Code:009 災厄の始発点②
* * *
「《黒い鉤爪》。その名前を、あなたたちは覚えているかしら?」
暗く静まり返ったギルド【フリューゲル】の一室で、ディアーナが重苦しい空気を切り裂くように口を開いた。
彼女の声は、過去の忌まわしき記憶を呼び覚ます呪文のようだった。
ベテランの術式師たちはその名前を聞くと、まるで苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
「10年前、ヴェルキアを震撼させた魔導犯罪結社。忘れたくても忘れられるはずがないでしょう」
「同期が何人も、奴らにやられましたからね」
「無差別な破壊工作に禁術の行使、挙げ句の果てに子供を誘拐して人体実験。あんなイカれた連中、後にも先にも見たことがないですよ」
彼らの言葉には、過去の出来事に対する深い憎しみと未だ心の奥底に残る恐怖が垣間見えた。
「そうね、私も奴らの顔は見たくもないわ。でも、最近になってこういう噂が流れてくるのよ。《黒い鉤爪》のタトゥーが入った奴らを、ルーネスハーベンの旧市街で見かけたって」
「しかし、結社は既に壊滅したはずでは!?」
「ええ、主犯格は今も牢獄の奥深く。だけど、末端のメンバーまで一網打尽にできたわけじゃない。結社の壊滅から10年が過ぎた今になって、潜伏していた奴らが再び動き出した可能性も否定できないわね」
ディアーナは一瞬の沈黙の後、ベテランの術式師たちに命令を下した。
「あなたたちには、《黒い鉤爪》の残党の動きを調査する任務を与えるわ。不審な人物を見つけたら、すぐに連絡して頂戴」
「「「承知しました」」」
一斉に右手を胸に当て、彼らは敬意を込めてディアーナの命令に応える。
洗練された動きは、過去の恐怖に立ち向かう決意が感じられるように思えた──次の瞬間が来るまでは。
「ところで、ギルド長殿」
「何かしら」
「《黒い鉤爪》の連中が入れていたタトゥーと言うのは、こういうモノだったでしょうか?」
隊服の袖を捲くり上げ、露わになったのは鋭利な鉤爪を模した円形のタトゥー。
ディアーナはその光景に、心底驚愕して彼らの顔を見つめ返す。彼らの目は、先ほどと違って不気味な緑色に染まっていた。
「あなたたち、何故それをっ!」
「その質問には僕が答えましょう、ディアーナ先輩」
「え…………」
気の抜けたような声が漏れる。
ディアーナは何か言葉を発しようとしたが、それ以上の声が出ない。彼女は口をぱくぱくと動かしながら、自分の胸部から突き出る術式短剣を呆然と見つめていた。
「貴女は術式師としては一流でした。けれども、組織の長としては少々、警戒心が足りなかったようですね」
突如としてディアーナの背後に現れた刺客は、どこか懐かしむような声音でそう言って、刃を引き抜いた。
力無く崩れ落ちた肢体は、徐々にビロードの絨毯を鮮血に染めていく。そんな光景を口角を上げて見つめながら、裏切り者たちに指示を与え、行動を開始した。
「さて、お礼参りの時間だ。ギルド【フリューゲル】の諸君」
* * *
「《黒い鉤爪》、だと……!?」
白鬼面の男が口にした言葉に、真っ先に反応したのはキグナスだった。
彼にとっても、その存在は忌まわしき記憶。消えない顔の刀疵が疼き、拳を握る手に力が籠る。
「貴様、何を企んでいる、答えろ!」
声を荒げるキグナスに、白鬼面の男は不敵に笑ったまま返答を返さない。
その代わりに、アルスフリートの方をちらりと見ると、手を差し伸べてこう言った。
「君を迎えに来た、アルスフリート」
「迎えに来た、だと?」
「なるほど、君は何も覚えていないようだ。自分がいったい、何のために生みだされたのかを」
アルスフリートには、ギルド【フリューゲル】に入る前の記憶がない。
彼が知らされているのは、自分が親に捨てられた孤児であるということだけ。
だが、白鬼面の男の口ぶりはまるでアルスフリートの過去を詳細に知っているかのようだった。
「知らないなら、教えてあげよう」
「貴様っ!」
「お前に用はない、邪魔だ」
掴みかかるような勢いで突進したキグナスを、白鬼面の男が片手で制する。
その瞬間、キグナスの姿がアルスフリートの隣から忽然と消えた。
それは白鬼面の男の術式か、キグナスは一瞬のうちに数十メートル遠くまで吹き飛ばされ、建物に激突して瓦礫がガラガラと崩れる音が響く。
仮にもキグナスはランクAの術式師、言わば凄腕の部類だ。
そんな彼が不意打ちとはいえ、ここまで呆気なくやられてしまったことにアルスフリートは驚きを隠せなかった。
「さて、話の続きをしようか」
白鬼面の男は無防備に両手をだらんと下げたまま、アルスフリートの目の前へにじり寄る。
鬼面に隠された表情は定かではないが、全身に纏うオーラは紛うことなき強者のそれであり、動作1つをとっても隙が見当たらないほどだ。
「君は自分が何故これほどまでに強いか、考えたことがあるか?」
「さあな、生まれつきだろ」
「ご名答、正解だ。君は生まれつき、そうなるよう設計され造られた人間兵器。“暁の柱計画”にて僕たち《黒い鉤爪》の叡智が生み出した、最高傑作というわけだ。まあ、10年前の強制捜査でギルドの連中に奪われてしまったわけだが」
「つまらない冗談が好きなら、留置所で聞いてやろうか?」
アルスフリートは僅かな苛立ちを覚えながら、術式弾を瞬時に展開して白鬼面の男に叩きつける。
しかし、彼はそれを軽やかな動きで躱すと、1回転して最初に居たポールの上に着地した。
「冗談だと思うなら、まずは君を引き取った【フリューゲル】の連中に訊いてみるといい。瓦礫に埋まったそこの彼にでもな。尤も、生きていればの話だが」
敵の言葉を信じる道理はないが、アルスフリートは直感的にその言葉が偽りでないことを感じ取っていた。
思い返せば、ギルドメンバーに自分の過去について尋ねた時は露骨に話を逸らされたものだ。その裏に何かを隠していることに、全く気付かなかったわけでもない。
「【フリューゲル】の連中は事実を隠し、記憶を失った君を保護という名目で囲い込んだ。何故か? 君の術式にはそれだけの利用価値があったからだ。いや、君だけじゃない。災魔が蔓延るこの世界、術式の力は巨大な利権だ。ギルドの上層部は才能ある若者を前線に立たせ、彼らが命を削って得た利益を安全圏から啜り続けている。理不尽だとは思わんかね?」
災魔という天敵がいる以上、術式師という存在は社会にとって必要不可欠だ。
だからこそ、その在り方に異を唱えることは暗黙のタブーとされている。
数多くの若者が戦場に駆り出され、人知れず命を落としていたとしても。
彼らを統括するギルドの上層部が、戦わずして莫大な利益を上げていたとしても。
「我ら《黒い鉤爪》の目的はただ1つ。才能を持つ者が搾取される社会構造を、即ち、ギルドという悪の巣窟を全て破壊すること。さあ、私と一緒に来い、アルスフリート。君を《黒い鉤爪》の最高幹部として迎えよう。そして我らと共に、術式に支配されたこの世界を変革しようではないか!」
白鬼面の男は両手を広げ、芝居掛かった口振りでそう言った。
アルスフリートは軽く息を吐くと、白鬼面の男をじっと睨み返し、簡潔に答えた。
「断る」
「ほう?」
「確かに、あんたの言うことは間違っちゃいない。だけどな、俺たちは自分の意志で災魔と戦ってるんだ。道を外れたテロリスト風情が、偉そうに革命家を気取ってるんじゃねぇよ」
「そうか、どうやら君はこの10年で、随分と弱くなってしまったらしい」
「どういう意味だ?」
「見ていたまえ」
白鬼面の男は不気味に笑うと、パチンと指を鳴らした。
直後、遠方より落雷のような鋭い音が鳴り響く。
遅れて立ち昇る黒煙と空に揺蕩う赤い陽炎。
見覚えのある建物、遠くからでも一目で分かる特徴的なランドマーク、そう、ギルド【フリューゲル】の拠点が、炎に包まれていた。
「テメェ……っ!」
「その動揺が何よりの証。感情を、心を、守るものを持ってしまった殺戮兵器に価値は無い。残念だが、ここで処分するとしよう」
「やってみろよ、やれるもんならな」
「「術式駆動」」
両者は睨み合ったままほとんど予備動作もなく術式の構築を開始した。
程なくして、それぞれの腕に魔導粒子が収束、術式が組み上げられる。
実力者同士の勝負は一瞬で決まることも珍しくない。故に互いに構えたまま動かず、相手が隙を見せる時を待つ。
数秒、数十秒、そして、ついに両者が術式を展開させようとした、その時だった。
「うぉぉぉぉっっ!」
瓦礫が弾け飛ぶ音とともに、飛び掛かった人影が白鬼面の男に襲いかかる。
不安定なポールの上に立っていた白鬼面の男はバランスを崩し、襲撃者ともつれ合うように落下していった。
「キグナス!」
建物の残骸の中から復活したキグナスは白鬼面の男を地面に組み伏せ、土属性で強化された術式手甲を振り下ろす。
しかし、白鬼面の男も慌てる様子は一切なく、闇属性を纏う術式剣で一撃を防ぐと、キグナスを蹴り上げて体勢を立て直した。
「流石は《鬨の昇竜》、あの程度では死んでくれないか」
「それはこっちの台詞だ。一度壊滅させた程度では足りないらしいな、《黒い鉤爪》!」
キグナスと白鬼面の男が繰り広げる激しい鍔迫り合い。
不意打ちさえなければ両者の実力は拮抗しているようで、一進一退の攻防が続く。
アルスフリートも隙を見て加勢しようと動くが、キグナスの一喝がそれを止めた。
「アル、こいつは俺が抑える! お前は急いでギルドに戻れっ!」
「2対1が卑怯とか言うつもりなら、聞けない話だぜ?」
「馬鹿野郎、敵だって1人じゃない! ギルドを攻撃した奴がいるんだぞ! お前が戻って、みんなを守るんだ!」
「……分かった、任せとけ! 死ぬなよ、キグナス!」
アルスフリートはキグナスの覚悟を感じ取り、深く頷き背を向けてギルド【フリューゲル】の方角へと帰還していった。
残されたキグナスは満足げにそれを見届けると、白鬼面の男に向かって高らかに宣言する。
「さあ、10年前の決着を付けようか!」




