ぼくのなつやすみ
――ぼくは、どうしてここにいるんだったっけ。
白日の公園のベンチに、少年が一人。
誰もいない公園を力なく眺めまわし、視線をゆっくりと右の手のひらに落とした。
ゆっくりと二度三度、手を結び、また開く。
――ちっちゃい手だなあ……。
陽射し降りつける、昼の公園。しかし、不気味なほど静かなその場所には、見渡す限り少年自身しかいなかった。ふらふらと頼りなく立ち上がった少年は無人の公園を歩く。
砂場には、誰かが忘れていったであろうおもちゃ。
プラスチックにメッキをつけただけの、古いロボット。そして、ボンネットが少しひしゃげた、赤いミニカー。
少年はかがんでそれを手に取ろうとして、妙に胸がざわついた。何か、見てはいけないものを見ているような気がしたのだ。
――このロボット、たしか、ぼくのだ……。
「それ、君のでしょう?」
急にかけられた声に驚いて見上げるように振り返れば、射ぬくような太陽の光にくらりとした。光の中にいる相手の姿は一瞬見えなかったが、少しすれば目が慣れた。
白いワンピースに、腰まで伸びたまっすぐな髪。少年よりも幼いであろう幼女がそこにはいた。
少年は小さく「ひっ」と息を詰める。心臓が一つ、大きく跳ねた。
――ぼくは、この子を見たことがある。でも、どこで?
「ねえ、そのロボット、君のじゃないの?」
「え、あ、ぼくの。ぼくのロボット」
そう、両親にねだって買ってもらったそれを、少年は大切そうにいつも持ち歩いていた。その記憶が、とても遠いもののように思えて、少年はかぶりを振って勢いよく砂の中からロボットを拾い上げた。
ところどころ、メッキが剥げて左腕は動かないそのロボットを見て、幼女は嬉しそうに言った。
「よかった! これで遊べるね。一緒に遊んでくれる?」
「うん、でも、くらくなるまえに、かえらないと」
「だいじょうぶだよ。なつやすみだもん」
「……そうか、なつやすみか」
――なつやすみ。そういえば、ぼくは早くやすみたいって思ってたっけ。
幼女が手を差し伸べ、そして少年はそれを取る。ゆっくりと立ち上がった少年はしかし、軽い眩暈を覚えて二歩、三歩とよろめいた。
がしゃりと落ちるロボット。少年の頭に鈍い痛みが走る。
「それじゃあ、まずは手を上げてね」
幼女はロボットを拾い上げ、その右腕を持ち上げる。それにつられて、少年の右手も上がる。少年の意思とは、なんら関係なく。
――え?
そしてそのまま、幼女はロボットの首を左右にぐりぐりと動かした。
少年の視界が目まぐるしく揺れる。誰もいないブランコ、誰もいない砂場。誰もいないブランコ、誰もいない砂場。射す陽は白く、そして辺りは静寂。
文字通り、幼女の操り人形となってぐりぐりと体が意識しないままに動かされる。
幼女の目は、笑っていない。口の端をうっすらと上げて、限界までその眼を見開いていた。幼く、小さなその手がロボットの左腕に触れる。
それを見て、弾かれたように男は叫んだ。
「だ、ダメだ! 左腕は動かないんだ!」
幼女は躊躇いなくロボットの左腕を真上に上げた。そしてそのまま後ろに、ぐるり。
男の体の中で、何かがねじ切れる音がした。それと共に、骨の折れるくぐもった低い音。音のない公園に、その音だけがやけに響いた。
痛みに悶えようにも、体は何かに掴まれているように固定されて動かない。
右手を前に突き出し、左腕を後ろに回した奇妙な格好のままで、男は灼けるようなその痛みを叫んだ。
「ねえ、わたしのこと、忘れたの?」
男は、幼女を見た。いや、見ようとした。しかし幼女の輪郭は淡く光り、その表情は見てとれない。ただ、引き攣りそうなほど上げられた口元だけははっきりと見える。
「おじさんが、最後に見た人なんだよ」
幼女の手には、いつの間にか砂場にあった車のおもちゃが握られていた。
「おじさんが、こうやって、わたしを、どんっ、て」
輪郭だけで光る幼女は、ロボットと車を体の前で激しくぶつける。何度も、何度も、何度も、何度も。ごつり、ごつり、ごつり、ごつり。
その度に、男からは苦悶の声が漏れるが、幼女は気にも留めずに繰り返し二つのおもちゃを衝突させる。
意識が薄れていく中で、ようやく男は思いだした。
「そうだ……俺が、事故を起こし、て……あの子を……」
幼女がロボットの頭に手をかけ、ぎちりと捻ると同時に、テレビの電源が落とされたように男の世界は暗転した。
○ ○ ○
炎天の公園のベンチに、男が一人。
彼の背筋には冷たく流れる一筋の汗。
つんざくようなセミの鳴き声が響き、降り注ぐ熱い日差しの中、公園では数人の子ども達がめいめいにはしゃいでいる。
「夢……?」
男はだらりと下がっている自らの左腕の存在を確かめる。ああ、腕はある。事故の後遺症で動かなくなってしまった、自らの左腕。
左腕をさすり、男は自らを抱きしめるように震えながらその身を竦める。
男が、不慮の事故を起こし一人の少女の命を奪ってしまってから数ヶ月。男は多くのものを失ってきた。仕事、社会的地位、家族、そして左腕。
代わりに得たものといえば、誰とも知らぬ者たちからの誹謗中傷。
もちろん、事故を起こしたのは男であり、尊い命を奪ってしまったことは揺るがぬ事実である。後悔などしたところで失ったものが戻ってくるわけでもない。それでも男は悔やんでいた。そして男は疲れ果てていた。
もう、男にはあの幼い子の、幼女の顔が思い出せなかった。
思い出そうとしても、ぼんやりと光る輪郭と、その中にただはっきりと見える引きつりそうなほど上がった口元しか浮かんでこなかった。
先刻の白昼夢がよぎり、男は震えだす。
――済まない、済まない、済まない、済まない。そんなつもりじゃなかった。轢くつもりじゃなかった。俺が悪かった。俺が悪かったんだ。許してくれ、もう休ませてくれ、許してくれ……。
嗚咽を洩らし、歯をくいしばって震えに耐える。
そうして、ふと気がついた。
――俺は、どうしてこんなところにいるのだろう。
見慣れた灰色の壁も、鉄格子もない。拘留が解かれた記憶などもない。
うるさいくらいに鳴りわめくセミの声が、不意に止んだ。昼の日の光りはそのままに、熱も途絶えた。急に訪れた静寂に、きいんと耳鳴りがする。
そして男が顔を上げれば、そこには。
「なつやすみだよ、おじさん」
輪郭なく光る幼女、きりきりと引き上げられた口元が男の目に飛び込んできた。
そして幼女は、あのロボットを持っていた。
twitterのお題メーカーより。
「昼」「ロボット」「輝く幼女」でホラーを書けとのミッションでした。