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紫陽花

北海道の初観光を終えて数日が経った。


夕弦は神威史利から教えられた木野伊家の情報を元に一人の人物を訪ねていた。

同じ時、夕矢はいつものように三嶋悟のオフィスに出社し悟から宝石の事を聞いていた。


宝石鑑定は天然宝石自体を知らなければならない。

いわゆる特徴である。


悟は本物の宝石を入れたアタッシュケースを棚から出して実際に夕矢に触らせながら細かく説明を行った。


同時に天然宝石以外にどんなものがあるかも教えられた。

合成宝石。

人造宝石。

模造宝石などだ。


悟はそれぞれを触らせながら説明し

「宝石鑑定には協会やグループ、団体があるからその辺りの主なところも知っておいた方が良いな」

GIAやCGL

「他にもJTLなどな」

と告げた。


細かい説明を受けながら夕矢はメモを取りふぅと息を吐き出した。

勉強になるが結局のところ

「色々あるんだなぁ」

が主な感想であった。


悟は彼の言葉に笑いを零し

「まあ、何よりも一番は本物に触れていくことだな」

と告げた。


その日の夜。

悟の元に洞爺湖にある美術館から警備護衛の依頼が届いたのである。


写真推理


洞爺湖の外周には幾つかのキャンプ場とホテルが点在し、その中には少し離れているが山の上から洞爺湖を望む高級ホテルもある。

山と言っても山脈ほどの規模ではないので道も整備され森林もきっちりと管理されていた。


緑とその向こうに洞爺湖が見える絶景ホテルである。

そのクライトンヒルズ洞爺湖は隣に美術館も併設しており悟に警備依頼をしてきたのもそのホテル併設の美術館であった。


建物はドーム型の屋根をした円形の一階建てだが建坪は広かった。

スペース的にはゴッホやルノワールなどの有名な画家の絵が数点飾られたスペースと日本の画家の絵が飾られたスペースと北海道の若手画家のスペースとに分かれていた。


北海道の若手画家のスペースは常設展示となっており出口に一番近い場所に飾られていた。

入って直ぐの場所には有名な画家の絵がドーンと飾られており訪れた人を驚かせて一気に絵画の世界へと導くようにしているみたいである。


夕矢は悟の車でホテルを訪れホテルの支配人である西岡稔と美術館の管理人である鈴木寛一の二人と面談した。


美術館には応接室はなく美術品関連の応対はホテルの応接室で行うようになっていた。

ただ高級ホテルだけあって応接室も豪華であった。


壁に絵が飾られテーブルもソファもアンティークなモノであった。

そこに夕矢と悟は案内され、西岡稔と鈴木寛一の二人と向かい合うように座った。


鈴木寛一は深い息を吐き出し

「私が管理人を勤めて30年経ちますがこんなことは初めてです」

と呟いた。

彼は胸元から一枚のカードを取り出して彼らの前に出した。

『三日後、菱尾湖南の偽乙女に預けたものをいただきに参ります』

前の小樽の美術館の時と同じようにカードに丸い文字で書かれた予告状であった。

相変わらず名前もない。


西岡稔は両手を組み合わせてジッと悟を見つめると

「警察に相談したところ9月初め頃に小樽で同じような事件があったと教えていただきました」

結局大事にはならなくて

「絵自体も盗まれなかったので美術館の意向もあってニュースにはならなかったようですがその時に犯行を阻止されたのが三嶋さんだとお聞きしてご依頼を」

と告げた。


三嶋悟はふぅと息を吐き出すと

「それは阻止というよりは犯人が置いていったと言った方が良いかと」

と告げた。

「ただ警備に関しては全力を尽くします」


夕矢は不意に先日の神威史利の言った言葉を思い出し

「あの、恐らく綺麗な女性が描かれた絵ですよね?」

と聞いた。


鈴木寛一は頷き

「はい、傘をさした女性と紫陽花が描かれたモノです」

と答え

「このカードには乙女と書かれていますが絵のタイトルは『紫陽花』です」

と告げた。


夕矢は「紫陽花」とおうむ返しに呟き

「その、絵は30年前くらいに入手されたんですか?」

と聞いた。


悟はちらりと夕矢を見たが口を挟まなかった。


鈴木寛一は驚きながら

「よくご存じで」

正確には27年前ですね

「高級な茶碗だとか幾つかの美術品と一緒に数十枚の絵もオークションにかけられたんですよ」

その中で同じ女性が描かれたモノが14枚あってそれをシリーズものとして乙女と呼んでいます

「それぞれコレクターが購入して殆どが何処にあるか分からないですね」

と告げた。

「今回予告に書かれたものがその中の一枚である『紫陽花』です」

と告げた。


夕矢は「そうですか」と答え

「やっぱり、14枚あったんだ」

と心で呟いた。


悟は夕矢が何かを納得したのだと理解すると

「それで、その絵は今どちらに」

と聞いた。


西岡稔が鈴木寛一を見て小さく頷いた。

鈴木寛一は立ち上がると

「どうぞ、こちらです」

と告げた。


悟と夕矢は彼らに案内されて隣の美術館へと入り菱尾湖南の『紫陽花』が飾られている場所へと向かった。


菱尾湖南の絵は入口のルノワールやゴッホなどの海外の洋画を抜けた先にあった。

日本の洋画が飾られているスペースである。

ただ、その間に仕切りはなく絵を見る場所は中央にトイレがあり、そのトイレを中心にしたドーナツ型になっていたのである。


通路の真ん中には椅子がありゆっくり座って見ることもできる状態であった。


鈴木寛一は絵の前に立ち

「人が絵に触れようとすると警報を鳴らすようになっております」

と告げた。


以前の小樽のようにポールをたててベルトで仕切る形ではなく、背景に溶け込むように天井から吊るしている状態であった。


悟はそれを見て

「なるほど」

と答えた。


夕矢も「そうなんだ」と呟き、絵を指差すと

「それで、これ…本物なの?」

と聞いた。


それに関してはやはり鈴木寛一が鑑定書を見せて

「本物です」

正規のオークションでこの鑑定書と一緒に手に入れたので間違いはないかと

と告げた。


悟はその鑑定を受け取り

「小樽の鑑定書と同じだな」

と呟いた。


そして

「もし良ければ絵を見せてもらえませんか?」

と告げた。


鈴木寛一は頷き

「わかりました」

センサーを切ってきます

と立ち去った。


悟はふむっと息を吐き出し

「問題は小樽では力づくだったところだな」

と呟いた。


夕矢は悟を見て

「多分、飾られている絵を売ることや蒐集して飾ったりすることが目的じゃないからだとおもう」

と告げた。


つまり、この絵を残すつもりが無いから乱雑に扱うことに抵抗がないのだろう。

通常は絵を盗み転売もしくは蒐集することが目的なので丁寧に扱うのだが、『なおひこ』と名乗った彼女の場合は絵か額縁のどこかに隠されたあの写真を取り出すことが目的なので絵自体に対して丁寧な扱いをしないのだ。


夕矢は悟を見ると

「彼女が持ってきた写真…額縁か絵に隠されているとすればそれを先に見つけて渡せばいいんじゃないかな」

と告げた。


悟は頷き

「ああ、そうだな」

と答え、鈴木寛一がセンサーを切って絵を乗せるための台車を引いて戻ってくると

「お手数をおかけします」

と言い

「額縁は購入当初のモノですか?」

と聞いた。


それに鈴木寛一は首を振ると

「いえ、額縁はこちらで用意したものにしております」

と告げた。


悟は少し考え

「あの、元の額縁も見せていただいても?」

と聞いた。


鈴木寛一は頷くと

「今、用意してきます」

と事務室へ行くと事務員の女性に声をかけた。

「すまないが、倉庫のB-13のボックスを持ってきてくれ」


女性は立ち上がると

「はーい」

と答え、倉庫へと向かった。


鈴木寛一は手袋をはめて丁寧に額縁から絵を出して台車の上に置き

「どうぞ」

と告げた。


悟は静かに頷き手袋をして先ず拡大鏡で絵の中央と端を見た。

「絵の乾燥による皹は中央が少なく端に多い」


夕矢は小さく頷き同じように手袋をして拡大鏡で見た。

確かにそういう状態であった。


悟は次にサインを見た。

「サインは間違いなく本物だ」

小樽の絵と同じ人物が描いた特徴がある


ハネ。

トメ。

直線の角度など同じであった。


同一人物のモノである。


鈴木寛一は深く頷き

「そうだと思います」

と呟いた。


悟はキャンバスを貼りつけている枠に触れ

「この枠はそのままで?」

と聞いた。


鈴木寛一は頷いて

「ええ、枠はそのまま使っております」

と告げた。


絵の具の状態などから考えても修復が必要なほどではないので小樽にしてもこの美術館にしても枠をそのまま利用しているようである。


その後、持ってきた箱から額縁を出してもらって調べたが何も出てくることはなかった。

悟は丁寧に礼を言い元の場所へと戻してもらったのである。


常駐の警備員と予告された明日の警備の仕方を相談し悟と夕矢は札幌へと戻った。

悟は夕矢に

「じゃあ、明日は7時に札幌駅で」

と言い、不意に

「そう言えば絵の枚数を気にしていたが…何故?」

と聞いた。


夕矢は思わぬ問いかけに

「え!?」

と驚きの声を上げて

「あ、あの」

というと

「事情は詳しく言えないですが菱尾湖南の乙女の絵の事を知っている人物にこの前会ってその方が小樽のことも知っていて…菱尾湖南の乙女のシリーズは桜の他に13枚あるとおっしゃっていたんです」

と告げた。


先日、会った神威史利との話である。


悟は「なるほど」と言い

「それで、乙女の目と同じと言っていたことは?」

と聞いた。


夕矢はふむっと考え

「その人と会えないので確認はできないんですが」

と言い

「作家の夏月直彦ってご存知ですか?」

と聞いた。


悟は少し考え

「ああ、あの一輪挿しの恋人とかドリームリアクターとか恋愛とミステリーを書いている小説家のことか」

と告げた。


夕矢は頷き

「その人の目と乙女の目が似ている気がしたんです」

あと

「この前の彼女と」

と告げた。


悟は少し考え

「なるほど」

と言い

「確かに夏月直彦については本人に会わないとわからないな」

と呟き

「彼女については次会った時に確認するか」

と告げた。

「…偶然かも知れないが彼女の名前も『なおひこ』だな」


夕矢は小さく頷いた。


悟は笑みを浮かべると

「教えてくれてありがとう」

と言い

「じゃあ、明日。時間は早いが宜しく」

と立ち去った。


夕矢は手を振って応え、帰りに東友によって夕食の材料を買うと家へと戻った。

十月も半ばを過ぎると日暮れも早く夕方の5時にもなると薄暗くなる。


北海道の中心地である札幌は大通りを中心に街灯が街を彩り東雲家のあるマンションの周囲も街灯の明かりに包まれていた。


夕矢はふぅと息を吐き出すと

「ちょっと、知らせておこうかな」

と呟き、携帯を手にLINEを入れた。


島津春彦と白露允華と三人でしている弟チームLINEグループである。

『あのさぁ、菱尾湖南の乙女シリーズを知っていたら今度よく見ておいて』

それに既読が着くと春彦から

『ごめん、菱尾湖南って誰?』

と返った。

確かに有名じゃないので仕方ない。

『福岡県出身の画家で凄く美人の女性の絵を描く人』

春彦は自室でそれを見て

「福岡の人か」

と呟き

『了解。でも何故?』

と返した。

そのやりとりと見ていた允華は

『俺もその人は知らないけど何かあったの?』

と返した。


夕矢は兄の夕弦がまだ帰宅していなかったので自室の椅子に座り

『その乙女のシリーズで書かれている乙女の目が夏月先生の目に似てるから気になって俺の思い過ごしなら良いんだけど』

と返した。


春彦はLINEの文字を読んで暫く見つめた。

自分のある女性の目と直彦の目が同じだと感じたことがあるのだ。


夕矢のLINEはある意味そのことを春彦に思い出させたのである。


春彦はLINEに

『分かった、美術館でその絵の情報が九州であったら見に行く』

『名前も引っ掛かるからな』

と返した。


允華は隣で食事を待ちながら座っている夏月直彦を見ると

「夏月先生」

と呼びかけた。


直彦は顔を向けて

「?どうかしたのか?」

と聞いた。


允華は少し考えて

「夏月先生は九州に画家の知り合いいますか?」

と聞いた。


直彦はあっさり

「いない」

と答えた。

「春彦の母親と兄とぐらいにはあったが二人とも絵画を嗜んではいなかったな」


允華はむーんと顔をしかめた。


直彦はふぅと息を吐き出すと

「そういうところは春彦と似ているな」

と言い

「はっきり言うなら言え」

言わないならなかったことにする

と告げた。


允華は目を瞬かせて

「俺、春彦君に似てますか?」

と言い、咳ばらいをすると

「今、夕矢君から菱尾湖南という画家が描いた絵のモデルになっている女性の目と先生の目が似ているから見て確認してほしいと来たんです」

と告げた。


直彦は「ほお」と声を零した。

「俺は画家に知り合いはいないが…相手は俺を知っているかもしれないな」


允華はふぅと息を吐き出すと

「やっぱり」

と答えた。

「名前…アナグラムかもですね」


直彦はニヤリと意地悪く笑うと

「そうだな」

と答えた。


允華はハハと脱力して笑うと

「俺がネタに使います」

と言い

「この辺りでその作者の絵があればいいんですけど」

調べるしかないですね

と告げた。


直彦は少し表情を改めると

「…そうだな」

と言い

「九州か…」

と呟いたものの言葉を紡がなかった。


允華はLINEで

『俺も調べてみるけど多分その名前特別な名前だと思う』

と書いた。

『アナグラムになってるかも』


夕矢は目を見開くと

「アナグラム…って何?」

と呟き

「春彦さんも名前引っ掛かるって言ってたのはそういう意味?」

と独り言をぼやきながら扉があく音に慌ててLINEを打った。


『分かった。じゃあ、また』


そして、リビングに行くと帰宅した兄の夕弦を見た。

「お帰り、兄貴」


夕弦は大きく息を吐き出し

「来週の半ばくらいに引っ越しする」

と告げた。


夕矢は驚くと

「え!?」

と声を上げた。


夕弦は服を脱ぎながら

「ここでの調査と連携が取れたから…今日報告したら明日から東北での仮住まいを探す」

と告げた。

「明日、三嶋さんに挨拶に行こうと思ってる」


夕矢は慌てて

「あ、明日はダメ」

と言い

「明日は現場なんだ」

洞爺湖の美術館で

と告げた。


夕弦は頷き

「じゃあ、明後日に挨拶する」

と告げた。


夕矢は頷き

「わかった」

と告げた。


夕弦は優しく夕矢を見ると

「いいのか?」

と聞いた。

「ずっとこういうの続くが…大丈夫か?」


夕矢は笑顔で

「それが俺の決めた道だから兄貴は気にしなくていいぜ」

と答えた。

「せっかく知り合えた三嶋さんと別れるの辛いけど」

最初に話していたし

「なんか、三嶋さんとはこれからも付き合っていきそうな気がするから大丈夫」


夕弦は微笑むと

「そうか、だったらよかった」

と告げた。


翌日、夕矢は朝食を作って先に食べると朝の6時半に夕弦に声をかけて家を出た。

7時に三嶋と合流すると車で洞爺湖の美術館へと向かった。


札幌から郊外に出るとほとんどが広々とした田園風景で道に沿ってところどころに店や家があった。

暫く走って高速に乗ると羊蹄山が前の方に見えた。


夕矢はそれを窓の外から眺めながら昨日のLINEの事を思い出した。

「あの、アナグラムって知っていますか?」

悟は突然話を振られて

「ん?」

と声を零したが

「アナグラムというのはある言葉や文字などを並び替えって他の言葉に変えることだ」

と告げた。


夕矢は「そうなんだ」と呟き、ふむむと考えた。


悟は運転しながら

「どうかしたのか?」

と聞いた。


夕矢は頷き

「乙女の作者の菱尾湖南がアナグラムだって聞いて」

と告げた。


悟は「ほお」と呟き

「そうか」

と答えて、高速の降り口にハンドルを切った。


山林が広がる道を走りやがて見えてきたホテルに夕矢も目を向けた。

美術館に着くと警備員が既に配置についており西岡稔と鈴木寛一が二人を出迎えた。


西岡稔が車から降り二人にホテルの前で

「お待ちしておりました」

と声をかけた。


悟は会釈し

「本日は宜しくお願いします」

と告げた。


小樽では防犯カメラが止められてしまうということがあったので今回は防犯カメラが映っているかを確認した。


そして、悟と夕矢は『紫陽花』を挟んで両側に立った。

もちろん、側に立って如何にも守っていますという風にしては他の客に不審を覚えさせるので反対側の壁に立っての護衛であった。


10時に開館するとホテルに宿泊していた客がパラパラと姿を見せた。

一般にも開放しているので一般客も姿を見せた。


観光がメインの場所なだけにリュックを背負った人やキャリーケースで見て回る人もいた。

悟は行き交う人を見つめキャリーケースを持った一人の青年に目を向けた。


青年はゆっくりと入口から一つ一つ絵を見て回り悟の前を通り菱尾湖南の『紫陽花』の前で足を止めた。


ピリリとした緊張が走った。

が、青年は少し下がって椅子に座って暫く眺めた後にそのまま隣の絵に行くと出口へ向かった。


思わず足を踏み出して声をかけた悟はふぅと息を吐き出し再び入口から入ってくる客を監視した。


青年はそれを横目で見ると一旦トイレへと入り、再びキャリーケースを持って展示室へと戻った。


夕矢は青年の姿をちらりと見て直ぐに悟と同じように入ってくる客に意識を向けた。


その瞬間であった。

『紫陽花』の前の椅子から大きな音と共に白い噴煙が噴出した。


視界は一気に奪われた。

悟は舌打ちし濁った視界の中で警報が鳴ると同時に絵へと手を伸ばした青年の腕を掴んだ。

「今度は逃がさないからな」

なおひこくん


それに青年はニヤリと笑うと

「ほう」

さすが貴方も目が良いんだ

と男の声で言うと回し蹴りをかました。


悟は咄嗟に腕で足を止めて

「格闘技でもしているのか」

と反対の足で蹴りを入れた。


青年は避けて飛びのき

「さすがに二度目は対策打ってくるんだ」

というと背後からの気配にクルリと身を翻して白い闇の中へと姿を消した。


靄は5分程で消え去り彼らの目の前には白い紙が離れた額縁だけがぶら下がっていた。

『偽乙女に預けたものをいただきました』


霧が晴れた館内には16人の客と警備員がおり、客の中にキャリーケースを持った青年の姿もあった。


警備員は直ぐに出口と入口に立ち、慌てて事務室から飛び出した鈴木寛一が額だけになった絵を見てふぅと倒れかけた。


悟は青年のところへ行くと彼の手を掴みべっとりと付いている赤い手形を見て

「すみませんが、そのキャリーケースの中を見せてもらえますか?」

と聞いた。

「その手形は俺があの白い靄で付けたモノ」


青年はふっと笑うとキャリーケースを開けた。

が、中には服が入っておりそれとビニール袋が数枚ばらばらと落ちて広がった。


鈴木寛一は警備前に悟から手に赤いインクを付けていることを聞いていたので

「彼が」

と呟いた。


悟はふぅと息を吐き出し

「一応、先の煙の中で絵に手を伸ばした人物であることは間違いなですが…絵が出ない事には」

と告げた。


そう、窃盗は現行犯で物を持っていないと立証できないのだ。

夕矢は自信満々の青年とキャリーケースを見てそっとトイレへと入った。


今全員が取られた『紫陽花』が展示していた場所に集まり、事の行方を見守っていたのである。


トイレの中を個室まで一つ一つ見て確認し、女子トイレの一番奥の個室に額に入っておかれていたのである。

「やっぱり」

そう言い、手袋をして見つめ

「う~ん、ソックリなのにやっぱり飾っていた絵と違う気がする」

と呟いた。


何かが違うのだ。

だが、何が違うか分からない。


夕矢は回収すると展示室へと戻り

「絵、ありました」

と悟と鈴木寛一に絵を見せて告げた。


鈴木寛一は「おお」と喜び

「無事でよかった」

と額に入った絵を見た。

「絵もサインも同じに見えますが…一応、鑑定には出します」


悟も頷いて

「その方が良いでしょう」

と答えた。


青年はちらりと夕矢を見て一瞬口元に笑みを浮かべたが直ぐに表情を改めると

「俺はただ行き成り真っ白になったからふらついて絵の方に行っただけだ」

と告げた。

「その証拠に絵も何も持っていない」


悟は腕を組み鈴木寛一を見た。

鈴木寛一も絵が戻ったと言え誰かが盗もうとしたことに違いはないのだと理解はしていた。

だが、証拠を持っていなければ…どうしようもないのだ。


青年はふぅと息を吐き出すと来ていた上着を脱ぎ始めた。

「裸になれば無実が証明できますか?」

とYシャツに手をかけた。

「無ければ俺はどう訴えればいいですかね?」


鈴木寛一は慌てて

「あ、いやそれは…もう、絵は戻ったので」

と言い青年を止めた。


どう見ても絵を隠しているように見えなかったのである。

というか、絵を外へ出すチャンスがなかったのでキャリーケースの中に無ければ持っていないと判断するしかなかった。


ただ、一応窃盗未遂ということで警察へ連絡を入れた。


警察は現場検証をして客の持ち物検査をして、事情聴取をするとそれで終わった。

窃盗は失敗で盗られたものがなかったからである。


絵の鑑定結果も悟と夕矢が想定していた通りに『本物』であった。


二人は事情を聞かれて説明しその後に解放されると車で札幌へと向かった。

太陽は西に傾き夕刻であることを無言で教えている。


その道中に夕矢の携帯に着信が入った。

『なおひこ』からである。


夕矢は着信の応答ボタンを押すと

「もしもし」

と告げた。


向こうからは愛らしい少女の声で

「トイレの絵を見つけてくれてありがとう」

裸にされるかと思った

と笑いながら返った。


夕矢は悟を見て小さく頷いた。

「やっぱり君だったんだ」

でも裸にされても絵は出なかったんだろ?


悟はちらりと夕矢を見た。


彼女はフフッと笑うと

「意外と鋭いね」

と告げた。


夕矢はむっとしたまま

「君が進んで脱ごうとしたってことは万が一そのまま脱いでも大丈夫だって時だけだと思ったから!」

と答えた。

「今回はキャリーケース持ってたから隠すところ一杯あったし」


彼女は「そうそう」と答え

「預かってもらいたいモノがあるんだけど」

と告げた。


夕矢はそれに

「わかった、何処で?」

と聞いた。


彼女は「札幌駅前でいいよ」と答え

「じゃあ、待っててね」

というと通話を切った。


夕矢は悟に

「彼女から、持ってくるって」

と告げた。


悟はふぅと息を吐き出すと

「やっぱりやられていたんだ」

しかし本物を返されたら追及するのが難しい

とぼやいた。


夕矢は「確かにそうだよな」と思いつつ

「あっ」

と声を上げると

「実は俺、二週間後に引っ越すんです」

と告げた。


悟は驚いて

「ええ!」

と声を上げると

「それは寂しい」

と呟いた。


夕矢もしんみりと

「俺もせっかく三嶋さんと知り合いになれて色々教えてもらっているのに凄く寂しいです」

と答えた。


北海道に来て何をしたらいいのか迷っていた時に出会い、本当の意味で色々なことを教えてもらった。

貴重な体験もさせてもらった。


夕矢は悟を見ると

「三嶋さんは俺の人生の師匠だと思ってる」

とにこりと笑って告げた。


学校では習わないこと。

これから生きる道の一歩を踏み出させてもらった気がするのだ。


悟は笑みを深め

「そう言ってもらえると俺としては凄く嬉しい」

と告げた。

「これからも夕矢君が何処に行っても繋がっていけると思うんだが」

どうだろうか?


夕矢は笑顔で

「はい!」

俺も繋がっていきたいです

と答えた。


札幌駅に到着し道路に面した駅前の広場に二人が立って待っていると小樽で会った少女が姿を見せた。

「やっぽー」

愛らしい少女だ。

何もなければ遊びに…と言っても良いくらいの極々普通の美少女だ。


悟も夕矢は軽く手を上げて応えた。。

彼女はにっこり笑って夕矢に二枚の写真を渡した。


夕矢はそれを見て

「二枚…って他でもやったのか?」

と聞いた。


彼女はにこりと笑って

「蒐集家が持っていて…美術館には出てこないのもあるの」

だから

と告げた。

「でも本物が手元に残ったんだからいいんじゃないかな?」


夕矢はそれに

「けど、そういう危険なことするより本当のことを言って替えてもらった方がいいんじゃないのか?」

と告げた。


彼女は笑みを消すと

「それは出来ない」

と言い背を向けると

「それが絵にあることを知られて先回りされたら…困るから」

と呟き、ぽーんと一歩離れると

「じゃあ、また」

と告げた。


夕矢は彼女に

「あのさ、俺…もうすぐ引っ越すんだ」

だから

と告げた。


彼女は一瞬立ち止まると

「でも、その人から連絡入るでしょ?」

私だって次何処であの絵が出るか分からないし

と告げた。

「だから、君が何処にいても…良いよ」


…See You Again…

「また会いましょう」


二人は去っていく彼女の背中を見つめた。

悟はふぅと息を吐き出し

「まあ、確かに連絡が入る確率は高いが」

とぼやいた。


夕矢は二枚の写真を見て

「洞窟の中?それに崖の下?」

けどやっぱり全部同じ形の丘だ

と心で呟いた。


悟は夕矢を見ると

「君が引っ越すまで二週間前後あるならその間に宝石や絵の鑑定の知識以外の警備の知識や美術館や博物館の知識も詰め込んでおかないといけないな」

と告げた。


夕矢は頷いて

「ありがとうございます」

と答え

「明日、兄貴が挨拶に来ると言っていたので宜しくお願いします」

と告げた。


悟は頷くと

「了解」

引っ越した後のこともあるから助かる

と答えた。


夕矢は悟と別れて東友で夕食を買うと家へと帰った。

兄の夕弦はパソコンで仕事をしていたらしく

「おかえり」

と告げると

「明日は大丈夫か?」

と聞いた。


夕矢は袋から夕飯を出しながらレンジに入れ

「大丈夫、三嶋さんが『了解』って言ってた」

引っ越し後の話もしたいって

と告げた。


夕弦は笑みを浮かべると

「そうか、分った」

と答えた。


夕矢は「じゃあ、俺、荷物部屋に置いてくる」と自室へと入った。


夕弦はパソコンを触りながら

「出すのはしておくから」

と声をかけた。


外は既に闇が降りあちらこちらの街灯や電灯が街を彩っていた。

翌日、夕弦は三嶋悟のオフィスに夕矢と行き挨拶と話をした。


夕矢は途中で夕弦から飲み物を買うように頼まれて席を外したが、その間に今後のことも話しあったようである。


所謂、大人の極秘会議である。


夕弦は家に帰ると夕矢に

「良い出会いをしたな」

と言い

「頑張れ」

と告げた。


夕矢は頷き

「うん、頑張る」

と答えた。


二週間後に向かう新しい土地ではどんな出会いがあるのか。

夕矢の胸の中では期待と不安がシーソーのように揺れ動いていた。



最後までお読みいただきありがとうございます。


続編があると思います。

ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。

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