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ムタと詩人

カブの月 春のころから 町のはずれの 小さなおやしきには カエルの家族から生まれた にんげんの男の子 ムタと はんぶんだけヘビの女の子 クチナワがすんでおりました。

ふたりはとてもなかよしで しあわせにくらしておりましたが たったひとつだけ ムタにはなやみがありました。


 当然、色々と不便な点はあった。

 例えば食卓一つとっても、普通の机なら、僕は(少なくとも大まかな背格好だけは)あまり人間と変わらないから、ただ椅子に座るだけで、きちんと高さが合うけれど、彼女の方はそうもいかない。

 長い身体を不恰好にくねらせて、きゅっと小さく蜷局を巻いてみたり、解いてみたり、縮めてみたり、だらりと伸ばしてみたり、とにかく何度も微調整を繰り返す必要があって、そうして出来た姿勢も、彼女に言わせれば「全力で正座してるみたい」で、とてもじゃあないが、食事をするどころではない。

 かといって彼女の方に合わせるとなると、これもまた一苦労で、と言うのも、蛇族の女性が最も美しく見える「葡萄の巻蔓」の形の蜷局は、ゆったりとした円を描くように、きっかり三回と半分だけ身体を巻いて、その上に腰を落ち着ける、という座り方で、これは確かに彼女の肢体が一番映える姿勢ではあるのだが、その性質上、恐ろしく腰の位置が高くなるのである。

 当然、机もそれに見合ったものを使わなければならない。結果として、林檎の木ほどの高さの机が出来上がる、という訳である。

 だから、僕ら二人の食事は、まず僕が片手に料理を持ったまま、ひょろ長い椅子に飛び乗るところから始まるのである。カエルの家系で助かったと思うのは、この時だけだ。

 その他、彼女がきちんと全身浸かることの出来るよう、風呂場を大きくしなければならなかったことや、季節が巡る度にやってくる彼女の脱皮など、問題点は両の手の指の数では足りないほどあって、そういった壁に突き当たる度に、僕らは様々な苦労をしたけれど、しかし、少なくとも僕は、そういった騒動を大変だと思いこそすれ、不満に感じたことは一度もなかった。

 祖父はよく家の庭の池の蓮の葉の上から「蛇と許嫁なんて」と、別の蓮の葉の上でくつろぐ父に説教をしていたが、その度に父は天下泰平といった様子ですぱりと水煙草を吸い、

「大丈夫ですよ、父さんや俺と違って、あいつは大分人間に近い。蛇のお嬢さんにしても、食欲の湧く姿じゃあないでしょうぜ」

 カエルの癖にごろりと横になって、後は祖父がなんと言おうと知らん顔をするその姿に、当時は何とも言えない感情を抱いていたが、今はそのいまいち本気だったかどうか分からない決断に、深く感謝しているのは確かだ。

 父も母も、三人の兄も五人の従妹も、祖父母に至るまで、全員がカエルらしいカエルなのに、どうして僕だけがここまで人間に似たのか。父への説教に飽きた祖父が、僕の肩にぺたりと座り込んで、そういう疑問に頭を悩ませる孫を安心させるべく、曽祖父の話をしてくれたのを覚えている。

「先祖返りなんだよ、ムタや。お前のひい爺さんも、お前とおんなじで、小さなころから手足があったし、冬眠もしなかったけど、それァ立派な人だった」

 じゃあひいお爺ちゃんも、蛇の女の子と許嫁だったの、と訊くと、祖父は大慌てで首を横に振り、

「とんでもない。あの頃ァ蛇と仲良くするなんて、ちっとも考えられなかった」

 今だって、儂ァ気乗りせんのだ、とぼやく祖父を、父は「考えが古いんですよ」とせせら笑う。

「蛇っつったって、向こうのは下半身だけですよ、上半分はこいつと同じ、人間の(ナリ)をしてるんです。なんにも心配することァない」

 再び興奮し始めた祖父を横目に、父はにへらりと僕に笑いかけた。

「なあ、ムタ。お前だってきっと気に入るよ。あの子は良い娘だ、父さんが保証する」

 なるほど中々ちゃらんぽらんな父ではあるが、少なくとも人を見る目はあったわけだ。

 そういう訳で、春ごろから始まったこの暮らしに、僕は概ね満足していた。

 ただ一つ、彼女の冬眠のことを除いて。


 ○


 詩人タリカの自薦詩集「タリカの春夏秋冬」によれば、冬とは「来るべき再生と希望への夢幻を胸に、安寧の揺り籠の中で安らかな幸せを享受する」季節である。

「具体的にどういう意味なの、それ」

「分からん奴だな、お前も」

 ペンの頭を齧りながら、タリカは鬱陶しげに説明し始めた。

「だから冬っつうのは、ぼんぼこ火の燃えてる暖炉の傍で、暖めたミルクでも飲みながら「ああ外は寒そうだなあ、こんな日に外にいる奴は馬鹿だなアハハ」とか言いながら、春先になったらあの娘を口説こうとか、この娘とピクニックに行こうとか、そういう極めて重要な予定を立てる季節だって書いてんの」

「じゃあ「来るべき再生と希望への夢幻」ってのは、これ女の子との予定のことなのか」

「あのな、ムタ」

 机に垂れる銀髪を、憎らしい程流麗な動きでかき上げると、詩人はいよいよ疲れたような目をして、

「私ァ一応世の老若男女のために――特に花も恥じらう十四の娘さんとか、とりわけ全身から活気を発しているような瑞々しい二十二の乙女とか、なかんずく酸いも甘いも噛み分けた素敵な三十一の姐さんとか、そういった人のために詩を紡いでいる人間なんだぜ」

 羊皮紙にペンを滑らせるカリカリという音が、いっそう激しくなる。

「そういう評判の悪くなるようなことを言うもんじゃあない」

「ごめんなさい」

 そう謝ると、彼は深くため息を吐いて、手元の羊皮紙をくしゃと潰し、そのまま暖炉に放り込んだ。

「冬なんか嫌いだ」

「同感だよ」

 僕が同意すると、タリカはもう一度ため息を吐いた。

 彼の冬がどのようなものかはともかく、僕にとって、冬とは沈黙である。

 冬眠が必要な家族たちと違い、人間に近い体を持つ僕は、冬眠を行うことができない。だから、冬になると、いつも僕は家の中にひとり、ぽつねんと取り残されたのである。

 母の「春になれば、またすぐに会えるわ」という言葉でさえ、誰もが起きだすことのない家の中を、一人で歩き回る時、僕の心にゆっくりと広がってゆく氷を、融かすことはできなかった。そうして、湧き上がる孤独感に震え上がると、僕はいつも寝室に駆け上がり、深い眠りの中を漂う皆の顔を見にいった。

 わざと音を立て、喧しく騒ぎ立てれば、いつもと同じように、「静かになさい」という気だるげな父の声が聞こえるはずだ。

 あるいは、三人の兄たちのからかう声でもよかった。「礼儀がなっていない」という祖父の小言でもいい。

 一人はいやだ。

 幼い僕のそういった叫びは、いつも雪に吸われて、家族に届くことがなかった。

 長ずるにつれて、そういった感覚に耐えることも覚えていったが、しかしそれでも、家に一人でいるという事実は揺るがない。

 だから、今年の秋に、クチナワが「そろそろ冬眠の準備をしないと」と言った時、僕は言いようのない寂しさに襲われたのである。

「別に、一生会えないってわけじゃあないんだから」

「でも」

「「でも」も「だって」もなし」

 落ち込む僕に対して、彼女はあくまでも明るく接してくれたが、その気遣いが、逆に僕をより不安にさせたのである。

「大丈夫。春になったら、またいつでも笑いあえるようになるって」

 僕を慰めようとしていったその言葉が、遠い昔の母の言葉と重なり、僕は曖昧に笑ってその場を切り抜けると、一人部屋に戻って、少しだけ泣いた。

 それから、ある一つの計画を建てた。それは、僕一人の力では、到底成しえないようなものだったから、ゼンマイにも協力してもらったのである。そういえば、そろそろ出来上がっても良い頃だろう。

 そうやって、漠然と考え込んでいると、不意に、ぼうっと音がして、暖炉の炎が大きく揺れたかと思うと、続いてぱちぱちと薪のはぜる音がして、

「『おお、冬よ。その(かいな)にわが身を預け、現を離れてみる夢のなんと甘美なものよ』ふん、相変わらず、中身のない言葉だこと」

「お前か」

 力なくそう吐き捨てると、タリカは心底うんざりとした様子で、声のする方に振り向いた。薪がはぜる度に、炎は大きくなって、今はちょうど長髪の女性の姿をとっている。

「大真面目にこんなものを書いてるあんたもあんたなら、こんなのに騙されるファンもたいがいね」

 彼女がけらけらと笑う度に、金色の火花が飛び散って、暖炉の辺りだけが、きらきらと輝いている。


 僕とクチナワが正式に許嫁となった頃、タリカはこの町にやってきた。当時の彼はまだ詩を書き始めたばかりで、どの詩もあまり高い評価を得ているとは言えなかった。小さな町の古ぼけた襤褸家とはいえ、家を買ったのは、彼なりの不退転の意思表明だったのかもしれない。

 その決意が功を奏したのか、彼の詩はその頃から、特に恋人に向けたものが人気になりだした。

 彼と僕との交流は、流行りものの好きな父が、今話題の詩人を冷やかしに行き、あっという間に意気投合、街中の酒場を梯子してまわった秋の一夜に端を発している。盛大な乱痴気騒ぎの翌日、父を迎えに彼の家を訪ねた僕が目にしたのは、「風の音に喜びを見、川の流れに悲しみを詠む、生粋の詩人」と評された若き天才が、安酒とカエルを机の上に乗せ、だらしなくげらげらと笑う姿であった。

「とんでもねえ俗物だぜ、こいつァ」と父は笑った。

「世の中を面白くするのは、まさしくこういう奴さ」

 父の評も世間の評も、彼という人間をきちんと言い当てていた。

 筆を握らせれば、路傍の石を太陽に変え、月に変え、あまつさえ女神にさえも変えてみせ、酒を握らせれば空き瓶に変える。酒について知らぬことはなく、その弁舌は並び立つものなし。まさしく天才的な俗人であった。

 そんな彼が、唯一苦手としたのが、火の悪魔である。

 元々は人の住んでいないのをよいことに、町の襤褸家の暖炉で眠りに就いていたのを、タリカが越してきたことで目を覚まし、以降現在まで、彼にちょっかいを出し続けているのである。

 タリカは天才であるが、同時に努力の人でもある。羊皮紙にしてたった一枚分の作品を書き上げるために、比喩ではなく紙の山を部屋の中にいくつもこさえ、その間は大好きな酒も遊びも、ぴたりとやめてしまう。

 今までで一番の難産だったという「明日の地平線」を執筆している時など、「彼の人は炎の如く」という一文を生み出すために、二週間も部屋から出てこなかった。僕とクチナワが定期的に食糧を持って行かなければ、今頃彼は失敗作の谷底で干からびていただろう。

 そうやってできた失敗作を、彼はしばしば暖炉で燃やした。

 火の悪魔はいつでもそこにいるから、それらを一枚一枚丁寧に読み上げ、徹底的に馬鹿にする。

 そういう騒ぎが、新しい作品を発表するたびに繰り返されるので、ある時僕は「そうやって喧嘩するくらいなら、別の場所で燃やすとか、引っ越すとかすればいいのに」と言った。

 するとタリカは、きっと口を結んで、

「どうして私が、あんな奴のために妥協しなければならないんだ。そんなもの、負けを認めるようなものではないか」

 あまり納得できないまま、僕が「ふうん」と相槌を打つと、一緒にいたクチナワは、何故かくすくすと笑った。そのことを尋ねても、クチナワは笑って誤魔化すだけだったのを覚えている。


 タリカはしばらく黙って彼女を睨み付けていたが、やにわに火かき棒を掴むと、一番火勢の激しい薪を、とん、と突いた。きゃん、と甲高い声がして、あっという間に炎は縮み、部屋の空気がゆっくりと冷え始める。

 ややあって、今度は少女の姿の炎が立ち上り、きっとタリカを睨み付ける。

「なにすんのよ、消えちゃったらどうするつもりなのッ」

「やかましい! どうせ水をかけたって消えやしない癖に」

 悪魔なんかと付き合ってられるか、と毒づくと、あくまでも優雅に外套を羽織り、彼は僕に声をかけた。

「場所を変えよう。こいつがいちゃあ、話にならない」

「それじゃあ、ゼンマイのところへ行こう」

「なんで?」

 火の悪魔と詩人が同時にそう訊いたので、僕は思わず笑ってしまった。二人はしばらく睨み合った後、今度は僕に先を言うよう促した。

「そろそろ頼んでたものができてるはずなんだ」


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