勇者と逃亡の姫君2
「やはり来たわね……ワイアード。」
魔光石の明かりにより二人の顔がはっきりとわかる。どちらもその表情に感情が表れてはいなかったが。
「その様子だと、俺が来るのがわかってたみたいだな。」
ただ淡々とベーベルに話かけるワイアード。それと同じように素っ気なく言葉を返すベーベル。
「分かっていた訳じゃないわ。ただ可能性として考えていただけ。前にこのラシェル王国にいたあなたならこの場所を知っているんじゃないか、ってね。」
そう、そのためにベーベルは比較的に安全であるはずの倉庫の前でエリーゼを待たせたのだ。以前、彼女を共に見守ってきた男がここに来ることを見越して。
「成る程な。じゃあ、わかってんだろ? 俺がここに来た理由。」
「現グレイド王の忠実な右腕が、お嬢様を拐いにやって来た。それだけのことだわ。」
ラシェル王国に並ぶ、もうひとつの大国、グレイド帝国。そのトップ3に入る存在、それがこのワイアードという男なのだ。そしてそんな実力者が直々に遂行しなければいけない任務。いかに大事な事柄かが伺える。
「……なあベルベル。本当に降伏する気はねぇのか? あんたらには借りがある。出来れば傷つけたくねぇんだよ。」
声に少しの感情を混ぜながら投降を促すワイアード。しかしベーベルはただ首を横に振るだけ。
「恩を感じているのなら大人しく見逃してくれないかしら?」
「本当ならそうしてやりてぇが、今回ばかりは厳しいな。」
ワイアードもまたベーベルの言い分に応じない。互いに引けない所があるのだ。仮に沢山の時間があっても二人の結論は変わらないだろう。逃走か捕獲か、二つに一つ。
「……そう。なら無理矢理にでも突破させてもらうわ。」
静かに、しかし素早く。言葉を言い終わると同時に腰に着けてあった石のようなものをワイアードの周りにばら蒔くベーベル。辺りに散らばった石は瞬く間に光りだしワイアードの周りを長方形の膜のようなもので覆う。
「雷の魔力を込めた結界石か。ずいぶんと用意周到だな。」
ワイアードの言った通り、彼の周りに張られた結界はバチバチと音を出していて触れればひとたまりもないであろうことが想像できる。
「これで水属性の魔法をあなたは使えない。剣での攻撃も不可能。だから大人しくしていて頂戴。」
この世界には属性の絶対的相性がある。火が水に弱いように水は雷に弱い。それもただ弱くなるわけでは無い。相性の悪い魔法はほとんどその能力を無効化されてしまうのだ。だから、仮にワイアードが結界内で水の魔法を行使しようとしても雷で守られている結界にはほとんど効果がないのである。また、剣での斬撃は雷の結界により感電を起こす。ワイアードは剣と魔法、両方を封じたのだ。結界石は希少価値が高く、発動時間も十分程度と短く使い所が難しい。事前にワイアードが来ることを考えていた準備していたベーベルの作戦勝ちといえよう。
一気に状況が不利になったワイアード。だが、その表情に変化は見当たらない。ただ、上を見上げてつぶやくのみ。
「昔を思い出すなぁ、ベルベル。お前と喧嘩した時はいつだって俺の一つ先を考えていて、そのたびに負かされてたっけな。けど、まあ、今回はどうかな?」
見上げた顔を元に戻し、ワイアードはベーベルを見つめる。次の瞬間、彼の右腕から何かが振るわる。ビュンといった素早くも豪快な音がなりそして――――。
雷で作られていた結界は、一撃のもと、真横に切り裂かれていたのだった。
「なっ……!? 結界が切り裂かれた!?」
結界は破られ、効果が失われる。今まで感情を表に出さなかったベーベルもこれには驚き、声を上げた。
「これがグレイドの新技術、魔断ちの力だ。強大な魔法国家、ラシェルを相手にするんだ。これぐらいはな。」
先程結界を切り裂いた得物を肩に担ぎ、悠々と語るワイアード。彼が手にしていたのはファルシオン。切っ先の方が幅広く作られている片刃剣だ。
「くっ…………!」
ベーベルの顔が険しくなる。彼女も、このグレイドという国が何も考えずに攻めてきたとは考えていない。しかし彼らが魔法を無力化する方法を編み出していたのは予想外だった。
一歩ずつゆっくりとベーベルに近づいていくワイアード。
「……まだだわ。」
ベーベルの身体の周りに光が宿る。稲妻のような黄色の光。魔法で肉体を強化する、強化魔法だ。
目にも止まらぬ速さでワイアードとの距離を詰めるベーベル。隠し持っていたダガーを振りかざす。
狙うは足。負傷させ、動きを鈍らせれば逃げるチャンスが生まれる。だが、ワイアードはそれを許す程甘い男ではない。ダガーを切りつけるその瞬間、水の障壁がワイアードを覆う。滝の様な水の障壁がベーベルの攻撃を遮る。
水の圧力に押されながらもなんとか後ろに後退するベーベル。作戦は失敗し、近距離での攻撃も効かない。そんな状況下でも彼女が諦める素振りを見せる様子はない。
――彼女には命を懸けてでも守らなくてはいけないものがある。だから諦めない、屈しない。
ベーベルのその様子を見てため息をつくワイアード。
「……どっちにしろ、あんたらは袋の鼠だ。俺の命令で待機していた部隊がそろそろここに来る。そうなれば全て終わりだ。」
(せめて、お嬢様だけでも!)
それを聞いたベーベルは急いでエリーゼの方に向かう。
「させねぇよ。」
倉庫の入り口のドアの前に大きな水の障壁が現れる。先程ワイアードを守っていたのと同じものだ。必死に突破しようとしても水の圧力により前へ進めない。
「きゃっ!」
ドアの向こうから悲鳴が聞こえる。
「お嬢様っ!」
「どうやらウチの連中が到着したよだな。」
エリーゼの悲鳴を聞いて自分の部隊が到着したのを悟るワイアード。
「これでチェックメイトだ。大人しく投降してーー」
ワイアードが言い終わる前に突如として吹き飛ぶドア。それと同時に飛んでくる一つの影。
「ぐふぉ!」
その影はワイアードが出した障壁の前で止まり、うつ伏せに倒れる。その影の正体は紛れもなくグレイドの兵士だった。
予想外の静まり返る室内。そしてそれを打ち破るように一人の男が姿を現す。
「安心せい! 峰打ちじゃ! な~んてね。一回、言ってみたかっただよね~。」
見た目はグレイド兵士の格好をしているが言動や態度が明らかに兵士のそれとは違っている。
「……ウチの兵じゃねぇな。誰だテメェは?」
ワイアードの質問に男はにやりと笑って答える。
「異世界から来た、伝説にして最高の勇者、スズハラユウキだ! ……忘れていいぞ!」