外伝(ミラフィス編) 一日限定、恋人未満の恋人期間①
* * *
耀魔鉱採掘場の一件から、二週間が経った。
あの地獄のような坑道の記憶も、病院のオープンテラスでのやり取りも、少しずつ日常の中に溶けていく。
ただ、溶けきらないものが一つだけ残っている。
――ウチは、アンタのことが……好き。
あのボイスメッセージ。
消したはずなのに、聞かれていた。
しかも「直接言ってくれるまで待つ」なんて返されて、保留のまま二週間。
進展はゼロ。
日々のやり取りは続いているけれど、触れてはいけない地雷のように、あの話題だけが綺麗に避けられている。
それが余計にもどかしい。
というか、もどかしいと思ってしまう自分が一番もどかしい。
そんなことを考えていたら、もっと差し迫った問題が降ってきた。
「はぁ、どうしよう……」
自室のベッドに突っ伏したまま、ミラフィスは枕に顔を埋めて呻いた。
それは昨日のこと、ギルドアカデミー時代の同期であるリンダとレミーラから久しぶりに連絡が来た。
他愛もない近況報告のはずが、話の流れで「最近どう? いい人できた?」と聞かれ、つい見栄を張ってしまったのだ。
彼氏ができた、と。
二人とも既に恋人がいる。
そんな中で自分だけ「いない」と言うのが悔しかった。
普段はそんなこと気にしないのに、あの日は妙に対抗心が燃えてしまって——
「何を言ってんだろ、ウチは……」
しかも、勢いで「明日、デートなの」とまで口走ってしまった。
リンダが食いつき、レミーラが「会わせてよ」と言い出し、引っ込みがつかなくなった。
一体何をやっているのだろうか。
もう、後がない。
「……アルトに、頼む、しかないよね。うん、これは事故、仕方ない……仕方ないんだから」
彼氏役を頼める男性の知り合いなど、まともに心当たりがない。
いや、消去法じゃない。本当は最初から、浮かんだ顔は一つだけだった。
それを認めるのが恥ずかしくて、消去法ということにしたかっただけで。
枕から顔を上げ、DOCを開く。メッセージの入力画面に指を滑らせて——止まる。
「……何て言えばいいのよ」
『今日、彼氏のフリをして』なんて、死んでも打てない。
逡巡の末に送ったのは、たった一文だった。
『裏庭に来て。話があるから』
* * *
ギルド【オルフェウス】の裏庭は、建物の影になっていて人通りが少ない。
日差しの届かない石壁には蔦が絡みつき、隅に置かれた古いベンチだけが、ここが憩いの場であることを辛うじて示している。
アルトが裏庭に着くと、ベンチの前でミラフィスが落ち着きなく立っていた。
金色のポニーテールが揺れるたびに、そわそわと足踏みをしている。
手を組んだり解いたり、腕を組もうとして途中でやめたり、忙しないことこの上ない。
「おはようございます、ミラフィス先輩。話って何ですか?」
声をかけると、ミラフィスはびくっと肩を跳ね上げた。
振り返った顔には、明らかに何か後ろめたいことがある人間特有の、引き攣った笑みが貼り付いている。
「あ、アルト、来てくれたんだ。えっと、その……」
言い淀む。いつもの歯切れの良さはどこへやら、視線が右へ左へと泳いでいる。
「何かあったんですか?」
アルトは首を傾げてみせた。
内心では、彼女が何か厄介事を抱えていることくらい察しがついている。
ミラフィスの「困っている時の仕草」は、付き合いが長くなるにつれて読めるようになっていた。
(「何だよ、俺に頼みごとか?」)
「あのさ、今日、予定ある?」
「特にないですけど。休暇なので」
「じゃ、じゃあさ……」
ミラフィスは一度深呼吸して、それから勢いよく頭を下げた。
金色の髪がばさりと前に流れる。
「今日一日、何も聞かずにウチに付き合って! お願い!」
突然の拝み倒し。
両手を合わせて、ほとんど懇願するような姿勢だ。
顔を上げたその表情は切羽詰まっていて、目尻にうっすら涙すら浮かんでいる。
「えっと……」
「ダメ、かな……?」
上目遣い。普段の勝気なつり目が、弱々しく揺れている。
こんな顔をされて断れるわけがない。
いや、断る理由もない。
「いいですよ」
「ほんとっ!?」
アルトがあっさり承諾すると、ミラフィスの表情がぱっと明るくなった。
気が抜けたのか、小さくよろめいてベンチの縁に手をつく。
「よかったぁ……断られたらどうしようかと……」
「先輩のお願いですからね。で、どこに行くんですか?」
「あ、うん、街のほうに……って、あっ、いや、服、このままで大丈夫かな……」
自分の格好を見下ろす。いつものギルドの制服姿。
決して悪くはないが、どこに行くかも教えてもらえていないので、アルトには判断のしようがない。
「ミラフィス先輩が大丈夫なら、僕も大丈夫ですよ」
アルトはそう言って、わずかに口角を上げた。
「それじゃあ行きましょうか——デートに」
「デッ……デートじゃないしっ!」
ミラフィスの声が裏返った。
顔が一瞬で赤くなり、目が泳ぐ。
口をぱくぱくさせて何か言い返そうとするが、声にならない。
「も、もうっ……!」
踵を返して歩き出す。
その背中を追いかけながら、アルトは内心でくつくつと笑っていた。
(「相変わらず、からかい甲斐がある」)
ミラフィスは前を向いたまま、誰にも聞こえない声で呟いた。
「人の気も知らないで……!」
デート。その言葉が胸の中で跳ね回って、心臓がうるさくてたまらない。
冗談のつもりなのは分かっている。
分かっているのに、期待してしまう自分がいる。
ギルドを出て、ルーネスハーベンの街路を並んで歩く。
春の陽気が路地を温め、街路樹の若葉が風に揺れていた。
休日の朝とあって人通りはまばらで、二人の足音が心地よく響く。
アルトは隣を歩くミラフィスの様子を、ちらりと横目で窺った。
(「……ん?」)
ミラフィスの右手が、奇妙な動きをしている。
上げようとして——やめる。
指を開いて——握る。
アルトのほうに伸ばしかけて——慌てて引っ込める。
その繰り返し。
まるで、何かに手を伸ばしたいのに勇気が出ない子供のようだった。
(「ああ、手を繋ぎたいのか」)
少し前の巡回任務を思い出す。
あの時は成り行きで手を繋いだまま歩いたが、今のミラフィスは自分からは絶対にそれを言い出せないのだろう。
プライドが高いくせに、こういうところだけ奥手なのが、彼女らしいと言えば彼女らしい。
「ミラフィス先輩」
「なっ、何?」
「手がうるさいですよ」
「は……!? 違うし……!」
ミラフィスが反応する前に、アルトは自然な動作で彼女の右手を取った。
指と指を絡めるのではなく、小さな掌で金髪の先輩の手を軽く握る形。
身長差のせいで、弟が姉の手を握っているような絵面だが、主導権はどう見てもアルト側にあった。




