プロローグ
フルダイブ型のゲームが当たり前になると様々なゲームが開発された。
シューター、対戦格闘、体験型ホラー。だけど、メタリックゲームス株式会社が開発したのは日常シミュレーターだった。
プレイヤーは、舞台であるぽんぽこ島で小学生から高校生までになってひたすら夏休みをエンジョイする。
大手メーカーのゲームエンジンによる本物と見分けがつかないグラフィックによる美しい自然。
虫取り、釣り、花火、川遊び、海水浴、まさに子どもの頃のあのときをやり直せるのだ。さらに複数の大学と共同開発した超高度な人工知能を搭載したNPCと超ド健全な恋愛も可能。
島の中央にある神社では毎日お祭りが開催。島の大部分を覆う森は、入るたびに構造が変わるダンジョンになっている。
永遠に続く夏休みを満喫できると評判になり、発売本数は全世界で数十億本。全世界でのアクティブユーザー数億人。
それが8月32日オンラインだった。
居心地がよすぎて向こうに行ったきり帰ってこないプレイヤーが世界中で増殖中。
国連に我が日本が怒られる事態にまで発展している。
そしてここに疲れた元サラリーマンが一人。
ブラック企業で魂をすり減らし、会社と自宅を往復するだけの生活。パワハラと暴言のコンボで精神は死んだ。やる気はどこか遠くに置き去りに。テレビの音声すら頭に入らず流れていく。楽しいことなど何もない。仕舞いには料理の味もわからなくなった。
血液検査の異常でようやくわかったメンタルの危機。そして迎える破綻。退社。入院。廃人化。
それが俺、佐藤慶一。クズだ。
あれほど好きだったゲームすらやる気がしなくなった俺だが、あるゲームがネットで疲れた心に効果があるという記事を見た。それが8月32日オンラインだ。
俺は一年前の俺ではなくなっていた。
面倒だ。動きたくない。体は重く、頭は霧が張っていた。かといって寝ることもできず、息を吸うのも苦しい。
いっそ死にたいと思うが死ぬことすらできない。体のどこかが常に痛む。
未来には希望がない。全てが灰色だ。
正直言ってこのゲームをするのも苦痛なのだ。
だが……これが一縷の望みだった。もうこれしかないのだ。
8月32日オンラインにはある噂がある。
それはメンタルが回復するというものだ。
眉唾だ。そんなに効果があればネットニュースになっているだろう。
だがそんなことわかっていながらも、俺は8月32日に賭けるしかなかった。
早く治さねば……社会に復帰できなくなる。どうにかせねば。
俺は重い手を動かし、ヘッドマウントディスプレイを被る。
すでにインストール済みの8月32日オンラインを起動した。
これは俺の夏休みの記録。どこまでも続く夏休みの記録だ。