言ノ葉魔法の代書屋さん
通りの端っこ、大きな建物に挟まれて立つ、赤い三角屋根の小さなお店。
窓を覆うカーテンは、ふんわりと軽やかな白のレース。それ以外には書き物机と椅子が二脚あるだけの、殺風景で狭い店内。
――大事な大事な私の城だ。
カーテン越しに差し込む日差しに目を細め、私は一通の便箋に目を落とす。
質素な書き物机を挟んで向かい合うのは、本日のお客様である初老の女性。上品なドレスに身を包み、緊張したように唇を噛んでいた。
「――朝晩めっきり冷え込むようになってきましたが、お変わりはないですか。早いもので、あなたが隣国に赴任してもう一年が経つのですね」
静まり返った部屋の中、私の声だけがやわらかく響く。
これは隣国へと旅立った息子に宛て、母親が送る手紙。彼女の惜しみない愛情が伝わるよう、心を込めてゆっくりと読み上げる。優しい文面に、ごく自然に口元がゆるんだ。
「仕事が忙しいからといって、食事をないがしろにしては駄目ですよ。あなたは昔から、ひとつに集中すると、すぐに周りが見えなくなるのですから。どうか身体にだけは気を付けて、あなたの思うがまま頑張りなさい」
愛を込めて、母より。
最後の一文まで読み終えて、食い入るように私を見つめる彼女に頷きかける。すっと手を伸ばし、手の平を天に向けた。
「――結べ。言ノ葉」
ふわり、と黄金の葉が空中に出現する。
親指の爪ほどの小さな葉。ふわりふわりと数を増やし、手の平の上を不規則に舞い踊る。葉を囲むように光の粒も舞い踊る。
やがて葉と光が一点に収束し、一枚の大きな葉を形作った。私の手の上に音もなく落下する。
すべすべした表面を指で撫でると、私はにっこり笑って黄金の葉を差し出した。
「できました。こちらがお客様の『言ノ葉』です」
「まあ……! ありがとう、代書屋さん!」
ぱっと顔を輝かせた彼女は、深々と息を吐く。どうやら今の今まで呼吸を止めていたらしい。
恐る恐る葉を受け取ると、頬を真っ赤に上気させた。先程私がしたのと同じように、愛おしげに葉の表面をなぞる。
「早速、送ってしまっていいかしら?」
「もちろんです。――さあ、目を閉じて」
大きく頷いた彼女は、生真面目にきつく目をつぶる。私は椅子から立ち上がり、足音を立てずに彼女の背後へと回り込んだ。
トン、と彼女の肩に手を置く。
「息子さんの顔を思い描いて。ご本人がどんなに遠くにいたって大丈夫。言ノ葉魔法に距離は関係ありません。原動力はただ、『届けたい』と願うお客様の心のみ」
「……ええ」
耳元に囁きかけると、彼女は消え入るような声で答えた。緊張にこわばる後ろ姿に向かって、真摯に語り続ける。
「息子さんの表情は、どんなふうですか? 黙ってる、それとも何かをしゃべってる?」
「嬉しそうに、笑っているわ。私の作ったお夕飯が、好物だった時の顔……」
「ふふ。では、その幸せそうな息子さんに、お客様の言ノ葉を差し上げて?」
彼女が一瞬肩を震わせる。
あっと思った時にはもう、彼女の手の中の葉は跡形もなく消えていた。
目を開いた彼女もそれを確認し、大興奮で私を振り返る。
「失くなったわ! 言ノ葉は、あの子のところに届いたのかしら!?」
「はい。距離も時間も飛び越えて、たった今彼の手に舞い降りたはずです」
自信たっぷりに請け合うと、彼女は声を立てて笑い出した。膝のバッグからいそいそと財布を取り出して、銀貨を私の手に握らせる。
「本当にありがとう。今朝、初霜が降りたでしょう? あの子はお腹を壊しやすいのよね、なんて思い出した瞬間、もう居ても立っても居られなくなっちゃって。普通の手紙はどうしたって日数が掛かるもの、ね?」
「ええ。その点、言ノ葉魔法は万能です。……いえ、ひとつだけ欠点がありますから、万能というのは言い過ぎでしたね」
私は苦笑して肩をすくめる。
なぜなら、言ノ葉を受け取った息子さんが聞くのは、この優しい母親ではなく私の声だから。言ノ葉魔法が届けられるのは、あくまで術者の声だけなのだ。
申し訳なく眉を下げる私に、彼女は大きくかぶりを振った。
「あなたの声、透き通るように美しくて素敵だわ。それに、話す時の抑揚の付け方が私にそっくりだった。……そのために、先に私に手紙を読ませたのね?」
「ご明察です」
私は恭しくお辞儀する。
お客様からの依頼を引き受けた際は、まず初めに軽い雑談から始めることにしている。たとえ短い時間であっても、おしゃべりの端々でお客様の人となりが知れるからだ。
打ち解けたところで、持参した手紙を声に出して読み上げてもらう。目を閉じて集中し、言ノ葉魔法を使う際になるべく忠実に再現するのだ。
「飛び立った言ノ葉は、受け取り手の元で私の声を再生します。……たとえお客様と違う声、違う性別であったとしても、語り口にお客様を思うよすがとしていただければ。代書屋として、これ以上嬉しいことはありません」
「きっと息子も喜んでくれると思うわ。いえ、それとも照れちゃうかしら? 若くて綺麗な娘さんの声が、母親の手紙を読み上げるんだもの」
くすぐったそうに笑い、「さて!」と彼女は腰を上げた。
「料金のこともあるし、そうそうはお願いできないと思うけど。きっとまた依頼に来るから、ぜひ引き受けていただける?」
「ええ、もちろん」
コートを羽織る彼女に手を貸して、私は深々と一礼する。
「言ノ葉魔法の代書屋『レティ』は、いつでもお客様のお越しをお待ちしております」
◇
店の前に並べた植木鉢に水やりを終えてから、私は大きく伸びをした。花弁に付いた水滴が、朝日を弾いてきらきらと輝く。
真っ青に晴れ渡った空を、目を細めて見上げた。
「雲ひとつない良い天気……。さあ、今日はどんなお客様が来るのかな?」
ドアノブに掛けた看板を裏返し、飾り文字で「営業中」と記された方を向ける。そのまま足取りも軽く店内へと戻った。
――カランッ
ドアベルの澄んだ音に、私ははっと顔を上げる。手にしていた小説を机に伏せ、慌てて立ち上がった。
(いけない、いけない)
一人きりの店内では、本を読んで時間を潰すことが多い。意識は常に扉に向けているつもりなのだけれど、こうして物語に夢中になってしまうこともしばしばだ。
入ってきたお客様に一礼し、「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶をした――……が。
その笑みが一瞬にして凍りついた。
「…………」
「あっ、すみません!」
立ち尽くす私を見て、きっと不審に思ったのだろう。
ぐぐっと眉間に皺を寄せるお客様に、私はあたふたと謝罪した。すぐに椅子をすすめ、裏にある簡易キッチンで大急ぎでお茶を準備する。
「お、お待たせいたしました!」
湯気の立つティーカップとお茶請けを給仕すると、お客様は無言で会釈した。私も軽く頭を下げ返して、向かいの椅子に腰掛ける。
「あ……っ、えぇと」
なぜかこのお客様は、店内に入ってから一言も発していない。背中を嫌な冷や汗が流れた。
(どうしよう、最初の私の態度が悪かったから……!?)
あまりに背の高いお客様だったので、戸口に頭をぶつけやしないかとひやひやしてしまったのだ。
内心慌てふためきながらも、私はなんとか顔に笑みを貼りつける。
「あの、よかったらお茶菓子もどうぞ。うちの店のお隣にある、ケーキ屋さんで買ったクッキーなんです」
「…………」
「そ、その……。おいしい、ですよ?」
しどろもどろに勧めれば、お客様はむっつりと頷いた。
「――頂こう」
無骨な手を伸ばし、繊細なクッキーをつまみ上げる。まだあつあつの紅茶も一口含み、「うまい」と低い声で呟いた。
「よかったです」
ようやくお客様の声が聞けて、肩から力が抜けていく。
クッキーと紅茶を交互に口にするお客様を、失礼にならないようさり気なく観察した。――深緑色のかっちりとした外套に、胸ポケットには金の紋章。
この王都に住む者ならば、それの意味するところは小さな子供だって知っている。
クッキーを食べ尽くした彼に、私は恐る恐る確かめる。
「あの。お客様は……、王都警備隊のかた、ですよね?」
「…………」
彼はやはり無言で首肯した。
黒の短髪、頬に走る大きな傷跡。眼光だけで人を殺せそうな鋭い眼差し。
狭い店内ではいかにも窮屈な、筋骨隆々とした立派な体躯。
(ちょっと、うちの店では珍しいタイプかも……?)
代書を頼みそうなお客様には見えない、などと言ったら失礼だろうか。
それともプライベートの依頼ではなく、急ぎ必要な業務連絡でもあるのかも。
紅茶のお代わりをカップに注ぎ、私は上目遣いに彼を見上げる。
「あの、それで本日は、どういったご用件で――」
「無論、代書を頼みに来た」
私の言葉を彼が早口で遮った。
口をつぐむ私を、迫力満点の強面で睨み据える。たっぷり間を置いてから、彼はようやく再び口を開いた。
「恋文の代書をお願いしたい」
「…………」
こいぶみ?
◇
五年前、十八でこのお店を開いてから、私はそれこそ様々な依頼を請け負った。離れて暮らす家族に当てた手紙、遠くに越した友人への近況伺い、お世話になった上司へのお礼状――
……けれど、さすがに。
(恋文の代書なんて、初めてなんですけど!?)
私を探るように見つめる彼に、引きつった笑みを向けた。
「あ、その……。恋文は、おそらく代書には向かないと思うんですけども」
「何故だ」
即座に問い返され、私は大急ぎで考えをまとめる。
「……まず第一に、代書をする以上、私も手紙の中身を知ることになります。恋文を受け取るお相手のかた……この場合は女性ですよね? きっとそのかたも、いい気はしないと思うんです。せっかくの告白、初手から印象を悪くしてしまうのはよくないです」
「…………」
「第二に、代書の『言ノ葉』から再生されるのは、お客様の声ではなく私の声だという点です。もらった恋文から知らない女の声が流れてきたら、受け取った女性のかたも戸惑われるのではないかと思います。これも、せっかくの告白を邪魔する要素にしかならないかと」
「…………」
私が説明する間ずっと、男は腕組みして考え込んでいた。私が口をつぐんでから、男はようやくゆっくりと顔を上げる。
「……それでも、俺は君に頼みたい。無論、告白の成否に関わらず、依頼料はきちんとお支払いすると約束しよう」
真摯な様子に言葉を失い、ややあって私は仕方なく頷いた。恋文は代書に相応しくないとわかってはいても、お客様が望む以上断れはしないのだ。
「わ、わかりました。ではまず、手紙を用意していただく必要が」
「書いてきた」
懐からすぐさま封筒を取り出した。
おずおずと受け取って、封をされていない手紙を丁寧に開く。
「――それでは、拝見させていただきます」
緊張にこっそりと息をついた。
代書の仕事をしていれば日常的なことなのだけれど、私はいつもこの時、人様の秘密を盗み見ているような気持ちになる。まして今日の手紙は恋文なのだ。
どこか後ろめたさを感じながら、罫線からはみ出しそうなほど大きな文字に目を走らせた。
「…………」
ミミズがのたくったような、なかなかの悪筆だ。
もしや代書を頼んだのは、これも原因なのかもしれない。
四苦八苦して読み進めるうち、私はだんだんと自分の顔が赤らんでいくのを感じた。
――ああ、あなたの姿を目にするだけで、わたしの心臓は喉から飛び出しそうなほど暴れ回るのです。あなたはなんと罪なひとなのでしょう。
――優しく澄んだあなたの声は、まるで慈雨のごとく乾ききったわたしの心に沁み渡ります。
――あなたを前にすると胸が苦しくなるのです。鼓動は信じられない速度で打ち続け、このままでは想いを伝える前に死んでしまうかもしれません。
――ああ、どうすればこの想いをあなたにわかっていただけるのでしょう!
「…………」
「いかがだろうか。良ければ、女性の率直な意見を聞かせていただきたい。その分の料金も上乗せしてお支払いしよう」
遠い目で手紙をたたむ私に、男が生真面目に頭を下げる。私はどう答えるべきかと迷ってしまった。
私の仕事はあくまで代書で、お客様の手紙を添削する立場にはない。ないのだけれど――
「あの。この手紙、ご自分で考えて書かれたんですか? それとも、どなたからか助言をいただいたとか……?」
ためらいがちに尋ねれば、男は無言で懐から小さな冊子を取り出した。書き物机の上に載せ、まっすぐに私を見つめる。
「この本を参考にした」
【実録、恋文例文集! これであなたの恋も成就する!?】
「速やかに燃やしましょう」
私は速攻で本を回収した。
男も特に否やはないようで、「やはりか」と淡々と首肯する。
「実は俺も、少々回りくどすぎるのではないかと思っていた」
書き直すことにする、と告げると、男はあっさり腰を上げた。長身を窮屈そうに屈めて扉をくぐってから、ふと私を振り返る。
「申し遅れたが、俺は王都警備隊副隊長のジークという。近いうち、また訪ねる」
「あ……っ、はい! 私は代書屋『レティ』の店主、レティシアと申します! またのご来店、心よりお待ちしております!」
深々とお辞儀をする間に、ジークさんは足早に雑踏へと消えていった。店内に残されたのは、空っぽのティーカップとお皿だけ。
なんだか気が抜けてしまって、くすくすと笑いが込み上げるのだった。
◇
それから、ジークさんは私の店に足繁く通うようになった。
「おはよう、店主殿。今日のは自信作だ。読んでみてくれ」
――ああ。君の瞳は、夜空に浮かぶ幾億の星より美しい!
「少々詩的に過ぎるかと」
「そうか……」
そしてまた別のある日。
「昨夜は徹夜で書き上げてみた」
――この想い遂げられなくば、この先の俺の人生に意味など無い! 自ら命を絶つのみ!
「愛が重くて怖いです」
「そうか……」
そしてまたまた後日。
「前回の反省点を踏まえてみた」
――君を想うと、胸が痛いの。これってもしかして……恋、かなぁ?
「また変な本を参考にしたでしょう!」
「少女向けの大衆小説を少々……」
叱られた子犬、ではなく大型犬のように、しゅんとうなだれるジークさんであった。
◇
ジークさんは大抵朝一番、おそらくは警備隊に出勤する前に店にやってくる。いつの間にか私もそれに慣れ、頃合いになると紅茶を淹れて彼を待つようになった。
あつあつの紅茶が、少しだけ冷めて飲みやすくなった頃――……
カランッ
いつものようにジークさんが首をすくめ、低い入口をくぐって入ってくる。私は満面の笑みで彼を出迎えた。
「いらっしゃいませ、ジークさん。お茶菓子もご用意してあります」
ジークさんはこう見えて、甘い物が大好きなのだ。私が手紙を読む間、彼はいつも強面をほころばせてお菓子をつまむ。
「……うん、大分良くなってきたと思います」
手紙を折りたたみ、私はほっと胸を撫で下ろした。
「後は、そうですね……。彼女のどこに惹かれたかとか、どんなところが好きかなど、具体的なエピソードを入れたら喜ばれるかと思いますよ」
「具体的、か。なるほどな」
ジークさんは至極真剣な表情で頷いた。
私の返した手紙を懐に入れ、大きな手で上から押さえる。心に住む彼女を想うかのように、やわらかく微笑した。
「では、俺はそろそろ失礼する」
「はい。またお待ちしております」
戸口まで見送って、私は大きく伸びをする。
この分だと、ジークさんの恋文が完成するまでいくらもかからないに違いない。ようやく仕事に取りかかれそうで、私の気持ちもうきうきと弾んでくる。
(先にお祝いを用意しておこうかな。ジークさんは甘い物が好きだから……)
扉に鍵を掛け、お隣のケーキ屋へと急いだ。
ガラス窓を覗き込み、中にお客さんがいないのを確認してから扉を開く。
「こんにちは、エリー!」
「あら、レティ。お茶菓子の補充に来たの?」
ケーキ屋の店主で、友人でもあるエリーが嬉しげに顔を上げた。カウンターには美味しそうな焼き菓子が並び、甘い香りが充満していた。
「今日はね、予約に来たの。明日の朝一番に、焼き立てのケーキが欲しいのだけど」
「はいはい、了解。いつもありがとね」
さらさらと帳面に書きつけ、エリーがじっとこちらを見る。私が瞬きすると、エリーは意地悪そうに口角を上げた。
「レティ、最近楽しそうよね。お客さん用のお茶菓子だって、以前は選ぶのが面倒だからってクッキー一辺倒だったのに。ここ最近は真剣に選んでるし、紅茶の美味しい銘柄を聞いてきたりして」
「そ、それは。ちょっと手の掛かるお客様がいて、彼が甘い物が好きだから」
「ふぅん。彼、ねぇ。男なんだぁ」
意味ありげに確かめる彼女に、なぜかみるみる頬が熱くなる。
「お、男だけど、でもっ! 違うの、あの人は単なる代書屋のお客様でっ」
――そして、依頼の手紙は恋文だ。
まるで冷水を浴びせられたように、一気に冷静さを取り戻した。
目を丸くするエリーに、平気な振りをして笑いかける。
「もうすぐ仕事が終わりそうだから、美味しいケーキをご馳走したいと思っただけよ。……それじゃあ、明日お願いするわね」
踵を返しかけた私を、エリーが「待って待って!」と引き止めた。
「ごめん、何かあたし無神経なこと言っちゃった?」
「ううん、そんなことないってば」
ただ、改めて思い出しただけだ。
頑張りの方向性が少しだけズレているものの、ジークさんは優しくて誠実な人。きっと手紙を受け取る『彼女』も、彼の好意を嬉しく思うだろう。
(だから、大丈夫……)
ちょっぴり寂しい気持ちがするのは、単に気の迷いに過ぎないのだ。
「うあー、なんかホントごめん。……あっ、そうだ! お詫びにこれあげるっ」
カウンターに戻ったエリーが、小さな紙切れを手渡してくれる。
「通りの向こう側にさ、新しくマフィンの専門店がオープンしたの知ってる? それがウチの古ーい店とは大違いの、いかにも女の子受けしそうな可愛い外観でねっ」
エリーのケーキ屋は両親から受け継いだお店で、確かに築年数は古い。それでも店内はいつも清潔に片付いていた。
「それで偵察に買いに行ってみたわけよ。オープン記念で次回使える割引券をもらったから、よかったら使ってみて! 味はうちの圧勝だけど、見た目はすっごく凝ってたの。目先が変わって彼も喜ぶかもよ?」
「あ、ありがとう」
礼を言いつつも、胸の内では戸惑っていた。
ジークさんと会うのは明日がきっと最後になるのに、エリーはそれを知らないのだ。この縁がずっと続くのだと勘違いをしている。
ため息をついて店を出た。
自分の店に戻ろうとして、ふと手の中の券に目を落とす。
「…………」
扉に掛けられた「営業中」の看板を、衝動的に裏返して「休業」へと変えた。そのまま足早に通りの向こうへと走り出す。
(……いいよね。だって、明日が最後なんだから)
もともと私の店は不定休だ。
ここ最近は休みなく働いていたのだから、たまにはいいだろう、と自分に言い訳する。
甘い物好きなジークさんに、美味しいケーキをたくさん振る舞ってあげたい。エリーのケーキに、新しいお店のマフィン。きっとあの大きな体で、ぺろりと平らげてくれるはずだ。
息を弾ませて目当ての店に到着し、そして茫然と立ち尽くした。
「うわっ、すっごい行列……!」
さすが話題のお店。
三軒先まで届くほど、長い長い行列ができていた。
店の外壁は全面ピンク色で、ハートの模様が描かれている。真っ白な扉に飾られるのは、花のリースと色とりどりのリボン。
エリーの言っていた通り確かに愛らしい……けど、ちょっと少女趣味すぎるかも?
苦笑しつつ、最後尾に並ぶため行列を辿っていく。
「……っ!?」
そして、そのまま超高速で路地裏に隠れた。
(えっ? えっ?)
行列に並ぶのは見事に若い女性ばかり。
きゃあきゃあと華やいだ雰囲気の中、場違いにいかめしい巨人のような大男が見えた気がしたのだ。
(落ち着け、落ち着け……)
深呼吸してこっそり顔を覗かせる。
「…………」
いた。
いつもの十割増しで眉間に皺を寄せ、恐ろしい形相で虚空を睨みつけるジークさん。前後に並ぶ女性達は、さり気なく彼から距離を取っている。
そこだけ異様にぽっかりと空いた空間を目指し、私は勇気を出して路地裏から出た。
「こんにちは、ジークさんっ」
「ハッ!? て、店主殿!?」
ジークさんが血走った目を私に向ける。
彼は今朝会った時と同じ隊服を着ていた。仕事はどうしたのだろう、と私が考えたのを察したように、「今日は遅番だからな」と早口で告げる。
「それでいつも行列の、この店のマフィンを買ってみようと思い立ったのだ」
「ジークさん、甘い物がお好きですものね」
いたずらっぽく見上げれば、ジークさんは困ったように頬を掻いた。
「その……、実は、明日君の店に行く時の手土産にするつもりだった。まだ何の料金も払っていないのに、毎回菓子だけ貪り食っているのが大層申し訳なく」
「ええっ? そんなこと気にしなくたっていいのに……!」
驚きながらも、ジークさんらしいな、と頬がゆるんでしまう。ちらちらとこちらを気にする行列の女性達に、私は深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。良かったら、私も彼と一緒に並んで構わないでしょうか?」
彼女達はびっくりしたように顔を見合わせたが、すぐに「ぜひ!」「どうぞどうぞ!」と食い気味に返事をする。
胸を撫で下ろし、お礼を言ってジークさんの隣に立った。
「私、割引券を持ってるんです」
「使っていいのか? ならば、マフィンの代金は俺に払わせてくれ」
でも、と反論しようとする私に、ジークさんは静かに首を振る。
「隣にいてくれるだけで心強いのだ。……正直、さっきまでは生きた心地もしなかった」
「…………」
率直すぎるジークさんの言葉に、私は思わず噴き出してしまった。恋文の代書を堂々と頼みに来る割に、こういった場では意外と繊細なんだな、とおかしくなる。
肩を震わせる私を、ジークさんは無言で見守っていた。その優しい眼差しにどきりとする。
「あ……っ、そのっ。今日は遅番なら、忙しくて手紙を書く暇なんてないかもしれませんねっ?」
赤くなった顔を隠すために目を逸らせば、ジークさんは「大丈夫だ」と力強く頷いた。
「あと必要なのは具体的なエピソードなのだろう? 彼女を好きになった時の話など、悩むまでもなくいくらでも書ける。手紙は今日中に完成するはずだ」
「……彼女さんとは、どこで出会ったんですか?」
するりと言葉がついて出る。
立ち入り過ぎなのはわかっていたが、自分でも自分の気持ちを抑えきれなかった。胸の鼓動が速くなる。
ジークさんは少しだけ眉根を寄せ、行列の先をじっと眺めた。私が息苦しさに耐えきれなくなった頃、ようやく静かに語り始める。
「俺は王都に転属になるまでずっと、辺境の国境警備隊に所属していた。険しい山麓にあるその地には危険な魔獣が多く、俺は何度も死にかけた」
中でも五年前、頬に今も残る傷を負った時の怪我が、これまでで一番酷かったのだという。
「まさに満身創痍という言葉がぴったりだったな。俺は何日も生死の境をさまよい、命を取り留めた後もしばらくベッドから離れられなかった。弱りきった体につられるように、次第に気持ちまで萎えてきて――」
つらい日々の中、ジークさんを救ってくれたのが『彼女』だったのだそうだ。
ためていた息を吐き、ジークさんは愛おしそうに目を細める。
「彼女は何度も何度も俺を励ましてくれた。きっと怪我は治ると、また元のように動ける日が来ると。彼女にとってそれは単なる仕事に過ぎないことはわかっていたが、それでも俺は彼女に救われた。優しい声を聞くだけで、天にも昇る心地になったのだ」
「…………」
(きっと……)
ジークさんの『彼女』は、国境警備隊に所属する医師か看護師だったのだろう。
ジークさんがこうして体を治して、今ここにいてくれるのは全部『彼女』のお陰なのだ。
滲んだ涙を払い、私は精いっぱいの笑顔を彼に向ける。
「素敵なお話ですね。ぜひ、その想いを伝えてあげてください」
「そうだな。ありがとう」
ジークさんも穏やかに頷いた。
◇
翌朝。
いつもより一時間も早起きした私は、念入りに店の内外を掃除する。エリーからケーキも受け取ったし、紅茶の茶葉も普段より高級なものを用意した。
準備万端整えて、私は心を落ち着けて彼を待つ。
カランッ
待ち人が扉を開いた。
いつもの深緑の隊服に、すっきりと短い黒髪。頬に走る傷跡は、彼が生き抜いてきたあかし。
「――いらっしゃいませ」
ジークさんが静かに会釈を返して、二人書き物机を挟んで向かい合う。
まずは紅茶を飲んで喉を潤し、エリー特製のケーキに舌鼓を打った。昨日購入したマフィンは、仕事を終えてからのお楽しみに取っておく。
「では、こちらを」
手紙を差し出そうとした彼に首を振り、私は彼の手に手紙を握らせる。
「まずはジークさんが読み上げてください。それから、私が『言ノ葉』を作ります」
「……承知した」
緊張したように喉仏を上下させ、ジークさんが手紙に目を落とした。落ち着いた低い声音で、ゆっくりと読み上げていく。
「俺が初めてあなたを知ったのは、五年前のことでした――……」
◇
痛みが激しく、眠れぬ苦しい夜を幾日も過ごしたこと。
二度と再び日の下に出られないのではないかと、胸が凍えるほどの恐怖を感じたこと。
ようやく体を戻すための訓練に戻れたものの、経過ははかばかしくなく、何度も心が折れそうになったこと。
ジークさんは真剣な表情で、訥々と手紙を読み上げる。
「あなたの励ましがあったからこそ、俺は諦めずに前を向くことができたのです。あなたは俺の心の支えであり、五年間この想いが揺らぐことは一度だってなかった」
――あなたが、好きです。
そう不器用に締めくくった言葉に、私は危うく涙しそうになった。おずおずと手紙から顔を上げた彼に、泣き笑いの顔を向ける。
「とても、とても素敵だと思います。……ジークさんの『言ノ葉』、確かに私が受け取りました」
トン、と胸を叩いて目をつぶった。こぼれた涙が頬をつたっていく。
ジークさんから渡された手紙を手に、私は大きく深呼吸した。
「……それでは、いきます。――紡げ、言ノ葉」
目には見えないが、この瞬間確かに魔法が発動する。
今しがたジークさんが読んだばかりの文面を、私も丁寧になぞるようにして読み上げていく。
「あなたの励ましがあったからこそ、俺は諦めずに前を向くことができたのです」
それでも、頑張ったのはあなた自身だわ。
「あなたは俺の心の支えであり、五年間この想いが揺らぐことは一度だってなかった」
眩しいぐらいまっすぐで、とてもとても優しい人。
「――あなたが、好きです」
声は震えなかった。
彼が彼女を想うぐらい……いいや。それ以上に気持ちを込めた自信がある。
固唾を呑んで見守るジークさんに、ふわりと微笑みかけた。
「――結べ。言ノ葉」
見慣れた黄金の葉が、空中から分離するようにして次々と現れる。きらきら、きらきら。ほんの小さな言ノ葉達。
光の粒を巻き込んで、やがて一枚の立派な葉っぱへと生まれ変わる――……
「……はい。お待たせいたしました」
出来上がった『言ノ葉』を、ジークさんの節くれだった手に握らせる。
ジークさんは大きく息をつくと、こわばった顔をほころばせた。
「ありがとう。では今すぐ、彼女に送ろうと思う」
「……はいっ」
送り方は知っているのだろう、ジークさんはすぐに目を閉じる。鼻の奥がツンと痛んで、私は壁際まで後ずさった。
(泣かない、泣かない……)
震える呼吸を必死で飲み込む。
声を上げて泣くのは、言ノ葉を送ってから。
二人でお祝いのマフィンを食べてから。
ジークさんが、この店を去っていってから。
乱暴に顔をこすって目を閉じた。
(ああ、失恋しちゃ――……っ!?)
突然、瞼の裏が真っ赤に染まる。
驚いて目を開ければ、眩しいほどの光が満ちていた。目の前に浮かぶのは、太陽のように輝く黄金の葉。
「……え……」
「店主殿。どうか、俺の言ノ葉を受け取っていただきたい」
ジークさんが、いつもの生真面目な表情で私を見つめている。
彼の顔と言ノ葉とを見比べて、私は茫然と呟いた。
「……どうして……?」
「五年前、俺が辺境で怪我をしたちょうどその頃に、君は王都で代書屋『レティ』を開いた」
……そうだ。
五年前に私は独り立ちをして、念願だった自分だけの店を持った……。
驚きに思考停止しながらも、順風満帆とはいかなかったあの頃のことを思い出す。
王都にある代書屋は私の店だけじゃなく、最初はお客様なんてちっとも来なかった。
そう。
だから、苦肉の策として私は――
「半額セールをしただろう。それで王都に住む俺の家族や友人達は、こぞって君に代書を依頼したのだ。頑張れ頑張れ、怪我に負けるな、と代わる代わる言ノ葉を送ってくれた。……普段より、かなり格安な料金で」
「そっ……!」
私は目を白黒させた。
言い訳の言葉を探そうとする私を、ジークさんはおかしそうに見守る。
「でっ、でも私、決して手は抜いてません! あの頃作った言ノ葉のこと、全部はっきりと思い出せます!」
そう、あのたくさんの言ノ葉!
大怪我した息子を、弟を、友人を見舞いたいのだと、お客様が大挙して押し寄せた日々。彼らのために言ノ葉魔法を使うたび、言ノ葉を受け取る相手がどれだけ愛されているのか伝わってきて、心がとても温かくなったのを覚えている。
「そうか、君の心にも残っていたのだな。……ではどうか、俺の言ノ葉を受け取ってもらいたい」
黄金の葉は、未だにふよふよと空中に浮かんでいる。ジークさんも愛おしそうにそれを見つめた。
「君との接点が欲しくて仕事を依頼したのだが、君に言ノ葉を送りたいのも本当だった。これにどれだけ俺が励まされたのか、どれだけ嬉しかったか。君に知ってほしかったからだ」
「…………」
私は魅入られたように手を伸ばす。
なめらかな葉をしっかりと掴み取り、目を閉じて胸に抱き締めた。
「――響け、言ノ葉」
小さく命じた瞬間、黄金の葉がきらきらした光を放って四散する。光の粒に囲まれた私は、初めてこの耳で私の『言ノ葉』の声を聞く。
言ノ葉を聞き取れるのは、葉を送られた相手のみ。
送り手であるジークさんにだって聞こえない。
言葉がじんわりと沁み渡り、温かな涙が後から後からこぼれ落ちていく。
「……っ。ふっ……」
再生を終えた言ノ葉が、再び黄金の葉へと戻った。これからは持ち主である私が命じるたび、何度でもこの手紙を再生してくれる。
「店主殿。俺は……」
「レティ」
涙を払い、私は笑顔でジークさんを見上げた。彼が目をしばたたかせる。
「レティって、呼んでください。親しい人は、みんな私をそう呼ぶの」
「……レティ」
噛み締めるように呟くと、ジークさんは嬉しげに微笑んだ。いつものまっすぐな眼差しで私を見る。
「レティ。君の返事を聞かせてもらえないだろうか」
「それはまた後日」
澄まして告げれば、ジークさんが目を剥いた。
私はくすくす笑いながら、彼に背中を向けてしまう。
「だって、私も言ノ葉を送りたくなっちゃったんです。お返事は気長に待っててくださいね?」
「生殺しだ……」
大仰に呻くジークさんにまた噴き出して、私はマフィンの箱を開いた。可愛らしくデコレーションされたそれに大歓声を上げる。
「わっ、美味しそうです! さあ食べましょう、ジークさんっ」
ジークさんはしぶしぶ椅子に腰掛けた。
紅茶を淹れ直し、全部で六つあったマフィンを二人で代わりばんこに選ぶ。
恨めしげだった彼の顔が再びほころぶまで、さして時間はかからなかった。
◇
代書屋『レティ』の朝は早い。
窓を全開にして空気を入れ替え、店の前を丁寧に掃き清める。箒を手に、そわそわと気にするのは通りの向こう。
さして待つこともなく、今朝も私の『待人』がやって来る――
「おはよう、レティ」
両手にパンの紙袋を抱え、ジークがはにかんだ。
「おはよう、ジーク」
声を弾ませて答え、私は彼を店内に招き入れる。出勤前にここで朝食を取るのが、もうすっかり二人の日課となったのだ。
箒を片付け、手早く紅茶を用意した。
ジークが大皿に並べてくれたパンを、私は上から大真面目に覗き込む。
「甘くないパンもちゃんとある?」
「抜かりなく。君の分は甘くない物を取り混ぜて、そして俺の分は」
『ぜーんぶ、甘いパン』
声がぴたりと重なって噴き出した。
テーブルで向かい合い、二人で笑い合いながらパンをほおばる。甘いパンに甘くないパン、そして揃いのカップの熱い紅茶。
殺風景だった店内には、黄金の葉が二枚並べて恭しく飾ってある。一枚は私の、そしてもう一枚は彼の物。
彼の言ノ葉は一体どんな言葉を響かせるのか。
ケーキ屋のエリーは私から聞き出そうと必死だったけれど、残念ながらそれを他の人が知ることはない。
私の送った言ノ葉を聞き取れるのは、この世でジークただ一人だけなのだから。
「いってらっしゃい!」
仕事に出るジークの背中を見送って、看板を「営業中」に裏返す。私だけになった店内で、今日も小説を手に静かに待ち続ける。
やがて、ドアベルの音が軽やかに鳴り響いた。
「――いらっしゃいませ! 言ノ葉魔法の代書屋『レティ』へようこそ!」