30日目 サミュエル
すっきりした目覚めであるがここはどこだ。エルフ恒例朝の太極拳を眺めながら頭の中を整理するとどうにも水鳥亭で酔いつぶれてしまい、治安隊詰所という交番のような施設前の道路、通称死体置場に安置されているらしい。隣を見ると耳が長いままのメヌールが水路の水で顔を洗っている。良いのかそれ。
「あーおはようございます」
「うむ、おはよう。早速じゃが宿に帰らずなので早めに出発せねばならん。サミュエルを起こして両替してボートで良いな?」
誰だそれはといえばサミュエルは昨日から一緒にいるエルフの名前だった。彼は両替商らしく、帰りのボート賃がないと酔いつぶれる前に相談したら朝起こせばそれくらいしてやると時間外営業の約束をした。うん、記憶が正しければこの半裸だった気がする。
「アリア通貨持ってたんですね、サミュエル」
「両替レートの差を使ってケチ臭い支払いをしていると昨晩言っておったじゃろ」
知り合いの話だって言ってた気もするが寝ているとはいえ御本人の話だと言っちゃうのは野暮じゃなかろうか。頭の後ろをかきながらサミュエルの残り少ない服の上から揺すってみた。
「うぅ……」
「サミュエルさん、起きて」
「そんななまっちょろい起こし方じゃ起きんじゃろ。どれ」
メヌールはサミュエルを担いで水路の縁に運ぶと手に掬った水を露出部にかけだした。
「ちょ、幾ら寒くない土地でも体冷えますよ!」
「地熱とはすごいのう。水路の水もほれ、ぬるま湯じゃ」
そうはいっても半裸の酔っぱらいに水をかけるじいさんは目立って奇妙だ。治安隊の詰所から細めた目で睨まれている。
「めっちゃ不審者ですから! 詰所から冷たい視線が来てますから!」
「起きた時から睨まれておるよ。さっさと起こして撤収しろと睨んどるんじゃ。ほれ、サミュエル。起きんと国家権力にブタ箱に容れられるぞ」
私も騒いでいるが容赦ないメヌールの水掛けにサミュエルはピクリともしない。
「なんで起きないの、サミュエルさん。生きてます?」
「多分もう起きとるぞ。面倒くさくて寝たフリをしているな。サミュエル、ちゃんと起きぬと昨晩いっていた宝飾商人の娘になんと言われてフラ」
メヌールが口で攻撃し始めると今まで微動だにしなかったサミュエルがむくりと起き上がる。そして顔を両手で覆い、朝からしくしく泣き始めてしまった。
「レイア……なんであんな酷いことを……」
「サミュエル、こちらはアデン通貨で一万シリルだす。アリア通貨で計算を」
「手数料なしで三十エリン、三千八百とんで八ランカ……レイア……」
「二十八エリンと千ランカで良い」
「それだとこっちがボリすぎだ。レイア……三十エリンでいい」
「時間外手数料じゃ。というかランカがないとボートで迷惑がられる。小銭を寄越せ」
「ボートなら終点まで行っても千ランカですむよ……二十九エリンと八千ランカ……レイア……」
「それで良いがランカは最少通貨も混ぜる崩しで頼む」
「ああ……手持ちじゃ小銭が足らない……店までくる時間はあるか?」
再起動しないサミュエルも酷いが気にしないメヌールも酷い。失恋した女の子の名を呟きながらふらふら立ち上がったサミュエルについて近所にあるらしい両替商に向かうことになった。
本当に近場なのだがサミュエルの一人言のせいで何故彼がレイア嬢にフラれたか理解してしまう。うん、金だけの男より金と包容力のある男がいいとはなかなかストレートなフリ文句だ。通常なら慰めるかもしれないがメソメソそんな事を話ながら歩くサミュエルには包容力が欠片もなくて説得力抜群すぎである。
そうこうしていると周囲とは溶け込まない石造りの店に辿り着いて、サミュエルの案内で開店前の店にお邪魔することになった。勿論まだサミュエルは泣いている。
「確かに二十九エリン八千ランカだ。受け取りに証明はいるか?」
「こっちはいらないよ……うぅ……そちらがいるなら一枚百ランカで書く……」
両替は済ませたメヌールはこのまま帰るにもサミュエルが泣きすぎていて立ち去りにくそうにしている。今までスルーしていたのにどうしたんだ。
「メヌールじいさんどうしました?」
「このまま一人にして大丈夫じゃろうか?」
こっそり耳許に顔を寄せて自殺したりしないか心配だといいだす。確かにそうなるなら去りにくいが狸寝入りをするくらいには頭が回っているので馬鹿なことはする前に理性が勝てると思う。
自宅に帰ったことでサミュエルは大判のハンカチを手に入れて本格的に泣き出した。帰るタイミングを逃してしまった感が半端ない。
「あーサミュエルさん。お仕事大丈夫そうですか?」
「仕事はで……できるよ……グズッ」
先程ちゃんと両替もしてくれたしできないことはないのはわかっているが、できるのとまともにできるの間は広い。客がドン引きして離れたりしないかという意味で取り繕えられるだけ大丈夫かが心配である。
「それにしても失恋で男性が大泣きするとは思いませんでした」
イメージとしてこの世は文明的に私の知る地球より性差が強く、男は肩肘張らなきゃ生きていけないと勝手に思っていた。なのでこれだけ悲観して朝から通りで泣くサミュエルは異常なんじゃないのかと気になる。メヌールはサミュエルの反応を呆れはしているが馬鹿にはしていないようだ。
「男がとかエルフがというよりもレイア嬢が異常という方が正しいのう。サミュエルみたいな目にあえば大体の男は酒浸りか泣き暮らす気もするぞ」
私は朝の愚痴しか聞いていないが、メヌールは昨晩泣き上戸モードだったサミュエルの話を覚えていた。こそこそと事情を紐解いていく。
宝飾商人の娘、レイア嬢はわかりやすく人生勝ち組の女性だった。家は金持ちだし魔法の才も高く美人で評判、良い縁談を結べば他人が描く幸せな人生そのものを歩む人物だったらしい。そんなレイア嬢にも悲劇が起きる。親が選定したこれもまた勝ち組の婚約者が死んだのだ。
近年起きた火山噴火の影響で島の物価が上昇、飢える市民のために精神もできた婚約者は身銭を削ってこの事態に対処。最終的に医者を呼べないくらい落ちぶれた。それでもレイア嬢は金持ちであるのでなんとかなりそうなものだが出資元の父親がこれでは嫁にだしたら娘も殺されてしまうと援助どころか婚約を解消してしまう。それで婚約者は死んだのだ。
それだけなら宝飾商人はちょっと評判を落としても娘を持つ人間が同情してくれただろう。しかし、ここから他の要素も加わり出した。
精霊神殿が高潔な死を選んだ聖人として件の婚約者を認定してしまう。しかも如何に宝飾商人が非道かを付けての宣伝だ。宗教を信じていない層も時事ニュースとしてその話を拡散。宝飾商人の評判は地に落ち、レイア嬢は家のためにも身売りのような結婚をしなければならなくなった。
ここでやっとサミュエルがでてくる。評判の悪い宝飾商人の娘を身請けする金があってある程度外圧に耐えられる職種。国の外で働く層が客の両替商サミュエルはまさにうってつけだった。サミュエルも婚約に合わせて噂の真相を知っていたし、本当に気の毒だが美人の才媛を嫁にできると喜んで受ける。貢ぎに貢いだらしい。主に現金で。
レイア嬢が負の連鎖から解き放たれて幸せになれるようにと結納金とは別に美容に使うのにいるだろうだとか、魔法の勉強をしたいだろうとか何かにつけて結婚以外の金を出した。額は大体家を二軒建てられるほど。やりすぎである。それだけ貢いで結婚式を夢見ていたサミュエルだったが昨日、式当日にレイアに逃げられた。ある意味大物すぎだレイア嬢。
「それに貢いだ金は全て神殿に入れていて、その神殿の大物の息子と結婚するそうじゃ」
「ええ……じゃあ、貢いだ金をまんま他の男に貢がれて何にも残らないのがサミュエルですか……」
「うむ。本来なら御来光を飲んで初夜を乗りきり、火山から昇る太陽を共に拝む予定だったらしい」
「ピンポイントで不味い酒飲みましたね……」
「そのせいで酔いが回りだしてから泣き上戸になったんじゃよ」
記憶が飛んでいるが最初に出されたものくらいは覚えている。思い出してみると結婚式じゃないのに御来光だと叫んでいた時からおかしかったかもしれない。
「まぁ、素面でいるには辛い日なのはわかるがのう」
「ここまでわかっていてよく寝覚めの一言から抉りましたね」
「逃避しても陽はまた昇るからのう。腫れ物にするより笑い話にした方が立ち直りも早い」
「行きずりの人間に厳しすぎですよ」
それにしても家二軒分貢いだのに花嫁に逃げられた上に罵倒されたサミュエル。これをどうするかだ。こそこそ話していたがたまにキーワードが漏れていたらしく時折大袈裟に嘆く。大体さっせるだろうから聞かなきゃいいのに。
「ところでレイア嬢がおかしいのはわかりましたけどその父親は補填と謝罪には来なかったんですか?」
「そこもまた拗れているのじゃ」
メヌールが別の客に聞いたところ、宝飾商人パパはその神殿関係者ではない人に嫁がせると謝罪に来たらしい。それって二股か? と聞けば、レイア嬢に冥婚させるとか。元の婚約者と。
「冥婚ってあれですよね。独身で亡くなった人と形だけの結婚式をさせて一人寂しくさせないようにっていう」
「半分しか合ってないのう。アデンは正教会が死後アラムウェリオ神の元に還ると教えているので、いまいちエルフの祭事には疎い。正確にはわからんが後追い自殺をさせて埋葬する儀式らしいぞ」
それってものすっごい残酷バージョンの冥婚じゃないですかー。アジア圏にある風習で何通りかあるが、死者同士を見合いさせたり、形だけ嫁いで位牌を里帰りさせたり色々あるが一番残酷なのがこれである。男は後妻を入れられるが、女は再婚せずに付き従うバージョン。死後の世界だとか魂がという概念があると発生しやすい風習に思える。
「お父さんは娘大事で婚約解消するような人でしたよね? なんでまた死なせるような真似を」
「花嫁を奪った男は神殿の大物の息子といったじゃろ? その父親が悪評被らせた娘を家にいれたくないらしい。神殿にまで毒牙を伸ばす稀代の悪女とされたくなければ冥婚しろと迫っている」
「今、私の中で悪女というより頭足りない子になりましたよ。どうやっても酷い目に合うなら名誉だけでもって展開ですか? というかメヌールじいさん詳しすぎ」
「昨日のトップニュースだったようだ。皆が噂していた。宝飾商人は神殿側の圧力も吹聴して娘が害されにくい同情を集めたいようだ。結果殺されないようにと件の強奪者が神殿権威のために仕組んだ罠だとも言っている。まぁ、サミュエルがいればサミュエルが一番可哀想な人物じゃが、世論は神殿がこの騒動の黒幕だと確信していてレイア嬢を救出しようという気運になっておるな」
急展開につぐ急展開だ。宝飾商人パパは有能で一番レイア嬢が救われるように悲劇のヒロインとしてこの冥婚話も利用している。同情を使った情報戦で冥婚も強奪も無効にしてしまおうという流れらしい。
しかしだ。この騒動の人物でありながら可哀想プラス何の作戦にも関わっていない男がここにいる。泣きまくって使い物になるか謎だが流されるだけの人物が。
「レイア嬢の気持ちがどこにあるかはわかりませんが、サミュエルこのままだといいことなしですよね」
「そうじゃのう。一番舞台に復帰できるポジションは救出隊の先頭に立つことかのう」
「既にフラれているし、駆け落ちした二人を引き裂く野暮天にもなりそうですが」
「まぁ、少なくとも騒動が終われば父親の方が結納金に謝礼をのせて返すくらいは恩を売れるかのう。序でに今のままでは来ないであろう次の嫁取り話もわきやすくはなるか」
神殿と対決してもめげない父親が恩を感じた分売り込んでくれるはずだ。このまま泣き暮らすよりマシなんじゃないかという話により、私とメヌールはサミュエルにレイアを取り返せと無責任にも発破をかけて再起動をさせる。