Episode:10 能ある鷹は爪を隠して殺意を滾らせる
そのまま小一時間ほどはオズワルドの愚痴を聞かされたゼノアは、適当なところで彼を宥めて切り上げた。
サイダーの空容器を片手に自室に戻る……前に、用を足しておこうと思い、男子トイレへと足を向ける。
すると、男子トイレの出入り口から少し離れた位置に、昼休みと放課後に見た姿――セルエに追従していた、ウィルソン――『ウィルソン・ガーンズバック』が後ろ手に直立不動していた。
いつも近くにいるはずのセルエはどうしたのだろうかと思い、ゼノアは興味本位で話しかけた。
「こんばんはだな、ウィルソン」
ゼノアの挨拶に反応したか、ウィルソンは体勢をそのままに向き直り、一礼した。
「……こんばんは。何かご用か?」
「ん、お前のご主人様はどうしたのかと思ってな」
「……セルエ様は只今、用を足されている」
「それもそうか。じゃなきゃトイレの前で待ったりしないな。俺との決闘に敗けたからってヤケ食いして、腹でも下したか」
「……黙秘させていただく」
否定せずに黙秘すると言うことは、遠からず当たっていると言うことだろう。
やはりそうだったか、とゼノアは軽く笑ってみせる。
「……用件は以上か?」
直立不動で仏頂面、加えて口数も最低限。
どうやらわがまま勝手なセルエの従者だけあって、大概のことで動じたりしないように訓練されているのだろう。
もしかすると正式な生徒ではなく、グラディエート家がセルエのお目付け役としてゴリ押しで所属させた者かもしれない。
残念ながら魔法に関する才能が望み薄なのは、ゼノアが魔力の波長を読み取った時点で知れている。
しかし、単なる直立不動で"気を付け"をしているだけではなく、一見するだけでは分からない、隙のない姿勢だ。
「用件?あぁ、今ひとつ思い出した」
ぽん、とわざとらしく手を打つような仕草を見せた後。
ゼノアはその姿勢からウィルソンの喉仏目掛けてノーモーションで貫手を放つ。
普通の人間なら反応すら出来ない神速の一撃だ。
もちろん寸止めするつもりだったゼノアだが、寸止めをするよりも先にウィルソンは彼の貫手の手首を掴んで止めていた。
「……何のつもりだ」
一変して、ウィルソンの纏う空気が冷たくなり、殺気を放つ。
ゼノアの貫手の爪先が喉仏を掠めるような状態であろうと、一切動じていない。
「おぉ、寸止めするつもりだったんだが、まさか反応されるどころか、止められるとは思わなかったぞ?」
「……貴方の貫手には殺意が確かにあった。とても寸止めするつもりだったとは思えない」
ギチギチギチギチ、とゼノアの手首を骨ごと握りつぶすかのように握力を加えていく。
「あぁ、寸止めする寸前までは本気で殺すつもりだったからな」
するりとウィルソンの握力から逃れるゼノア。
「……恐ろしい方だ。自分の殺気を意図的にコントロールするなど、人間業とは思えない」
警戒を強めるウィルソンに、ゼノアは何事も無かったかのようにもうひとつ話題を用意した。
「そうそう、もうひとつ。来月の生徒会選挙、C組から立候補するのは、セルエか?」
「……そうだ。皆の前では「必ず勝ち抜いてみせる」と息巻いている」
「ほぉ、そうなのか」
やはりセルエが立候補するらしい。
人格面に難がありそうだが、聖アイリスのために自ら動きを見せようと思うのは、彼なりに学内をよくしようと思うからだろう。
「なるほど。来月の選挙は、なかなかの激戦になりそうだ」
「……貴方も立候補されるのか?」
「いや、俺じゃない。多分ルーナ・アストレアだろうさ」
「……そうか」
すると、男子トイレの方から足音が近付いてきた。セルエだろう。
「待たせたなウィルソ……、ゼノア・バロム!?こんなところで何をしている!?」
セルエは、ゼノアの姿を見るなり慌てて距離を取って警戒する。
「何って?このウィルソンに「セルエの従者なんてやめて俺に従えよ」って口説いてたところだ」
ケラケラ笑いながら息をするように嘘をつくゼノア。
「な、何だと!?ウィルソンッ、こんな悪魔の言葉に耳を貸すな!」
セルエはキザったらしい金髪を逆立てるように怒りを見せる。
悪魔とはなんだ失礼だな、とゼノアが言おうとしたところで、当のウィルソンが至極真面目に答えた。
「……いいえセルエ様。彼とはただ世間話をしていただけで、勧誘などは一切されておりません」
これは半分嘘だ。
世間話をしていたのは本当だが、つい先程殺気付きの貫手を仕掛けられたのだ。
けれどそれを話せばまたうるさいことになるだろうと承知していたウィルソンは、いつも通りに振る舞う。
「そ、そうか、ならいいんだ。いくぞウィルソン」
「……御意」
そそくさとゼノアから逃げるように速歩きになるセルエを尻目に、ウィルソンは「……では」と会釈してから踵を返した。
ゼノアはそんな後ろ姿を楽しそうに見送っていた。
ばふり、とゼノアはベッドの上に寝転がった。
この一日だけで色々、本当に色々とあった。
それら膨大な情報を整理していくゼノア。
500年と言う時を超えてきた『ゼノア・バロム』と言う自分の存在、悪友『オズワルド・ロイ』、リナリア・アストレアの末裔たる『ルーナ・アストレア』、隣席のクラスメート『コトネ・クランベリー』、魔法学院での授業や食事、ヘンリー・グラディエートの末裔たる『セルエ・グラディエート』とその従者『ウィルソン・ガーンズバック』、平民出身の『アイラ・ティナ』と王国騎士の家系を持つ『エリシア・クローデル』……
そして、500年前の"ゼノア・バロム"と魔獣龍エンデアヴェルトの存在抹消に加えて、闇属性魔法の秘匿。
今のこの時代は、自分の知る当たり前や常識とはかけ離れている。
それはまぁ、分からないでもない。
500年もの時が経てば、良し悪し関係なく世界は変わる。
けれど、この平和は何かおかしい。
表面上は平和を取り繕っているその裏で、何かが起きていて、その何かは不当な権力によって黙殺されているような……
ギチィ、と歯を軋ませて憤りを抑え込んだ。
そうでなければ、この寮を粉々に吹き飛ばしてしまいかねなかった。
それが可能な魔力を、ゼノアは持っているし、使うことも出来る。
「粛清だな」
子どもの浅はかなの思い付きのように、ゼノアはそう呟いた。
この時代に"暴風"を起こし、腐臭とその根源を吹き飛ばす。
けれど、学ぶことが出来るこの環境まで吹き飛ばしてしまうには惜しい。
ならば一介の学生の仮面を被りながら、まずはこの聖アイリス魔法学院を変える。
今ある草木を残らず引き抜き、種も根も土も、むしろ水源から全て変える。
学内を変えたら、次はこの国の政だ。
魔法とは階級爵位の象徴であると言う国民の価値観をぶち壊し、もっと民主的な存在だと自然に広めていく。
しかしそれをただ声にするだけでは届かない。
今のゼノア・バロムは、王国へ発言するための権力も何もない、それこそただの"根無し草"だ。
力が無いのなら、足りないのなら、強くなればいい。
自分だけでは届かないなら、誰かと協力すればいい。
かつて、自分だけでは世界を変えられないと感じ、仲間を募り集めた時と同じように。
「なぁアストレア」
ゼノアは、かつての友とも恋人とも言えぬ女に語り掛けた。
「お前の曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾、くらいか?の孫娘を借りさせてもらうよ。彼女は、今のこの腐った時代を吹き飛ばして、ぶち壊して、創り直すには、絶対に必要な力だ」
ニチャァ、と口角を邪悪に歪めた。
「……許せとは言わない。許せないと言うなら俺を殺せ。殺せるものならな」
そして、500年前から自分を見失わない言葉を自分に唱えた。
「神にも悪魔にも魔獣龍エンデアヴェルトにも、お前にも、誰にも否定させねぇ。絶対に、だ。何故なら俺はゼノア・バロムだからな」
自分の全てを肯定する、絶対的な魔法の言葉を呟いて、ゼノアは静かに眠りについた。
と言うわけでEpisode:10でした。
ただのセルエのお目付け役ではない隠された実力者ウィルソン、
主人公ゼノア、ついに粛清を思い付きのように決める、の二本で尖らせました。