Episode:3 勉学において何を学ぶかは本人次第である
王立聖アイリス魔法学院。
アバロニア王国領域下にある魔法使いのための修学所であり、魔法使いの適性見込みのある子どものほとんどは、15歳を迎える年になればこの学院へと入学する。
予科1、2年と、本科1、2年の合計四年を掛けて修学し、卒業後の進路は基本的に自由だが、生徒の大多数である貴族階級を持つ者は、一度実家に戻る場合が多い。
自分達のクラスである予科1年A組の教室に向かえば、多くの生徒がゼノアの姿を見て身を案じてくれた。
廊下でいきなり倒れたのであれば、大なり小なり何が起きたのか、大丈夫なのかと気にしてくれる。
ゼノアは自分のことをしてくれる生徒達に、おざなりにならない程度に挨拶と無事を伝える。
ゼノアが自分の席に着くと、その隣の席にいた、穏やかで柔らかい雰囲気の女子生徒が顔を覗いてくる。
「おはよう、ゼノアくん。身体は大丈夫かな?」
記憶からすぐに顔と名前を一致させ、隣りにいるややくすんだ茶髪をした生徒が、『コトネ・クランベリー』と言う名前だと認識する。
ルーナと仲の良い女子生徒であり、隣同士と言う立ち位置から、ゼノアともそこそこに仲が良いようだ。
「ん、身体は問題ない。大丈夫だ」
「そっか、なら良かった」
うんうん、と頷くコトネ。
「ルーナちゃんがすごく心配してたから、何かひどい病気なのかと思った」
「ひどい病気か。そう言えば確か昔、人体で抗体が作られない特殊なウィルスによる大規模な伝染病で軽く二千万人か死んでたな」
「……え、何その怖い伝染病」
ゼノアが当たり前のように500年前のことを言うと、コトネは顔を真っ青にした。その上、まるで聞いたこともないようだ。
「何だっけな、ソルズウィルスとか言ってたか。戦前以前に開発された対人生物兵器だ」
ゼノアはまだハッキリと覚えている記憶から、その当時の凄惨な情勢下を思い返す。
人体で抗体が作られずに急速に拡がって、感染した人体の中でさらに変異して再感染するほどの性質の悪い代物だ。
専用のワクチンも開発されたが、一度変異してしまうとそれも効かなくなるから手の打ちようが無く、むしろワクチンの接種によって、それ以上に他の病気に罹患しやすくなるデメリットもあったくらいだ。
「今はもう戦争とかは無いから、そう言うことは一般に伝わってないのかもしれないな」
もっとも、500年も間が開けばその辺りの(まともな)対応策も打ち出されて実行されているだろう。それでも何千万人と言う人間が死んだことに変わりはないが。
「うーん?よく分からないけど、そう言うものなの?と言うか、そんなのよく知ってるね?」
コトネがゼノアの博学さに感心していると、予鈴の鐘が鳴り響いてきた。
「はいみんな、ホームルームが始まるわよ。早く席について」
ルーナはパンパンと手を鳴らして、周りの生徒達に着席を促す。
ゼノアとコトネも談笑をやめて、ホームルームのために席に付き直す。
ホームルームが終了すれば、すぐに一限目の授業が始まる。
予想していた通りと言うべきか、魔法学院での授業はゼノアにとって大変興味深いものであった。
「――であるからして、魔力そのものは目に見えない形でそこにあるだけで、実際に視認、具現化するためには詠唱を介する必要があり……」
魔法学の教師が黒板にチョークを走らせながら、魔法に関するプロセスを懇切丁寧に説明している。
『とりあえず魔法が使えるなら後は戦いながら慣れろ』が当たり前だったゼノアからすれば、こうしてきちんとした理論の元に魔法が発動する仕組みと言うものは初めて知るものだ。
否、身体は知っているものの知識がそれに追い付いていなかった、と言うべきか。
「それじゃぁアストレア、教科書24ページの左下の行、読んでみてくれ」
「はい」
教師から名指しされて、ルーナは返事をして席を立つと、指定された部分をハキハキと読み上げていく。
「魔法には様々な属性があり、原初に発現されたのは、光属性。自然的に発現されたのは火、水、土、風の四属性。それらをベースとして人為的に派生されたのが雷、氷、重力の三属性である」
その欄を読み上げたルーナは、静かに席に着き直す。
「そう。今アストレアが読んでくれたように、魔法には光属性を始めとする八種類の属性があり……」
それを耳にしたゼノアは疑問符を浮かべた。
何故、闇属性に関する説明をしないのか。
ゼノアは教科書のページを前後させ、闇属性についての記述を探るが、それらしい項目は見当たらない。
闇属性とは光属性と相反する属性であり、同じく原初に発見された属性だったと記憶している。
対象に身体的・精神的苦痛を与えるのが基本であり、それらを浄化するのが光属性の役目でもあった。
予科生の内はまだ教えられないのだろうかと、思いかけたゼノアだが、確信のない、ほぼ勘に近い直感でその答えが脳裏に浮かぶ。
「(闇属性の存在が無かったことにされている?)」
危険な悪用を避けるために敢えて言及していないのかもしれないが、それを教えて戒めるのが学ぶと言うことではないのか。
今ここで闇属性の存在について質問するべきかと思ったゼノアだが、授業の進行を遅滞させることは控えるべきだろう。
自身の認識と授業内容の齟齬に妙な隔たりを感じつつも、ゼノアはカリカリと黒板の内容を書き写していく。
学舎だけあって、魔法に関する勉強ばかりではない。
物理学、化学、生物学、歴史学、言語学、数学、文学、芸術、体育と言った様々なカリキュラムで構成されており、魔法に全く関係のない内容も含まれているのだが、聖アイリス魔法学院は、魔法使いのための学舎である以前に、一教育機関でもある。
卒業生の中には、この学院を卒業してからは魔法を使うことなどほとんどなくなった者もいるそうだ。
戦いによって人を殺し、魔物を討つことばかりにその持てる力全てを振るっていたゼノアは、ほんの少し頭の使い方を変えるだけで授業内容を次々に理解、吸収し、そればかりか己の持つ力の発展昇華までさせていく。
彼にとっての学舎とは、知識の宝庫であり、それを好きなだけ飽きるまで究め続けることが出来る、500年前では想像するだけの、夢のような場所だった。
一限目は魔法学の基礎理論。
二限目は文学。
三限目は芸術。
四限目は数学。
その四限目の授業終了を告げる鐘が鳴り、オズワルドは背伸びと欠伸を同時に行う。
「くぁ〜〜〜〜〜、数学は相変わらずサッパリだぜ……」
「そうか?公式と数字を当て嵌めて解くなんて、パズルみたいで楽しいじゃないか」
そんな眠たげなオズワルドとは対照的に、ゼノアは実にイキイキとしている。
確かに数字がどうのこうのと問われても、魔法とは何の関係も無いだろう。
むしろ魔法とは無関係だからこそ、ゼノアにとって理数論はまるで一種の娯楽のように感じられるのだ。オズワルドからすれば、ただ面倒な数字の羅列にしか見えないのだろうが。
「そう思ってんのはお前くらいのもんだよ……さて、昼飯だ昼飯。食堂行こうぜゼノア」
手荷物を軽く纏めて、オズワルドはゼノアを食堂へ誘う。
「おし、食事の時間だ。美味しくいただくとするか」
「……なぁゼノア、お前そんなキャラだったか?」
「キャラも何も、これが"俺"であり、"ゼノア・バロム"だ。オズワルド・ロイがこの世に一人しか存在しないのと同じさ」
500年前の自分の魂がこの身体に憑依する前――昨日までの『ゼノア・バロム』がどうだったかは知らないが、今はこの魂と肉体こそが自分自身そのものだ。
「んー?ま、いいか。とにかく飯だな!」
細かいことは気にしないことにしたオズワルドに連れられるように、ゼノアは食堂へ向かった。
と言うわけでEpisode:3でした。
隣席のゆるふわ系クラスメート、コトネちゃんの登場、授業は楽しい、だけどどこかおかしいと言う、ゼノアが今の時代に少し疑問を浮かべる回でした。