リチャード2
リチャード・フェレ・シメオン。幼少時に父母から聞いた俺の本名……らしい。というのは、父母が物盗りに殺されて真偽を確かめる術はないからだ。聞いた時は三歳の子供だったから、いくら俺の記憶が正しくても当てにならん。子供に冗談を言っても大丈夫と考える大人は多い。
それに俺が覚えている限り、親は先祖の栄光にしがみつくみっともない人間だった。「お前は偉大な人の血をひいている」 を子供相手によく言っていた。神話や創世記に生きる人間を先祖に持つってそんなに誇らしいことだろうか。自分が何も成していないなら惨めなだけだと思うのだが。
シメオンとはその偉大な先祖の錬金術師の本名らしい。王家で管理され、自分の一族が担当していた戸籍管理――これも下っ端がやるような仕事だったはずだが――では、一応先祖なのは間違いないようだが、本名かどうかはいまいち分からなかった。それにミドルネーム。これは貴族にしか与えられないはずだが、うちは先祖の功績で地位はあっても身分はなかったはずでは? まあ両親が死んで没落した今ではどうでもいいことだが。
その両親の死後、記憶能力を生かして各地をまわっていた後、地方領主のアーサーに拾われた。
『お前か、各地で偽造を行っていたのは』
いいところのお坊っちゃんらしい身なりだが、その目に宿る意志の光は強かった。要するに正義感が溢れる男だった。仕方ないだろ、他にメシの種がないんだ。
『ならうちに来るか? 正直、お前に動き回られると厄介だ』
衣食住保障付きと聞いて、喜んで受けた。それに、俺を気味悪がらない人間はそう多くなかったからな。他を知らないが、俺は随分ませたガキだったらしい。とにかく、そんな可愛くないガキをアーサーは受け入れ、簡単な仕事を持たせて人並みらしい生活をさせてくれた。必要とあれば黒い仕事もさせるし、案外要領のいいやつだ。
アーサーはお坊っちゃんだが、それなりに常識を持ち合わせた将来有望な男……それが俺の認識、だった。
◇◇◇
偽造旅券を作る傍ら、恋に溺れるアーサーの愚痴にも付き合ってほとんど寝てない。城の離れにある地下の部屋から出ると太陽が目に染みた。……まだ倒れられないぞ、旅券を雇い主に手渡すまでが仕事だ。
疲れた身体に鞭打ってあの人形、アイシルの部屋に行こうとした。
ふと、どこかで水っぽい音がするのが聞こえた。
すぐ見当がつくくらいには、俺の幼少時代は荒んでいた。国境を挟んで住む恋人に偽造通行証を作ったこともあったしな。
どこの召使いがやってんだ? アーサーはああ見えて潔癖だぞ、と注意でもしようと思って行ったらそのアーサーだった。しかも相手は人形の連れてきた召喚少女。
一瞬、気が遠くなる。しかも話を聞くと愚痴に適当な返事してた「召喚少女は代々乙女だからなー」 とか言ったのを真に受けてやがった。いや、アーサーのやつ、現時点では結論が出ないことを延々と繰り返すし……女かあいつは。とにかく、これは半分は俺のせいだ。責任は取らないとな。
◇◇◇
「……俺が、二人の旅に?」
色んな鬱憤が下半身に向かっている男に何とか仕事を与えるべく、そう言い聞かす。
「アーサーも見たくないか? 人形が――アイシルが王都で役目を完遂したらどうなるか。俺は知りたい。先祖が何も残さなかったからな」
「その前に止めるほうが先じゃないのか、今のままでは桃花は……」
「アイシルにも目的があって召喚んだだろうし、あいつは桃花を殺さないし手は出さない。問題は二代目から徹底して召喚少女を排除する、初代の子孫だ」
教科書にも出てくる逸話。荒れていた世界に、偉大な錬金術師――シメオンが作った人形が未知の力で異界から少女を呼び、世界を平和へと導いた。その後少女は当時の王族の一人と結婚して子を産み……その子孫は今も続いている。
そして今も少女を呼び続けるアイシルとは……表向きはいい王と臣下の関係だが、実際は対立している。
アイシルにしてみれば自分を作った父の命令を遂行するだけ。王家にすれば「戦争もない世界で何故召喚が必要なのか。本当は自分達が気に入らなくて消すつもりなのでは? こうしちゃおれん。アイシルは無理だから少女を先に暗殺しよう」
……どっちの気持ちも分かるな。アイシルは本能に従うだけ。王家は異質な存在であるアイシルを疑わずにいられない。けど能力を考えると手放すのも出来ない。……あれ、アイシルは何で王家に仕えてるんだ?
「リチャード?」
考えを巡らせていると、アーサーに心配される。
「すまない。とにかく、お前は今日は休め。同行については桃花やアイシル達には俺から伝えておく。やらかしたお前が言うよりマシだろうからな」
ぐっと堪える顔をするアーサー。後悔するくらいならやらなきゃいいのにな。とにかく暗い顔のアーサーを励ますべくあれこれ世話をやく。俺のガラじゃない気がするが、仕方ない。
「もう部屋に入って寝てろ。ソフィア嬢にもあんまり心配かけるなよ?」
◇◇◇
気持ち悪い。あんな人だと思わなかった。前から思い込み激しそうだと思ってたけど、あ、あんなことするなんて……。
寸でのところでリチャードに助けられた桃花は、旅券を抱えて廊下を疾走していた。
アーサーって最低! 最低! でも旅券は手に入れられたし、これで離れられる。
桃花は腕の中の旅券を見て、走りながらも微笑む。アイシルさん、喜んでくれるかな。嫌な事があっても、アイシルさんがあの綺麗な顔で喜んでくれたら吹き飛ぶ気がする。喜んで、くれるよね? 私は特別な存在だもん!
ショックを恋心で紛らわすことで、桃花は忘れることにした。ほどなく、目的の部屋に辿り着く。ノックを三回して呼びかける。
「あ、あの、アイシルさん、旅券が出来たと。リチャードさんからさっき受け取りました」
すぐにアイシルは出てきた。だが、桃花を見て眉を顰めた。
「その格好……何?」
慌てていて失念していたが、桃花は腕に足に土がつき、頭には葉っぱが絡みつき、衣服もやや乱れていた。何でこのまま来ちゃったんだろう、そう思い至って顔から火が出るほど羞恥に包まれる。
「まさか、異性としたの?」
一瞬、嫉妬してくれたのかと思った。そうだったら天国にも昇れる気分になれただろうが、そう思い込むには、アイシルの瞳はただただ冷めていて、声も抑揚がない。
「……途中で、逃げたから、私、何も……」
アイシルがどう思っているのか掴めず、途切れ途切れに弁明する。嘘は言っていない。
「そう。それならいい。……何かあったら殺さないといけなくなる。シメオン様は汚れた乙女には力が使えないようにしたから。それにしても君は迂闊だね。あまり面倒なことはさせないでほしいな」
アイシルはそう言って旅券を桃花の腕から取ると、何事もなかったかのようにドアを閉めた。
何を言われたのか理解出来なかった桃花は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
◇◇◇
「桃花さん? そんなところで何をなさっていますの?」
気がついたら桃花は城のどこともしれない場所でぼーっとしていた。我に返ったのは、アーサーの妹、ソフィアが話しかけたからだ。無意識に、ソフィアの住まう場所にまで入り込んでいたらしい。
「……え? あ、その、入っちゃいけない場所だった?」
「そういう訳ではありませんが……あの、もしかして具合が悪いのですか? 真っ青ですわ」
桃花のなけなしのプライドが傷つく。見下していた子に慰められるほど自分は落ちぶれていない! さっきのだってきっとたまたま機嫌が悪い時に話しちゃっただけ! きっとそう! その、はずだもん……。
「どうも。他人を気遣えるくらいには回復したのね、ソフィアちゃん。あの時は死にそうな顔だったくせに。アイシルから完全に嫌われて!」
自分はあそこまで酷い言葉を言われてない。だからこの子よりはずっとマシで、好かれてる。
そう思って吐いた言葉だが、それは桃花自身に突き刺さった。ソフィアは少しだけ寂しげに笑って、当時を振り返るだけだった。
「ええ。私ほど無知な者は嫌われて当然ですわ。あのあと、兄にも父にも怒られました。憧れだけで、上辺だけ見て、それで何で好かれると思ったのかって」
「!」
「アイシル様は確かにお綺麗。けれど、冬の月のような人。凍える夜に冷たい光で寒さを煽るような人。あの方は……誰かを愛したことがあるのでしょうか」
耳を塞いでしまいたかった。聞いて居たくなかった。本当は自分の中でずっと警鐘を鳴らす何かがいる。『あれは危ない』 と。でも、異世界で他に頼る者がいないからあえて無視してきた。
「あ、申し訳ありません。こんな陰口のような……」
「……本当よ。アイシルに言いつけてやるから。お兄さんの上司なんでしょ」
違う。アイシル以外が悪い。全部……。
「桃花様のお陰で寿命が延びた私ですもの。この事で死んでも悔いはありませんわ。これでアイシル様と桃花様が上手くいくならむしろ本望です」
この世界に来て、初めて泣いた。アイシルに召喚されて、外に出た瞬間に殺されかけて。味方なんてアイシル以外にいないんだと思うしかなかった。
でもだからってアイシルの側を離れられない。怖いし、好きだもの。
◇◇◇
夜、アイシルの部屋をノックする者がいた。アイシルが開けると、リチャードが立っていた。
「今晩は。お休み前にすみませんね。今ちょっといいですか?」
「……白々しい。人形は眠らない。シメオンの子孫なのに知らないのか?」
「知らないね。あんたに関する資料はことごとく破棄されててね。……おっと失礼」
険悪な雰囲気が漂う。誰もいないのが幸いだった。
「アイシル様、単刀直入に言います。貴方達の旅に俺と、アーサーが着いていきます。その方が便利ですよ」
むっとした表情になるアイシル。
「桃花を襲った人間も? それはどういう冗談だ」
知られていたか。まあこいつに嘘や冗談は通じないとは思っていたが。だがリチャードはそれでも食い下がる。先祖の因縁もだが、アイシルや王家が隠し続けるものの正体が気になって仕方ない。
「それは俺が監視します。少なくとも俺がいると使えますよ。旅券、身分証明書、直筆の命令書……全部頭の中に入ってる。ただ、仕事分はきっちり払ってもらう主義だから、証明のためにもアーサーは連れて行きます」
アイシルは少し考えるような仕草を見せた後、了承の返事を出した。条件付ではあったが。
「分かった。だが妙な動きをしたら殺す」
そう言ってすぐドアを閉めた。
静かになった途端、リチャードからどっと汗が噴き出す。
やっぱり、人間じゃない。ずっと肉食獣に狩りをされているような感覚だった。先祖は何でこんなものを作った? これが失敗作?
ふらふらの足取りで自分の部屋に戻る。滞りなく王都に入る準備を整えつつ、リチャードは今後のことを考えていた。
アイシルに着いていったあと、俺達はどうなるんだろうか? けれど、アーサーはもうアレだし、召喚少女の桃花もバカだが悪い奴ではない。今見捨てるのも気分が悪い。
思いつめ、信じてもいない神にふと祈る。誰も死なないでほしいと。
その願いは外れたが、この時のリチャードの指示は間違っていないと後世の識者は語っている。




