勇者と逃亡の姫君1
一人の人物が注意深く辺りを見渡し道を進む。顔はフードにより見えないかが動きやすくも丁寧に作られている服装からは気品が感じられる。それもそのはず、彼女はこの国の第三王女エリーゼ・アレクサンドライトなのだから。
現在、表通りは多くの人々であふれ賑わっている。ちらほらとグレイドの兵士はいるものの彼女の姿を捉えることはできてない。それを確認しながら慎重に、しかし急ぎ足で、とある場所に向かっていくのだった。
やがて通りに存在する一つの民家で立ち止まるエリーゼ。この時、彼女は城での会話を思い出していた。
『必ず、また会いましょう。』
自分の大切な従者との約束。城から逃げ延び、この場所で落ち合おうと。そう言ってくれた従者はエリーゼが逃げる時間を稼ぐ為に単身、グレイド兵のいる方に向かっていってしまった。
彼女はきっと大丈夫、そう思ってはいても心配せずにはいられなかった。
従者の身を案じながらも、とりあえず家の中に入ろうとするエーゼ。恐る恐るドアを開け、周囲の確認をする。灯りが無く、日差しも当たらないこの家の中はすこしばかり暗い。エリーゼが恐る恐る一歩を踏み出し、家に入る。
その瞬間、エリーゼの死角から伸びる腕。勢い良く引かれたそれは彼女をその死角へと引きずり込む。驚き、声を上げそうになるがそれさえも許されず、口は相手の手によって塞がれる。
彼女を支配した恐怖という感情。しかしそれも次の瞬間には消えた。
「――お嬢様。」
エリーゼにとって聞き慣れた、自分の名を呼ぶ声。城で別れた従者の姿がそこにあった。
「ベル! 良かった、あなたが無事でっ………」
エリーゼよりも少し高い身長、褐色の肌に一つに纏められた黒髪。エリーゼの従者、ベーベル。その姿を見た彼女はベーベルに抱きつき再会を喜んだ。
「お嬢様も良くご無事で。お怪我等はございませんでしたか?」
慈愛に満ちた青色の瞳がエリーゼを見つめる。エリーゼもコクりと頷き互いに無事なのを確認する。
エリーゼの安否を確認したベーベルは彼女に付いてくるようにと促す。
家の奥に進んでいく二人。
「お嬢様、この建物の地下には森に通じる道があります。そこからこの国を脱出しましょう。」
そう、この民家は元々から人が住むために建てられたものではない。もしもの為の脱出経路の一つとして作られたものなのだ。そしてこの経路はある森へと続いている。
「森……魔霧の森、ですね。確かにあそこなら追っ手を撒けますが……本当に大丈夫なのでしょうか。」
――魔霧の森。ラシェル王国の北に広がる森林地帯のことをそう呼ぶ。年中霧に覆われ視界が悪く、森もいりくんでいるため昔は多くの人が迷い、帰って来なかった。今ではその危険性が知れ渡り、ラシェル王国の南にある港から人が来るようになっている。そんないわくつきの森を進まなければないのだ。エリーゼが不安がるのも無理はない。それを知ってか、ベーベルははっきりとした口調でこう言い放つ。
「海岸側がグレイド帝国によって掌握されている以上、脱出できるルートはこの魔霧の森しかありません。あの森は確かに危険ですがグレイドの兵を退けるのには便利な場所です。それに比較的安全な道筋も私が存じております。万が一何かが起きたとしてもお嬢様のことはこのベーベルが命を賭けてお守り通します。」
「ベル…………。」
王女は改めて痛感する。彼女がどれだけの決意を持って自分に付いて来てくれたのかを。
「さぁ行きましょう、お嬢様。早くこの事実をサーシェス王に伝えなければ。」
森から北西に大きく進んだ場所にサーシェス王国という国がある。そのサーシェス王とラシェル王国の王妃は兄妹、つまりエリーゼにとってサーシェス王は親族であり叔父さんなのだ。 ラシェル王国の現状を知れば必ず力になってくれる、その思いでエリーゼ達はサーシェス王国を目指しているのだった。
「……ええ!」
弱気になる心を奮い立たせて前を向くエリーゼ。気づけば視線の先に扉が見えていた。
「お嬢様、ここでお待ち下さい。念のため、私が良いと言うまで扉を開けないでくたさい。」
「わかりました。」
この扉の先には保存食や旅先で必要な道具が保管されている倉庫がある。勿論、これらはいざというときのために準備されていたものである。広さも十分ありここで何日か過ごすこともできる。
ベーベルが扉をゆっくりと開け、中に入る。魔光石という微弱な魔力でも一日中あたりを照らすことができる石がこの倉庫には備え付けられている。明かりをつけるため、向かって右側にある石の元へと歩く。
魔光石に触れ、魔力を与える。すると石は太陽のような輝きで光だした。部屋全体が明るくなり物が鮮明に見えるようになる。
エリーゼの元へ向かおうとするベーベル。しかし、
「よぉ、久しぶりだなぁベルベル。」
室内に響き渡るその声がベーベルを呼び止める。
「…………ワイアード・パーカー。」
彼女の視線の先、そこに立っていたのは黒い軍服に身を包んだ一人の男だった。