Code:089 木漏れ日の密談
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耀魔鉱採掘場での事件から、ひと月が過ぎていた。
午後の陽射しが、ギルドの敷地を黄金色に染め上げている。
新興ギルドである【オルフェウス】の建物を取り囲むようにそびえる巨木たちは、ギルドの設立よりもはるか昔から、この地に根を張っていたに違いない。
樹齢は数十年、いや百年を超えるだろうか。大人が数人がかりで手を繋いでようやく囲めるほどの太い幹。
天蓋のように広がった枝葉が、地面に複雑な影絵を描き出していた。
風が梢を揺らすたびに無数の葉がさざめき、光と影が入れ替わる。
その斑な木漏れ日の中で、二つの影が向かい合っていた。
桃色の髪をした小柄な少年、アルト。
そしてもう一人は、掴みどころのない微笑を浮かべた黒髪の青年、ヴァラム。
「今回の成果は上々だ」
ヴァラムの目が、猛禽のような鋭い眼光に変わる。
「明確に分かったことは、奴らは意図的に災魔を生み出している。さしずめ、人工の災魔といったところか」
「人工か……俄かには信じ難い話だが、奴らならやりかねないな」
「君が絡んだ耀魔鉱採掘場の件も、魔導プラントの件もそう。奴らは各地で、人工災魔の実験をしている。目的が何かは分からないが……碌な用途じゃないだろうね」
「それじゃあ、次はどうする?」
「簡単な話さ。実験を潰していけばいい。奴らの尻尾を掴む証拠は、現場に転がっているものさ」
ヴァラムはそう締めくくると、DOCの操作画面を閉じた。
幹に背を預け、長い脚を組み替える。
「ところで……君はもう少し賢いと思っていたんだけど?」
不意に飛んできた言葉に、アルトは視線を落とした。
薄暗い坑道の記憶が、焼き付いた残像のように蘇る。
あの時、ヴァラムは冷徹な判断を下した。ミラフィスを置いて撤退せよ、と。
術式師としての常識に照らせば、それは決して間違った選択ではない。むしろ正しい判断だったとさえ言える。
結果的に全員が生還できたのは、ただの幸運に過ぎない。
自分が焔血王として転生した意味を考えれば、ヴァラムの言うとおり、あそこで引くべきだったのかもしれない。
「悪かったな。昔から馬鹿なんだよ、俺は」
肩をすくめてみせる。
自嘲の形をした言葉に、けれど後悔の色はない。
アルスフリートとして生きた時も、アルトとして生きる今も、結局のところ性分は変わらないのだ。
理屈で正解を弾き出せても、目の前で仲間を見捨てることだけは、どうしてもできなかった。
ヴァラムの喉から、小さな笑い声が漏れた。呆れなのか、感心なのか、その境目がちょうど分からない、複雑な声音で。
「まあ、ミラフィスはあの一件以来、君にご執心のようだし。大きな貸しを作れたと思えば、悪い話でもないんじゃない?」
「それは……そうかもな」
言葉を交わしながら、ヴァラムの表情に何か思い当たったような色が浮かぶ。
「ところで、ここ数日、彼女の様子がおかしいように見えるんだけど……痴話喧嘩でもしたのかい?」
茶化すような口調に、アルトは呆れ顔を返した。
「アホか、そんなんじゃねぇよ。まあ、思い当たる節があるとすれば……」
「あるとすれば?」
「実は、ミラフィスが俺の指導役から外されたんだ」
「へえ、それは初耳だね。理由は?」
「ジュリアナから受けた指令に違反したことへの罰則らしい。災魔は倒してきたってのにな」
アルトの言葉を聞いて、ヴァラムは意味ありげに口笛を吹いた。
「なるほど」
納得したように頷くヴァラムの視線が、どこか遠くを見つめる。
まるで見えない糸を手繰り寄せるような、思考を巡らせる表情。
「それで、ここ数日、ミラフィスが死んだ魚みたいな目をしていたってわけか」
思わず苦笑がこぼれる。言い得て妙だった。
「ギルド上層部も黒い鉤爪の暗躍を察知して、水面下で対策に奔走している最中だからね。お偉方からすれば、成果を上げても命令を聞かない手駒ほど扱いに困るものはない」
「俺の悪口かよ?」
「まあ、そうとも言うね」
ヴァラムが顎に手を当て、思案するような仕草を見せる。
枝葉が風に揺れ、地面に落ちる光と影が横顔に明暗の縞模様を刻んでいく。
「いっそのこと、こちら側に引き入れてもいいんじゃないか?」
一歩、距離を詰める。声が半音落ちた。
肩越しにさりげなく周囲を窺うその所作は、身に染み付いた警戒の証だろう。
彼らが密かに進めている計画は、黒い鉤爪の動向を探ることだけに留まらない。
来たるべき戦いに備え、信頼できる仲間を一人でも多く確保すること——それもまた、重要な歯車のひとつだった。
だが、そこには常に刃が潜んでいる。
見極めを誤れば、引き入れた仲間が致命傷になりかねない。
この街の影には、そういう類の敵がいる。
「彼女は奴らに始末されかけた立場だ。裏を返せば、敵側のスパイである可能性は限りなく低い」
アルトは無言で頷いた。
あの坑道で、自分が介入しなければ確実に命を落としていたであろう状況。
炎に包まれ、逃げ場を失った彼女の姿が脳裏をよぎる。
あんな状況で演技など不可能だろう。そう考えるのが自然だった。
「ただし、リスクヘッジはさせてもらう」
声の質が変わった。先ほどまでの飄々とした温度が抜け落ち、剥き出しの刃のような鋭さだけが残る。
「ミラフィスを仲間に引き入れるかどうか、僕が審査する」
「審査って……何をするつもりだ?」
「ああ、心配は無用さ。彼女を傷つけるようなことはしないよ」
笑みが浮かんだ。しかしその目だけは笑っていない。
獲物の前で爪を引っ込めた猫のような、優雅で、けれど隙のない表情。
「僕には僕なりの、人を見極める方法があるんだ。信用に値する人物かどうか、確実に判断してみせる」
その言葉に滲む自信は、虚勢ではなかった。
情報収集と分析を得意とする彼ならではの、独自の手法があるのだろう。
アルトにはその詳細を知る由もないが、耀魔鉱採掘場の事件での遠隔サポートといい、ヴァラムの能力は疑いようもない。
「……分かった。お前に任せる」
短い間を置いて、アルトはそう答えた。
ヴァラムはそれ以上何も言わず、ただ口元の笑みを深くしただけだった。
頭上で枝葉がさざめく。その音に紛れるように、ヴァラムが話題を切り替えた。
「そもそも、君に指導役なんて必要なのかい?」
皮肉、いや、純粋な疑問といったところか。
「君の実力は、もう十分証明されている。指導を受ける立場じゃないだろう」
アルトは苦笑を浮かべながら首を振った。
「そう簡単な話じゃねぇんだよ。ギルドには明確なルールがある。未経験でギルド配属になった者には、半年間の指導期間を設ける。例外は認められない――ってな」
指を立てて、わざとらしい口調で続ける。
教科書の一節を朗読するような芝居がかった仕草に、ヴァラムの口元がかすかに緩んだ。
「お役所仕事だね。それじゃあ、次は誰に面倒を見てもらうつもりなんだい?」
「面倒を見てもらう必要はないが……ランクC3ってのは早々にどうにかしないとな。任務の受注権にしろデータベースのアクセス権にしろ、無いも同然だ」
「ギルドは新人がC3からC2に上がれるかどうかで適性を篩にかけてる節があるからね、仕方ないさ。ただ、裏を返せばC2に上がるだけで制約の大半は消える。C1まで行けば、権限上はBランクと大差ないといっても過言じゃない」
「だから、とっとと昇格ポイントを稼いでランクを上げる必要があるんだよ。任務受注のために必要な、指導役を引き連れて、な」
アルトの視線が、一瞬だけ遠くを見つめる。ギルドの建物の向こう、見えない誰かの姿を追うように。
「セティには……流石に頼みづらいか」
声に、一抹の寂しさが混じる。
彼女は今や一部隊を率いる隊長だ。
立場も責任も、昔とは違う。
自分の身勝手に、付き合わせるわけにはいかない。
アルトの視線が、じっとヴァラムに向けられる。
「僕はやらないよ?」
ヴァラムは即座に両手を挙げた。頼まれる前に全力で辞退する、という意思表示を全身で表現している。
「知ってるよ。お前が他人の面倒なんて見るタイプじゃないってことくらい。だから、別の奴を選んだんだ」
アルトの口元に、悪戯を仕掛ける直前のような笑みが浮かんだ。
「へぇ、誰を?」
「俺の言うことを、何でも聞く奴にな」
含みのある言葉。ヴァラムは興味深そうに眉を上げる。
まるでパズルのピースを組み合わせるように、頭の中で候補者を探っているようだ。
「そんな都合の良い人材が居たかな?」
「いるさ。お前も知ってる奴だ」
それだけ言って、アルトは口を閉じた。意味深な笑みだけを残して、それ以上は語らない。
木漏れ日が、二人の間で最後にひとつ揺れた。
密談は、ここまでのようだった。
どちらからともなく踵を返す。
それぞれの胸に秘密と計画を仕舞い込んだまま、二人の影は別々の方向へと伸びていった。




