プロローグ 勇者とやれずじまいのゲーム
突然だが、今日は彼にとって特別な日だ。
理由は単純、彼が待ちに待ったゲームが今日発売されたからだ。
仕事から帰ってきた彼は意気揚々とマンションのドアを鍵で開ける。右手にはゲームソフトが入った袋が。
彼は軽やかな動きで自分の部屋にソフトが入った袋を置き、クルクルと踊る様に回転しながら浴室へと向かう。
まず、猛烈な速さで服を脱ぐ。それはまさに稲妻のごとし。
次に、先程とは対照的に鼻歌を歌いながらゆったりと湯船に浸かる。十分後、風呂から上がった彼はまたしても圧倒的な速さで服を着る。そのまま氷の上を滑るような滑らかな動きで自分の部屋の前にたどり着く。
高鳴る鼓動。それは彼が子どもの頃、確かに持っていたキラキラとした、ワクワクとした感情で。それを再び呼び起こしてくれたゲームがドアの向こうにまっている。そう思っただけでなんだかもう彼の気持ちは胸一杯だった。
さあ、作ろう、新しい分身を!戦おう、新しいモンスターと!立ち向かおう、新しい武器で!走りだそう、新しいフィールドを!味わおう、感動の物語を!
「いざ行かん! 新しい冒険の世界へ!」
満面の笑みで彼はドアを勢い良く開け、部屋に飛び込んだ。
そこには、部屋の真ん中にテレビが置いてあって、昨日から入念にセッティングされていたゲーム機があって、机には少し前に置いた念願のゲームソフトがあって。そんな自室の光景が存在して…………いなかった。
テレビも無ければゲーム機も無い。机も無ければ本棚も無い。というより何も無いのだ。正確には無くなっている、というのが正しいのだろうか。
その空間には見渡す限り暗闇しかない。
「え?」
笑顔のまま、まったく状況の掴めない青年。彼の悲劇はこれから始まってしまう。彼の真下に暗闇からポッカリと白い穴が空いたかと思うと物凄い力で彼を吸い込みだした。
「えぇぇぇーーーー!?」
なされるがままに穴に吸い込まれていく青年。掴む物も無く抵抗しようがないこの状況。彼が完全に穴に吸い込まれる寸前、この世界に残した最後の言葉は、
「ま、待って! ゲームだけでもやらせてくれぇぇぇぇーーーー!」
心からゲームをしたいという、ゲーマーの、魂の叫びだった。
こうして、彼、鈴原 友貴は異世界へと連れていかれるのであった。
ーー再び。