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桜の写真の秘密

2章から12章くらいまではエブリスタで書いてました

一人の女性がこの世を去った。

半生を共にした夫と。

産み慈しんだ子供達と。

そして、彼女の血が脈打つ孫たちに見守れながら…一人の女性がこの世を去った。


病室の外では桜の木々が春風に舞い、今年最後の彩の時を迎えていた。


フォトリーズニング


フワリとした巻き毛に眼鏡をした背広姿の兄は三十歳前の男と言うよりは社会出たての新入社員に見える。


所謂、年の割に若く見えるという事だ。


東雲夕矢はダイニングでパクリとパンを食べながら部屋から出てきた兄の夕弦を見て

「今度はどこの会社に入るの?」

とポヤンと問いかけた。


夕弦はそれにネクタイを締めながら

「化粧品会社の広報部」

CMの打ち合わせに同行する新人社員だ

と応え、弟の夕矢を見ると

「サインくらいなら貰ってやるが握手はダメだ」

と眼鏡のブリッジを軽く押し上げながらニッと笑い返した。


誰がそんなこと頼んだよ。

と夕矢は内心突っ込みながら

「別に良いよ」

俺、ゲイノウカイ興味ないし

「兄貴の仕事の邪魔するつもりはないから」

と答え

「夕飯いるかなぁって気になっただけ~」

気を付けていってらぁ

とピラピラと手を振った。


夕弦はそれに少し苦笑いを浮かべながら

「サインくらいなら本当にもらってきてやるのに」

とぼやきつつ、カバンを持つとそのまま戸を開けて家を出た。


両親が事故で他界したのは9年前。

夕矢が小学三年生の時で兄の夕弦ですら高校三年の丁度卒業前の時であった。


夢も。

希望も。

そういう色々なモノを抱いていた頃だ。


だが、兄は受かっていた大学の入学を辞めて高校の友人の親が紹介してくれた会社へと入社した。


そこで与えられた仕事が諜報活動だった。

それから9年。

その仕事を兄はずっと続けている。


自分との生活の為である。

当時の兄の友人たちはそれぞれ大学へ行き自分の望む道を歩いている。


兄だけが…その友人たちの中で未来を変えてしまったのだ。


夕矢は朝食を終えると兄の部屋を横目に

「ほんと…邪魔するわけねぇよ」

と呟き、自室へ入り鞄を持って家を後にした。


夕矢と兄の夕弦が暮らす家は七階建てマンションの角にある。

家を出ると門があってそこを出てから共有の廊下を渡ってエレベーターか階段で下へと降りる。


夕矢は何時もエレベーターを使わず、階段をリズミカルに降りながら自動ドアを出てすぐ前にあるバス停から学校へ向かう路線バスに乗り込むのだ。


以前にエレベーターを待ってバスに乗り損ねるという事態を招いたことがあったからである。


彼は外へ出ると空を仰ぎ、目を細めた。

頭上では青空が広がり、数日前まで華やかだった桜も今は瑞々しい緑の葉桜へと姿を変えていた。


夕矢が学校に登校し教室に入った瞬間…親友の芒野尊が声をかけた。

「おーい、ゆや、ゆや、ゆ~や」

ちょっと話があるんだけど


「こっちこいよ」

と呼ばれて夕矢は鞄を自分の席の上にポンと置くと

「人を風呂屋のように呼ぶな」

と言いながら尊と他のクラスメイトが屯する輪の中に入って中央の机に置かれている一枚の写真に目を向けた。


モノクロの古い写真である。

いや、モノクロだったのだろうが今はセピアに近いかもしれない。


歳月を感じさせる写真であった。


夕矢はジッと視線を落とし

「何?この写真」

と問いかけた。


それにクラスメイトの一人である三ツ葉冴姫が椅子に座り

「おばあちゃんの本に挟まっていた写真なの」

おじいちゃんは写真に覚えがないっていうし

何処か分からないし

「ほっとけばいいんだけど裏書がねぇ」

と困ったように笑みを浮かべた。


写真の裏には『忘れない』とだけ書かれていた。


何を?とも。

何が?とも。

書いてはいなかったのである。


夕矢は写真を手にするとペラペラと表と裏を何度も見て

「それで?何が問題なんだ?」

気になるならおばあさんに聞けばいいことだろ?

と告げた。


冴姫はそれにう~んと唸りながら

「おばあちゃん、このまえ亡くなって…遺品整理の時におじいちゃんが見つけたんだけど」

おじいちゃんは気になってるみたいで

「でも、でも、もしも…忘れませんっていうのが…彼とかだったらね」

おじいちゃんに探させるわけにはいかないし

と夕矢をちらりと見た。


尊は夕矢の顔を覗き込むように見ると

「お前さぁ、こういうの得意だろ?」

探したり見つけたりするの

「探索の鬼!」

と指を向けた。


夕矢はその指を手で余所に向けながら

「いつもお前らの探し方がずさんなだけだろ?」

俺が特段得意ってわけじゃない

と応えジーっと見つめてくるクラスメイト達の視線に顔を顰めた。


得意ではないが彼女の言っている意味も分かる。

彼女の祖父の気持ちは理解できるが、もしも良くない事実が隠されていてショックを受けたらと考えてしまう。


夕矢は写真を手に

「わかった」

と応え

「この場所の特定で良いんだな?」

それで何もわからなかったとしても俺は知らないからな

と冴姫に告げた。


彼女はウンウンと頷くと

「わからなかったら、そのままいうし」

と答えた。


夕矢は写真を見つめ

「先ずは写真の中に場所を見つける手掛かりを探す」

と呟いた。


古びたそれに映っていたのは一本の桜の木であった。

満開の花を湛え日差しを浴びる桜の木。

他に映っているのは川と橋だけであった。

が、これと言って特徴のある川でもなければ、橋も短い木の橋である。


夕矢は小さく息を吐きだすと

「写真だけじゃ…分からないよな」

と呟いた。


例えば特徴のある建物なり山なり写っていれば特定できるだろうが…小さな川にそこに架かる木の橋だけでは判断のしようがない。


それこそどこにでもある風景なのだ。


夕矢の言葉に横から見ていた友人の尊も

「だよな、それこそその辺の川の桜だって言えば言えなくもないもんな」

とぼやいた。


夕矢は冴姫を見ると

「取り合えず写真借りていいか?」

と聞き、彼女が頷くと

「サンキュっ」

と応えて席へと戻った。


ちょうど始業のチャイムが響き、一限目の数学の教師が姿を見せたのである。


彼は授業を受けながら時折外を見て皓々と照り付ける陽光を見つめた。

兄はこういう事をしているのだろう。

何を調べているかは全く分からない。

だが依頼された情報を集めて渡している事だけは知っている。


「兄貴なら…こういうのどうやって調べるんだろう」

夕矢は小さく呟き、そっと目を閉じた。


記憶の奥に一枚の写真が眠っている。

兄が今の仕事を始める少し前に最後に兄の部屋に入った時に伏せられていた写真である。


その前までは普通に飾られていたのに…その時は伏せられていたのだ。

そしてそこにも…桜の木が鮮やかに写っていた。


兄と。

兄の親友である末枯野剛士と。

そして、自分の知らない他の親友たちと。


今は見ることのできない満面の笑顔で兄は写っていた。


兄は何故あの時あの写真を伏せていたのだろう。

いや、今は飾られているのだろうか?

それとも、今も伏せられているのだろうか?


夕矢は小さく息を吐きだすと預かった写真をちらりと見て

「桜、か」

と呟いた。


全部の授業が終わり帰宅する頃には何故か写真探索隊が出来上がっていた。

「何故!?」と夕矢は教室の戸口で彼を待っていた尊と冴姫と桔梗貢を見て思わず声を零した。


尊はガッツポーズをすると

「ま、丸投げも悪いからな」

三人寄れば文殊の知恵ってことで

「よろしくな」

と告げた。


夕矢は「いや、四人だし」と心で突っ込んだが、確かに丸投げされるよりは良いかと思い

「夕食前には帰れよ」

と言うと家へと向かった。


時刻で言えば午後三時。

夕暮れ時には早い午後の時間であった。

が、夕矢が尊や冴姫、貢の四人で家に入ると既に夕弦が今朝履いていった靴がありリビングで新聞を広げてくつろいでいる兄の姿があった。


「…兄貴」


…。

…。

…。


まさかである。

よもやである。


こんなに早いお帰りとは。


後ろから

「おっじゃまー」

「おじゃまします」

「おじゃままま」

と入ってきた三人もビシッとかしこまると同時に頭を下げた。


「「「おじゃまします!!」」」

良いご挨拶である。


夕弦はそれに視線を向けるとにこやかに笑み

「あ、いらっしゃい」

ごゆっくり

と愛想満々の会釈と言葉で応えた。


夕矢はチラチラ兄を見ながら、三人に

「俺の部屋入って待ってて」

と勧めた。


夕弦は夕矢の様子を一瞥し新聞に目を向けつつ唇を開いた。

「どうした?」

言われて夕矢は踵を返すと兄と向き合い

「何の特徴もない写真から写真を写した場所を特定しようと思ったら兄貴ならどうする?」

と聞いた。


夕弦は新聞をペラリと捲りながら

「写した本人に聞くしかないだろ」

と返した。


ごもっともである。

夕矢は「もし、その人が亡くなっていたら」と小さな声で呟いた。


夕弦は新聞から視線を離し彼を見ると

「歴史…写真はその人の歴史の一部の切り抜きだ」

その人が生前に一度は目にした風景だ

「そう考えればどうすれば良いかは自ずと見えるだろ?」

と告げた。


「言っておくが…もし曰くのある写真を調べるというならそれはその人の罪や隠していたいことを掘り出すことになるかもしれない」

その覚悟だけは持っておけ


夕矢は不意に夕弦が伏せていた写真を思い出し

「うん…わかった」

と返すと自室へと足を向けた。


そして、不意に立ち止まると

「あ、兄貴」

サンキュ

と返して部屋へと入った。


夕弦は新聞に視線を戻すと

「ま、とりあえずは頑張れ」

と呟いた。


夕矢は部屋で待機していた三人を見ると

「お待たせ」

と声をかけて下に座った。


貢がベッドに座り、冴姫が椅子に座り…尊が下に座っていたので彼の横に座ったのである。

ちょうど円形になる。


夕矢は鞄から借りていた写真を中央に置き

「調べるのは写真からではなく三ツ葉のおばあちゃんの生い立ちからだ」

と告げた。


「この写真って特徴が無さ過ぎてそれこそ探すのは至難の業だと思う」

それに冴姫も尊も貢も頷いた。


夕矢は冴姫を見ると

「まず、三ツ葉がおばあちゃんの生い立ちを家族から聞くこと」

おじいちゃんとどこで出会ったかも

「おじいちゃんに覚えがないとすれば、おじいちゃんと出会う前の可能性が高いからその前のことも詳しく」

と指示した。


冴姫は頷き

「わかった」

おばあちゃんが津洗の辺りだってことは聞いたけど

「詳しく聞いたことないからちゃんと聞いておく」

と答えた。


尊は腕を組み

「なるほどな」

確かに三ツ葉のおばあちゃんの写真ならそれが一番だよな

とコクコクと頷いた。


貢はそれに

「それで?俺たちは?」

と聞いた。


夕矢は頷き

「俺と尊と桔梗は三ツ葉のそれを聞いてから年齢に分けて順に調べていくときに分担して探す役割な」

と告げた。


「例えば三ツ葉のおばあちゃんが生まれてから引っ越しとか全くしてなければ簡単だけど、そうじゃ無ければ何か所か探さないといけないだろ?」

そうなった場合は区分けして探す方が効率もいいし

「お金もかからない」

そう付け加えた。


貢は「だよなぁ」と答え

「あと、地図は必要だよな」

と頷き

「ドライブマップなら全国版とか家にあるから俺が用意する」

と冴姫を見ると

「三ツ葉はLINEで年代別に場所を俺と東雲と芒野に送ってくれ」

東雲が何処から行くか決めたら俺はコピー取って持っていく

と告げた。


夕矢は頷き

「了解」

と答え

「それでいいよな、尊」

と彼を見た。


尊は「俺だけ他の役目なしっていうのもなぁ」とはぼやいたものの

「ま、探索は任せとけ!」

とドンっと胸を叩いてやる気を見せた。


陽光はゆっくりと南天から西へと傾き打ち合わせを終えると夕矢は三人を見送った。

そして、新聞を読み終えて自室へと籠っている兄の夕弦に

「今日は唐揚げで良いだろ?」

と呼びかけながら、返事を聞く前から鳥の仕込みを始めたのである。


写真はその人の歴史の一部。

彼女の祖母が何を経験して、何を思い、そして、あの写真に裏書をしたのか。


『忘れない』

夕矢は夕食を終えて自室に戻ると机に座ってその桜の木が写る写真を見つめた。


三つ葉冴姫からのLINEは早かった。

帰宅して直ぐに両親などに聞いたのだろう。


『お父さんに聞いたらおばあちゃんの実家は津洗で結婚するまで引っ越しとかはなかったらしいよ☆彡おじいちゃんとは親戚を通じた見合いだから親戚のところには遊びに行ってたことはあるよって言ってた(*’ω’*)親戚の家は木更津だよ』


夕矢はそれを見て小さく安堵の息を吐きだした。

「津洗と木更津ならそれほど遠くないからどちらも日帰りできるな」


これが関東一円でなかったら外泊が必要になる。

大阪だ。

名古屋だ。

青森だ。

何ていわれると交通費負担も考えなければならないところであった。


高校生なのだからその辺りはシビアである。


夕矢は早速次の土曜日に津洗へ行くことを決めてLINEを入れた。

調べる場所は少ない。

分担する必要もないだろう。


直ぐに見つかるだろうと夕矢はのほほんと考えていたのである。


土曜日は快晴で行楽日和でもあった。

空は青空、日差しも温かかった。


夕矢は朝食を終えると

「今日は帰り遅いから」

というとのんびりとTシャツで新聞を読みながらスクランブルエッグを食べていた夕弦に呼びかけ鞄を持って玄関の戸を開けた。


瞬間に目の前に過った人影に目を見開いた。

「んあ、末枯野のおじさん」


兄の自分が唯一知っている友人である。

末枯野剛士はにこやかに笑い

「お、夕矢は今日は外出か」

と手に持っていたケーキの箱を見せた。


「じゃあ、帰ってから食べな」


夕矢は大きく頷き

「ありがとう、おじさん」

と答え、通り抜けかけた。


後ろからは兄の夕弦が姿を見せ

「何時も悪いな、末枯野」

と笑み

「昨日、発売だったな」

と剛士がケーキとは反対の手に持っていた紙袋に目を向けた。


剛士は玄関を上がり

「ああ、あいつの二冊買うと結構かさばるんだぜ」

書き過ぎだってーの

と笑いながら、中へと入っていった。


あの写真に写る6人の中で自分が唯一知っている兄の親友である。

大きなガタイのわりにきめ細やかな思いやりを持っている夕矢にとっては兄の次に心を許せる人であった。


夕矢は背中で戸の閉まる音を聞きながら

「そういや、末枯野のおじさん時々兄貴に本を持ってくるよな」

とぼやいた。


どんな本を持ってきているかは知らないが兄の部屋には多くの本がある。

色々な会社での諜報活動には多くの知識が必要なのだろう。


夕矢は階段を駆け下りてバスに乗り込むと一路駅へと向かった。

高校になると色々な地域から学生が集う。


尊に冴姫、そして、貢と自分の家の場所を考えると一番良い合流地点は四辻橋であった。

JRと東都電鉄が合流する駅である。

東都電鉄路線に住む自分と尊。

JRを利用する冴姫と貢が集まるのにちょうどよい場所だったのである。


夕矢は四人が揃うとそこから津洗行きの快速に乗り込んだ。

彼は貢から津洗のドライブマップのコピーを受け取ると

「今日は津洗を調べることにする」

それで見つからなければ

「来週に木更津な」

と告げた。


それに他の三人が異論を言う事はなく長距離路線の列車らしくボックス席になっている一か所を陣取り椅子に腰を下ろした。


四辻橋から津洗までは快速で1時間ほど。

ちょっとした小旅行である。


わくわくした空気が彼らを取り巻き、規則正しい列車の走る音と人々のざわめきすらも明るい気持ちにさせた。


最初に口を開いたのは貢であった。

「取り合えずこの一時間の間で回るところ決めとくか?」

と問いかけた。


それに尊は手を上げると

「あー、じゃあ、その前にログボだけもらわせて」

と慌てて制止した。


「俺、グレンバーストだけは毎日やってんだよな」

今日は向こう着いたら動き回るからできないし

「帰ってやる元気が出来るかもわからないからログインボーナスだけはもらいたい!」


…。

…。

…。


その気持ちは分かる。

と夕矢も貢も頷き、貢もまた

「じゃあ、俺もログボだけもらっとく」

と携帯を取り出した。


夕矢はちらりと冴姫を見ると

「三ツ葉は?」

と聞いた。


彼女はあっさり

「私、ゲームに興味ないから」

と答えると

「でも、津洗って映えスポット多いから写真は撮るよ」

と付け加え

「ちょっとした小旅行みたいなものだし現地までは自由でいいじゃん」

とにっこり笑い、鞄から本を取り出した。


想定済みという事らしい。

全くご自由である。

が、夕矢もぽふんと背凭れに身体を預けると

「じゃあ、それで良いよ」

と外に目を向けかけて、彼女が手にした本に視線を戻した。


「それ、俺知ってる」

兄貴の本棚にあった。


冴姫は本を見ると

「…東雲のお兄さんってあの?」

とえ~っと苦く笑った。


「こう言ったら悪いけど…何となく似合わない気がするけど」


夕矢は少し困ったように笑み

「そんな内容?」

俺、興味ないから本棚にあったの見ただけなんだけど

と呟いた。


彼女はクスクス笑うと

「タイトル見たらわかるでしょ?」

『一輪挿しの恋人』っていうんだから恋愛ものに決まってるよ

「甘酸っぱい感じの恋愛もの」

と笑顔で答えた。


そして、プロフィールの載っているそでの部分を見せると

「それに、作者の人もかっこいいし」

と付け加えた。


夕矢はその写真を見るとヒンヤリと背筋に冷たいものを走らせ

「へー、そうなんだ」

と強張った笑いを見せた。


知っている。

夕弦のあの写真に写っていた一人である。


夕矢は不意に今朝末枯野剛士が持ってきた本のことを思いだし

「…もしかして、あの本もこの人の本かな」

と呟いた。


確かに彼女の言った通りに兄の夕弦は好んで恋愛小説を読むタイプではない。

無論、末枯野剛士もそういうタイプではない。


だが、もしあの袋の本がそうであるならば…あの伏せられた写真にきっと関係があるのだろう。


兄は何を思っていったのだろう。

『写真はその人の歴史の一部の切り抜き』と。

そして

『その人の罪や隠していたいことを掘り出すことになるかもしれない』と。


あの伏せられた写真が胸の中に過る。


夕矢は本に集中しだした冴姫から目をそらせると一人ぼんやりと窓の外に流れる景色を見つめた。


桜は葉桜となり、少しではあるが初夏の彩りを讃え始めていた。


列車は都会から山間を抜けて海沿いへと出た。

津洗は関東では有名な海水浴場で数年前に大掛かりな観光地化と区画整理を行ってからは人気スポットになっている。


夕矢は駅から出ると立ち並ぶ豪華なホテル群に

「すっご」

と溜息を零し、横で立っていた冴姫に目を向けた。


「で、三ツ葉のおばあちゃんの実家って何処?」

それに彼女は貢から渡された地図を広げて

「津洗の東津洗1丁目24の7だって…言ってたからこの辺りだと思う」

と指を差した。


尊と貢も覗き込みながらその場所に目を向けた。

駅から離れた郊外である。


尊はニッと笑うと

「よし!じゃあ俺がバスあるか調べてくる」

と踵を返すと駆けだした。


まさに脱兎のごとくである。

が、その勢いが功を奏して5分後に発車する予定のバスの乗車に間に合ったのである。


東津洗は海岸沿いではなく山手の方にあり彼らを乗せたバスは川に架かった橋を渡ると緩やかな坂を登っていき、一戸建てやマンションのある住宅街の奥にある観光地化とは一線を画した極々普通の市営住宅が立ち並ぶ場所であった。


バスから降りると公園があり道路に沿って数件のお店が立ち並んでいた。

公園から子供の声が響きそれらを取り巻くように5階建ての箱型の市営住宅街が広がっていたのである。


公園や市営住宅の周囲には桜の木が何本も植えられていて今は緑だが盛りの時はきっと綺麗な桜色に染まっていたに違いない。


だが。

と夕矢は顔を顰めた。

「川ってなさそうだな」


それに冴姫も頷き

「だよね、このドライブマップにも川らしいのないし」

と告げた。


一つの目印は小川である。

しかも。

その写真の小川の周囲は田んぼで到底市営住宅の影も形もない。


尊はマップを見ながら

「けど、数十年前だからなぁ」

田んぼとかは住宅に代わってるかも

と告げた。


その通りである。

しかし、川もない。


夕矢は少し考え

「三ツ葉のおばあちゃんってどこの学校行ってた?」

その学校の近くとかもあるだろ?

と告げた。


冴姫は携帯を手にすると

「ちゃんと聞いてるよ」

と言い

「ええと、東津洗分校と津洗中等学校だって」

当時は高等学校に行く人は少なかったんだって

と返した。


貢は頷きながら聞き

「それで学校が何処だったかだよな」

と告げた。


冴姫はじーっと携帯を見ながら

「それが、分校は同じ東津洗でもう廃校になっててないんだって」

家の近くって書いてるからこの住宅街に変わったのかも

と周囲を一瞥し、直ぐに視線を携帯に戻すと

「中等学校はここをずっと降りた先の津洗市立中学校だって」

かなり駅の方に戻るみたい

と指を坂の下に向けた。


尊はそれにポンと手を叩くと

「バス乗って少ししたところに橋があったじゃん」

その川も調べてみようぜ

と閃いたように告げた。


夕矢も冴姫も貢も大きく頷き坂を下り始めた。


山手の方は住宅街。

駅の周辺から海岸沿いは観光地。


その開発も数年前の事なので彼女の祖母が暮らしていた頃とは何もかもがきっと変わっているに違いない。


人が住み。

時が移ろい。

そして、変わっていく。


夕矢は横で地図を広げながらワイワイ話をする友人たちを横目に

「俺たちも変わっていくのかな」

と小さくつぶやいた。


高校を出てそれぞれの進みたい道へ歩いていく。


大学。

就職。

それだけではなく大学でも多種多様にある。


長い坂を下り川沿いにたどり着くと写真を翳してよく似た場所を歩きながら探すことにした。


夕矢は地図に線を引くと

「先ずは出発点と今日見たところまでをチェックして見つからなかったら次の時に続きからな」

と目印としたバスの走っている橋に線を引いた。


同じところを何度も見ないようにすることと見落としをしないようにするためである。

それともう一つ夕矢には考えがあった。


中学で話を聞くことであった。


川沿いを同じような光景がないかを眺めながら中学へと向かい白い校舎が見えると彼は三人に

「中学の先生に写真を見てもらって聞こうと思ってる」

と告げた。


「観光開発でかなり変わったから…今見ても分からないかもしれないし」

地元に詳しい人に聞くのも手だろ?


冴姫は頷くと

「そうだね」

おばあちゃんが生きてたら一発で分るって感じだもんね

と答えた。


中学のガードマンの男性に夕矢は写真を見せると事情を説明した。

ガードマンは少し悩みつつ

「俺も地元じゃないからなぁ」

と言い、通学していた中学の一番古い国語の教師を紹介してくれたのである。


年齢は65歳の女性教師で地元の女性だという。

彼女は応接室に夕矢たちを通し写真を見ると少し考えたように目を細めた。


「そうねぇ、その祖母の方は東津洗の方と言っていたわね」

彼女はそう言い冴姫が頷くと

「この写真は分校の近くにあった天竺川じゃないかしら」

分校は少し山手にあってみんな小さな橋を渡って通っていたらしいわ

と呟いた。


それに夕矢も尊も貢も

「「「おおおお」」」

と声を上げた。


夕矢は重要情報に拳を握りしめ

「それでその川はどの辺りに」

とマップを出した。


彼女は小さく笑むと

「それは分からないの」

と答え

「あの辺り市営住宅が密集して立っていたでしょ?」

その開発の時に田んぼも川も全部埋められてしまって

「この桜の木や橋の正確な場所はわからないわ」

ごめんなさい

と告げた。


まじかよ。

とその時同時に四人は心で突っ込んだ。


確かに市営住宅が立ち並び田んぼの田の字も見当たらない。

川などあったとは到底思えない状況である。


だが。

だが。

夕矢は息を吸い込むと

「どこかで昔の地図を見れたらいいんだよな」

と言い

「図書館とか探してみるのも悪くないよな」

と呟いた。


それに女性教師は

「ああ、そうね」

と言い

「駅に直結したレストランとか入っているモザイクモールの5階6階に市営の図書館があるわ」

確かに置いているから調べてみたらいいわね

と告げた。


夕矢は彼女に礼を言い駅へと向かった。

時刻もちょうど昼時である。

食事を済ませてからという事でハンバーガーショップで昼食を終えると図書館へと向かった。


図書館は吹き抜けの二階構造になっており5階は本が置かれて読めるようになっており6階部分にはパソコンが数台置かれてデジタル検索ができるようになっていた。


夕矢は司書の人に説明し持ってきたドライブマップに合うように地図をコピーしてもらったのである。


50年前までは確かに分校の前衛である小学校があり小川もそこへ行くための橋もあったようである。


夕矢はコピーを手に4人で再び駅からバスに乗ると市営住宅街へと向かった。

公園があり幾つかの店があり箱のような市営住宅がある。


その間を縫うように走る道。

夕矢は歩きながら

「この道が埋められた小川だったんだ」

と言い緩やかに右手へとうねり再び前へと延びる道の手前で止まると写真を翳した。


その曲り方は写真にある小さな川のカーブに似ていて地図でも学校に繋がる小さな橋のあった場所と重なった。


今はただの道だ。


冴姫は夕矢が翳す写真を見て

「ここっぽいけど」

桜も川自体がないよね

とぽつりとつぶやいた。


夕矢は頷き

「ここだと思うけど…結局、三ツ葉のおばあちゃんの忘れないって意味が分からないな」

とぼやいた。


全く変わり果ててしまって何があったのかの名残すら感じられない。


尊も息を吐きだすと

「タイムカプセルを埋めていたってもうなくなってるって感じの変わり具合だよな」

と肩を竦め、並ぶ店の中の和菓子屋に目を向けた。


「もしかしたら、ずっとここで店をやってたら何か知っているかもしれねぇし」

当たって砕けろだぜ


夕矢は「砕けてどうする」と笑いながら突っ込み

「けど確かにこの辺りを良く知っているならいいかも」

と足を向けた。


そこには中年の男性と妻の女性。

そして、男性の祖母が店を営んでいた。


事情を話し、男性の祖母に写真を見てもらうと彼女はにこやかに笑みを浮かべた。

「ああ、この写真ねぇ…みんな貰ったんだよ」

と言い、同じ写真を手にすると

「分校が廃校になって全部更地になって桜も切ってしまうっていうので先生が写したやつをみんな貰ってね」

忘れないでおこうって

「この桜の木は小学校では一本だけの桜だったし」

懐かしい

と呟いた。


「きっと、この忘れないって書いたのはその頃のこの橋の下を通って桜を見上げてきた小学校の頃を忘れないって書いたんだろうねぇ」


何もかもがなくなって

何もかもが変わって


それでも

「その時が…この桜の木のこの光景があったことは忘れないってね」


夕矢も尊も冴姫も貢も顔を合わせて小さく笑みを交した。

彼女の祖母もこの目の前の女性と同じ思いで書いたのだろう。


全てが変わっていく中でも橋を渡って桜の下をくぐって学校へ向かった懐かしい日々を。

『忘れない』と。


和菓子屋を後に誰もが感慨深く沈黙を守ってバスに乗り帰宅の途についた。

太陽は既に西に傾き朱の色を深め始めていた。


夕矢が四辻橋の駅に着いた時には町に夜の帳が降りすっかり暗くなっていた。


冴姫は四辻橋のホームで別れ際に笑みを浮かべ

「これで安心しておじいちゃんに言えるわ」

ありがとう

と言い

「私も今日のこと忘れないから」

また月曜日

と手を振って乗り場のホームへと貢と共に去って行った。


夕矢も手を振り尊と共に東都電鉄の列車へと乗り込んだ。

探索と言うか一寸した冒険の終りである。

彼らが乗った列車の中には多くの人が乗っており、よく耳にする人々のざわめきがありきたりな日常に戻った事を教えていた。


家では珍しく夕食を作って待っていた兄の夕弦が待っており夕矢を出迎えた。

テーブルにカレーと今朝末枯野剛士が持ってきたケーキがおかれていた。


夕矢はリビングに入ってそれを見て驚いたものの

「ただいま、兄貴」

と声をかけて

「夕飯作ってくれたんだ」

サンキュ

「遅くなってごめん」

と付け加えた。


夕弦は今朝と違って落ち着いた表情の夕矢の顔を見ると

「別に偶にはいいさ」

と言い、ふっと笑みを浮かべると

「その顔だと見つかったようだな」

と返した。


夕矢は頷き夕食を食べながら事と次第を話した。

一枚の写真に写る桜の木と小さな橋に込められた記憶への思い。


「なんかさ、そういうの良いなって思った」

あんな風に何十年も大切にしたい思い出があるっていうのがさ


夕弦はカレーを口に運びながら

「そうか」

良かったな

「そういう良い写真で」

と告げた。


夕矢は頷き

「うん、本当に良かった」

と笑みを浮かべた。


食事を終えて自室に戻っても今日の興奮は胸の中に残っていた。

写真の中に秘められた真実を見つけた時の興奮。

「楽しかったな」

そう言い窓辺に立つと

「兄貴の写真も…同じだったら良いな」

何時かそれを見つけられる日が来たらいいな

と呟いた。


兄が伏せた写真。

そこに映っていた桜の木。


淡い薄紅の花弁を付けた枝を広げその下で兄や末枯野剛士を含めた6人の男女が満面の笑顔で立っていた。


兄にとっても。

あの写真が今日の写真のように何もかもが変わっても忘れない忘れたくないという歴史の一部ならいいのにと…祈りたい。


あんな笑顔の兄の姿を高校卒業前位から見ることがなくなったのだから。


この時、夕矢が見つめる窓の向こうの夜の光景の中では時の移ろいを教えるように葉桜になった桜の木々が風に吹かれ枝を緩やかに揺らしていた。


END


最後までお読みいただきありがとうございます。


続編があると思います。

ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。

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