幸せな殺人鬼
「僕がどんな約束をしたか教えてあげようか」
現在――あれから七年が過ぎて、少しも変わらない彼は言う。
あの時、瞬間から変わらない、血にまみれた姿で笑って言った。
「この空き地はね、ず~っと昔は学校だったんだって。町の人が覚えてないぐらい、昔のことでさ。そそれでそれで、その学校には《神様》がいたんだって」
「……突然、何の話を」
「学校がなんやかんやで無くなっちゃって、神様もその役目を終えちゃったんだけど、まだちょこっと力があるみたいで。自分と同じように居場所を求めている僕に同情してくれて、時間を止めてくれたんだ。いやぁさ~、この空き地いろいろな噂があったけれど、そのせいだったんだね。その話を聞いた時、すごく納得できたよ」
「何を言っているのか、わからないんだけど」
「いいよ、わかんなくても」
意味不明なことを好き放題に行って空を仰ぐ、顔に張り付いた微笑み。
私達と出会ってから手に入れた表情を、彼は片時も剥がそうとしない。
辛い時も、悲しい時も、怒っている時も、もうどうしようもないくらい辛いはずなのに――親を殺してしまって絶望している時も、瑛人は笑ってた。
「……悲しいときは、泣けばいいのに」
「懐かしみたかったら素直に言えばいいのに」
私の言葉を取ったように瑛人は言う。
「戻りたいって、あの頃はよかったって、さぁちゃんは素直に言ってもいいんだよ」
「そんなの」
言えるわけがないじゃないか。
あの時、私達は幸せだった。
何も知らず、何も見えていないだけだったのに、その幸せが本当だと思っていた。
無知だからこそ、自己中心だったからこそ、浸っていられたその幸福を、今でも同じように感じられるとは思えない。
――素直に昔を懐かしめる奴は、自分が何も知らなかったことに気づいていない奴だけだ。
自分が変わってしまったこと、戻ったって同じ幸せを享受できるはずがないことを、見ないふりしている愚か者だ。
私は《あの頃の私》には戻れない。
戻ってはいけない。
「俺は幸せだったよ。いや――幸せだ。だって、俺はずっとここに居られるんだもの。変わることなく、皆と過ごしたこの場所で、変わらない、同じ幸せに浸っていられる。俺は幸せだ」
繰り返す。
《幸せ》という言葉を。
価値も意味も知らずに、言い聞かせるように。
「幸せだよ」
真っ赤な姿で。
何もかもを受け入れて。
「だから、俺は最後にさぁちゃんに謝らないといけないんだ」
「何を?」
「えっと、さ……これ」
ズボンの尻ポケットから取り出したそれを、私に見せつける。
赤い色がこびりついた、二つの刃。
少しくすんだ黄色い持ち手の色が、とても懐かしい。
「ごめんね。俺はこれを最悪なことに使った」
思い出のハサミ。
幼いころに皆の髪をこれで切ってあげていた。
私のハサミ。
「テントに置きっぱなしになっていたから……つい……使っちゃって。ごめんね」
申し訳なさそうな声。
気まずそうに、ハサミを持っていない手で頭を掻く。
謝るときも笑っているんだね?
気づいてないんでしょ?
――もやは、病気だね。
「ハサミ、何に使ったの?」
「えっと……さ」
「――やっぱり、言わなくてもいいや。全部知っているから」
「え……」
瑛人がぽかんとした。
中途半端に空いた口のせいで、ひどいまぬけ面になっている。
「知ってた。だから、謝る必要なし」
「え? あ、あれ? 知ってたの?」
「陽子に聞いた」
「あぁ……」
その答えに、ため息を吐くようにして瑛人は納得した。
「確かに、ようちゃんには見られちゃったんだよね。俺が何をしているか。ようちゃんには、本当にひどいものを見せちゃったなぁ……」
そう言いきらないうちに瑛人はすとんと腰が抜けたかのようになって、地面に座り込んだかと思うとそのまま仰向けに寝転がった。
空を仰ぐ。晴れやかな青空を、変わらない美しさを、微笑むように見て。
「ごめんね」
ここにはいない、あの子への言葉。
「ようちゃん、ごめん。ごめんね。こんな化け物でごめん。俺たちのあの楽しい記憶が詰まったこの場所を――汚してごめんなさい」
目に手を当てて。泣いてるわけではないだろうが、呟き続ける瑛人を無視して、私はテントへと歩み寄る。
瑛人は止めなかった。
今まで絶対に見せなかった青いテントを私は開く。
青を塗りつぶす赤。
幼い私達が過ごした場所にあるのは――死体たち。
見たことがある瑛人の父親と、写真でだけ見た母親が手を繋いだ状態で、無理やり体を折り曲げて入れられていた。他にも二体、全く見覚えのない男たちが畳まれていた。
その肉は新鮮だった。
触ればまだぬくもりが残っているようだ。
てらてら光る赤い血が、生々しい。
苦悶を浮かべた表情が、腹立たしい。
お前らが――瑛人を壊したくせに。
「…………これで全部?」
「……うん」
「あの日から、何人か減ったんじゃないの?」
私は瑛人がしていたことを知っていた。
だからこその問いだった。
瑛人は簡潔に言った。
「俺が殺したのは四人だけだよ。何度も何度も食べたけど、ここは時が止まっているから――減ることなんてない。なくならないんだよ」
鬼。
殺人鬼。
陽子がそう言ったとき、私はその呼称に疑問を持った。
瑛人が死体を食べていた。
私のハサミを使って、死体を切り刻んで。
瑛人は隠そうとしていたが――うっかりそれを目にしてしまった陽子が、恐怖のあまり半ば叫ぶようなにして私たちに訴えた。
瑛人は殺人鬼なのだと。
きっと私達も殺されて、食べられてしまうと叫んだ。
崇は顔を真っ青にして硬直していた。
私は――。
「この男の人たちは?」
「俺を売ろうとした人たち、俺を殺そうとした人たち、俺に酷いことをしようとした人たち。別に殺したいとか思ったわけじゃなかったけど、この場所まで追ってきたから、つい」
うっかり、みたいな感じで言うな。
「何で食べちゃったの?」
「……うーん、なんでだろう? 俺の《時》はあの時のまま止まっているはずなのに、お腹だけはやたら減るんだよねぇ。どうしようもなくお腹が減って、苦しくて仕方なくて、でも俺はここから離れたくなくて……。どうして、食べちゃったんだろうなぁ」
それは確かに変な話だ。
何で瑛人が人を食べなければなかったんだろう。
神様とやらが失敗でもしたのか。
――神様なら、ちゃんと瑛人を救ってよ。
こんな形じゃなくて。
「おかしーな」
瑛人がぼやいた。
手を目に当てたまま、ただ口元だけで馬鹿みたいに笑ってる。
「だったら、なんで今までさぁちゃんは俺の所に来てくれていたの?」
「だったら、って……どういう意味?」
テントを再び閉じながら、私は聞いた。
瑛人は少し言葉に詰まったけど、きっぱり言った。
「俺がこんな化け物だってことを、知らないから来てくれているものだと思ってた」
「だって、友達でしょ」
瑛人の横に私もごろりと寝転がる。
空が綺麗だ。
澄んでいて、目に痛いほどに。
瑛人から漂う血の匂いだけが、少し鼻に付いた。
「私は瑛人の友達だから。他に理由はある?」
「……」
瑛人は黙っていた。
おしゃべりな奴のくせに、珍しい。
私だって、私のことが不思議だ。
実感がわかないというのもあるが、でもこうしてハサミを見せつけられて事実を示されたというのに、どうして私は冷静でいるのだろう。
こんなに穏やかな気持ちで、瑛人と向き合えているのだろう。
人を殺した――何でそんなことをしたの?
人を食べている――意味がわからない。
陽子が言ったように――私も殺されて食べられてしまうかもしれないのに。
そういう鬼に瑛人がなってしまったかもしれないのに、まったく恐怖を感じない。
きっと、思考を止めているのだ。
現実を受け止めきれていない。
一種の現実逃避。
あの時も今と一緒の心境だったのだろう。
陽子が泣き叫んでて、崇が青い顔で硬直している時に、私だけがいつも通り、いつもの調子で言えた。
『殺人鬼って、その言い方はないでしょ』
『それでも――瑛人は私たちの友達なんだから』
それが、私が瑛人の傍に居られる理由。
実はこの話は、自作『カニバリズム・イン・スクール』とリンクしています。
どちらが本編と言うわけでもなく、時系列とか細かいことをはっきりさせるつもりもありませんw
もともとこういう展開にするつもりではありましたが、自作同士をつなげるのが初めてなので、どこまでしていいのかちょっとわかりませんでした(汗
意味わからん! もっと知りたい! と言う方が、もし!もし!いらっしゃいましたら、『カニバリズム・イン・スクール』も呼んでいただけたら嬉しいですw(いるのかな~(汗)
まだ少し続きますので、更新遅くて申し訳ありませんが、よろしくお願いします。