始まりの日常
「っかぁ~・・・ったりぃ」
小太郎は欠伸混じりにそう言って、大きく伸びをしながら時計を見る。
もう間もなく正午になろうとしていた。
「あ、先輩!」
「お・・・今朝の・・・」
小太郎の目線がわずかに泳いだのを見逃さずに「海原です」と丁寧に名乗ると、ぺこりとお辞儀をした。
「あはは・・・お疲れ様」
蒼真は何と言うべきか分からなかったのでとりあえずそう言っておいた。
「ほんと。今日長かったよなー。入学初日から3時間も集会とかマジありえねー!って感じじゃね?海原ちゃんもさ。」
「いえいえ。このくらい」
言いながら周りをきょろきょろを見回して、それから。
「あの・・・少し場所、変えても良いでしょうか?」
「んぇ?」
「あ、あぁ・・・俺たちは別に」
すみません、と小さく言って、海原は蒼真と小太郎を連れて歩き始めた。
やがて、三人は校舎裏の陰にやって来た。
「どうしたよ?」
こんな事しそうにないタイプだと思ってたけどな。と心の中で思いながら小太郎が問うと、やはり落ち着かない様子で周りを気にしながら言う。
「その・・・実は・・・」
俯いて、顔を赤くしながら言葉を探す。
「え・・・」
そんな彼女の様子に、小太郎はすっかり勘違い気味に緊張してしまった。
「・・・。」
「どうしたの?何か・・・困ってる?」
蒼真は海原の様子を見かねて、優しく聞いてみた。
「あっ・・・すいません」
照れくさそうに笑うと、やがて決心した風に顔を上げて・・・
「友達・・・出来なかったんです」
「は?」
「私、初めましての自己紹介で失敗してしまったんです・・・」
言いながら、悲しそうに両手で顔を覆う。
「で、でもほら・・・」
小太郎はぎこちない動きであれこれ言葉を探す。
「まだ初日だろ?」
「そうですけど・・・」
「あんた!何やってんの!」
突然、甲高い怒鳴り声が聞こえて来た。
「げっ・・・眞白!」
現れたのは、気の強そうな顔立ちの美少女。
眞白 雪、蒼真達と同じ2年生で、小太郎とはクラスメイトであると同時に幼馴染。
「まーたそんな子に絡んで!メーワクだっての!」
「え・・・あ、いえ私は」
「わーったわーった!帰る帰る!もう帰るから!」
「当たり前よ!ごめんね、コイツクソチャラついてるから。迷惑だったでしょ、入学初日から・・・」
「いいえいえ!私からお声を掛けさせて頂きましたし・・・」
「そ、そうだぜ!今回はホントに」
小太郎が反論すると、雪の色白の顔がみるみる紅潮していく。
「 あ ん た ね 」
「っぇ」
「年下の!それも女の子に庇ってもらうなんて!あんたそれでも男な訳!?」
言いながら、乱暴に小太郎の襟首を掴んで引っ張っていく。
「ぃ痛たたたた!まっ待てよ眞白・・・」
「あんたみたいな奴の言い分なんて聞くだけ無駄よ!バーカ!バーカ!!」
「あだだだ・・・じゃーなー・・・また明ダッ」
「まだやってんの!?」
子供じみた言い合いの声と共に、二人の姿は小さくなっていった。
怒涛の様に過ぎて行った時間の後、蒼真はぽかんとしている海原にもう一度問いかける。
「あの・・・大丈夫?ほんとに・・・」
小太郎の事。と付け加えると、海原は大慌てで弁解する。
「いえいえ!本当に大丈夫です!私の方こそごめんなさい・・・」
何度も頭を下げて、蒼真が止めさせてもなおも頭を下げ続ける。
「私・・・先輩に甘えてしまってますね。」
申し訳なさそうに笑うと、口を尖らせて続ける。
「友達って・・・なんだか等身大な感じで、難しいと思うんです。私・・・」
黙って話を聞く蒼真をチラチラと見て、それから海原は、鞄の中から一枚のカードを取り出して手渡した。
「これは・・・」
蒼真が受け取ったのは、名刺だった。
「海原 しずく・・・私の名前です。」
名前の下には、どこかで見た事のあるロゴマークが描かれている。
「・・・社長・・・令嬢?」
ロゴマークの隣、電話番号やメールアドレス共に小さな字でそう書かれていた。
「・・・はい。」
しずくは観念した風に頷いて、自己紹介を始めた。
「海の国・・・ここ民の国からすぐ近く、海の向こうにあるその島国に私の家があります。」
そういえば今朝のテレビで同じ名前を見たっけか、と蒼真は思い出していた。
「海の国は家の・・・父の経営する会社が所有しているんです。向こうには学校が無いので、今年になってこちらに越して来たのですが・・・」
「ん・・・中学とかはどうしてたんだ?」
「それは・・・」
しずくは不安そうな表情で蒼真をじっと見つめる。
「・・・言いたくない?」
「いえ・・・。」
少し迷って、それから。
「幼い頃からずっと、私の為に講師の方を呼んで頂いていたんです。家庭教師のようなものですね」
「どうして高校からこっちに?」
「お父様の意向です。私にも交流が必要だ、と・・・」
失敗しちゃいましたけど。と、しずくは悲しそうに俯く。
「それでそんなに落ち込んでた?」
「折角私の為に用意して頂いたのに・・・。その・・・先輩も、これ以上気を遣っていただかなくても」
「ん?俺何もしてないけど・・・?」
驚いた蒼真がそういうと、今度はしずくがきょとんとする。
「へ・・・い、いえ、ですからその・・・」
「これは俺が勝手にやってる事だよ。何かあったのかなって、気になっただけだし」
「・・・優しい、ですね。ありがとうございます」
しずくは照れくさそうに笑ってお辞儀した。
「それじゃ、もう少し甘えてしまっても良いでしょうか?」
「え・・・どうぞ?」
「へへ・・・それじゃ!」
しずくはにっこりと笑って、蒼真に手を差し出す。
「私は海原しずく、お友達になってください!」
「え、あ、俺は灰原蒼真、よろしく・・・?」
蒼真はコレであっているのか少々不安だったが、しずくの手を取った。
二人の手が重なると、しずくは一瞬ビクッと身を震わせた。
「・・・ありがとうございますっ」
早口でそう言って、しずくは素早くを手を引っ込めた。
そうして、顔を赤くしながら何度も何度もお礼を言って、それから蒼真の元から走り去っていった。
「俺も・・・帰るかぁ」
一人取り残された蒼真はだんだん恥ずかしくなってきたので、誰に聞かせる訳でもないのにそういってその場から足早に立ち去った。