3日目 アイデンティティー
地の文炸裂回
ホラ村は元々このガルド領ではよくある田舎村だったらしい。
村人が本村と呼んでいる最北村を中心に計五つの村が歩きで一日程の位置で囲んでいる。その五つの内、最も国境山脈が近いのがホラ村だ。
国境付近に軍を置き、暫定的な流民受付のための資金や仕事が発生したために、現在ホラ村はプチバブル中である。とうの流民は誰ひとりとして現れていないのだが、受入れ用の家屋が発注され、監視小屋交代人員の駐留、補給の出入りに、本村にしか置かれなかった職安の出張所などなど景気のいいことになっていた。
この好景気の波に乗り、資金を貯めて、要らなくなるであろう流民用家屋を買取り独立する……これが農家次男以降のドリームである。
そんな独立ドリームハウスである流民用の家屋で私は朝を迎えていた。
どうして私がドリームハウスに居るかというと、宿なんてないし、深夜の農村なんて起きている方がおかしいし、門番さんは夜勤であるから家には帰らないし。自警団の面々もカイトでさえも、みんなみんな次男以降で家長含めて家族全員夢の中、独身女性を招くなんてムリムリムリ。それならあの場所あったじゃないの? とここへ押し込まれることになったのだった。新築家具つきのこの家まで送ってくれた皆さんはキャッキャウフフとばかりに見学会をしてから帰られました。
「知らない天井だと言うべきか」
後々みなさん狙っているだけあってガラスはないが窓もあるちゃんとした家なので、その隙間から朝日が部屋に射し込んでいた。昨日のお宿は目覚めたら真っ暗だし起こされたりだったので何の感慨もなかったりする。
さて、村長宅へ行かねばなのだが案内のカイトはまだ来ていない。この時間に後回しにしていた課題をこなした方がいいだろうか。
私は一体誰なのかを。
出身は日本国であり、人種、国籍共に日本人である。但しそれより細かい情報はわからない。
記憶は数多にある。但しそれだけ沢山の情報の中から名前が一つも出てこない。渾名でさえも。
名前どころか自分の顔も思い出せない。鏡が手に入るかわからないが確認の必要がある。
無数の記憶に対応した無数の学歴職歴が詰め込まれており、またそれに対応した『性格』も『口調』も存在する。そして、引き出し中である記憶上の『人格』が二人以上であり、相反する意見をもった時、『私』は『第三者』として二人の人格を眺めている『感覚』になる。これはキャンプファイヤを発見されたと聞いた時に起きた現象だ。
試しに再現してみよう。
朝はパン派である記憶とお米派であった記憶。結局今ここにいる『私』はどちら派なのか。
パン派の『私』は朝から重いよ、大変だよと思っていた。お米派の『私』は力がでないよ、朝イチ重い方が肥らないよと思っていた。
そして『私』は、現状どちらも持っていないのだけれどな、と別の『人格』である『感覚』を持った。記憶と自身が切り離されたのだ。二つの記憶とは『別人』だと思っている。
普通に考えて何人分も人生を送るわけもないし、記憶は記憶であり『今』の私に性格も思考も別物ではある。ただ、この中に私がいるのかと探したり、知識を引き出したりと、全く影響を受けていないわけではない。
我思う故に我ありなんて名言があるが、個という意味ではまっさらなままで知識だけあり、それらを使って考えることで自身を確立しているだけなのかもしれない。つまりアイデンディティーという面でみれば記憶なんてツールかただのデータである。まるでSFのアンドロイドみたいだ。この中に『私』なんていない。
ちょっと朝から気持ち悪くなってきた。続けてすると鬱になりかねない。おとなしくカイトを待とう。早く来てちょうだいよ、気持ち悪くて吐きそうだ。