自然意思
本田歩は目を覚ました。その世界は荒れ狂う神々と悪魔が跋扈する世界。灰色の空に狂気山脈。しかしその眼下にひろがる大地は豊かで緑だった。ヨーロッパの田舎町を思わせる。
疑問は疑問を呼んだ。
なぜ俺はここにいるのか?
ここはどこなのか?
どうやって来たのか?
答えは賢者トールが教えてくれた。その老人は白い髭をなびかせて語った。
神の意志は絶対だった。
怒れる悪神が降臨するとき、地上よりもたらされる勇者。勇者は仲間を引き連れて悪神を倒す宿命を背負う。自然の意思は勇者を選択した。異界より到来する勇者は壮大な力を宿すと――
「異界より宿命を背負いし者よ、汝こそ勇者じゃ」
「俺が?」
「汝は悪神レイジングを倒すべく導かれたのじゃ。レイジングの魔の手は強靭かつ絶対。逆らえる者は限られる。勇者、剣士、闘士、銃士……」
「待て待て、じっちゃん。悪いことは言わない。あんた病院行け」
「汝は勇者じゃ」
本田歩はただの男だった。東京の高校に通う孤独な男子だった。窓際の席でいつも本を読んで、家族には偉そうだがクラスメートには口も利けない。いつも、もじもじしていて自意識など遥か彼方に消え去っていた。
その朝、高校に行く途中、ふと思ったのだった。
(このまま消えたい。できれば、痛みも感じずに)
その後の記憶はない。
自然の意思だというなら、それでいいのだ。
選択されたのが自分ならそれはそれで幸運ではないか。
「ところでじっちゃん。あんたが言う、レイジングってやつはどこにいる? さっさと倒して自由時間にしたいんだけど」
「落ち着くのじゃ。レイジングはすぐに到来するはずじゃ。きゃつは配下のドラゴンどもに攻撃を命じる。三頭のドラゴンは火を吐き、街を焼く。殺戮者どもじゃ」
「すげーな。ガチで言ってんだよな? 頭おかしいぜ」
「わしは正常じゃ。しかし汝ひとりでは冒険できぬ。仲間が必要じゃ」
「仲間?」
「旅のともじゃよ。かつての勇者たちは仲間を引き連れ冒険した。剣士、闘士、銃士」
「それはいいけどよ。かつての勇者って?」
「汝の前に冒険に出た勇者じゃ」
「そいつはどうなった?」
「死んだよ……惜しいことじゃ」
「……」
歩は騒いだ。
「落ち着け勇者よ。汝の名はなんと言う?」
「本田です。本田歩」
「ほう、異界の名じゃな。さすれば勇者の名を与えよう……ぬーん! はっ!」
トールの意思で歩はユリシーズという名前になった。
「なかなかいいじゃん! ユリシーズ! かっけーね」
レイジングの陰謀は悪辣だった。悪神は大河に猛毒を流すという。それは悪魔と悪魔に魂を売った錬金術師がつくったエリクシールという秘薬。エリクシールを摂取すると肉体に変異が生じ、たちまち悪鬼になるのだという。さながら生物兵器といったところだ。
「で、その生物兵器を阻止しろって?」
「そうじゃ、まずはエリクシールを食い止めねば」
そのとき、ひとりの男が走ってきた。
「自然の意思は聞いた。お前が剣士か?」
男は言う。
「違う。俺は勇者だ」
「何?」
「俺は勇者だよ」
「俺が勇者だ!」
「?」
「なんということじゃ! 自然の意思の何たる残酷!」
二人の勇者は立ち尽くした。
「これは変質現象と呼ばれるものじゃ。太古に一度だけ観測され、それ以来なかった。だが、今再び起きたのじゃ!」
「?」
「自然意思が変質し、勇者の導きを複製したのじゃ!」
「つまり?」
「あらゆる世界より、勇者が集結しておるのじゃ!」
「いいじゃん! そのほうが強いじゃん!」
「ならぬ! 勇者は自然の意思に沿って、ひとりと決まっておる! したがって変質現象で導かれし、あまたの勇者は互いに殺し合い、強者のみが勇者となるのじゃ!」
「まさか、馬鹿言うな、じっちゃん。あんた、大丈夫か?」
と振り返ったとき、目の前の男はすでに刀を抜いていた。
「自然の意思が貴様を殺せと言っている」
「おいおい! やめろって!」
自然の意思の何と残酷!