振り返らない人々の話
「じゃあ、俺はもう帰るわ」
「本当に瑛人に会わなくてもいいの?」
「それは、吉井に任せる」
任せられても困る。
「瑛人がここから出られたらさ、今度こそみんなでどこかに食べに行こう」
「本当に……そんなことができるのかな」
ぽつりと出てしまった言葉。
撤回する前に、首を傾げた崇が問う。
「何が――」
「瑛人がここから出ることなんてできるのかな?」
瑛人に聞こえているのはわかっている。
でも、止まらなかった。
あいつと私は一緒だ。
「崇も知ってるでしょ? あいつは」
あいつにはここしかないのに――
「それでもずっとここにはいられないだろう」
取り乱してしまいそうになった私の肩に、そっと崇は手を置いた。
思っていたよりも大きな手に驚く。目線の違いに、目を見張る。
こんなに変わってしまっていたんだ。
私達は。
「……大丈夫だよ。吉井が心配する気持ちもわかるけど、瑛人がここに居られるのは今日までだ。嫌でもこっちに帰ってこなくちゃいけない。その時――あいつを支えてくれるのは、お前だけだと思う」
「私に……何を期待してるの?」
「期待じゃない。お前だけだっていうのは確信を持って言ってるんだ。こうなってしまった後も、今も、変わらずに瑛人に接することができたのはお前だけだ。あの時、俺も、佐々木も――」
「崇は……崇は違うよ。崇は」
陽子みたいなことは。
「……俺も、佐々木と同じことを思っていた。でも、俺は臆病だから、怖くて見ないようにしていたんだ……その時点で、俺は瑛人を見捨てていた」
肩を掴む手に力がこもった。
震える声に、不器用な笑顔。変わらない崇の部分。
「悪い。俺には瑛人を救えない」
涙を流さないのは、いつものことだね。
「ごめんな、瑛人。こんな友達で」
そんな潤んだ目で言われても、私には何もできないのに。
最後に青いテントをわずかに眺めて、崇は気まずそうに目を伏せて去って行った。
振り返らずに行ってしまった。
「たかぴーは優しいなぁ」
「……この、卑怯者」
後ろに立っていた瑛人の腹に、拳をふるう。
全く力のこもっていない一撃は少しも聞いてないみたいで、私は何度も拳をぶつける。
「馬鹿っ……、全部わかっているくせに。へらへら笑って……」
「うん、全部知ってる。実はね、ようちゃんも一度ここに来たんだ」
陽子が――ここに。
私の拳は止まる。顔を上げて、不自然に微笑み続けている瑛人を見上げる。
「……いつ?」
「高校の卒業式が終わった後じゃないかな、卒業証書が入ってるっぽい筒を持っててさ。それでちゃんと言ってくれたよ――『気持ち悪い』って」
その光景を幻視する。
私の目の前を霞めた髪が、風になびいている。
陽子が瑛人に向かい合ってる。全身を震わせて、顔を真っ青にして叫ぶ。
「『気持ち悪い、殺人鬼が』って、ちゃんと言ってくれたよ」
ようちゃんも、優しいね。
そんな風に言って、瑛人は笑うのだ。
全身に返り血を浴びた姿で、乾かない血を滴らせて、へらへら笑っている。
変わらない――十六歳のあの日で時を止めた姿。
×××
『陽子! 何で逃げるの? 陽子!!』
廊下を追いかけて、陽子の腕を掴むと乱暴に振りほどかれた。
『陽子……』
私を振り返る嫌悪に満ちた表情は、幼いころの陽子と全然違った。
私達の後ろをついて歩き、一番の泣き虫だった彼女は吐き出すように言った。
『気持ち悪いんだよ、あんた達』
世界がガラガラ崩れていくような音がした。
私達は親友だった。四人、仲良しで。
秘密基地で過ごした。
『瑛人、瑛人って、いつまであの殺人鬼に引っ付いてるの? 自分の親殺しちゃった奴に、何で私たちが構ってあげないといけないの? しかも……私達だけにしか見えないとか、あの場所に行けないとか……冗談じゃない。私を巻きこまないでよ!』
『で、でも……瑛人は、私達の友達で』
『友達だったよ!! でも、もうあんな奴友達じゃない!!』
振り絞った私の言葉を、陽子は全身でもって否定する。
そのまま、逃げるように走り出した彼女の背中に私は叫ぶ。
『陽子は瑛人のことが好きだったじゃない!!』
幼いころの思い出。
女子二人でしていたひそひそ話。
――わたし、えいくんのことがすきなんだ。
女の子らしい陽子を羨ましいと思っていた。
その恋心を愛しく思っていた。
陽子は振り返らなかった。
ただ一言、低い声で呟いた。
『あんな化け物、もうえいくんじゃない』
瑛人を完全に拒絶した。
それから、私と陽子の視線が交わることはなかった。
陽子は、ココに通い続ける私も同様に拒絶した。
もう――あの日は戻らない。




