Episode:7 愚かしくも素晴らしい、暴力
ルーナ・アストレアは、女子寮の自室に帰ってくるなり、制服のままベッドの上に寝転がった。
髪が乱れ、上着にシワがつこうとも構わない。
一度、身を休めなければ心も休まりそうにないから。
「……ゼノア・バロム」
先程にふと会ったクラスメートの名を呟く。
昨日までは、ただのクラスメートのはずだった。
無論、今でもただのクラスメートと言う認識である。
だが、今日はどうだ?
今朝に顔を合わせた時、彼から得体の知れない何か感じた。
自分を見る目が、明らかに他人と違ったのだ。
周囲の人間は、ルーナ・アストレアのことを『名家のエリート』だの『聖アイリスの女神』だのと、期待や羨望、嫉妬と言った感情を向ける。
しかし、今朝のゼノアのそれは違った。
期待、羨望、嫉妬……いずれも当て嵌まらない、驚くような気配。
まるで数年ぶりに会った友人を見たような、あるいは人が変わってしまったかのような……
「――ダメ、思い出せない」
昨日、ゼノアは唐突に意識を失って倒れた。それは思い出せる。
問題なのは、倒れるよりも前のゼノア・バロムを思い出せないことだ。
彼女の記憶では、ゼノアは居るか居ないかも分からない、やけに影の薄い少年だった。
と言うよりも、彼に関する記憶がひどく曖昧で、よく思い出せない。
ただ、あのような大それた事を言う少年ではなかったように思う。
数刻前の出来事を追想する――。
――俺と時代を変えようぜ――
まるで遊びに誘うかのような気軽さで、そんなことを言った。
ルーナは一瞬、「この人は何を言っているのだろう」と思考が止まっていた。
それでも思考を動かして会話を紡ぐ。
「時代を変えるって……?」
「ルーナは、魔法の価値は特権階級によって決まるような時代が間違っていると思っているんだろう?なら、変えればいいじゃないか」
事も無げにそう言ってのけるゼノア。
そんな簡単に時代が変わらないから、「自分は無力だ」と言っているのに。
だが、彼が嘘や冗談でこんなことを言っているとも思えない。
――その『ニコニコ』とした微笑みを見た瞬間、ルーナはこのやり取りを「悪魔の契約だ」と思った。
「……ゼノアくんは、今のこの時代をどう変えるつもりなの?具体的な案があるから、そう言えるのよね?」
ルーナは、試した。
ゼノアは果たして本気で時代を変えるつもりなのか、本気だとしたらそれはどうやって成し遂げるのか。
「具体案?あぁ、あるぞ」
その答えは。
「第七次魔法大戦の元凶、魔獣龍エンデアヴェルトを復活させる」
ぼこん、と頭を殴られたような感覚とはこういうことを言うのだろうか。
「"世界の終焉"、なんて大層な名前を付けたよなぁ。『人類がひとつになる』か『世界が滅ぶ』かの二択を突き付けるなんて、こいつを生み出した連中はバカと天才、どっちだろうな?」
冗談とも本気とも取れる、荒唐無稽な答え。
そもそも答えにすらなっていない。
「あの、ゼノアく……」
「もちろん冗談だ」
「〜〜〜〜〜っ、そう言う"御伽噺"を交えた冗談はやめて」
「ははっ。……"御伽噺"、か。まぁ、場合によってはそれも実現する必要もありそうだが……今は除外しておこう」
今、とてつもなく不穏な言葉が聞こえた気がするが、気のせいだろう、気のせいにしたい、いやむしろ気のせいであってほしい。
「まずはアレだ。この学院内で特権階級を笠に着るようなことを無くすべきだな。あのセルエ・グラディエートの横暴が罷り通っている……それは間違いなく間違いだ」
「それは……そうね。目の前の誰かの間違いも正せないのに、時代を変えるなんて出来るはずもない」
例え小さな間違いだとしても、それは間違いだと言い続けていれば、いつかはその指摘の意味が伝わるはずだ。
「そのためには……」
そのためにはどうするのか、はまだルーナには思い付せない。
ではゼノアならばどう言うのかと思えば。
「信賞必罰。評価は惜しみなく、罰は厳しく。『犬の躾と同じさ』。「家柄でゴリ押しにすれば何とかなる」なんて考え方を徹底的に否定する。相手にとっての正義をぶち壊せば、人間の心象変化なんて簡単だからな」
「……何かしら、信賞必罰って言っていることは真っ当なはずなのに、ものすごく不安にしか思えない」
犬の躾と同じと言うよりはむしろ、人の価値観を破壊して洗脳するようなものではないだろうか?
「まぁ犬の躾云々はともかくだ。『誰でも等しく平等に』って意識を広めていく。今後、差別的な発言、行動を見かけ次第すぐにそれを咎めるべきだな。場合によっては生徒会にも掛け合ってもらおう」
一見すれば、模範的な解答だろう。
だがルーナからすれば、今のゼノアからそんな穏当な言葉が出るなど、何か裏があるとしか思えない。
「……ちなみに、その咎めに対して反抗してきた場合は?」
「黙らせる」
即答だった。
「自分の正義と相手の正義。どちらも譲れないと言うなら、力で従わせるしかない」
やっぱり、とルーナは心底から溜息をついた。
「それはあまりにも極端よ。白か黒か、イチかゼロしか無いじゃない」
「限り無く黒に近いグレーは"白"か?それを許せば、誰も彼もがどこまでがグレーかを確かめようとするぞ」
食い下がろうとするルーナに、ゼノアは構わずに続ける。
「さっきも言ったはずだ、何かを変えるためには力が要ると。学内と言う限られた空間にいる何百人だけならともかく、時代の、何億人と言う人間の意識を変えるなら……」
不意に、ゼノアの纏う空気が変わった。
ニコニコした微笑みから、冷たく暗く重い狂人の瞳へと豹変する。
「それと同じだけの人間を殺す覚悟で挑め」
「なっ……!?」
それはつまり、一億人を変えるためには他の一億人を殺せと言うのか!?
「ゼノアくん……それ、本気で言っているの?」
「一人を殺せば罪人だが、百万人殺せば英雄になれるのと同じさ。なに、ちょっと桁数が二つ増えるだけだ。難しいが、不可能じゃない」
彼の血眼のような瞳は、正気ではないが本気だった。
「そんな……何も殺すことは無いでしょう!?私は人を殺してまで時代を変えようとは思わない!」
「なら、それはどうするんだ?鳥籠の中から「差別をやめなさい」と叫び続けるのか?そんな言葉は誰も耳を貸さないぞ?何不自由なく安穏としている人間の言葉に説得力なんてものは無い」
「それは!それ、は……」
ゼノアの言葉を真っ向から言い返せる"力"を持たないから、尻すぼみしてしまうのではないか?
だから自分は無力な小娘でしかないと自覚しているのではないか?
「だ、だとしても!ゼノアくんのように、私の言葉を聞いてくれる人が一人でもいるのなら………ッ!?」
苦し紛れに言い返すことは出来たが、
次の瞬間に、ルーナはゼノアに首を掴まれていた。
と言ってもそれは握力のない、ただ手を添えているだけに過ぎない。
「ほ ら な ?」
ゼノアの表情が、再びニコニコした微笑に変わる。
「力も無く叫ぶばかりじゃ、このように黙らされる。殺される」
「ッ……」
一瞬、本当に「殺される」と思ってしまった。
正しく彼の言う通りに。
「俺が本気なら、今ので死んでいたぞ」
パッとゼノアはルーナの首筋から手を離した。
「俺はこうやって相手を黙らせる。それでも黙らなきゃ殺す」
堂々とそう言ってのけるゼノアを前に、ルーナは震えながら自分の首筋に手を掴ませた。
あの、頸椎への冷たい圧迫感。
そして、死の恐怖。
「ち、からが……力が無ければ、殺される……?」
へたり、と膝が折れた。
折れた膝から、心が何かに侵されていく。
「誰かを傷付けて、虐げなければ、人は変わらないと言うの……?」
暴力で世界を染めたその先に待つのは何だ?
そんなもの、想像できるはずもない。
「暴力だけが全てではないさ」
先程とは打って変わって、穏やかな口調で語るゼノア。
「時代を変えるなら必ずどこかで暴力は必要になるだろうが、『暴力だけでは何も変わらない』」
まるで諭すように優しく語りかける。
しゃがみ込み、震えるルーナと視線を合わせて肩に手を置く。
不思議と、心の侵食は止まった。
「さっきも言ったな。「私の言葉を聞いてくれる人が一人でもいるなら」と。お前の声に、行動に、考えに賛同する人々を動かす。そんな力を持っているはずだ。暴力以外にも、戦い方はいくらでもあるんだぞ?」
「戦い方は、いくらでも……」
ルーナは、ゼノアの瞳を見つめる。
まるで底無しの闇。
その暗黒から溢れ出すのは、はたして何なのか。
「俺は、"力"を持つ人間は好きだぞ」
にこり、と笑う。
ルーナは頭の芯が痺れるような感覚に陥った。
目の前にいるのは、人の形をした暴力そのもの。
彼は本当に人間なのか?
「力を使う力を持て。無力な自分が悔しいなら、もっと強くなればいい」
ゼノアは立ち上がって窓際から離れ、下り階段へ足を向けた。
「じっくり考えてみたらいい。じゃぁな」
ひらひらと手を振って、ゼノアは階段の下へと消えていった。
ルーナは、そこからしばらく立てそうになかった。
というわけでEpisode:7でした。
何が正しくて何が間違いなのか分からなくなるルーナ。
暴力だけでは何も変わらないよ、でも変化を齎すなら暴力は必要だよ、と言う甘言を囁く悪魔ゼノア。
果たして彼女の選ぶ選択とは。