光の中、夕方のこと
光の中、夕方のこと。
蒸し暑い日の公園は遊具のペンキが溶けてチョコレートのようだ。短いズボンにスニーカー、Tシャツをきた少年は麦わら帽子をかぶって、あの子を待っていた。
あの子とは一週間前に出会った。
この辺りに越してきたばかりだそうで、白い肌をした背の小さいその子は、どこか不思議
な雰囲気がした。
むわむわと土と草が蒸れている。この匂いが好きだった。ブランコに座ると時々触れるチェーンで火傷をする感覚だ。夏休みだ。
あの子と初めて会ったのもこの公園で一人でブランコを漕いでいた時だ。
遠くからちょこちょこと歩いてきて、ブランコの横で笑った。知らない子なのに、ずっと前からの友達みたいに笑っていた。
高くてか細い声をしてた。
いつもきっちり上までボタンを閉めた白いシャツを着て、緑色のチェックの半ズボンに黒い靴下を履いている。
初めて会った日から僕らは毎日一緒に遊ぶようになった。夏休みの二週目だ。
僕はもっぱらブランコを漕ぐのが好きで、1日中でも漕いで要られた。それに合わせてくれてたのか、その子もブランコを漕いでいたが、それよりはなしをすることが好きで、
ぐんぐんと立ち漕ぎをしている僕に
キラキラした瞳で話しかけてきた。
「このブランコは宇宙に繋がってるんだよ。
君が漕ぐからここが宇宙に届いたんだ!」
小さな細い体を揺らしながら、せがむような話し方をする。
僕はなんだかわくわくした。僕が漕ぐのも、空まで届きたいからだ。
たくさん漕いだら届くような気がするから。
「宇宙に繋がってるって、なんでわかるの?」
その子は嬉しそうにケラケラ笑うと
「わかるんだよ!僕は宇宙の方から来たから。いいなあって、いつも君を見ていたんだ!」
ふーんと生返事をして、また前を向いてブランコを漕ぐ。
となりでにっこり笑ってるのがなんとなくわかる。
不思議なことばかりを話すけれど、そこに居ることが心地のよい子だった。色素の薄い目は、眩しそうに目を細めて微笑む。ブランコの後ろにある大きな木が風で揺れると、消えてしまいそうだった。
次の日も、また次の日も、
僕はその子と遊んだ。
最初は僕がブランコを漕いでいる隣でその子は話をして遊んでいたが、日に日に話を聞くのが好きになった。僕の方を見て、嬉しそうに話すのは空や宇宙の話ばかりだった。
いつも話を聞いていたけれど、どこに住んでいるだとか名前だとかを聞くのもすっかり忘れていた。
暑くて頭まで溶けそうな公園は一人でいると
昨日まで居たあの子は存在していないのではという気にさせた。
ブランコに座って待つ。いつもこれくらいの時間にはあの子はきていた。
日が少し傾いて、生ぬるい風が髪を揺らした。それをきっかけにブランコに立ち、前後に体を揺らして漕ぎ出す。
なにしてるのかな。今日は都合が悪いのかな。
汗が流れて髪から滴るが、ブランコに乗った風でひんやりとする。
僕はいつものようにぐんぐん漕いでいく。この瞬間がいちばん好きだ。空だけを見つめて。
「こんにちは」
細い声が後ろから聞こえた。後ろはむけないが僕はハッとした。ちょうど前にぐんと体重をかけて伸び上がったところだ。
あの子が後ろに居る。
スローモーションみたいになった思考の中思った。
このままじゃぶつかる。
バランスを崩してブレーキをかけるがブランコが戻る速さは十分に出ていた為、そのまま後ろへ下がる。
あぶない!
叫んだのは僕じゃなかった。
ガタン!と大きな音がなって、衝撃とともに足が外れて落ちる。世界が反転する。
あの子にぶつかってブランコから落ちた。
あの子にぶつかって僕は落ちた!
衝撃とともにぎゅっと目をつむる。怖くて目が開けられない。落ちて転んだ痛みよりも恐怖が勝っていた。
キィ、キィとブランコの音がする。
キィ キィ キィ
キィ。音が止まった。
足音が聞こえる。じんじんと体が痛み出してきた。
ああ、、いたい。痛いよう。
痛みがくると、僕は泣き出した。
目を開くと誰かの足が近づいてくる。
太陽の光が眩しくて目が開けていられない。
身体中が痛い
まるで重力が僕にだけのしかかったように、地面に押し付けられているかのように。
不意に僕に触れた小さな手は震えていた。背中をさすり、髪についた砂や草を払ってくれた。
大丈夫?どこが痛いの?ごめんね、ごめんね、、
涙声で謝りながら僕の背中をさする声はいつもに増してか細かった。
僕は泣きながら叫んだ。
お前のせいだ!なんで来なかったんだ!いつもは来るのに来ないからだ!お前が悪いんだ!
嗚咽まじりで叫んだ。
蝉の声が同じくらい煩かった。
その後のことはあんまり覚えていない。
どこで聞いたか、母さんがきて、僕をおぶって家に帰った。
幸い怪我は擦り傷と打撲くらいで済んだ。
あっという間に夜になって、痛みで熱を出していた。カーテンの隙間から月明かりがもれていた。
僕は怒っていた。なんでいつもより遅く来たんだ。なんで後ろに立っていたんだ。
そのせいで僕は落ちて転んだんだ。
落ちていく瞬間、一瞬あの子が見えた気がした。いつものように白いシャツを着ていたような気がする。
体に触れる布団のあちこちが痛かった。
夏休みだというのに、僕は家の中にいた。
怪我はだいぶ良くなっていたが、まだ公園へ行く気にはなれなかったのだ。
あの子は僕の名前ももちろん家の場所だって知らないから、見舞いにも来ない。
僕はイライラしていた。
なにも悪いことなんてしてないのに、あいつと友達にならなければ。
布団の上でごろごろしていたとき、雲の隙間から太陽が顔をのぞかせた。
眩しさがあの公園を思い出させた。
いつも話ばかりしていた白い足のあの子。たいした返事もしていなかったが、いつも嬉しそうに夢物語のような話をしていたあの子。
一体なんて名前なんだろう。
宇宙のほうから来たとはどういうことなんだろう。
もんもんと考えているうちに、うとうとと夢の中に吸い込まれる。
蒸し暑いあの公園。むうっと香る草の匂い。
あの日落ちたブランコの横に立っているのは色白のあの子だ。
グレーの瞳で口を動かしている。いつものようなにこにこ顏ではなく、今にも泣き出しそうだ。
何を言ってるの?
僕には聞こえない。ただ、あの子は何かを伝えようとしている。大事な何かを、、
暑さでハッと目がさめる。ひどく汗をかいて、肌にTシャツが張り付いている。
勢いよく起き上がりTシャツを脱ぎ捨てる。
ベランダの物干し竿から生乾きのTシャツを着ると少しひんやりした。
日が暮れるまでにまだ1時間はあるだろう、僕は公園に行ってみることにした。
数日ぶりの公園はいつもと変わりなかったが、あの日漕いでいたブランコだけが紐でくくられ使えなくなっていた。
ブランコに近づくと、太陽の位置で日陰になっていた。あの子はいない。
今日もいないのかよ、、
自分もしばらく来ていなかったが、なんとなくあの日からあの子は来ていないんじゃないかと思った。
よくよく思い出すと、いつもあの子は僕より少し後に公園に来た。公園の入口の、右側から歩いてきていたはずだ。
僕は記憶と共にあの子の来た道を辿ってみようと思い、公園を出る。
とりあえず右へと進んでいく。だが住宅が並ぶばかりでどれがあの子の家なのかはさっぱりわからない。道すがら同じくらいの子どもとすれ違うが、あの子の顔はどこにもなかった。
大きな通りにぶつかる。
正面には『青少年宇宙記念館』とかかれた古い施設が建っていた。『宇宙』という文字になにか可能性を感じて近づいてみる。
大きな入口に手をかけるが鍵がかかっていて入れない。ガラスの扉の奥を覗くと、大きな大きな地球が丁度2つに切られた片方が床からぽっこり出ているのが見えた。
あの子はここから来ていたのか?いつも宇宙の話をしていた。宇宙のほうから来たとも言っていた。
だが閉館時間が過ぎた施設は静まり返り、そもそも営業してるかも怪しいほどだった。
次の日も、また次の日も僕は宇宙記念館に足を運んだ。どの時間に行っても開いていないところを見ると、もうとっくに潰れているようだ。
ここに来る間に公園の前を通過するのだが、あの子の姿はなかった。
あんなに毎日遊んでいたのに、一体どこへいったんだろう。僕に怪我をさせたことを悔いて、遠くへ行ってしまったのか。
そんな毎日を送るに連れて、二学期が近づいて来た。
なんとか夏休みのうちにもう一度あの子に逢いたくて、名前を聞きたくて、とにかく探し回っていた。ぼくはすっかり日焼けをして、風呂に入るたびにヒリヒリした。
夏休みも最後の1日、母親にはっぱをかけられ午前中に残りの宿題をなんとか終わらせ、半ば諦めつつも公園に向かった。怪我はすっかり治っている。
その日はあの怪我をした日と同じように風もなく、ぬったりとした暑さだった。日差しが強い。
家から5分ほどのいつもの公園。あの子はいない。だがブランコの縄ははずされていた。
久しぶりに漕いでやろうとブランコの右側に立ち、少し怖さを感じつつ体を前後に揺らす。膝を曲げて速度を上げて行く。空は雲ひとつない快晴で自分の作り出した風を感じると気持ちがふわっと高ぶった。
ぐんぐん漕いで僕と空と地面の距離が行ったり来たりしていたとき、ふとブランコの天井の柱の傷に気づいた。
尖った石か何かで傷つけたような文字で、『ごめんね』とかかれていた。
一瞬チェーンから手を離しそうになるがぐっと力を入れる。
行ったり来たり一生懸命ブランコを漕いでその文字を必死に見つめた。
あの子が書いたんだ。
あの子のことは何も知らない。あの子が書く文字など見たこともないが、これはあの子の言葉だ。
夢を思い出す。繰り返し口を動かして言っていたのはこのことだったんだ。
勝手に合点がいって、夢のあの子に声がつく。か細い高い声で、ごめんねと何度も繰り返している。
ガタンッと勢いよく立ち漕ぎをやめて、まだ速度のあるブランコに座り足を投げ出す。
涙が出てきた。
あの子はあの日もちゃんと公園に来たんだ。
僕に会いに来て、怪我をさせようなんて思ってもなくて。
いつも空ばかり見て、ブランコを漕いでる僕を驚かそうとでもしたんじゃないか。
ブランコは速度をなくし着地した。
僕は声を出さずに泣いた。
あの子のせいにしたからだ、だから、いなくなってしまった。
僕のせいだ。
ブランコのチェーンを握りしめる。ひんやりとした鉄が熱くなった手を冷やす。
すると、なんだかいつもと感触が違うのに気づいた。
涙を袖で拭いて、よくよく感触を確かめる。
いつもはゴツゴツして、錆び付いた匂いがしていたのに、新しいブランコのようにつるつるとしていた。見上げるとブランコを吊るす部分も銀色に光っている。
夕方になり頰がひりひりした。
泣きはらした顔で家に帰ると、僕の事故以来ブランコは新しいものと取り替えられていたことを母さんから聞いた。
僕の落ちたあのときのブランコはサビがひどく、吊るすぶぶんが朽ちかけていたんだそうだ。
あぶない!
そう叫んだあの子の声が聞こえてくる。
気づいたんだ。このブランコが危ないということに。だから止めようと後ろに回ったのだ。僕を助けようとしてくれたのか、、
あれから月日がたったけれど、あの子の姿は一度も見ていない。どこに行ってしまったのか、このあたりの子だったのかもわからない。
ただ僕は今もあの子に会いに公園へ行って、ブランコに乗る。
もちろんあの子は来ない。けれど空を見上げると、柱にある君の言葉が見えるから、僕はブランコに乗り続けるんだ。
こうしていたらまた、いつか宇宙に届くかもしれないから。