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第86話 魔犬封印作戦




 ケルベロスの目が俺とヒューニを交互に捉える。その眼光には怒気がやどり、見るものすべてを殺さんといった感じだが、俺とヒューニに臆することなく構えをとった。

 やがてケルベロスがまっすぐ目を向ける。どうやら最初の標的は俺らしい。ケルベロスの口から放射された黒炎を俺とヒューニは左右に分かれて飛んで回避した。


「クッ!」


 着地と同時に、俺の足に激痛が襲う。痛む足を見るとコスチュームのブーツに血がべっとりとついていた。やはりこの足じゃ、機敏な動きはできない。痛みはともかく、あまり動きすぎるとさらに血が出て貧血の症状も出てくるかもしれない。

 そんな中、甲羅の上にいたホログラムの松風さんが消え、ドローンが俺の足元へやってきた。


『その足じゃ、満足に動けんじゃろ。乗れ、ハイドロード』

「助かります」


 松風さんのフォローに礼を返し、俺はドローンに乗った。俺が乗ると、亀ドローンの色が緑から青に変わり、操作権限が俺へと移った。


「ガルルルルッ!」


 直後、またケルベロスが黒炎を放ってきたが、俺は上空に浮かんで攻撃を交わす。


「……よし」


 ドローンの操作感に、俺は一人頷いた。細かい動きは難しいが自分の足よりも良く動けそうだ。

 俺はジグザグに飛行して、ケルベロスへと近づく。間近まで寄ると、ケルベロスは俺に噛みつこうと飛びかかってきたが、俺はスネークロッドを振り上げてケルベロスの下顎を殴る。


「クゥーッン!」


 鈍い音が響き、ケルベロスは悲鳴を上げながら一回転する。そしてゴロゴロと横転したところを、転がった先にいたヒューニが大鎌を振り上げた。刃はケルベロスの体毛と、その厚い皮膚に傷をつける。

 ヒューニの大鎌の刃は分厚い鉄板を簡単に切断できるほどに鋭利だが、ケルベロスの傷は出血もなく、見るからに浅そうだ。


「グゥっ、ガウッ!」


 ケルベロスはぐるりと身をよじり四つ足を地につけて立ち上がる。ヒューニの方を向くかと思いきや、標的は相変わらず俺だ。空中にいる俺を見上げて、牙をむき出しする。


「グルルルルッ! ガゥガゥガゥ!」


 殺してやるという威嚇か、あるいは憎しみの呪詛か、唾を飛ばしながら吠えると、ボッと音が鳴ってケルベロスの四本足に黒い火がついた。

 何をする気か身構えて見ていると、ケルベロスは助走をつけて俺に飛びかかってきた。俺が乗っているドローンはおよそカンガルーや豹が跳んでも届かないくらいの高さで飛んでいたが、ケルベロスはさらに“空を蹴って”飛び上がってきた。

 ケルベロスは、まるで階段でも上ってくるように俺へ向かってくる。ドローンでさらに上空へ上がっても距離は広がらない。後方や左右へと移動しても、壁でも蹴るように足運びして追従してきた。


「コイツ、飛ぶのかよ」

「そりゃあ冥界の魔犬だもの。空も飛ぶわよ」


 俺の独り言に、ヒューニからの返答が背後から聞こえた。空中をあっちこっち移動して気が付かなかったが、さっきまでいたマンションを背にして、俺はケルベロスと対峙していた。

 毛を逆立たせているケルベロスは、相変わらず宙に浮かびながら俺を睨んでいる。

 俺はスネークロッドを回して、剣士が刀を鞘に納めるように持ち替えた。刀なら抜刀術のような構えだが、棒術であれば先端を振って迎え撃つ構えだ。


「なんだか孫悟空(さる)みたいね」

「せめてサーファーって言ってくれ」

「どっちでも良いわ……それより、そのままソイツの気を引いてなさい」

「はぁ?」


 ケルベロスを警戒しつつ横目でヒューニの方を見ると、マンションの屋上に魔法陣のような大きな円形の紋様があった。白い微光を纏いつつ交じり気のない黒い影のようなもので描かれたその紋様は、一瞬だけ見てもなかなか綺麗だと感じた。

 その魔法陣の外で、ヒューニは祈るように目を閉ざして立っている。彼女の前には魔法陣と同じ紋様が描かれた魔力の球が浮かび、ヒューニは水晶玉に手をかざす占い師のように、それに向かって両手を前に出していた。呪文でも唱えているのか、口がわずかに動いているようにも見える。背後には彼女の武器である大鎌がコンクリートの地面に突き刺っていた。


「なんだあれ?」

《あれは、封印の魔法陣だ》


 俺の呟きに、腕にいるモーメが答えた。


《『マジック・クリスタ』の魔力で縛る高等魔法で、発動すれば対象を異空間に閉じ込めることができる》

「……なるほど、あれでケルベロスをこっちに持ってきたのか」

《けど、あれを発動するには強い集中力とある程度の時間が必要だ》

「つまりそれまで邪魔が入らないよう、俺が時間を稼げってことか。どれくらいだ?」

《3分だ……多分》


 イマイチ確からしさのないモーメの返事を聞きつつ、俺は束の間思考する。

 幸い、ケルベロスの空中を走るスピードは地上を走るよりも速くない。倒すのは難しいが攻撃を避けつつ誘導すれば、時間稼ぎくらいはできるだろう。


「グルゥゥゥ、ガァッ!」


 そんな俺の楽観は、すぐに打ち砕けた。ケルベロスはさっきの黒炎放射とは違う、バスケットボールサイズの黒い炎の塊を放ってきた。炎を凝縮したような、その黒炎の火玉はマグナム弾並みのスペードで俺に向かって飛んできた。


「のわっ!」


 俺は体をのけ反らせ、まっすぐ飛んでくる炎弾をかわした。おかげで体がドローンから落ちそうになったが、なんとかふちを手で掴んで落下を防いだ。

 重心がズレたことでドローンはよろけ、機械制御でバランスを取ろうとするが、俺は不安定な浮遊感を気にする間もなくケルベロスへ意識を向ける。顔のそばでジェットエンジンが大きな音を鳴らしているが、それを気にしている暇もなかった。


「グルゥゥゥ、ガァッ! ガァッ! ガァッ!」


 驚愕する暇もなく、次々と黒い火の球が飛んでくる。狙いは正確とは言えないが、流れ弾で後ろにあるマンションが一部破壊された。


「チッ!」


 建物が崩れる音と空気が焼ける音に交じって、ヒューニの舌打ちが聴こえた気がする。

 どうあれ、このままだとヒューニの魔法発動の邪魔になる。


「フッ!」


 俺はドローンを掴んでいる手に目一杯力を入れて、体を上げて再度ドローンに乗った。そしてそのまま前進して、流れ弾がヒューニに飛ばないよう移動する。ケルベロスは俺の後を追いかけてくるが、空中を走りながらも炎弾を放ってきた。

 建物を障害物にすれば攻撃も防げるのだろうが、住民がいないとも限らない。俺は背後に気にしながら周りの建物よりも高い位置を飛び続ける。


「ガァッ! ガァッ! ガァッ!」


 ケルベロスの射撃は放つたびに正確になっていく。なるべく軌道を読まれないように飛ぶが、それでもケルベロスの炎弾はいくつか俺の顔の横を通り過ぎて行った。


「このままじゃマズいな……どこかに水は?」

『ハイドロード、そこから北東へ行け。2区画隣の古いマンションの屋上に貯水槽がある』

「了解」


 松風さんからの通信を聞いて、俺はその貯水槽のある建物へ向かって飛んだ。火を吐くケルベロスもついてくるが、好都合だ。

 空中を移動したことと目当ての貯水槽つきマンションが目立っていたこともあって、その場所へはすぐにたどり着いた。簡単な梯子とパイプのついた四角い水槽だ。


「フンッ!」


 俺はスネークロッドを打ち付け、貯水槽に穴をあける。中に入っていたが貯水が湧き水のように噴き出すが、すぐに俺の『水操作』で水玉となって宙に浮き始める。量にして、およそ千リットル弱。収束させると直径1メートルほどの球体ができた。

 俺が水を手に入れた束の間、ケルベロスは火を吐くのをやめて屋上に足をつけると、一直線に俺に向かって走ってきた。


「のわっ!」


 直前に俺が飛び上がったせいで、ケルベロスはそのまま貯水槽へと突っ込んだ。おかげで、俺が開けたものとは比較にならないほど大きな穴が貯水槽に開いた。破損が大きすぎて容器としての役目も、もう成していない。残っていた貯水も周辺に飛び散ってしまった。


「ガルルルルッ!」

「ハッ!」


 振り返るケルベロスを見ながら、俺はそばに浮かせた水玉から一部を分離させて水飛沫を飛ばす。

 細かな水滴は弾丸のように加速してケルベロスを襲った。水圧カッターのように勢いのついた水滴は、常人の体であれば筋肉や骨を貫くほどの威力がある。

 しかし、水滴が当たっても穴が開くどころか、ケルベロスはコバエを払うように顔を振るだけだった。


「頑丈なヤツだな」


 俺は攻撃する手を止め、再度引き付けてながら逃げることにした。ケルベロスも、また四本足に黒い火をつけて飛んで追ってくる。


「グルゥゥゥ、ガァッ! ガァッ! ガァッ!」

「フッ!」


 空中を飛びながら飛んでくる黒炎の連弾を水玉で相殺する。ケルベロスの炎と俺の操る水玉が衝突して、あたりに爆煙が広がった。一発から生じる煙の量は大したものではないが、何発も相殺したおかげで、まるで一瞬にして雲の中に入ったかのようになった。


(チッ、視界が……まぁいい)

「ガァッ!」

「うおっ!」


 おかげで俺とケルベロスはお互いの姿を見失う。俺は身をかがめ、ドローンを煙の外へ出るように移動する。同時にさっきまで俺の頭があった位置を追撃の炎が通った。

 煙の外に出ると、煙の中にケルベロスの影があるのが見えた。その動きから、ケルベロスがまっすぐ俺に向かってきているのが分かる。

 俺はその場に停止して、煙の中からケルベロスが出てくるのを待ち受けた。


「ガァァ!」

「うぉっと!」


 ケルベロスが煙の中から顔を出したと思ったら、口から黒い炎のブレスを俺に向けて吐いてきた。

 どうやら俺が待ち構えていたのを察知していたらしい。

 俺は仕方なくドローンから飛び上がり、ケルベロスの頭上に逃げることで攻撃をかわした。同時にスネークロッドの突きをケルベロスの脳天に落とす。


「ハッ!」

「クゥゥっ、ガゥ!」


 脳震盪になってもおかしくない一撃だが、ケルベロスは頭上にいる俺を睨む。ここまでの戦いから察するに、口を開けて俺に噛みつこうとしている挙動だ。

 だが、狙い通りだ。


「ガッ!」


 突然、ケルベロスが目を大きく見開き、驚愕の表情になった。

 今、ケルベロスは自分の手足が麻痺したような感覚に襲われている。それもそのはずで、その四本足と胴部には、俺の操る“水の縄”が植物のツタのように巻き付いていた。

 その“水の縄”は、先ほどまで俺のそばを飛んでいた水玉でできたものだ。そして、水でできていると侮るなかれ、その拘束力は獰猛なサメやシャチも捕獲できるほどの水圧だ。


《死角から水が……なるほど、煙の中に水玉を残してたのか!》


 腕にいるモーメが呟くが、正解だ。

 先ほどの煙の中で、俺は水玉を残して外に出た。そしてケルベロスがやってきたところで水玉を動かし、その背後から体に巻き付けたというわけだ。


《てかあの一瞬でこんなの思いつくとか……キモいなお前》

(どんな戦闘センスしてんだコイツ?)

「はいはい、ありがとね」


 モーメにまったく心のこもっていない礼を返しながら、俺はまたドローンへ着地した。俺がケルベロスの上を跳び越している内に、ドローンもケルベロスの下を移動していたのだ。そして“水の縄”によって身動きの取れないケルベロスの尾を掴み、ドローンを回転させる。まるで背負い投げの構えでハンマー投げをしているような形になった。


「ハァァァァ!」


 俺はケルベロスを思いっきり引っ張り、ヒューニのいるマンションへ向けてぶん投げた。




 ***




 ヒューニは屋上で一人、魔法を完成させていた。彼女の呟く呪文が、描かれた魔法陣に魔力を宿していく。


「雪の夜、来れ。私の影を喰い、厄災の封印と救済を。私は思慮を夢見る乙女。汝は虚像を見せる巫女。蒙昧にとどめよ永遠に」


 やがて魔法陣が形を成し、ヒューニが呪文を唱えるのをやめた。あたりは静けさに包まれ、彼女の穏やかな心音と息遣いだけが本人の耳に入る。


「よし。あとは、この魔法陣の上にケルベロスを……ん?」


 魔法陣が完成して一息つく暇もなく、ヒューニの視界の隅に影が過った。影が見えた場所はヒューニのいる屋上よりも高い上空。首を上げて見てみると、そこには黒い大きな獣が奇妙な体勢で飛んでいた。前足と後ろ足が何かに縛られ、狩られた獲物のようになっている。


「毛玉……いや、ケルベロス?」


 その獣がケルベロスだとヒューニが理解したと同時に、そのケルベロスに、ドローンに乗ったハイドロードの俺が急接近した。


「イケェェェェ!」

「なに、ちょっ、わぁぁぁぁぁぁぁ!」


 俺はスネークロッドを振りかぶってケルベロスを打ち落とす。与えられた打撃の力が速さに変わり、ケルベロスはまっすぐヒューニのいる屋上へと飛んで行った。迫りくるケルベロスの巨体にヒューニが悲鳴を上げていたが、俺の耳には届かなかった。


「ヒューニ!」


 俺は打ち飛ばしたケルベロスを追ってマンションの屋上へと戻った。俺がケルベロスを引き付けてから、すでに3分は経っている。モーメの言ったことが本当なら、魔法を発動してケルベロスを封印することができるだろう。

 魔法陣を見ると、偶然にもケルベロスが魔法陣の中央に倒れていた。そして円周上に立っていたヒューニがギロリとこっちを睨む。


「危ないじゃないアンタ!」

「えっ?」

「危うくぶつかるところだったじゃない!」

「あぁ、悪い悪い。それより魔法は? 発動できそうか?」


 まったく申し訳なさのない俺の言葉に、ヒューニは眉間のしわを深くしてプイッと顔をそらしてケルベロスに目を向けた。


「ったく……タイミングばっちりよ。ムカつくわね」


 ヒューニは両手を前に出して、また魔力の球に手をかざす。


「汝、息災を罪と知れ。ハイバネーション・シャドウシーリング発動!」


 直前のふてくされてような声とは違う、よく通る声が響く。そしてヒューニの言葉に反応するように、描かれた魔法陣が光を放った。その光に一瞬目がくらみ、俺は目を細くする。

 魔法陣の中心では、ケルベロスが暴れ始め、俺の“水の縄”の拘束を力任せに散らした。同時に、魔法陣の中からペラペラの紙のような黒い帯がいくつも飛び出す。あの世の幽鬼が手を伸ばしているような黒い帯の数々を見ていると、金切り声のような幻聴が聴こえてくる気がした。

 その黒い帯は、魔法陣の上にいるケルベロスの体に次々と巻き付いていく。


「ガゥ! ガァ! ガァルル……!」


 ケルベロスは黒い帯を無理やり引き千切ろうと、体を震わせたり爪や牙を突き立てたりするが、その抵抗も虚しく、やがて全身が黒い帯で覆われ、鳴き声すら上げることができなくなった。

 そして巨大な犬の形をした黒い物体ができあがる。その後、黒い塊はみるみると縮小して、小さな球体になったかと思うとパッと辺りの空気を弾いて姿を変えた。

 その見た目はまさしく、ヒューニが最初に持っていた“黒い箱”と同じものだった。







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