Code:092 求めるものは①
* * *
あれから、ちょうど一か月が経過していた。
ギルド本館二階へ続く階段を、アルトは軽やかな足取りで上っていく。
突き当たりにある執務室の扉の前で足を止め、時計を一瞥する。
定刻ちょうど。正確に三回、ノックした。
「入れ」
短い返答に従って扉を押し開ける。
相変わらずのモノトーンな色彩。
装飾という概念を最初から知らないかのような無機質な内装。
一切の無駄を排した空間の中央で、ジュリアナが大きな執務机に向かっていた。
「時間通りだな」
「いつものことです」
アルトは軽く会釈をしながら答える。
不真面目そうに見えて、その実、遅刻などしたことがない。
猫被りの合間にどこか不遜な態度を覗かせることはあっても、礼儀だけは妙に正確。
それが配属からしばらく経ったギルド内での、アルトの評価だった。
「そうだったな」
ジュリアナは苦笑を浮かべながら、机上の装置に指先で触れた。
青白い光が宙に浮かび上がり、ホログラムが形を成す。
「まず、正式に通達しておこう。アルト・ツヴァイライン。ギルド入隊後の任務達成状況を総合的に評価し、貴様をランクC3からC2へ昇格させる」
ホログラムが回転し、昇格認定書の詳細が映し出される。
討伐記録、任務評価、上官推薦——膨大なデータが空中に集約されていた。
「ありがとうございます」
今日の天気の話でもしているかのような、平常運転なトーン。
その素っ気なさに、ジュリアナが片眉を上げた。
「もう少し喜んでもいいんじゃないか? 通常、C3からC2への昇格には半年から一年はかかる。それをたったの1か月で成し遂げたんだぞ」
「はい、光栄に思っています」
相変わらず起伏のない返事に、ジュリアナは小さく息をついた。
ただ、その瞳には明らかな興味の色が灯っている。
「まあいい。ところで——」
ジュリアナは身を乗り出し、組んだ手の上に顎を乗せた。
品定めするような視線が向けられる。
「新しい指導役のパトリックとは、上手くやっているようだな」
それを聞いて、褒められている、とは感じなかった。
明らかに皮肉が込められた、全てを見通しているかのような口調だったからだ。
「ええ、素晴らしい先輩です。いつも的確な判断をしてくれますし、任務の選定眼も確かです。私のような新人には過ぎた指導役だと思っています」
対するアルトも、心にもない台詞を、さも本心であるかのように紡ぐ。
実際には、弱みを握って言いなりにしているだけの傀儡に過ぎないのだが。
「……そうか」
ジュリアナは含み笑いを浮かべたまま、話題を変える。
「しかし、最近は問題児ばかりで頭が痛い」
「何かあったんですか?」
「まったく、他人事みたいな顔をしてくれるな」
溜息まじりに、窓の外へ視線を流す。
「貴様、いったいどうやってあの堅物女をたらし込んだんだ?」
「誰のことですか?」
「ミラフィス・フロレンシアだよ」
「ミラフィス先輩が?」
アルトの声に、微かな変化が走った。
それを聞き逃さず、ジュリアナが振り返る。
「あいつ、貴様の指導役を外したら、えらく反発してきたんだぞ?」
「へぇ、そうなんですか。ちなみに、どういった理由で?」
「何だ、その他人事みたいな顔は。先の耀魔鉱採掘場での命令違反に対する処分だよ。尤も、術式師には現場指揮官としての裁量権を認めている。あくまで形式だけの軽い罰則のつもりだったんだが——」
窓枠に寄りかかりながら、腕を組んだ。
「処分を通達した途端、あいつの顔色が変わった」
ジュリアナの表情は、未だに理解できないとでも言いたげだ。
「『他の罰則なら何でも受けます』と言い出したんだ。『ランクダウンでも、給与の削減でも、他の懲罰でも構いません。ただ、アルトの指導役だけは続けさせてください』——そう言って、数時間も食い下がってきた」
執務室に、ジュリアナの声だけが落ちていく。
窓の外では、陽が傾き始めていた。
「貴様と違って、品行方正で真面目な優等生が、上官相手に何時間も反抗してきたんだぞ? 最後は『既に決定した人事だ』と突っぱねたが——あの時の目は忘れられん」
彼女はアルトを見つめた。
「世界の終わりを告げられたような目だった。形式的な処分に、なぜあそこまで——」
「さあ……僕にもよく分かりませんけど」
アルトは肩をすくめてみせた。
内心では、ミラフィスの感情を正確に理解している。
転生前から、そういった機微を読むことには長けている。
良くも悪くもだが、若くして高ランクの術式師という肩書きは、信じられないほど女性にモテるのだ。
単純に、踏んだ場数が違う。
胸の奥に押し込めた想いの形も、その必死さの裏にある本音も、手に取るように分かる。
だが、それを表に出すつもりはなかった。
「まあいい、本題に入ろう。真の問題児は、貴様のほうなのだからな」
ジュリアナが執務机に戻り、装置を操作した。
新たなホログラムが展開され、膨大なデータが空中を埋め尽くす。
「これはお前の一か月の活動記録だ」
ポインターが特定のデータを指し示し、該当部分が拡大表示された。
数字の羅列が空中を走る。その一つ一つが、アルトが過ごした三十日間の密度を物語っていた。
「災魔の討伐数が、大小含めた総数で126体」
声に、呆れと警戒が入り混じり始めた。
椅子の背もたれに預けていた体を起こし、ジュリアナはグラフを指で弾いた。
時系列の推移が回転する。
「1か月でこの数字は異常だ。しかも受注任務の成功率は約99%。残り1%も、受注後に他ギルドと任務がバッティングした一件のみ。特に直近二週間の活動が凄まじい。ほぼ毎日出撃している計算になるが、これでは休む暇もないだろう」
「効率的に昇格ポイントを稼いでいるだけですよ」
アルトは涼しい顔で答えた。
先ほどから引き続いて、他人事のような返事だった。
「実力主義のギルドで、何か問題でも?」
「問題は、その目的だ」
ジュリアナが立ち上がった。
靴が硬質な床を叩く音が、物静かな執務室に規則正しく刻まれていく。
アルトの眼前で止まった。
手を伸ばせば届くほどの距離。
女性にしてはかなり高い身長と、男性にしては低すぎる身長の差のせいで、ジュリアナが大きく見下ろす形になる。
「既にC2どころか、C1昇格に必要なポイントの大部分を獲得している。この調子なら、来月にはC1だ。その先も見据えているんだろう?」
ジュリアナの探るような視線が、アルトを射抜く。
「何が目的だ? 貴様はいったい、何を求めている?」
その問いが投げかけられた瞬間——アルトの雰囲気が変わった。
纏っていた無害な被膜が、音もなく剥がれ落ちる。
穏やかだった目元が削ぎ落とされたように鋭くなり、声の温度が数段下がった。
浮かんだのは、抜き身の刃のような笑み。
同じ顔のはずなのに、まるで別の人間がそこに立っている。
「欲しいものは……そうだな、“権力”ってところか」
「ほう?」
ジュリアナの眉が、興味深そうに上がった。




