姉妹
「まぁ、しっかりとしたお嬢さんね。」
髪を撫でる大きな伯母さんの手。
私は、甘えた子供ではいられない理由があった。
2つ下の未菜は、十歳の私から見ても美しい妹だった。
それは、じわじわと自分の存在意義を侵蝕していくにちがいない。
私は幼い心の中で、はっきりと感じとっていた。
自分に出来る、残された手段は、いいお姉さんでいる事だけだった。
大人は妹を
「かわいらしい娘さん」と褒めたたえ、とってつけたように
「しっかりしたお姉さん」
と私をフォローした。
子供はそれ以上に残酷だった。
兄は、妹ばかりを可愛がったし、私をブスと罵った。
父親は、子供の悪ふざけと、笑っていたが、私は十分に傷付いた。
妹が、父親の
「黒く豊かな髪と、筋の通った鼻」
母親の
「白く透き通る肌と柔らかい目元」
という、両親の良いところだけを受け付いでいるのに対し、私は、天然パーマで、浅黒い肌、一重瞼、といった明らかに両親の魅力的でないところばかり受け継いでしまっていた。
自分が、明らかに劣っているという確信を得た時、やはり隣で妹は華のように微笑んでいた。
「未菜ちゃん、何の絵を描いたの?」
「お姉ちゃんと花火をしている絵よ。」
妹は、恥ずかしそうに一枚の絵を私にくれた。
姉妹は仲良く手を繋ぎ花火をしている。
妹は内気で優しい性格に育った。
中学で同じ制服を身につけると、姉妹の器量の差は際立った。
その事を恥ずかしく思う、私を気遣ってか、妹は、わざと髪を寝癖のままにしたり、チグハグな丈のソックスを履いたりした。
それさえも、妹の愛らしさを引き立てていたけれど。
私は妹が好きだった。
妹も私を慕ってくれた。
でも見えない壁のような、よくわからない遠慮のような、何かが私たちの間には、常にあった。
それは、私の醜い劣等感が作り上げたものだろうか。
妹は着実に美しくなっている。
そう、妹自身がそれを意識しなくとも、時間が、周りの賞賛が、一人の可憐な少女を磨きあげているのだ。
私は、その姿を、誇らしいような、妬ましいような、取り残された気分でぼんやり見つめるのだ。
妹が美しくなればなるほど、私たちの仲は憂鬱に静かに拗れた。
それは、
「選ばれた人間」
と
「選ばれなかった人間」
に与えられる世界の差で、交わることは一生ないように思えた。
私は、いじけた人間にならないよう、せめて心だけは綺麗でいよう、と、言い聞かせて、勉強や家の手伝いに励んだ。
「未菜は、可愛いし、性格もいいし、絵の才能もある。本当によく育ってくれたねぇ。」
「お姉ちゃんの方は心配だねぇ。あの子にも何か一つでも、才能があったらね、あの子には何にもないから。」
ある夜、私の耳に両親の話声が入った。
---何にもないから。
目の前が真っ暗になった気がした。
私を支えていた小さな足場が一気に崩れ去っていくような。
周りの他人たちが認めてくれなくても、
両親だけは、お父さんとお母さんだけは、
私を認めてくれると思っていたのに。
妹と比較せず、私も一人の娘として見てくれていると思っていたのに。
私は、自分の部屋に戻り、堪えきれずに涙をこぼした。
私が、醜いからいけないのだろうか。
私から、必死に押さえつけていた、劣等感や惨めさや妬みや哀しみや色んなものが溢れ出してくるのが分かった。
私が認められる事などないのだ。
私には何にもないのだから。
机の引き出しから、妹に初めて貰った絵を取り出す。
幼い私たちは、笑って手を繋いでいる。
私はそこに描かれた
「自分」
を鉛筆で塗り潰した。
何度も、何度も。
私は所詮、妹の影でしかないのだ。
涙で、藍色の空が滲んだ。
次の朝、私はいじけた気持ちで朝食を食べた。
家族は、私の気を知ってか、知らずか、平穏そのものだった。
ただ、妹だけが不安気に、私を見据えた。
「お姉ちゃん、ちょっと。」
学校へ向かう途中、妹は私の腕を掴んだ。
「寄り道しましょうよ。」
通学路から、少し離れた所にある小さな公園。
「懐かしいね、小さい頃よく来た。」
錆びたブランコをキィと軋ませて、私は目を伏せた。
妹は隣で、勢いよくブランコを漕いだ。
セーラーが風に軽やかになびいている。
「お姉ちゃんさ、昨日何かあったの?」
揺れるブランコを掴む華奢な細い指、太陽を反射するかのように白く輝く太股を、じっと見つめる。
「なんだか、未菜ちゃんが、羨ましくなっちゃって。」
私は、ゆっくりと、今まで押し殺してきた言葉を呟いた。
「私には、何にもないんだもん。」
それでも、私を覆う暗い感情を鎮めるために、靴先で、雑草を何度も踏み潰す。
妹は、キィと音を立てて、ブランコを止めた。
「私は、お姉ちゃんが憧れだったな。
お姉ちゃんみたいになりたかった、ずっと。」
「・・・嘘、」
私には無いもの、いっぱい持ってるのに?
「私の中で、お姉ちゃんは絶対的な存在だった。今でも、お姉ちゃんを尊敬してる。優しくて、真っ直ぐで、すごく綺麗。」
泣きたくなった。
自分自身を何者とも比較せずに、認めてくれたのは、妹が初めてだったから。
あぁ、私はもう少しで、この美しい理解者を憎むところだったのだ。
「未菜ちゃん、貴方は私の大好きな自慢の妹よ。これからは、もっといいお姉ちゃんになってみせるわ。ごめんね、ごめんね。」
私は、愛しい妹を抱き寄せた。
私は、影ではない。
私たちは、今、本当の姉妹になったのだ。