Episode:5 プライドの高さで勝てるほど喧嘩は甘くない
一悶着と片付けるにはあまりにも深い爪痕を残した昼休みを終えて、午後の授業へ移り変わる。
物理学のノートを書き進める最中にゼノアは、放課後は図書室へ行こうと決めていた。
やはり、闇属性の存在が無かったことのようにされていたのが気になるのだ。
教科書に載っていないのなら、それ以外の書物から調べれば良い、と言う考えからだ。
危険性によるものだとするならば、闇属性がどれほど危険で、どのような理由から封印に至ったのかを、調べたい。
図書室の場所はどこだったかなー、と記憶を解き返す。
五、六限目の授業と帰りのホームルームを終えれば、ようやく放課後だ。
「よーっし、今日の授業終わり!ゼノア、帰りにどっか寄らねぇか?」
終始退屈そうに授業を受けていたオズワルドは、ゼノアと寄り道しようと誘うが、そのゼノアは放課後に予定があった。
「すまんオズワルド、俺はこれから図書室に行くつもりでな」
「図書室ぅ?何か調べ物でもすんのか?」
「そうそう。ちょいと長丁場になりそうだし、寄り道は出来そうにないな」
「それじゃしょうがねぇか。何の調べ物か知らねぇけど、頑張れよ」
じゃオレはここで、と軽く会釈してからオズワルドは足早に教室を出ていった。
それを見送ってから、のんびりと手荷物をまとめ直していると、急に教室にざわめきが広がる。
同時に、ゼノアは近付いて来た魔力の気配に、それが何者かを捉える。
「(この魔力の波長は……セルエ・グラディエート。それとその従者か)」
500年後のこの時代に流れ着いてから誰にも教えていないが、ゼノアは他人の魔力を感じ取ることが出来る。
魔力には固有の波長があり、それによって個人を特定する。
一度その波長が誰のものかを理解すれば、基本的に姿が見えなくともその存在を認知出来るようになり、その距離も非常に広範囲だ。
やろうと思えば、学院内のどこにいるのかも簡単に特定可能だ。
つい先程――昼休みにそのセルエと、従者らしきウィルソンと言う生徒の顔を見て、固有波長は既に感覚だけでない知識としても身に付いている。
彼が自分に何の用があるのかと思い、ゼノアはのんびりと教室の出入り口に足を向けると、セルエの碧眼がゼノアの顔を捉えた。
「おい、そこのゼノア・バロムとか言うお前」
「うん」
とは言えゼノア自身、セルエの目的を何となくながら察していた。
有り体に言えば、逆恨みだろう。
「さっきは随分とコケにしてくれたじゃないか、忘れたとは言わせないぞ」
「覚えてるよセルエ・グラディエート。それで、用件なら手短にな」
俺は忙しいからな、と返すゼノアだが、その態度が癪に障るのか、セルエはその端正な顔の眉間を歪ませて声を荒らげた。
「僕がどこの誰かを知っていてその態度か!」
「同じ予科一年生だろ。ならタメ口で話しても問題ないな?」
「そう言う問題じゃない!……本気で理解していないようだから、それを僕自らの手で教えてやるよ」
怒りに身を震わせるセルエは、窓の外を指した。
「中庭に出ろ。そこでどっちが上か叩き込んでやる」
「は?喧嘩しろってか?」
めんどくさいな、とゼノアはぼやくが、それを聞けばセルエは急に得意気になった。
「ふん、怖気付いたのかい?あれだけ偉そうな態度をしておきながら、随分と臆病者だな」
「はー、お前ほんとめんどくさいな……」
早く図書室行きたいんだが、と軽く頭を掻きながらゼノアは頷く。
「いいよ、中庭だな」
ゼノアが挑発に乗ったと勘違いしたのか、セルエはニヤリと笑みを浮かべ、ウィルソンはただ黙っているだけだ。
セルエ・グラディエートとゼノア・バロムが、中庭で決闘を行う。
それは、教師達を避けながら学内中へと知れ渡り、中庭には少なくないギャラリーが集まっていた。
心底から面倒そうに、ゼノアはコキキと首を鳴らしながらセルエに問い質す。
「で、勝負方法は?」
「生身で殴り合うなんて野蛮は御免だからね、魔法で勝負しろ」
セルエはワンドを取り出して身構えるのを見て、ゼノアもワンドを取り出す。
「魔法で勝負か……殴り合いの方が手加減が楽なんだが」
まぁいいか、とゼノアはくるくるとペン回しのようにワンドを遊ばせる。
「開始の合図は?」
「お前の先攻でいいさ。僕に勝てるとは思えないけどね」
随分と余裕綽々なセルエだが、
「……あー、本当に俺が先攻でいいのか?」
むしろゼノアは彼を気遣った。
「その体勢で大丈夫か?ワンドの構える位置も、重心も不安定そうだし、何かあったら対処出来ないと思うんだが」
あまりにも迂闊すぎる。
暗にそう言っているのだ。
「何を……いいからかかってこい」
しかしセルエにそれは通じなかった。
「分かった」
ゼノアはそう瞬きし、
「――っっっっっッッッッッ!?!?!?!?!?」
セルエは目を見開いた。
彼には何かが"視えて"いた。
一体何が視えたのか、"ソレ"はセルエの言葉で表現出来るようなものではなかった。
紅く脈打つドス黒い"ナニ"かが、ゼノアの背後にいる。
龍なのか、獣なのか、蟲なのか、魚なのか、鳥なのか、人なのか、いやそもそも生き物なのか……いずれにせよ、この世の存在とは思えない、形容し難い"ナニ"か。
それを敢えて言葉にするのなら
――悪魔――
と言う他に言葉が当てはまらなかった。
もしかしたら自分は何かとんでもない間違いをしてしまったのではないか?
今ここで頭を下げて謝れば事なきを得られるのではないか?
だがセルエ自身のプライドが、謝罪すると言う選択肢を除外した。
「こ、こけ、虚仮威しを!そ、そんなもの、で、ぼぼ、僕が怯むも、ののか……っ!」
声も足も震わせておきながら、セルエは精一杯強がって見せる。
「ほぉ、"これ"が視えるのか。腐ってもヘンリー・グラディエートの血は引いているだけある」
端からのギャラリーは、ただ悠然と立っているだけのゼノアに、セルエがひどく怯えているように見えるだろう。
「し……仕掛けないのなら、こちらから行くぞ!」
あまつさえ「ゼノアの先攻による開始で良い」と言うルールさえ自ら無視して、セルエは自身の周囲に朱い魔法陣を展開する。
「――荒れ狂う炎よ、息吹となって薙ぎ払え――『フレイムブレス』!」
詠唱の後、顕現化された魔法陣からドラゴンのブレスのような火炎が放たれる。
フレイムブレス――火属性の中級攻撃魔術であり、予科一年生どころか、本科生ですらこれを扱える者は少数だ。
それを予科一年生で使いこなせるセルエの実力は、家名を鼻にかけるだけあるようだ。
「おぉ、なかなかの火力だな。悪くない」
自分を焼き殺さんと迫る火炎放射を前にしても、ゼノアは平然としているどころかむしろ関心している。
同じ予科一年生なら、これを凌ぐ手立ては無いだろう。
ギャラリーの誰もがゼノアの敗北を確信するが――
何事も例外とは存在するものである。
ゼノアは徐に左手の掌を前に向けると――火炎放射をそのまま吸収した。
「な、なっ……!?お、おま、何をし……!?」
自慢のフレイムブレスを防がれるどころか平然と吸収されたことに、セルエは驚愕する。
「一応、勝負を着けたことにはしたいが、あまり騒ぎにするわけにもいかないな」
魔法を喧嘩の手段に使った、などと教師陣に知られては停学――最悪、退学のおそれもある。
可能な限り穏便に、なおかつセルエを黙らせられる手段。
と、なれば。
「やっぱこれかな」
ゼノアがそう呟くと、
「え、……ぅ?」
不意にセルエはフラフラと右往左往し始め、瞼を閉じた瞬間には地面に倒れた。
眠ってしまったのだ。
なんの事はない、ゼノアが初級レベルの眠りの魔法を『無詠唱』で唱えただけだ。
それに反応できなかったセルエはまともに受け、レム睡眠状態になっている。
ゼノアは眠ってしまったセルエの元へ歩み寄ると、その手からワンドを取り上げた。
――これで勝負は決まったも同然だ――
その取り上げたワンドを、仏頂面のまま事を見守っていたウィルソンに差し出しながら話しかける。
「悪いがお前のご主人様に伝えといてくれ。「次似たようなことやったら永久に眠らすぞ」ってな」
ウィルソンは無言のまま頷くと、ゼノアからセルエのワンドを受け取った。
「……申し訳ない」
「ちゃんと反省させてくれよ?」
それじゃぁ俺はここで、とゼノアはひらひらと手を振りながら校舎内へと戻って行く。
今度こそ図書室へ行くためだ。
あまりにもあっけない幕引きに、ギャラリー達はざわめく。
「ウソだろ、あのグラディエート家のセルエを……」
「あいつのフレイムブレス、平然と吸収してたぞ……」
「つーかさっきの睡眠魔法、詠唱無しで発動してなかったか……?」
ウィルソンはそんなギャラリー達のざわめきを無視しながら、眠らされたセルエを担いでその場を後にしていった。
と言うわけでEpisode:5でした。
図書室に行こうとしたら因縁つけてきたセルエ、決闘しようとしたら相手がヤバすぎた、自慢の火属性魔法は吸収された挙げ句眠らされるセルエ、の三本でキメました。