メヌールの記憶
メヌールに珍しく実家から手紙が届いた。兄が死んでから自分より年上の甥が爵位を継いでもう十年近い。兄には色々迷惑をかけた分、甥には一時仕送りをしたがいらんいらんと断られて時節の挨拶程度の付き合いだった。その時期でもないのにわざわざ板ではなく紙の手紙が届いている。嫌な予感しかしない手紙は事務員が帰った夕方ひっそりと開封される。
甥の孫に当たるレイナードが攻撃的な構築による魔法を発現した。挨拶もそこそこに始まったのはそんな話からである。レイナードはすぐ上の姉と年子なせいか女のように室内でままごとをしており、跡継ぎの前々妻の子で長男のマキシムはそれが気に食わない。その日も軍の休暇で帰宅したマキシムはレイナードたちがままごとをしていることを子守りに聞いた後、子ども部屋に怒鳴りにいった。子守りが慌てて甥に報告に来たがいつかはそうせねばならないだろうなと思い、話だけ聞いて下がらせる。その直後、子守りの金切り声がして家内全員が子ども部屋に集まった。レイナードは魔力切れで昏睡し、マキシムは大量の切り傷を負い出血多量の瀕死状態。これだけの事態で隠しようも準備もなくレイナードは即領都の教会へ送られた。マキシムの治療のために腕のいい司祭か金、または両方をお願いしたいのとレイナードのケアを頼みたい。そんな内容だった。
メヌールにとって良い思い出はないが領都周辺に庶民司祭で治療特化の男がいる。仲は良くも悪くもないが懐具合は知っているので繋いでやることはできるだろう。ただ手紙を読む限りマキシムはもう軍人としては生きられないかもしれない。マキシムの救命をしてくれた司祭の所見が同封されているが、利き腕がかなり損傷していた。
続いてレイナードの件だが大教会には残る伝がない。現状わからずだが五歳の幼児に良い環境ではないことは十五で入ったメヌール自身が知っている。早急に養子にしなければならないだろう。
メヌールはまずマキシムのために腕利き司祭に送る魔信の原稿と甥に返す手紙を書いた。
メヌールのレイナード養子話は難航している。同じ派閥で同じ司教の腰巾着をしていたアランの邪魔が入ったのだ。
アランは中央貴族の子弟であるが王領の教会にいる親戚には既に養子がいたため、ガルド領の母方親戚の跡継ぎとして教会入りをしている。魔法を使えるとは思わないのが普通なので王領から出たことがなかったアランは上位貴族であるのにそのネットワークには入り込めず中位貴族の司教にくっついて生活をしていた。メヌールが抜けた後にその中位貴族司教の派閥はボロボロと崩れて最終的には養父の薦める司教にくっつき出世をしている。最初から養父に仲介を頼めば良かったのに勝手をした分アランはコウモリ男と揶揄されていた。
メヌールにとって大教会時代は特にお互い何とも思っていない関係だったのだが、アランがコウモリ男と呼ばれるのはメヌールが田舎に逃げたせいで派閥が崩れたからだと思われている。アランだけはわざとメヌールが負けていて、追い出されたわけでないことを知っていた。それが余計に恨みに繋がる。自分が悪いと思わないあたりは流石上位貴族の出身だ。割りを食うレイナードには悪いが、などとその時のメヌールは楽観視していた。
マキシムが奇跡的に回復したという手紙がメヌールに届いた。紹介した司祭がかなり頑張ってくれたようでリハビリを続ければ軍務に戻れるとのこと。返済はマキシムが再び稼げるようになるまで待ってくれとあるが止めていた仕送り分だとメヌールは気にしない。レイナードのことはもう少し待っててくれと加えて返信をしていた。
大教会時代の知人からメヌールに手紙が届いた。疎遠な彼らだがお前の養子候補が殺されるぞと形式抜きに始まる。
レイナードと衝突したイアンという子どもが教会を去ってからアランはレイナードを虐めているか殺そうとしているかに見えるらしい。生傷耐えぬレイナードを直接守ることはできないが大司教や実家に頼んで養子の認定を早めるよう動くと締められている。
メヌールはレイナード自身がアランの恨みを買ったらしいことを理解した。
メヌールは頭をかきむしりながら大教会の様子が書かれた手紙を読む。貴族の成人式用の祭壇をアランの小飼が運搬中に落としてレイナードが骨折したとある。下手したら死んでいただろうという一文を読んで机を殴りつけた。メヌールはイアンという子どもの価値を調べようと領都周辺の知人たちに手紙を書き出した。
沢山の木板の手紙を山積みにしているメヌールはイアンの正体に気付いた。裏付けがとれないかもしれないが、イアンはアランの実子だとしか思えない。アランに通っていた令嬢が急に婚約を破棄してアランの親戚に嫁ぎ、直ぐに出産している。その子どもイアンとの繋がりが他に見当たらないのだ。
メヌールは同じ教会関係者としての嫌悪感で顔をしかめた。
知人からの手紙はメヌールを憂鬱にさせる。レイナードが虐められている様子かアランの悪行が届くからだ。イアンが子爵家が用意した魔法使いの弟子になってからとにかく酷い。知人が大司教に沢山の養子候補が殺されかねないと訴えた結果も載っているが良いことなんて書いていない。会ったことのない子どもだがこれだけ苦労させられたら自分の息子同然だ。メヌールはまだ見ぬ息子のために奔走する。
実家に現状を伝えたメヌールにマキシムが訪ねてきた。復帰後、元の隊は定員だったためメヌールに会いに来れるマフュブに転属したという。
「おじさんには世話になっているけど本音はレイナードに会いたいからなんだ」
甥が伯父と呼ぶものだからマキシムまでメヌールを伯父と呼ぶ。
聞けば爵位の継承権を次男に譲って越してきている。教会に連れ去られたままのレイナードは自分のせいでずっと苦労しているとマキシムは語った。
「まだ子どものレイナードの宝物を棄てたんだ。それがなければこうはならない。俺のせいでこうなった。俺の目蓋に怒ったレイナードが写るように、レイナードの目蓋にも俺が倒れた絵が写ると思うんだ」
目蓋を閉じたマキシムはメヌールの前で長く過去を悔いていた。
大司教からの手紙が実家経由でメヌールに届いた。アランは幾つも資金源があり、養父から継いだ人脈がある。養子の審査は貴族籍の照会段階で止まっているので貴族側の文官に人か金が流れているのだろうという短いものだった。アランの母方の実家は上級貴族。対抗馬になってくれる家はない。
喜ばしい報せがメヌールに届いた。アランの新しい情婦が孕んだらしい。イアンの母親である子爵夫人はまだ諦めていなかったのか反アランに傾いた。問題はイアンが揉めたレイナードのために動いてくれとはストレートには言えないことにある。恨みを買わないためにも別方向からアランの邪魔をさせて養子関連も紛れ込ませるプランを楽しそうにメヌールは立てる。
メヌールの元に養子の承認が届く。今まで助けてくれた知人にお礼とレイナードの送迎願いを書きまくっていた。メヌール自身は一人司祭なので動けず、既に養子と暮らしている司祭仲間を頼るしかない。アランに子爵夫人と大物二人に狙われるであろうレイナードは早く連れてこなければ危険だ。メヌールはマキシムにも忘れず連絡を入れる。
レイナードが来るであろう前日のメヌールは届いた報せに泣いていた。レイナードの兄マキシムの訃報を握りしめている。あと数日生きていれば再会できた兄弟が不憫で悔しくて堪らないのだ。
マキシムはメヌールが送った手紙を喜び休暇の申請もしている。それにも関わらず休暇前日であった五日前、急に闇汚染と精神疾患を患い、一日持たずに自殺した。診断結果が改竄されて殺されたのかと疑ったが、レイナードを守るために大司教に一番訴え続けてくれた協力者が診断している。どうして三年も待てたのに。地位や名誉よりも会いたい弟に会う前にどうして。メヌールはマキシムの無念をずっと心の中で叫んでいた。