近すぎず遠すぎず、ヤマアラシのジレンマに引っかからない距離感。

「妙な鍵とか、手紙とか来なかった?」

「あーそういえば来てたねー。忘れてたよー。今日の朝来たときにここのドアに張り付けてあったよー」

「見せてくれないかな。必要なんだ」

 それが准教授から出された『課題』に関係がある。

「サイのカバンの中に入ってるから勝手にあさっていいよー」

「女の子のカバンをあさるのはちょっと……」

「気にしない気にしないー」

 この子の無気力とまで言えるゆるさには、付き合いが短いにも関わらず心配になることが多々あった。

 文月ちゃんが安楽椅子から動く気配がなかったので、僕は立ち上がって机の上に置かれた文月ちゃんのカバンを漁る。正直に言ってしまえば、女の子のカバンになにが入っているのか興味があったのは否定しない。できない。普通に文学部の教材が入っているだけで特に変わった物はない。女の子の日用グッズがあるわけでもなかった。

 僕は目当ての物を見つける。

 手紙だ。何も書かれていない表面には、銀色の鍵がテープで張り付けられている。

 僕は手紙の中身を見てみる。

 以下、手紙の文章。


 こんにちは、伊吹大学のみなさん。各サークルに一つずつ、鍵が届いていると思います。

 私が出す課題はただ一つ。その鍵で開けることのできるドアを探してください。ただそれだけです。

 挑戦するもしないもあなた方の自由です。けれど、もしドアの場所を見つけられることができたなら、大学生のみなさんがいつも欲している宝物をご用意しておきます。

 さて、ドアのある場所ですが、もちろん直接書くわけにはいかないので、なぞなぞの形式で書きたいと思います。


文文文文文文文文文  文文文文文文文文文

文数数数数数数数文  文文

文数文文文文文数文  文文文文文文文

文数文数数数文数文  文文文文

文数文数文数文数文 →  文文文文文

文数文数数数文数文       文文文文

文数文文文文文数文    文文文文文文文

文数数数数数数数文         文文

文文文文文文文文文  文文文文文文文文文


 アジアの学生三人は水求む。オアシスにて五個のコップを満たし苦悩のく。アジアの学生三人はさらなる五杯の水求む。砂漠の住民、五杯の水を餌に、罠に縄を使い学生捕らえる。学生を捉えた七人の住民、捕らえた報酬にあの日のあまり物の食べ物望む。砂漠の住民は類友といるのが好き。もらった五個の食べ物を土間に窓ない部屋でみなに振る舞う。


 必要なのはちょっとの想像力と行動力と好奇心です。それでは、ドアの向こうで皆さまを待っています。


 以上終了。

「……ゲシュタルト崩壊しそうだよ」

 文と数の字を見ていると目がちかちかしてきた。

「うーちゃーん、手紙にはなにが書いてあるのー?」

「ただのなぞなぞだよ」

「うーちゃんはそれを解くのー?」

「そうだね。解かなくちゃいけないみたいだ」

 僕の単位のために。

 しかしあの准教授はなにを考えてるんだろう?

 この課題は文面を見る限りいろんなサークルにばらまかれているのだろう。まず間違いなく准教授が行ったことだ。新入生と在学生の交友を深めるためのオリエンテーションにしては遅すぎるし、そもそも准教授は生徒の仲なんてどうでもいいと考えてそうな人だ。

「ちょっと見せてー」

「わかったよ。はい、手紙」

 小説を手に持ったまま文月ちゃんは僕が手に持った手紙を眺めた。

「おーちょっと気になるかもー。でも解くのはめんどくさいなーサイは応援しながら見てるよーうーちゃんがんばれーおー」

 文月ちゃんは安楽椅子を揺らしながら腕をだらんと上げる。ほんと無気力な子だ。けれど、この無気力な子が安楽椅子探偵みたいな推理力を発揮して、この文に隠された場所をさくっと見つけてくれるかもしれない。……ないか、さすがに。

 僕は安楽椅子探偵気取りで、椅子に座り直して手紙とにらめっこを開始する。

 まぁ、言ってしまえばよくわからなかった。






 日付が変わる頃、僕は自分の部屋で机に向かっていた。勉強用の机だけど、パソコンが置かれているので実際勉強をやるとなったらなかなか集中できない配置だ。今やっているのは日記を付けることなので邪魔にはならないけど。

 僕が日記を付けるのは、文章を通してこころに現状を伝えるためだ。

 日中にあった出来事は、寝る前に書く。これを習慣にするつもりだ。

「と、いうことが今日はあったんだよ」

 僕は日記を書き終えて、誰もいない部屋の中で声を上げる。客観的に見れば変な独り言だけど、僕は明確な対象をもって話しかけていた。

『つっこみたいことが!』

 僕の声にこころが反応する。彼女が昼の間静かなのは、寝ているからだ。幽霊のような存在になってしまっても睡眠が必要なのだろうか。

『まず、あたしがうーちゃんのために奮闘したハートフルストーリーを数行で終わらせるってどういうこと!?』

「いや、だって僕が落ち込んでいるところを書いても面白くないでしょ」

『なんで読者想定してるの……たしかにあたしは読むけど』

「一応ね、見られることを想定してるんだ」

『こ、公開とかはやめようね? ね? 一時の気の迷いが一生の黒歴史を作るからね? ね?』

「経験済みみたいな言い方だね。まぁ今のところ公開する気とか全然ないから」

『公開されてもいいような発言だけにしとこうかな……』

「おいおいこころ、これを一種の読み物として考えた時、変に縮こまってると他の人の個性の下に埋まっちゃうよ」

『うーちゃんは友達が少ないからあんまり関係ないと思うのね』

「うわ、今のこころの発言消しとこう」

『自分に都合が悪い言葉だけ修正しないでよね! ずるい! そんなのアンフェア!』

「はいはい」

 でも、日記って書く人の都合が出てくるものだと思うんだけどな。

「で、だ。こころ」

『なに?』

「謎解き手伝ってよ。どうせ暇なんでしょ」

『あたしの扱い雑だよね!? 確かに暇だからいいんだけどね。最近、人間はやることが少ないとただただ睡眠時間が伸びるという発見をしたくらいだし!』

 まったく有用性のない発見である。

「そういえば、僕にはまったく見えないけどこころはどこにいるの?」

 幽霊にどこにいるって聞くのもおかしな話だろうか?

『本棚だらけの場所かな。図書館を狭くしたみたいな場所だよー。一応、テレビとか、ブルーレイプレイヤーとかプレイステーション4とか、パソコンとかもあるかな。けど、テレビで番組は見れないし、パソコンはインターネットには繋がらない』

「へぇ? 空間があるんだ。意外と住み心地よさそうだね」

『けど、本やらゲームの種類も無限ってわけじゃないし、偏ってるのよね』

「どんな感じに?」

『読み物は割と幅広いジャンルの小説やら漫画があるの。ちょっと週刊誌が多いかも。さらにエロ本多数。PCゲームはギャルゲーばっかりで、他のゲーム機のソフトはRPG系統に偏ってる感じ』

「……。こころ、ちなみに聞くけど、ゲームの機種はプレステ4以外になにがある?」

『PSPとWii、それに3DS。ん……? なんか全部うーちゃんが持ってる機種ばっかりな気が』

「は、はは……ないない。絶対にない!」

『うさ耳娘のエロ本も、うーちゃんの部屋で見たことある気がする。もしかして、この空間、うーちゃんが読んだりやったりしたゲームとか、本とかが……』

「ッッ!」

 なんなのその空間!? 最悪だよ! プライバシー侵害はなはだしい場所じゃない!?

『そっか……うーちゃんはうさ耳フェチだったんだね!』

「そんなことよりこころ、暗号だよ暗号」

『全力で話を逸らしにかかってますねえ』

「僕のSAN値がもたないからやめて。さっさと暗号解くぞこの野郎」

『情緒不安定!』

「よし、まずは上のゲシュタルト崩壊起こしそうになる部分だね」

『仕方ない、逸らされてあげますか。文から数を抜いてるのね』

「そだね。とりあえず数を抜いて並べてみたよ」

 3535575

「この数字がなにを表しているのか。ここですでに僕は詰まったよ」

『うーちゃん一ついいかな』

「なに?」

『わかる気がしません!』

「いや、もうちょっと頑張ろうよ」

 こころは役に立たないかもしれないとため息をつく。それでも、とりあえず僕は課題について思ったことを話していく。話す過程で解決の糸口を閃く可能性もある。

「抜いたあとの形も妙だよね」

『ほふぅ、対称だねぇ。鏡合わせ、線対称点対称』

「数字とその部分にも意味があるんだろうね。なぞなぞって言ってるくらいだし、シンプルで気づけば一瞬で解けるものだと思うよ」

『んー、そうかもね! うーちゃんの日記を見る感じ、制作者の准教授はけっこうめんどくさがり屋さんみたいだしね』

「よし、僕が問題について思ったことはさっそく尽きてしまった。寝ようかな」

『えーもうちょっと話そう、ね? うーちゃん』

「僕は夜行性じゃないんだ。一時になるとかなり眠いよ」

『しょーがない。うーちゃんのために一肌脱ぐとしますか! ……基本的に暇だし』

「お願いするよ」

 僕の部屋は、勉強机のすぐ隣にベッドを置いてある。寝ながら机の上のパソコンを使って動画を見るのもなかなかいい。

「じゃあ、おやすみ」

『おやすめ』






 翌日、朝起きてからすぐにこころに尋ねた。

「なにかわかった?」

『わかったことが一つある!』

「へえ? やるね」

 朝一番で血圧が低くテンションも低い僕に反して、こころのテンションはいつも通り高かった。

『わからないってことがわかった!』

 僕の期待を返してほしい。

『うーちゃん、そもそもあんな暗号文のために作りましたって文章に興味湧かないからね! あたしから見たらただの怪文ね怪文!』

 その文句は製作者に言ってほしい。こころはそこでおやすみを言って眠ってしまった。

 僕の単位がかかっているのだけど、こころはあまり重大さをわかっていないようだった。

 大学生になれなかったこころに単位の大事さを理解しろというのも難しいか。人間とは失ってから、いや、失いかけてからかけがえのなさに気づくものだよね。

 問題文の意味を頭の中で繰り返し考えながら、僕は大学に向かった。講義まではまだ時間があり、僕は文芸サークルの小教室を訪れる。入るとかすかに甘い香りがした。工学部の男くささが染みついてしまった僕の鼻は、敏感に女の子の香りに反応する。文月ちゃんがすでに来ていて、安楽椅子に腰かけていた。昨日と似たようなゆるい服装で、変わったと言えば髪に牡丹の髪飾りがついていることかな。

「あれ?」

 いつも小説を読んでいる彼女が、今日は別の物を見ているのに気づく。僕が挑んでいる例の問題文が書いてある手紙だ。

「文月ちゃんどうしたの? 急にやる気湧いた?」

「うんー、ちょっと頑張ってもいいかなーって。これ、解いたらご褒美でしょー」

「あーなるほど。ご褒美につられてやる気を出したんだ。なにかわかった?」

「文のリズムが全体的に『トンタントン』って感じかなー。あとちょっとで閃きそうなんだけどなー」

 『トンタントン』? その感性はちょっと僕には理解しかねる。文月ちゃんは変わった子だからなあ。ぎしぎしと安楽椅子を揺らしながら文月ちゃんは考えていた。異常に丈が長いニットトップスの下が見えそう。けど、紳士な僕はその中が死角に一に安楽椅子を移動させて座った。

「おかしな文だよねー」

「明らかに暗号のために作った文だよね」

 こころの言葉だ。こころも言ってたよね、『怪文』だって。

「おん?」

「おー? どうしたのうーちゃん」

「わかったかも」

 こころめ、けっこういい仕事するよ。こころと話さなかったら閃かなかったよこれ。

「めちゃくちゃ単純だよ。鍵になるのは『回文』なんだ」

 きょとんとしてこちらを見る文月ちゃん。説明すればすぐにこの子も納得するだろう。文月ちゃんもあとちょっとで答えに辿りついていた。

 リズムが『トンタントン』ってのも案外間違ってない。対称のリズム感だ。

「ちょっと手順を追って解いて行ってみよう。まず数の抜き出しだね」

「『3535575』だねー」

「もちろんこれだけじゃヒントとしては足りないよね。場所なんてわかりゃしない。もう一つ抜かれている物があるんだよ。回の文字が。抜く前の数の文字を見てみると、回って文字になってるんだよね。言えば文の中から『回を作る文』が、『回文』が抜かれていたんだね」

「あーそういうことかー」 

「数を抜いたあとの文が『鏡合わせ』になってるのもヒントだったんだね。回文も対称になるし。抜いた数字の意味は、回文の文字数だろうね。回文を探して並べてみよう」

 アジア

 苦悩のく

 アジア

 罠に縄

 あの日のあ

 類友といる

 土間に窓

「これから何を見いだせって感じだけど、扉がある建物の名前が隠れてるのかな? 僕は水戸に来て間もないから茨城の地理に詳しくないんだよね……」

「あー大丈夫ー。サイは茨城の日立出身だからわかるよー」

 文月ちゃんは茨城出身だったんだね。

 茨城の女性は気が強いと聞いていたけど、文月ちゃんはそうでもない。茨城の3ぽい気質と言われる怒りっぽい、飽きっぽい、忘れっぽいにもいまいち当てはまらないから県外出身だと思っていたよ。

「一番単純で、目についたのは頭読みかな。『あくあわあるど』割とありそうだ。どう?」

「おーもしかしてアクアワールドのことかなー!? あるよあるよー! 大洗にあるんだー。茨城で唯一見る価値があるとか皮肉られてる場所ー。水族館だよー」

「唯一見る価値があるって……。文月ちゃんの地元の日立市は、日立製作所とかで有名だよね。ヒタチって名前は全国規模だし」

「うーちゃん、日立市は都会だってイメージ持ってるー?」

「うん」

「言っちゃうと田舎だよー」

「え、そうなの。なんか意外」

「坂道が多くて自動車教習のとき、マニュアル車で免許を取ろうとすると大変ってのが特徴かなー」

「マニュアル車での坂道発進は慣れるまで大変らしいけど……、微妙な特徴だね……」

「ふふー伊達に魅力がない都道府県ワーストを張ってないよー」

 茨城県民は魅力がないことをなじられると怒るってネットで見たんだけど、文月ちゃんはむしろ自虐ネタに使っちゃってるよ。

「と、とにかくアクアワールドがあるのは水戸じゃないんだね。仕方ない。週末行ってこようかな」

「サイも行くよー」

「わかったよ」

 ……ん? さくっと返事しちゃったけど、これって軽くデート? 行き場所水族館だよね?

 工学部に入って女の子と水族館に行けるなんて……夢かな? 夢かもしれない。







 就寝前、僕はいつも通り自室で今日の日記を書き終えた。

 ぎしぎしと隣人に勘違いされそうな危ない音を立てる椅子に体を預けて、大きく伸びをした。

「と、いうのが今日あった出来事だよ」

『……へーあの怪文解いたんだーうーちゃんすごーい』

「棒読みだ」

『うーちゃん、言いたいことがあるんだけど。二重かぎかっこはあたしの! 説明で気安く使わないでよね!』

 人間、文字の上だけの存在になるとかっこにすらアイデンティティを求めだすのか。

『オーケーうーちゃん!?』

「お、おけー。しかし妙に突っかかってくるね。確かに今のこころはいわば童話の中のゴブリンみたいな存在だね。物語の中でしか生きられない。二重かぎかっこにアイデンティティを求めるのも仕方ないのかな」

『……童話の中の生き物にあたしを例えるのは、うーちゃんにしては上手いと思ったけどね、どうしてそこでゴブリンをチョイスするの!? エルフとかウンディーネとかいるでしょ!?』

「誤差の範囲だよ」

 しかし、こころの不機嫌は説明に二重かぎかっこを使ったことだけではないようだ。と、僕は察する。

『ほふぅ……。うーちゃんはふーちゃんとデートするんですかそうですか』

「意図しない事故だよ。僕もいまだ夢じゃないかとすら思ってる。というか、そもそもこころが機嫌を損ねることないでしょ」

 ほっぺたがお餅になりそうなくらいぐにんぐにんつねってみたけれど、痛いのでやはり夢ではないようだ。

『ふん、ふーちゃん優しいしかわいいもんね』

「優しいのもかわいいのも否定しないよ」

『くっ……』

「んーやっぱり今日のこころは怒ってたりするのかな」

『怒ってはないけど……』

「うーん、やっぱり見えないとこころの感情がわかりにくいね。常に電話越しで話してるような物だから仕方ないけど、僕もどこまでこころをいじめていいのか境界線が決め辛い」

『うーちゃんって大人しそうなくせして酷いこと言うよね?』

「ん、そうかな。こころを文章にするとさらに喜怒哀楽がわかり辛いね」

 むぅ、とこころがうなる。

『うーちゃん、あたしの動作を想像して書いてよね! 怒ったら目を吊り上げてとか、悲しんだら下を向いて―とか』

「ごめん。僕、想像力に乏しいから見た物でないと書けない。なによりめんどくさい」

『最後本音出たよね!?』

 言葉と声の調子でしか喜怒哀楽がわからないってのは不便だよね。文章にすると声の調子なんてわからないし、さらにわかりにくい。

 メラビアンの法則によると、相手に伝わる情報は、言語情報が7%、聴覚情報が38%、視覚情報が55%だ。

 文章上のこころは、見た目やしぐさをつかさどる視覚情報と、声の質や大きさをつかさどる聴覚情報が乏しい。実質7%しかこころの伝えたいことが伝わらないのだ。

 こころの聴覚情報を多く受け取れるだけ僕はまだましと言えるだろう。

「ん、でも人類の発明品である顔文字を使えば楽にこころの表情を豊かにできるんじゃないだろうか」

 一種の視覚情報として顔文字は機能するのではないか。

 小説に顔文字が入っていたら拒絶反応を起こす僕だけど、自分が楽をするのには抵抗がない。そもそもこれは日記だしね。

「けど、それをやるには僕がこころの表情を正確に捉えておく必要があるんだよね。だから試しに、今から話しながら日記を書いて顔文字を当ててみるよ」

『うん』

 以下、日記と会話同時並行。

「そうだね、会話の出発点として、ちょうど週末に行く水族館をネタにしてみよう」

『昔、うーちゃんの家族と一緒に行ったよね(*^-^*)』

「あー行ったね。確か広島の宮島にある水族館だったっけ」

『そうそう! ろーちゃんも一緒だったよね! 元気かなーろーちゃん(?_?)』

 西天の言うろーちゃんは、西天ろここのことだ。一卵性双生児のこころの妹だ。二人は鏡写しのように似ている。

「ろここちゃんはたぶん元気だと思うよ。前、大学で遠目に見たけど友達と元気そうに話してたから」

 ろここちゃんは文学部に入ったので、工学部の僕とは接点が薄い。

「そういえば、水族館でこころが迷子になったね」

『あったあった!┗(^o^)┛デュヒュヒュネチャッ』

 間が空いてこころが、ん? と声を上げる。

『なんなのその顔文字!? あたしそんな顔してないからね! 変な擬音もつけないで!┏(^o^)┓ドコドコドコ』

「え? なんだって」

『日記にはしっかりあたしの言葉を書いてるのに聞こえてないなんて不思議!┗(^o^)┛ドコドコドコ』

「顔文字のことは置いておいてさ、水族館の話をしよう」

『置いておけないよ! あたしのイメージダウンはなはだしい顔文字ストップ!('ω'三'三'ω')ω')』

「ん? 僕はこころがどんな表情をしているか、思ったものを書いてるだけなんだけどな」

 ここでこころから返事がなくなった。

 なるほど、話さなければ僕に変な顔文字を付けられないと判断したか。

『ちくわ大明神』

 ……。

『あたしがちくわ大明神を言ったみたいに日記に書いてるの!? もし人が見たら勘違いするでしょ! 消してようーちゃん!┗( ^ω^)┛シャバドゥビタッチヘンシーン』

 うがぁ! と獣みたいな声を上げるこころ。

『これ以上やったら本気で怒るようーちゃんッ!!!』

 僕も引き時は心得ていた。こころをいじめてあらかた満足したので終わりにする。

「この試みは残念ながら上手くいかなかったね。仕方ない。上手い対策を思いつくまでこのままでいこう」

『うーちゃん……上手くやろうとすらしてなかったでしょ……』

「さぁ、どうだろう。僕はそろそろ寝るよ」

『……うーちゃん、この借りは絶対に返すからね! 倍返しだからね倍返し!』

 そういえば最近、倍返しなんて聞かないな。一時期すごい半沢ブームだったけれど、三年もたてばさすがに聞かなくなるよね。

 はいはいと適当に流して、僕は眠りについたのだった。







 暇人准教授が出した課題。鍵が合う扉を探せ。

 鍵と一致する扉があるのは、大洗のアクアワールドのはずだ。准教授は、海洋学が専門で、答えが水族館にあるという裏付けにもなった。

 水戸から大洗まで電車に乗って移動しなければいけないのがめんどくさい。だけど、欠席を一個取り消してもらえるし、文月ちゃんも一緒に来るのでめんどくささなんて全部吹き飛んだ。

 今日で欠席を取り消したら、今度はしっかり講義に出よう……うん。

 文月ちゃんとは、十時に水戸駅で落ち合うように話しをつけている。水戸駅の前はなかなかおしゃれで、ビルも立ち並んでいるし、いかにも都会って感じだ。けれど、それは駅周辺だけで、都会っぽい駅前の風景に反して、水戸は遊び場が少ない。学生は勉強しろという市からの無言の重圧なのだろうか。

 水戸駅のバス停を待ち合わせの目印にしていた。バスの乗り降りの邪魔にならないところで僕は文月ちゃんを待った。緊張していたから早くついてしまったとかではけっして絶対にまったくなく、紳士のたしなみとして約束の十五分前に僕は来ていた。

 待ち時間に、僕は行き先である大洗に思いをはせる。

 大洗と言えば、ガールズ&パンツァーの舞台になっている地域だ。ご当地イベントでばりばりの武闘派の蝶野さんが「ガルパンはいいぞぉ!」と言っていたのが面白かった。

 水戸は水戸で、脳コメこと俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔しているの舞台だったりする。

 魅力がないと文月ちゃんは自虐していたけど、普通に魅力があるんだよね。

「うーちゃんお待たせー」

 待ち合わせの十分前に文月ちゃんはやってきた。

 今日は晴れているのだけど、少々肌寒い。肩が少しはだけるニットトップスと、フレアスカートの組み合わせでふんわりとした感じの着合わせだ。色合いは全体的に落ち着いた物。

 文月ちゃんのゆるい雰囲気によく似合っていた。

 僕達は大洗に移動する。

 土曜日の朝で、さらに十時前なので電車は混んでいなかった。なので僕達は四人席を使って向かい合うように座る。

 ふむ……文月ちゃんけっこうファンタジーな雰囲気持ってるよね。電車が不思議の国にでも行きそうだよ。

「けど、准教授の目的が見えないな」

「目的ー?」

 文月ちゃんの手にある例の鍵には、兎のストラップが付けられていた。

「これだけ大掛かりなイベントを起こすのにもさ、わけがあるはずなんだよ。あの准教授がなんの目的もなしにこんなことするわけがない」

「んー友達を作るためのレクリエーションとかー?」

「……ありえないありえない。友情とか犬のえさにしてそうな人だよ」

 那珂湊駅で電車を降り、バスに乗ってもよかったけれど、そこから歩いてアクアワールドに向かった。伊吹大学の広い校内を普段から歩いているので、気にならない距離だ。

 縦長の巨大な建物が見えてきた。基本は五階建てだが、一部七階まであり、七階は展望台になっている。

 海沿いに造られた水族館で、潮のにおいが鼻いっぱいに広がる。水族館のすぐ隣にある砂浜では、海の生き物と触れ合える。砂浜の奥には、海が広がっている。瀬戸内の海を見て育ってきた僕は、茨城に来て水平線が見える太平洋に感動したものだ。

 僕達はいよいよ水族館に入った。

「せっかくだし、一通り水族館内を見ていこうか」

「そうだねー」

 はじめに大洗に住む魚たちが入った水槽があり、それを通過すると出会いの海と名前の付いた巨大水槽があった。

「わぁ……」と文月ちゃんが声を上げた。僕も思わず見入ってしまった。

 出会いの海の巨大水槽では、黒潮と親潮が合流する地点を再現したらしい。

 水槽の面の大きさは、映画館のスクリーンを軽く超えており、まるで海の中にいるような気分になる。深い青色の中で、小魚が竜巻のように渦を巻いて優雅に泳いでいた。見知ったところでは、ウミガメやエイがいる。その壮大な美しさに僕も文月ちゃんも思わず見とれてしまった。

「あーダイバーさんだー」

 巨大水槽の中を泳ぐダイバーがおり、その人と対話できる。それもこの巨大水槽の魅力の一つのようだ。文月ちゃんがカメを近くで見たいとお願いすると、ダイバーさんが頷いて人間の子供くらい大きなカメを抱っこして連れてきてくれた。

 普段だらだらと無気力気味な文月ちゃんも、小学生に戻ったみたいにはしゃいでいた。

 僕も我を忘れて楽しんだ。

 僕達は感嘆の声を上げながら水槽の間を練り歩いていく。

 どうやら館内は海の中をクルージングすることをテーマにしているらしい。大洗の海からだんだん遠くへ。沖縄や果ては外国の海まで水槽の中で再現している。

 海のエリアが終わると、なんと川の水槽まで用意されていた。

 そして、全て見終わって野外に出ればお決まりのペンギンやアシカ、イルカなどと会える。至りつくせりだ。

 時間を忘れて僕たちは水族館の全てを見終えた。

「おっといけない。エンジョイしすぎて本来の目的を忘れるところだったよ」

「おーそうだったー」

 などと二人そろってとぼけたことを言うくらい見どころがあった。

「肝心な扉の場所なんだけどさ、広すぎてどこにあるのか見当つかない……。もしかして水族館内のどこにあるかも暗号文に隠されてるのかな」

「従業員さんに聞けばいいんじゃないー?」

 ずるじゃあないよね、うん。

 僕達は清掃係のおばちゃんに事情を話してみるとあっさりドアがある場所を教えてくれた。

 従業員以外立ち入りが禁じられている区間に入って、問題のドアまで案内される。

 そのドアに鍵を使ってみると、見事に合った。

 中に入る。部屋は深海の色に支配されていた。

 光源はずらりと並ぶモニターが放つ青い光のみ。そのモニターには、各々にさっきまで見てきた水族館内の水槽の様子が映し出されていた。

 水槽の景色が映るモニターが並ぶ様は幻想的なのだけど、そんな雰囲気を壊している汚らしいおっさんが部屋にはいる。

「よぉ、現野。まさかお前が一番乗りたぁ、伊吹大学終わったな。ん、いやお嬢さんがいたのか。解いたのは後ろのお嬢さんの知恵が主か?」

 白衣を纏った准教授がさっそく僕の悪態をついてきやがりました。僕はスルーする。

「違いますよー。解いたのはうーちゃんですー」と、文月ちゃんが否定する。

「で、僕の欠席を一つ取り消してくれるんですよね?」

「宝物の方をくれてやってもいいんだが、それでいいのか?」

「いいに決まってますよ。宝物なんてどうせあれですよね、ここまで培ってきた友情だーくらいくだらない物ですよね。そんなのいりません」

「捻くれたガキだぜ。そっかそっか、お前がそれでいいっていうならそうしてやる。いいよ。欠席一つ取り消しだ」

 よし、これで単位を取れる状態に戻れた!

「で、そこの……えーと、名前がわからん」

「文月ですー」

「文月ね。お前は文系か?」

「そうですー」

「なら、ここまで来た土産として、人間と文学の講義の単位をくれてやる。俺が担当教員に口利きしてな。これからいくらさぼろうが、テストでどんなに失敗しようが人間と文学の単位は取れるようにしておく」

「え? ちょっと待ってください! どういうことですか!?」

「あ? 文に書いてあった宝物を渡しただけだが。大学生がいつも欲しがってる宝物なんて、単位に決まってるだろうが。ノーヒントでわかるわこんなもん。楽して単位を取りたいのが大学生だ」

「教授の発言とは思えませんね……」

 唖然とする僕を、呆れ顔で准教授が見てくる。

「というかなに? 暗号文の方は解いたくせに宝物の正体に気づかなかったのか?」

「……准教授。やっぱり僕にも宝物をくれませんか」

「やらん」

「うがぁッッ!」

「ここにきたらコンシスの単位だってくれてやっても良かったんだがな。残念だぁ。現野くんはどうも俺の講義を受けたいみたいだからなぁ」

 肩の力が抜け、僕は天井をあおぐ。

 ああ、天井のモニターに映ってるアシカが僕をバカにするみたいにひれをたたいてる。

「ご、ごめんねー、うーちゃんわかってなかったんだー。サイが教えてれば……」

「いや、仕方ないよ……」

 大学生がいつも欲している宝物なんて、簡単すぎて誰でも気づけるものだ。僕は欠席を一つ消すことに夢中で、宝物が何なのかすら考えていなかった。

「もう少ししたらイルカショーがはじまるからさー、それ見て元気だそー」

「うん、そうだね……」

「おっと、デートもいいが、その前に。一応ここにくるやつに言うんだが、うちの研究室に来ないか?」

「僕は情報工学科だし、文月ちゃんに至っては文系ですよ。海洋学とは全く無縁です」

「海洋学でも情報工学の知識は役に立つし、文系のやつらも役に立つやつは役に立つ」

「そうですか。特に入りたい研究室があるわけじゃないですが、僕は保留で」

 まぁ、保留と言いつつ内心は完全にお断りモードなんだけどね。このおっさんにこき使われるのはごめんだ。

「サイは遠慮しときますー」

「そうか。話はこれだけだ。引き留めて悪かったな。うちの研究室は、好奇心があって、頭がとろけるチーズみたいに柔らかいやつが欲しいもんでな」

 この准教授がイベントを起こした意図がようやくわかった。

 研究室に入れる生徒の厳選だ。

 この准教授の考えそうなことだ。

 欠席は一つなくなったものの、満足しきれないまま僕は准教授の隠れ家をあとにしたのだった。



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