毒霧のノイズ
「っ・・・」
地面に倒れたしずくは、手足を擦りむいて小さくうめき声を発した。
そして、すぐに自分へ近づいてくる者の足音に気付いて怯えた表情になる。
「大丈夫か!?しずく!」
すぐ近くまで駆け寄って来た蒼真が叫ぶと、しずくはハッとなって顔を上げた。
そして蒼真の方を向いて・・・
「っ・・・あっ」
突如路地から伸びて来た手が、しずくの青い髪を乱暴に掴んで引っ張った。
蒼真の方を向いていた顔が無理矢理向きを変えられ、また怯えた表情になったのが少しだけ見えた。
「しずく!」
蒼真は叫びながら、髪を掴む手を睨みつける。
その手は段々と高く持ち上げられ、髪を掴んでいる者の姿が見える頃には、しずくは強引に膝立ちにさせられるような状態になっていた。
路地から現れたのは、燃えるような赤い髪をした人相の悪い男だった。
逆立った短髪に、ギラリと光る銀色のピアス。ゴツゴツとした顔には、所々に傷跡がある。
着崩した制服は、蒼真達の物と同じだった。
「誰だお前・・・何でそんなことをする?しずくを離せ」
蒼真はじっと相手を睨みつけたまま、なるべく平静を装ってそう言った。
「・・・ぁ?」
そいつはわざとらしく威嚇するように小さく声を発すると、鋭い目で蒼真をにらみ返す。
「大丈夫か・・・って、おい蒼真!そいつは・・・」
近くまで駆け寄って来た小太郎だったが、蒼真と相対する者の姿を見てうろたえた。
「知ってるのか?」
「おま・・・お前な」
「ちょ・・・蒼真君知らないの?」
蒼真が聞くと、雪と小太郎は逆に驚いた。
「あれは落道紫昏、俺達の1つ上の先輩で・・・」
「・・・この辺りじゃ相当名の知れた不良なのよ」
二人が蒼真にそう説明すると、紫昏はバカにしたように笑った。
「不良・・・ってか。てめぇら先輩相手に・・・それもこの俺相手にいい度胸じゃねぇか」
「えっ・・・いや・・・あはは・・・その」
「何ビビってんのよ!年上か何だか知らないけど、あんた最低な男ね!年下の女の子に乱暴して・・・」
「しずくを離せ、落道」
蒼真がそう言うと、紫昏の表情が一変した。
「んだと?おいてめぇ・・・先輩を呼び捨てたぁ・・・面白れぇ奴だ・・・ほらよ」
顔を引きつらせながら言うと、掴んでいたしずくの髪を乱暴に離して投げ飛ばした。
「はぅっ!」
しずくは前のめりに倒れた。
「!」
目の前でしずくが倒れて、蒼真は紫昏を睨みつけたまま、放心した様に動かなくなった。
「おい・・・っ!」
その後ろから、小太郎が慌てて駆け出して、顔から血を流すしずくの元へ向かう。
真っ直ぐにしずくの方へ走って行く小太郎を見て、紫昏は不敵に笑っていた。
「っ・・・気を・・・付けて・・・っ先輩」
「海原ちゃん!」
「っその・・・人・・・」
苦しげな声で言うしずくの傍で、紫昏はボキボキと指を鳴らして小太郎を待ち構える。
小太郎は一瞬怯んだが、傷付いた仲間の手前引き下がれなかった。
「お・・・俺達が・・・っ!?」
意を決して踏み込もうとした小太郎だったが、それよりも早く紫昏の方が大きく踏み込んで来た!
「っおあっ!!」
振り抜かれた拳を奇跡的に回避した小太郎だったが、バランスを崩して転んでしまう。
紫昏は当然その隙を見逃さず、小太郎の上に馬乗りになる。
「ひっ」
「はっ・・・その程度かよ?なぁ」
言いながら、右手を小太郎の顔へ近づけていく。
その手は、紫色の”もや”の様なものを纏っているように見えた。
恐らく、蒼真達と同じ特殊能力によるもの。
「あれは・・・まさか!アイツ・・・!」
それを見て、雪も急いで小太郎の元へ向かう。
その途中で、いまだ放心したように立ち止まっている蒼真に呼びかける。
だが。
「蒼真・・・君・・・・・・?」
近くまで来て初めて気付いたが、彼は何かを呟くように唱え続けていた。
声があまりにも小さくてほとんど聞き取れなかったが、どうやら何か同じ言葉を繰り返しているように聞こえる。
「・・・どうしちゃったの・・・?」
不安な雪だったが、今はどうしようもなかったのでその場を離れた。
「っ・・・」
一方小太郎も、あからさまに危険な感じのする紫昏の右手を必死で抑えていた。
体勢の差もあるが、何より力の差が大きくて、抑えきれずどんどん顔の方へ手が近付いてくる。
「ふん!弱っちぃひよっこが・・・!」
「そいつから離れなさい!」
小太郎の近くまでやって来た雪は、すぐさま紫昏に向かって小さな氷塊を放った。
「うぜぇ!」
だが、小さな氷塊は紫昏に簡単に振り払われ、かえって怒りを煽るだけだった。
「っくぉ・・・ぁ・・・」
紫昏の右手がかなり近づいた所で、小太郎の様子が変わった。
少し苦し気にうめいたかと思うと、抵抗する力があっという間に無くなり、そのまま紫昏の右手で顔面を抑え込まれる形になった。
「!!!」
雪は思わず叫びそうになったのを両手で抑えて、涙目になって小太郎を見た。
「・・・」
紫昏の手が持ち上げられても、小太郎はピクリとも動かなかった。
紫昏は立ち上がると、怯えて震えるしずくは無視して、涙目になっている雪の方へゆっくりと歩いて行く。
「本気ならぶっ殺したが・・・俺ぁ優しいからなぁ・・・!」
そういってにやりとすると、再び右手に紫色のもやの様なものを纏わせた。
そしてそれを雪の方へ近づけていく。
「いっ・・・いや・・・」
雪は腰が抜けてその場に座り込んでしまったが、震える手で抵抗しようと尚も小さな氷塊を撃ち出し続けた。
「はっはははは!ザコが・・・ひよっこ共は大人しく引っ込んでりゃよかったのになぁ」
紫昏は的外れな方向へ飛び散る小さな氷塊をあざ笑いながら、左手で雪の首を掴んだ。
そして、右手のもやを雪に近づけようとする。
「っ・・・いやーーー!」
甲高い悲鳴が辺りに響いた。
「っ!」
叫び声を聞いて、蒼真はハッとなって顔を上げた。
頭の中はほとんど空っぽに近かったが、反射的に辺りを見回す。
「・・・小太郎・・・・・・雪・・・・・・・しずく・・・・・・っ」
目に映ったのは、3人の姿。
しずくは頭から血を流し、小太郎は白目を向いて倒れ、そして雪も、真っ青な顔で紫昏に掴まっていた。
それを見て、蒼真の頭の中に残っていた何かも綺麗さっぱり消し飛んでしまった。
「んっ!?」
何かに気付いた紫昏は咄嗟に雪を手放し、振り返る。
「っごぁはっ!」
振り返った紫昏の顔面に蒼真の拳が思い切り突き刺さっていた。
紫昏の体はまるで格闘ゲームの様にきりもみ回転して吹き飛んだ。
「そ・・・蒼真君・・・?」
助かった雪は自信を救ってくれた蒼真の方を見たが、彼の様子は明らかにいつもと違っていた。
まるで別人の様に鋭い目つきをした蒼真を見た雪は、怖かった。
「っ・・・んだおmっ!!」
口から血を流しながら立ち上がろうとした紫昏だったが、再び顔面に強烈な蹴りを受けて地面に倒れた。
後頭部を地面に打ち付ける衝撃の後、目の前に曇り空が見えたかと思ったら、右から蹴りが飛んで来て脇腹に突き刺さる。
「ぐぇっ」
脇腹を抑えようとする紫昏に蒼真は馬乗りになり、ちょうどさっきの小太郎の時の様な体制になった。
「ちょ・・・蒼真・・・君・・・?」
自分たちにとっての敵である紫昏を圧倒する蒼真だったが、被害者だった雪の目から見てもやりすぎだった。
今の蒼真には、知性や理性が感じられなかった。
彼には雪の声も聞こえていないようで、さっきの紫昏がそうだったように自身の右手に炎を纏わせるようにして紫昏を殴りつけていた。
「ぉ・・・てm・・・ぇ・・・」
右から左から、絶えず拳を喰らい続けた紫昏は意識も朦朧としていたが、命の危機を感じていたのでギリギリ意識を失わずにいた。
しかし、もはや戦意は感じられなかった。
「・・・」
蒼真はそんなことはお構いなしで、紫昏の顔面に向けて右手の人差し指を向ける。
そして、その指先に大きな炎を発生させていく!
「っ!」
紫昏は人生で初めて、明確に死ぬと分かった。
それは周りで見ていた雪としずくも同じで・・・
「先輩!!!」
悲鳴のような声で叫びながら、しずくが蒼真を後ろから羽交い絞めにした。
「っ!!」
しずくの声と背後からの感触を感じて、蒼真は再びハッとなった。
指先の炎はすぐに消え、彼はもう一度辺りを見回す。
さっきと比べると、しずくの代わりに紫昏が倒れているだけだったが・・・
「・・・・・・」
「先輩・・・もう止めてください・・・」
しずくの悲痛な声を聴いて、蒼真は全身を小さく震わせた。
そして・・・
「・・・先輩・・・・・・?」
小さな声で、何かを繰り返し呟いていた。
「何を・・・!?」
耳を澄ませて、しずくは思わずゾッとした。
蒼真は小さな、誰にも聞き取れそうもないほど小さな声で、ずっと「平和」と呟き続けていた。
それに何の意味があるのか?しずくには少しも分からなかったが、得体の知れない不気味さを感じた。
「・・・お・・・おち・・・ついて・・・下さい・・・?」
とりあえずそう言って、しずくは逃げる様に蒼真の傍を離れた。
「・・・!きゅ・・・救急車・・・!」
雪は飛び上がってそう言った。
謎の能力で意識不明になってしまった小太郎の為・・・と、流石にやり過ぎなほど痛めつけられた紫昏の分も含めて、雪としずくは救急車を呼んだ。
救急隊が駆けつけて二人を運んで行く間も、蒼真はずっと同じ言葉を呟き続けていた。