炎と氷
翌日の通学路。
まだ少し冷たい風が吹いて来て、蒼真は身震いした。
「・・・」
昨日の夜あった事を思い出して、周りを見回してみる。
町行く人々は、今までと変わらず歩いて行く。
蒼真は、突然の変化で自分だけが浮いてしまっているように感じた。
誰も見ていないところでなら火を出して暖を取れそうだ、と考えて、人通りの少ない路地へ入る。
「ふっ・・・」
ちょっと力んで、自分の指先に集中する。
すると、小さな火が指先に灯った。
やはり昨日のは夢や勘違いじゃなかった・・・と思っていると、指先の炎は瞬く間に大きく膨れ上がっていく!
「っわわっ・・・ったた・・・っと」
また昨日みたいに暴発されてはたまらないので、蒼真は慌てて地面に指を突き付けた。
「痛っ!」
勢いを付け過ぎて突き指気味に地面に着いた指先からは、細い煙が上がる。
「・・・暖まるどころの話じゃないか・・・」
自分の練度の問題なのか、それともそれ程融通が利くものではないのか?
また指先を火傷してしまって、蒼真はぼやいた。
覚えたてで、まだ能力を完全に扱いきれるわけではないとはいえ・・・
蒼真は早くも、能力に目覚めた事を少し後悔していた。
「でも・・・彩華ねーちゃんと同じか・・・」
今の彼にとって唯一の支えはそれだけだったが、たった一つのその支えを思うだけで沈みかけていた気分が軽くなった。
「さっさと行くか・・・」
蒼真は路地から足早に立ち去った。
少し離れた場所で自分を見る者の存在には、全く気が付いていなかった。
それからしばらくして、昼休みの教室―
「それにしてもお前、火傷って・・・」
小太郎は蒼真の指先のケガを物珍しそうに眺める。
「あ、あんまり見んなよ」
「えー?何だよ?アレか、アレか?料理とか練習してんのか?」
「指先だけ火傷って・・・どんな調理してんだよ・・・」
「んー?まぁそうか?良く分かんねーけどさ」
何だかんだで心配してくれているらしい小太郎は、蒼真が隠そうとした右手の指を奪う様にして自分の方へ引き寄せる。
「ちょ・・・」
危ないから止めろ、と言いたかったが、それを言ってしまっては全てを話すことになってしまう。
彼とは中学以来の付き合いで、軽くいい加減な風に見えて、情に厚く面倒見がいい奴だと蒼真は知っているから、余計な心配をさせたくなかった。
「アレか?お前も何か出せるようになった!とか?」
「え」
小太郎は楽しそうに蒼真の方へ人差し指を向けて言う。
「こうさ、ホラ、フィンガーー!・・・的な゛っ」
突然、小太郎の頭に数学の教科書が叩き付けられた。
「う る さ い」
後ろから現れたのは雪。
弱い風圧で蒼真の髪が少し揺れて、それから小太郎が振り返る。
「ったた・・・何だよ眞白ぉ」
「何だよじゃない!やかましいのよ!」
「お前の方がうるせー・・・」
「何!?」
「あはは・・・二人共落ち着いて」
「灰原君はもっとシャキっとしなさいよ!コイツの事野放しにしてたらダメよ」
「何だよ野放しって。俺はこう見えて情に厚い男だぜ?」
「知らないわよそんなの。・・・それよりアンタ、今日日直でしょうよ。仕事したの?」
冷たく言われて、始めはただむくれていた小太郎だったが・・・
「・・・・・・あ!やっべ!!何だかの教材貰いに行くんだっけ!?」
「教材?」
「2年用の教科書でしょ、次の授業の分の」
小太郎は慌てて顔を上げて時計を見ると、昼休みは残り10分。
「・・・」
何も言わずに立ち上がって、それから大慌てで走り出していった。
「ちょ・・・気を付けろよ!」
分かってる、と叫ぶ声があっという間に遠くなっていく。
二人は少しの間、走って行く彼の姿を眺めていた。
「・・・そうだ、それより」
小太郎の姿がすっかり見えなくなった頃、雪が蒼真に声を掛けた。
「何?」
「・・・今日の放課後、ちょっと時間、いい?」
「え、いい・・・けど?」
「あんたに確かめたい事があんのよ」
雪はなぜだかそういって蒼真を睨みつける。
「ん・・・?」
何の事を言われているのか分からなかったが、彼女は何やら真剣な様だった。
やがて昼休み終了のチャイムが鳴る頃、ギリギリで教室に駆け込んで来た小太郎は、必要な教材を半分しか持って来ていなくて教師に叱られた。
・・・そして放課後。
蒼真はいつも以上にしかめっ面になっている雪に連れられて校舎の裏にやって来た。
「・・・あの、眞白・・・さん?」
蒼真が不安げに呼びかけても、反応は無い。
雪は蒼真をその場に立たせると、数メートル先まで足早に歩いて行った。
そして振り返ると、小さな声で言う。
「・・・メシアの・・・人間」
「え?」
彼女が遠くにいるので蒼真には良く聞こえなくて、聞き返す。
「メシアの人間!」
「メシアの?」
蒼真が聞き返すと、雪は一層苛立ちを露わにして怒鳴る。
「あんたがそうなのか・・・って聞いてんのよ!」
「っ・・・!」
突然、蒼真に向けられた雪の指先から、製氷機で作られるのと同じ位の大きさの氷が飛んで来た!
「これは・・・」
蒼真と同じ・・・彩華と同じ能力。
使えるのは自分達だけではないとは知っていたが、まさかこんなに身近にいたとは。
「これが何なのか、あんたにも分かってるんでしょ」
雪は両手を腰に当てて、蒼真をじっと見据える。
彼が能力の事を知っているだけでなく、それを扱えるのだと見抜いているらしい。
「えっと・・・分かってる・・・と言っていいのかな?俺・・・」
「その火傷・・・あんたが出せるのは火って事。違う?」
別に悪い事では無いはずなのに、図星だったので何だか気が引けてしまった。
「う・・・うん・・・」
「ま、それはいいのよ。何でもね」
雪はそう言いながら、蒼真に指先を向けて狙いを定める。
「私が聞きたいのは、あんたが組織の人間なのかどうか。答えて」
「俺は別に・・・」
蒼真はメシアには一切関与していないのだが、雪が組織の人間なのか分からなかったので明確に答えられなかった。
「別に?ハッキリ言いなさいよ」
「ち・・・違うよ、俺は組織の人間じゃない」
「本当に?信じられないんだけど」
自分で聞いておいて何と理不尽な・・・と蒼真は思ったが、そう言える雰囲気ではなかった。
雪は戸惑いっぱなしの蒼真に向かって、容赦なく氷を連発していく。
「ちょ・・・ちょっと」
「私はあんた等が許せないのよ!父さんも母さんも、私を庇って酷い目に遭った・・・!」
いつの間にやら蒼真が組織の人間、敵として扱われてしまっていた。
どうにか弁明したかったのだが、蒼真は完全に気圧されてしまって、逃げるしか無かった。
「何よ!ちょっとはやり返せばいいじゃない!腹立つ!」
雪は自分でも良く分からない苛立ちと共に、ひたすら蒼真を狙い撃つ。
彼女が氷の能力を使えるのは生まれつきだったが、本人はそれを特に何に使う訳でもなく、普通に生活していた。
別に使えたからと言って良い事は特になかった。
精々、夏の暑い日に他の人間よりも気軽に涼むことが出来た位である。
誰に自慢するでもなく、何かに役立てる訳でもなく・・・
能力を持ちながら、雪は持たない大多数の人間と同じ生活をした。
でも、それで何も困る事は無かった。・・・メシアが現れるまでは。
10年前、戦争の終結と共に現民の国が出来、それと同時期に立ち上げられたのがメシアを名乗る組織。
その名の通り世界の救済を謳う組織だが、雪にとってはむしろ逆の存在だった。
発足から2年ほど経つと、メシアは組織の増強を狙って世界中の至る所に組織の人間を派遣、主に能力者をターゲットとして新規人員のスカウトを行った。
そのターゲットに、雪も選ばれてしまっていたのだった。
当時彼女はまだ8歳、世界をどうこう言われても理解できなかったし、仮に理解できたとしても両親は雪を連れて行くのを許さなかっただろう。
幼い頃からすでに今の性格が出来上がっていた雪は強気で反対、両親もそれに続いて彼女を守ろうとした。
だが、組織はそれを許さなかった。
組織が求める能力者は、即ち他の人間とは大きく異なる特殊な戦闘能力を持つ重要な戦力である。
それが加入を断ると言う事は、組織の敵になるということ。
雪をスカウトしにやって来た組織の人間は彼女達を敵とみなして攻撃、幼い雪を庇った両親は大怪我を負った。
幸い両親は命を落とさず、今も傷跡が残っているとはいえ元気に生活してはいるが・・・
当時の記憶は、僅かにおぼろげながらも彼女の心に深く刻み込まれていた。
「あんたも・・・私の敵なんでしょ!」
幼い頃の記憶もあって、雪は同じ能力を持つ存在が全て敵だと思い込んでしまっていた。
だから、蒼真の返答がどうであれ自分に、何より両親に手を出される前に勝負を付けてしまおうと考えていたのだった。
「ちょ・・・!」
雪の放つ氷を流石に避けきれなくなってきた蒼真は、相殺しようと遂に自分の能力で氷を狙い撃った。
・・・のだが。
「うわっ!」
「ひゃっ!」
お互いの想像以上の爆炎が蒼真の指先から放たれ、飛んで来ていた氷を全て溶かしてしまった。
そしてそれだけでは止まらず、大きな炎の渦はそのまま雪に襲い掛かる!
「避けろ!危ない!」
蒼真は自分で放っておきながら必死でそう叫んだ。
雪は必死でかわしたが、長い黒髪が僅かに燃えて嫌な臭いを放った。
「っ・・・」
「あの・・・・・・」
炎が収まって蒼真が恐る恐る雪の方を見ると、彼女は少し涙ぐんでいた。
「・・・ご、ごめん・・・」
咄嗟だったとはいえ、危険な目に合わせてしまった事を蒼真は申し訳なく思っていた。
覚えたてで、まだ上手く制御出来ていないのに、それを人に向けて放ってしまった事を深く後悔した。
「・・・るさない」
雪は震える声でそう言って、右手の人差し指を頭上に掲げた。
すると、指先に小さな氷が生まれ・・・どんどん大きくなっていく!
「絶対許さない・・・!」
涙目のまま蒼真を睨みつけ、指先の氷を巨大にしていく雪。
「ぅ・・・」
止めたかったが、自分がしてしまった事への後ろめたさと彼女の気迫とに押されて蒼真はたじろいでいた。
やがて、雪の指先の氷塊はちょっとした小屋位の大きさにまで膨れ上がっていた。
「死ね!バカ!!」
雪は子供っぽい暴言を吐いて、巨大な氷塊を蒼真に投げつけようと指を振り下ろす。
「・・・っ!」
蒼真は咄嗟に身構えたが、すぐに我に返った。
あれほど巨大な氷塊を受け止められる訳が無い!
そう思って逃げようとしたのだが。
「・・・え・・・・・・ぁ・・・!」
巨大すぎる氷塊は、雪の元から放たれず、ゆっくりと落下していた。
押し出す出力が足りなかったのか?そもそも上から前に向きを変えることが出来ない仕様なのか?
投げ方が間違っているのか?
蒼真にも、雪自身にも分からなかった。
「ちょ・・・おい!蒼真!?」
爆炎の音に寄って来た小太郎は、雪を押し潰そうとしている巨大な氷塊を見て青ざめた。
「雪!逃げろ早く!」
「っ・・・」
巨大な氷塊が彼女の能力によるものだと知らない小太郎が叫ぶが、雪は足がすくんでしまって動けなかった。
彼女は自分が思っているよりも臆病だったようで、命の危機に瀕してパニックになっていた。
「どうする・・・」
パニックなのはその場にいる3人全員だったが、蒼真も小太郎も、雪を見殺しにするつもりは無かった。
「くっそ・・・!おい蒼真っ!」
小太郎は言いながら全速力で雪の元へ駆けて行く。
彼はそれなりに足の速い方だったが・・・
小太郎は彼女まで後10メートル程、氷は後1メートル程。
追い付かないと、走っている本人も分かってしまっていた。
「畜生・・・くそぉぉ!」
間に合わないと分かっても止まらず走って行く小太郎を見て、蒼真はふと思いついた。
「そうだ・・・!」
氷を相殺しようにも、自分の不安定な火力で消せる保証はない。
それに、もし消せたとしても、今度は雪も一緒に燃やしてしまいかねない。
だが、自分の能力を他の方法で作用させれば、彼女を救えるかもしれない。