外伝(セティリア編) 師匠と教え子、変わった立場と変わらぬ関係①
* * *
アルトがパトリックを引き連れ、昇格ポイント稼ぎに奔走し始めてから一週間くらいの出来事。
眩い陽射しが地面を照らす、とある午後。
アルトは軽快な足取りでルーネスハーベン南エリア・ソルダリア区の路地を駆け抜けていた。
瞳に映る世界は、街中に突如として現れた戦場の風景。
左手で素早く展開した術式弾から放たれる火炎弾が、逃げる影を正確に追っていく。
「チッ、しぶといな」
舌打ちと共に、アルトは建物の角を鋭く曲がった。
目標は大型災魔・猟撃種。
鋼鉄の豹、もしくは虎を思わせる四足歩行の災魔は、棘の生えた外殻に無数の傷を刻みながら、それでも俊敏な動きで市街地を疾走していた。
多くの市民は逃げ延びたようで、高速で移り変わる景色に人の姿はない。
「はぁ……はぁ……待てよ!」
辛うじて声が聞こえるほどの背後から、荒い息遣い。
パトリックが必死に追いかけてくるが、その足取りは既に限界に近い。
既に交戦済みで多少の消耗はあると言っても、これは単純にスタミナの問題だろう。
一方のアルトは息一つ乱さず、猟撃種との距離を詰めていく。
石畳を蹴る音が、規則正しいリズムを刻む。
アルトの小柄な体躯は、まるで風のように軽やかに宙を舞い、屋根の庇を足場にして更に加速した。
そんな最中であっても、眼下を疾走する災魔の動きを見据え、冷静に分析する。
(「逃走パターンは一定だ。次は右に——」)
予測通り、猟撃種は広場へと続く大通りを右折した。
しかし、そこで問題が発生する。
視線の先には、シェルターへ避難する途中の老人の姿があったのだ。
杖をついて歩く老人は、迫りくる脅威に気付いていない。
「しまった、逃げ遅れか!」
アルトは瞬時に術式を展開した。
右手に炎属性、高火力の術式砲を収束させ、狙いを定める。
一方で、猟撃種の巨大な顎は開かれ、老人に向かって容赦なく飛びかかる。間に合うかどうか、ギリギリの攻防——
その時、鋭い破空音と共に、縦長の八面体をした氷の結晶が横から飛来した。
猟撃種の側頭部を正確に貫いた氷塊は、そのまま体内にめり込むようにして炸裂。
内部から凍結が広がり、災魔の動きが完全に停止する。
次の瞬間には全身が粉々に砕け散り、市街地を闊歩する脅威は魔導粒子の煙となって消えていった。
アルトは足場にしていた塀の上から飛び降り、少し遅れて現場に到着する。
すると、そこには見覚えのある銀髪の少女が立っていた。
「セティ……?」
思わず口から漏れそうになった名前を、慌てて飲み込む。
セティリア・リュミエール。かつての教え子にして、今や第七部隊の隊長を務める天才術式師。
精巧な人形のような美貌は、陽光を受けて一層輝いて見える。
「ごめんね、手柄を横取りするつもりはなかったんだけど」
セティリアの透き通るような声が、アルトに向けられた。
老人の無事を確認した後、彼女は小さく微笑む。
「いえ、助かりました。間に合うかどうか、ギリギリのところだったので」
猫を被った愛嬌のある声で返事をしながら、アルトは内心の戸惑いを隠した。
「はぁ……はぁ……やっと……追いついた……」
そこへ、息も絶え絶えのパトリックが到着する。
膝に手をついて肩で息をしながら、顔を上げた瞬間——慌てて背筋を伸ばす。
「セ、セティリア隊長!?」
「パトリックも、お疲れ様」
セティリアの声は、感情を見せず平坦だった。
昔に自分をいじめていた相手に対する明確な壁、というわけではないだろう。
かつてのアルスフリートが知るセティリアではなく、第七部隊を率いる立場にあるセティリア隊長は、良く言えば孤高、悪く言えば冷淡。
そういうスタンスであるらしいことは、ギルド【オルフェウス】に所属してすぐに知ったことだった。
「申し訳ありません! 任務中にお手を煩わせてしまって……」
「別にいいよ。たまたま通りかかっただけだから」
素っ気ない返事に、パトリックは更に縮こまる。
実力主義が物語る術式師の世界。
そこではたった3年で、“いじめっ子の貴族“と“いじめられっ子の孤児“の立場が逆転してしまうのだ。
* * *
任務終了後、三人はソルダリア区の小さなカフェに訪れていた。
庶民的な外観の建物に囲まれた路上には、パラソル付きのテーブルが並べられている。
「どうぞ、ご注文のメニューです」
パトリックが恭しく飲み物を配る。
アルトの前にはコーヒーとベーグル、セティリアには紅茶とふわふわのパンケーキが置かれた。
彼の仕草は、まるで給仕係のようだ。
(「傲慢貴族も、すっかり実力主義の社会に順応したってところか」)
アルトは内心で苦笑しながら、目の前の光景を観察していた。
パトリックはセティリアの一挙手一投足に神経を尖らせ、彼女のカップが少しでも空になりそうになると、「お代わりを持ってきましょうか?」と声をかける。
その度にセティリアは「大丈夫だから」と冷たく返し、パトリックは肩を落とす。
完全に空回りしている様子が、滑稽でさえあった。
セティリアは優雅な手つきでフォークを取り、パンケーキを一口サイズに切り分ける。
その横顔を、アルトはそっと見つめた。仕草の一つ一つに品があり、かつての面影を残しながらも、確実に成長している。
(「大人になったな……セティ」)
感慨深い思いに浸っていると、セティリアの口元に蜂蜜が付いているのに気付いた。
金色の雫が、薄紅色の唇の端で光っている。
アルトは何の躊躇いもなく手を伸ばし、テーブルの紙ナプキンを取った。
そして、ごく自然な動作でセティリアの口元を拭いてあげる。
無意識に出た、かつてセティリアと接していた時の癖のようなものだった。
その瞬間、パトリックの顔が凍りついた。
(「おいおいおい、それは流石にヤバいって!」)




