既に終わった話
くだらないことだ。
とるにたらず、つまらない。
美容師の仕事なんて、そんなものだって前から聞いていた。
新人いびりなんて当たり前。
新人間での足の引っ張り合いなんて――どこでもあることだ。
よくよく考えると、美容師とか関係なく夢を追いかけるにおいて人間関係は大きな障害になる。
大きな支えになってくれる時もあれば――立ち向かうことさえ許してくれない壁になる。
私の人生においては、壁ばかりだ。
結局はそう言う事だ。
美容師なんて夢を追いかけたから――という言い訳をしたかったが、そんなの全然関係ない。
私がうまく立ち回れなかったから。
私が耐えきれなかったから。
笑顔の裏を読み切れず、仲間だと信じて裏切られてもいいなんて思えなかった。
どこにでもある人間関係の壁を、乗り切ることができなかった。
ぐだぐだ悩んで、諦めて、逃げ帰ってきた。
私には夢があったけれど、夢を叶えるための度量がたりなかった。
くだらない理由だ。
情けない。
だから。
「なんで夢を諦めて帰ってきたの?」
不思議そうに聞いてくる瑛人には教えてあげない。
「別に、大した理由はないよ。どーでもよくなったんじゃない、夢なんて?」
他人事のように嗤って、煙に巻いてやる。
「なるほど、人間関係か。それはそれは世知辛い世の中だねぇ」
「へっ!? え、わ、私は何も言ってないけど」
「いや、さぁちゃんが何かを諦める理由って毎回それでしょ?」
瑛人が知った風な口を聞く。
図星だが、それに頷けるようなことはできない。
「他に何かあるでしょ。例えば……親が死んだ、とか」
「こら。夢をかなえるための資金を援助したのに、田舎にのこのこ帰ってきたニート娘を引き受けてくれた親御さんに対して失礼でしょ」
……はい。
胸が痛みます。
本当に、実家では肩身が狭い想いに苛まれています。
他に、他には。
「えーっと……地元の人とけ、結婚するから、とか」
「そんな顔を真っ赤にして言わなくても、さぁちゃんにはまだ早いでしょ」
ね? と、まるで「お父さんと結婚したい!」と言った子供に対する言い訳のようなことを言ってくる。
「私ももう二十三歳だ。結婚してもおかしくない年齢でしょ。あんたには無縁な話だけど、私にだってそう言う話くらい」
「あるの?」
……。
「あ、ある……」
「わけがないね」
殺意を込めた視線を向けると、瑛人は怯むが口からはぺらぺら言葉が出てくる。
「だって、さぁちゃんがこうやって素で話せるのって、俺と、たかぴーと、ようちゃんくらいだったでしょ」
「それは子どものときで」
「今はどれくらい増えたの?」
……小学校からの友人であり、瑛人と共通の知人である斎藤崇と佐々木陽子以外には、中学校で二人、高校で一人、専門学校で……
その全員、誰とも今では連絡を取っていない。
もちろん、恋人なんて……。
人付き合いが苦手な私に、人と触れ合う美容師なんて――。
思考がそこに行きついてしまい、気分が重くなる。
何も言えずに、口を閉じていると。
「知らない人の前では借りてきた猫みたいになっちゃってさ。やれやれ、もう大人のくせに、ちっとも変わんないなぁ」
その言い方にカチンと来て、私は鼻で嗤う。
「瑛人だって、全然変わんないじゃん。何? さぁちゃんって。鳥肌立つから、いい加減止めてよ」
「え~、だってさぁ。さぁちゃんはさぁちゃんって感じだし。さぁちゃんはさぁちゃんだからさぁちゃんであって、さぁちゃんであるからこそのさぁちゃんでしかなく、さぁちゃんでなければさぁちゃんじゃなくて……」
「あー、うるさい! もうわかったから。何度言っても変えてくれないんだから」
言うだけ無駄だった。うるさい奴がうるさくなるだけ。
小学生の時に出会ってから、ずーっと私、吉井桜をさぁちゃんと呼ぶ。
何に拘っているのか知らないが、本当にこいつは変わらない。
「俺は変わらなくていいんだよ。だ、か、ら、こうしてテント張ってず~っとここにいるのだ」
胸を張って、誇るかのように言う。
十五年前に出会った時から変わらない、この空き地、ポツリとあるテント、そこに住み続ける変わらないこいつ――田中瑛人。
「でも――それが出来るのも、今日まででしょ」
「まぁ、な」
寂しそうに瑛人は笑った。
「昨日さぁちゃんが帰った後に、『売地』って書かれた看板引き抜いてきたんだけど、それでなんとなならないのかなぁ?」
「抜けても、現実は変わんないよ」
明日には、シャベルカーやいろんなごたごたした機械がここに入ってきて、全部ひっくり返して、崩して、ぐちゃぐちゃに壊して、それで終わりだ。
「だよね~。分かってましたよ~。……はあ……俺たちの居場所は、簡単に変わっちゃうのになぁ」
変わってほしいことだけは、変わってくれないんだよね、と。
瑛人は呟いた。
ずっと放置されていた、無駄に空いた空間。
そんなに辺鄙な場所にあるわけではないし、田舎だからといってもこれだけ広いならばいくらでも買い手がありそうだ。しかし昔ここに立っていた建物が不吉だったとか、よくわからない噂があってずっとそのままだった。
子供たちにとっては格好の遊び場だった。
それでも、ココで遊んでいたのは私達だけだった。
あの夏にこいつと出会ってから、ここは私たちだけの居場所だった。
「だけど、もう終わったんだよ。ここが、私たちだけの場所だったのは」
あんたの居場所は、もうなくなるんだよ。
いつまで、ここにいるつもり?
そう言ってあげたかった。
あの日から十五年が経った。
私は二十三歳になって、あんたよりずっと大人になってしまったのに、変わらない瑛人の姿に目を伏せる。
十六歳で時が止まったままにここに在りつづける彼は、残念だなぁと呟いていて。
喉まで出かけていた言葉を、ゆっくり飲み込んだ。