鍵付きの箱庭
王子。番外編7
日はとうに沈み、まもなく深夜を迎える頃、その日の執務をなんとか終え、私の愛するルルが眠る部屋へと向かう。
おそらく、もう眠ってしまっているだろう。異様に多過ぎる書類に雑務、それに連日行われる会議のせいで、最近は彼女が起きている時間に会うことが出来ない。
最悪話せなくてもよい。せめて、寝顔だけでもいいから、1日に一度、その姿を目に入れてなくては安心できない。
彼女の部屋の前まで辿り着き、扉をノックする。細く開いた内側から彼女付きの侍女が顔を覗かせ、労いの言葉をかけた後、今日のようすを聞く。
どうやら変わらず過ごせているようで安心した。教育も順調らしい。教師陣からも、何処へ出ても大丈夫でしょうとのお墨付きを貰ったようだ。 ……これならお披露目を早めてもよいな。後に戴冠式も控えている。全てを前倒しして、早く婚姻を結んでしまおうか。
「それから……」と侍女は辺りを素早く窺い、声を潜める。
ルルの命を狙う輩を確認したらしい。相手は高位貴族の令嬢で、その者は、未だに私の婚約者の座を夢見ているらしく、「手を下せる機会を窺っているようです」との報告を聞き、眉間に深いしわが寄る。
愚かな真似を。まだそんな事を考える頭の人間がいるとはな。
城内では事に及ばないだろう。 ……だとすればお披露目の時か。まあ、何処の家の者か特定出来ているのだから、早々に潰してしまおうか。
膿は出し切ってしまうに限る。
侍女からの報告が終わったところで、少しの時間、ルルの顔を見ていく旨を伝えると、室内へ招き入れられる。
侍女は頭を下げると、そのまま扉の前で待機し、私は彼女の眠るベッドへと歩みを進めた。
薄いシフォン生地で出来た天蓋を捲ると、シーツの上に広がる薄桃色の艶やかな髪が視界に入り、目蓋を閉じ眠りにつくルルの姿が見えた。規則的な彼女の呼吸に合わせて掛け布団がゆっくりと上下に動く。
起こさないよう静かにベッドの端へ座り、手を伸ばして彼女の頭をそっと撫でる。しばらく撫でていると、身動ぎし、気持ちよさそうに口元を綻ばせながら、手のひらに頭をすり寄せられて、こちらもつられて微笑む。
眠っているはずなのに、こうして反応があるからついつい触ってしまう。今度は頬を優しくつついてみると、「ゔゔ……!」と小さく唸りながら、眉間におもいっきりしわが寄る。 ……可愛いな。
あまりやり過ぎると彼女が起きてしまうな。そろそろやめておこうか。
寝顔を見ながら、彼女とこうして過ごせている奇跡を噛み締める。やっと私の元へ帰ってきてくれた。これからは、もう二度と手放さない。
命が尽きるまで、この先の未来永劫彼女を縛り続けよう。
彼女の興味がよそへと向かないよう、悪いものは全て取り除けば良い。深海のようなその瞳には私だけを映していて欲しい。
ただ、彼女は人との交流に飢えているところがあるので、最低限の交友関係には目をつむっている。
本当は、安全な場所へ厳重にしまっておければどんなに良いだろう。誰にも触れられない場所に閉じ込めておけば、壊されることも、知らぬ間に消えてしまう事もなくなるのだから。
代わりに、彼女が心安らかに過ごせる箱庭を用意しようか。無理やり閉じ込めるのではなく、あくまで彼女から入ってしまいたくなるような、そんな場所を。
彼女の意思を無視した形で仕舞い込んでしまえば、彼女を構成するものが欠けてしまう。
ひとつでも欠けてしまえば、それは彼女であって彼女で無くなってしまう。
そこには必ず、彼女の意思がなくてはならない。
自らの意思で箱庭に入った後は、彼女の為だけに用意した友人や、気心の知れた使用人を置いて、何にも気づかないまま、緩やかな日々を過ごさせよう。
自分でも異常としか思えないほどに彼女に執着しているとは思う。が、ふとした時に、嫌な気配を感じるのだ。彼女を取り込もうとする、死の気配を。
かつてルルが見たという夢の中の光景では、この世界に生きる一部の人間は、神が定めた道筋を歩まされるのだそうだ。
その中で、彼女は死ぬ筈だった。が、彼女は自らの死の運命を覆し、この地へと戻ってきてくれたのだ。いなくなった当時の年齢は、5歳。
いくら協力者がいようとも、命の危険は当時からあった筈。運も併せ持っていなければ無傷でいるのは不可能だっただろう。
お話は終幕を迎えたのだと晴れやかな顔で彼女は語っていたが、本当にそうだろうか?
神は、自身が思い描いた道筋に逆らい、幸せを掴んだ物を許すだろうか?
神の示した筋書き通りになるような世界ならば、本来死ぬ筈だったルルの事を、もう一度確実に殺す為、筋書きを作り直すのではないか?
教会と、ほとんどの国が信仰する白の神は、我々の事に心を砕かず救いの手は差し伸べないのだと、テオの奥方となった魔女の魂を持つ少女は言っていた。玩具かなにかにしか思っていないのなら尚更。
ただ、その性質はこどものように無邪気で残酷、そして飽きっぽくあるとも聞いているから、こちらへの興味を失ってくれるのが一番良い。今はその可能性に賭けるしかないのだ。
彼女だけが、全て終わったと思い込んでいるだけで、実はまだ続きがあるのではないだろうか?
物語は完結してから、大衆が忘れた頃にその先を紡ぎ出す事があるのだ。
私の思い過ごしであればよい。が、それでも用心するに越したことはない。
死んでしまったらそこで全てが終わってしまう。人が蘇る事等出来ないのだ。
ルルを失わせる訳にはいかない。
かなりおおらかな性格の彼女の事だ。きっとその悪い可能性には気づいていないのだろう。ならば、そのまま気づかせないようにしよう。彼女の中でお話が終わったのだから、始まらせなければよいのだ。
身の安全が第一なのだから、彼女を余程の事がない限り外には出せないだろう。
病弱設定は今後共継続していく事としよう。他の人間の目に触れなくて済むのだからちょうど良いな。
ルルはなにも知らないまま、ずっと私の元にいてくれれば良い。そうして彼女の事を害そうとする全てのものから守ってゆけば、彼女の笑顔は失われることはないだろう。
仄暗い思考に飲まれながら、月明かりに照らされた彼女の寝顔を見つめる。
再会した頃より随分大人びてきたのだが、寝顔にはまだ幼さが残る。そこに、昔の面影を感じて懐かしさに目を細める。
……そろそろ戻らねばな。明日も早い。朝から会議が控えているのだ。
だが、今日も1日の終わりに彼女の顔を見る事が出来た。なんとか頑張れそうだ。
薄桃色の髪を一房救い上げ、口づけを落とす。
「おやすみ、ルル」
おやすみなさい。なんとなく、彼女もそう返してくれたような気がして微笑む。
最後にもう一度、ルルの頭を撫でてから、薄いシフォン地を捲り、天蓋から出て歩き出す。
侍女に引き続き任せ、扉を開けて自室への道を歩いていった。
感想、誤字報告ありがとうございます。




