対決?
年末の30日。
俺は年末でもやっている大手チェーンの喫茶店で元婚約者と会うことになった。
急な連絡だったがすぐに反応してくれた。
彼女は年齢を隠すようなけばけばしい化粧で現れた。
30歳を超えたことを受け入れられないらしい。
まだ30歳と少しなのだから普通にしていれば若く見えるのに。
生活が荒れているのが輪郭と目元に現れていた。
そして少し酒臭かった。
その姿を見たとき、俺の中にかすかに残っていた怒りは霧散した。
それは同情なのかもしれない。
俺は二人分のコーヒーを注文する。
事前情報によると、彼女は結局結婚できなかった。
子どもを産んだあと男が逃げたのだ。
子どもがどうなったのかは知らない。
自分の子どもになっていたかもしれないので気になるが、今は完全に他人。
相手が言わなければ聞くべきではないだろう。
「それで、私は謝罪でもすればいいのかしら?」
嫌味を隠そうともせず元婚約者は言った。
「いいえ、俺が謝ろうと思って。
君に全く興味がないのに結婚しようとした。
俺は君に不誠実だった。
すまなかった」
俺が謝る必要はないと葵にも芹沢さんにも言われた。
だが、ここですべてを終わらす必要が、線を引いておく必要が俺の中では存在したのだ。
すると元婚約者殿は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「そうよ! 正しいのは私よ!
それなのにいつも誰かが私の人生を邪魔するのよ!」
それはない。
これ以上落胆させないでくれ。
とツッコミを入れたかったがうまい言葉が見つからなかったので黙ってコーヒーを飲む。
その味はとても苦い。苦渋の味だった。
「あんたもそう!
私を利用するだけ利用して、女子高生と結婚するですって!」
「君の思っているようなことはなにもない。
だが、君を利用した覚えはないが迷惑をかけたならすまなかった」
「あんたはそういう人間よ!
人間味がなく! 人に興味をもたず! 薄情で冷たい機械みたいなやつよ!」
元婚約は立ち上がって上から俺を指差した。
なるほど。間違ってはいない。
今の仕事と比べて、前の仕事には興味がなかった。
自分で選んだ職だが、業界に興味があったわけではなく、塾講師のアルバイトが有利に働くかもと思っただけだ。
今の仕事は芹沢さんの紹介だが、トラブルや同僚の変人たちまで含めて楽しくやりがいがある。
不思議なことに今のほうが短時間で倍近くの業務をこなしているだろう。
「そうでしょうかね?」
知っている声が響いた。
コーヒーを持ったスーツ姿の女性が俺たちの席に座る。
芹沢さんだ。
「つけてましたね?」
「ま、そうとも言うもしれません」
監視はついていた。
会社か、葵か、それとも興味本位かはわからないが。
芹沢さんはニコニコしながら話す。
「ケイちゃんは身内には甘いですよ。
ポンコツ揃いのうちの連中まとめるくらいですからね」
「自覚あったんかい!」
思わず俺はツッコミを入れた。
怒るだろうな。変な人が大演説を邪魔して……元婚約者で今は赤の他人の人。
ところが彼女の顔は青ざめていた。
「せ、芹沢……あのドーピングの……」
「そうですよ。
あはようからおやすみまで皆さんのサンドバッグ、芹沢さんですよ」
わざとらしい仕草で芹沢さんはコーヒーを口に含む。
完全に挑発している。いや……喧嘩を売っている。
「ねえ、あんたもこいつの女なわけ?」
「どうとでも取ってもらって結構です。
私には傷つくような名誉もありませんから。
なんならケイちゃん、一度おもしろ半分で結婚してみます?」
「芹沢さん、俺に恋愛感情ありましたっけ?」
「いえ、ぜんぜん。
熱い友情は感じてますけど」
男女間でも友情は成立するようだ。
芹沢さんは元婚約者殿へ微笑む。
「ねえ、中川さん。
今あなたは逃した魚の大きさに自分を失ってるようですが、冷静になって考えてみてください。
ケイちゃんはオタクで、感情表現が薄くて、大事な妹分の胸をガン見して気づかれないと思ってる残念な人です。
こんなダメ人間、本当にいります?」
「見てない!」
「うっさい触手くっころ系男子」
ひでえ!
ひどすぎる!
だが効果はあった。
元婚約者、中川恵梨香はそっとバッグからウイスキーの瓶を取り出し、ぐいっと一気飲みした。
健康に悪いのは一目瞭然。
リベンジの必要すらない有様だ。
だがその顔に浮かんでいたのは優越感だった。
「ふ、ふふふふふ。
そうね、いらないわ。こんなバカ。
帰るわ。オタク同士仲良くしてたら。
もう二度と会わないわ。連絡しないで!」
勝ち誇った顔の中川は、伝票を俺に投げつけてから店を出ていった。
芹沢さんは俺の前の席に移動する。
「あははははは! おもしろかった!」
「俺はボロッカスに言われたけどね」
「本気で取っちゃだめですよ。
あの人のプライドを満足させてあげた。
それでいいんですよ。
あのタイプは自分の中で納得さえすればいいんです。
次にフラフラ寄ってきたら今度こそ潰します。全力で。
今回だってケイちゃんの関係者だから思いっきり手加減してやったんですよ」
恐ろしいものである。
「まあだいたいは理解しました。
でも……あれは体壊してますよ……確実に」
「それでも我々には関係のないことです」
これから彼女は考え方を変えなければ自滅するだろう。そう遠くない未来に。
復讐でもリベンジでもなく、ただ自滅の道を歩んでいるのを見た。
俺はなにもしない。
それが一番残酷なのかもしれない。
「それで、なんで芹沢さんがここに?」
「ケイちゃんの身辺をきれいにすること。
それが本社の命令です」
全力で暗躍しやがってる!
「ケイちゃんのことだから知りたいんでしょ?
赤ちゃんがどうなったとか?」
「まあ、かなり」
知らない方がいい。でも気になる。
俺の中は矛盾だらけだ。
「無事ですよ。今のところは。
アルコールが原因で一時施設に預けられて、今は中川さんの両親が育てているそうです。
虐待が起きないように監視は続けます。
何か起きたら無理やりケイちゃんに結びつける人がいますからね」
「そうですか」
気分は良くないが介入できるギリギリだろう。
俺はあくまで赤の他人なのだ。
「まだなにか聞きたいことがあるんじゃないですか?」
「……芹沢さんにとって葵はライバルじゃないんですか?」
同じ祖父を持つもの。
芹沢さんが跡継ぎになる可能性もあるのだ。
「まさか!
何度も言ってますが、私はもう終わった人間ですよ。
あとを継ごうと思っても株主や銀行に全力で反対されますって。
それに運動しかしてこなかった私には無理です」
「それでいいんですか?」
「ま、いいんじゃないですか?
裏方は気に入ってますし。
お祖父様には心配ばかりかけてますし。
孫は二人とも碌でもないな……。
知ってますか?
お祖父様がケイちゃんを気に入っているのは、私が真面目に働くようになったってのもあるんですよ。
それまでは葵ちゃんの遊びに適当に付き合ったら酒飲んで寝てましたから」
「なぜ……俺なんです?
ただ近所に住んでただけですよ」
「あの葵と全力で遊べる人なんて限られてますよ。
せっかちだわ、頭の回転が早いせいか話を途中で省略するわ、頭のネジが飛んでるわ、話がとっちらかってあちこち飛ぶわ……少なくとも私は無理です」
「そこまでひどいですかね?」
そこまでひどいとは思わないのだが。
あのくらいだったら……いや、いないか。
少なくとも体育会系には理解不能の生き物かもしれない。
「だからケイちゃん、葵を頼みます。
そしたら私は寝ますんで。半年くらい。積んでるアイドルのライブDVD観ながら」
そう言うと芹沢さんはぐてっと突っ伏した。
疲れたらしい。
こういうときはとりあえず飲みにでも誘うのだろうか。
「……芹沢さん飲みに行きますか」
「やだ。男の人と飲みに行くとおっさんが好きそうなお酒飲めないから。
周りの目を気にせずビールっぽい味だけどビールじゃない、焼酎で割るあれ飲みたいもん。
あとおっさんが好きそうなおつまみも欲しい。
舌を噛みそうな名前の洋食じゃなくて、ワンカップと乾きものがほしい。
スルメイカをじっくり炙って醤油と七色唐辛子、それにマヨネーズつけて食べたい。
焼鳥だけ専門店で買って、冷凍枝豆と乾きものをじっくり堪能したい。
他人の箸が入らない個人鍋を直箸で食べたい。
最後はこたつにぬくぬくしながらアイスでシメ。
至福の時間は私だけが女王様。
家飲み最高……うへへへへ」
どうやら俺はセリナにふられたらしい。
勇気を出して会った中川は勝手に納得して帰っていった。
こうして俺は日常に戻ったのである。




