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Code:085 最後のメッセージ②

「そんなこと、できるわけないだろ!」

 

 ヴァラムの言っている意味が理解できず、一瞬だけ止めてしまった足を再び動かす。

 足音が不規則なリズムを刻み始める。

 崩落(ほうらく)轟音(ごうおん)が断続的に響き、天井から落ちる小石が肩を打つ。

 

「待ってろよ、ミラフィス……!」

 

 坑道の奥から広がる火の手が、残された時間の少なさを無情に告げている。

 煙の中を、アルトは前だけを見て走り続ける。

 

『アルト、今すぐに引き返さなければ、十中八九、君は死ぬ……!』

 

 DOC(ドック)から響くヴァラムの声。

 それは、普段の様子とはまるで違う、切迫したトーンだった。

 

「黙れ、ヴァラム!」

『君は感情に流されている。冷静になれ!』

 

 ギルドの部屋では、ヴァラムが無数のモニターに囲まれて立っていた。

 鉱山に関して調べ上げた各種のデータが、追い切れないほど目まぐるしく流れている。

 

「お前に何が分かる! ミラフィスがまだあそこにいるんだぞ!」

 

 デバイス越しの怒声。ヴァラムは目を閉じ、覚悟を決めたように口を開いた。

 

『状況を理解していないのは君のほうだ。よく聞け、アルト。今回の全ては、奴らの実験として仕組まれたことなんだ』

「何だと……?」


 アルトの足が(わず)かに速度を落とす。しかし、止まりはしない。

 

『君たちが対峙したアーカイブ未登録の災魔(ハザード)について解析させてもらった』

「それで?」

『あれは自然発生した存在じゃない。仮面の連中が禁術で生み出した実験体だ』

 

 ヴァラムの指が、コンソールを高速で叩く。データが次々とアルトのDOC(ドック)へ転送されていく。

 

『そして、鉱山の火災も偶然じゃない。証拠隠滅のための計画的な破壊工作さ』

「何を根拠にそんなことを——」

『これを見ろ』


 粗い映像データが転送される。

 現場から離れた岩陰に、輪郭の曖昧な(もや)に包まれた人影が映っていた。


 魔導回路(サーキット)を励起させた人間は、監視カメラでは正確に捉えることができない。

 それこそが、(もや)の正体。

 つまり、人影は術式師(コーディアン)魔導犯罪者(マヴィアラン)の二択。

 

 映像が進む。次のコマでは、紫色の光と共に空間が歪み、人影は跡形もなく消失していた。

 転位術式(トランスコード)。使用にはギルド長・使用エリアの管制官・魔防総省傘下のエリア管理局長の事前承認が必要な、厳しく管理された限定術式(リミテッド)

 申請記録が履歴として残っていないのなら、人影は魔導犯罪者(マヴィアラン)で確定だ。

 

『偶然居合わせた一般人じゃない』

「……こいつが黒幕、ってことか」


 だが——


「だから何だ」

 

 感情を押し殺したつもりの、感情的な声で切り返す。

 

「仮面の連中の仕業だろうが何だろうが、関係ない。俺はミラフィスを助けに行くだけだ」

『ふざけるな! 君は、君という存在の価値を理解しているのか!?』

 

 ヴァラムの声も、初めて感情的になった。

 

『君は——アルスフリートは、(ただ)の一人の術式師(コーディアン)じゃない。この先の、黒い鉤爪(スヴァルトクロウ)との戦いにおいて、君の存在は替えの効かない旗印なんだ!』

「知ったことか!」

『曲者揃いの術式師(コーディアン)たちも、焔血王(ブレイズブラッド)の名の下になら団結する! それをこんな、何の成果にもならない場所で失えば、僕たちの勝利はないんだぞ!』

「仲間一人すら救えないなら、先に進んだところで勝てやしねぇよ!」

 

 語気を強めて言い合う両者。

 だが、次にヴァラムはトーンを下げて、(さと)すようにこう言った。

 

『もう忘れたのか、アルト。師範代(しはんだい)の……レイザークの言葉を』

 

 その一言で、再び足が止まった。

 

 ——『お前はもう、全ては選べへん』

 

 レイザークの声が、脳内で再生される。

 

 ——『今のお前に必要なのは、切り捨てる覚悟や』

 

 かつてのライバルが放った、残酷なまでに正しい言葉。

 あの時は内心で反発した。認めたくなかった。

 全てを救えないなど、認めてしまえば何かが終わる気がした。

 

 だが、今となっては、その言葉が痛いほどに突き刺さる。

 

『君が転生した意味を考えてくれ。君の命は——君が思っているほど軽くない』

 

 ヴァラムの声が、通信越しに震えていた。

 

 アルトは真横の壁に拳を叩きつけた。

 岩肌が砕け、拳の皮が裂ける。

 痛みが、現実を突きつける。

 

 理性では理解している。(おご)りではなく、今の自分の正しい価値を。

 黒い鉤爪(スヴァルトクロウ)との戦いで、自分の肩書きがどれだけ役に立つかを。

 

 言葉が、出てこなかった。

 

 その時、DOC(ドック)に新たな通信が入った。

 ミラフィスからの、メッセージだった。

 

『何とか歩いて脱出しているから、こっちは大丈夫』

『入れ違いになったら危ないから、絶対に戻ってこないで』

 

 アルトの瞳が、揺らいだ。

 

 わざわざ助けにいく必要はないのかもしれない。

 さっさと引き返す理由が出来た。

 これで入れ違いになって自分だけ死んだとなれば、それこそ後世の笑い者だ。


 ——違う。

 

 これは嘘だ。

 先ほどの通話での言葉が思い出される。

 あの災魔(ハザード)を倒したことは、おそらく事実だろう。


 しかし、その上で彼女は、脱出が「難しい」と言った。

 多少の傷なら見栄を張って誤魔化すだろう彼女が明確な弱音を吐いたということは、かなりの重傷であることが(うかが)える。

 

 歩いて脱出できる状態なら、「脱出が難しい」とは言わない。

 なら、このメッセージは。

 

 アルトを来させまいとする——ミラフィスの、優しい嘘だ。

 

「ヴァラム、俺は……」

 

 * * *


 炎に包まれた坑道の、最も深い場所で。

 ミラフィスは壁に背を預けて座り込んでいた。


 もう立ち上がることはできない。

 周囲の温度は既に危険域を超え、呼吸するだけで肺が焼けるような苦痛を伴った。

 

「嫌だよ……」

 

 (しぼ)り出した声が、燃え盛る炎の音に()き消される。

 

「こんなところで、死にたくないよ……」


 虚勢(きょせい)矜持(きょうじ)も、全て焼き尽くされた後に残ったのは、ただ生きたいと願う等身大の少女の抜け殻だった。

 

 その時、DOC(ドック)が震えた。

 メッセージを受信したことを知らせる音が、絶望的な状況の中で小さく鳴る。


『すぐに戻ります。待っていてください。』


 アルトからだった。

 ミラフィスは反射的に通話機能を起動しようとした。

 しかし、何度試しても繋がることはない。

 どうやら、メッセージのみが奇跡的に届く状態のようだった。

 

 嬉しさと、安らぎと、深い罪悪感が、胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

 

 このまま待っていれば、アルトは必ず来る。来てしまう。

 彼の性格を考えれば、それは確実だった。

 

 一呼吸、ミラフィスは決心し、メッセージを打ち始めた。


『何とか歩いて脱出しているから、こっちは大丈夫』

『入れ違いになったら危ないから、絶対に戻ってこないで』


 真っ赤な嘘だった。

 送信画面に指を乗せた瞬間、一瞬だけ躊躇(ためら)った。

 本当は助けに来てほしかった。

 でも——押した。


「……ごめんね、嘘ついて」

 

 送信した画面を、しばらくぼんやりと見つめていた。

 あまり使う機会のない、ボイスメッセージのアイコンが目に入る。

 

 録音ボタンを、押した。

 アイコンの赤く点滅させながら、画面の隅に表示された録音時間が0:00から動き出す。

 まるで、死を前にしたミラフィスの最後の行動を見守るかのように。

 

「ねぇ、アルト」

 

 最初の一言は、ただ名前を呼んだだけ。

 でも、その声には、これまで隠してきた全てが込められていた。

 

 唇がゆっくりと動き始める。

 最初は躊躇(ためら)いがちに、やがて(せき)を切ったように言葉が(あふ)れ出した。

 

 時折、頬が赤く染まる。

 気恥ずかしさなのか、炎の照り返しなのか。もう、自分でも分からない。

 

 言葉の端々に、もう二度と会えないであろう相手への、剥き出しの想いを込める。

 普段は絶対に口にしない言葉が、次から次へと(こぼ)れていく。


 最後まで言葉を(つむ)いだ。

 たとえ届かなくても。たとえ聞いてもらえなくても。


「ウチは、アンタのことが……」

 

 録音が終わり、送信ボタンを押す。


「……送っちゃった」


 はにかむような表情が浮かんだ。

 まるで、恋する少女のような——


 だが、現実はすぐに彼女を引き戻す。

 頭上から、不吉な音が響いてくる。

 天井の岩盤が、限界を迎えつつあることを示す音だった。

 

 ミラフィスはそっと目を閉じた。

 走馬灯(そうまとう)のように、瞼の裏に大切な人たちの顔が浮かぶ。

 

「ママ……元気でね」

 

 優しく微笑(ほほえ)む、母の顔。帰りを待っていてくれた、あの温かい手。

 

「セラミィ……約束、守れなくてごめん」

 

 大好きな妹の顔。次の休みには一緒に買い物に行くって、言ったのに。

 

「セティリア隊長……最後まで、ちゃんと戦えたよ」

 

 尊敬する人の、背中。少しは追いつけたかな。

 

 そして——

 

「アルト……」

 

 最後に浮かんだのは、彼のあどけない笑顔だった。

 出会ってまだ日は浅い。

 けれど、その短い時間が、信じられないほどに(まぶ)しかった。

 

「ありがとう——」

 

 言いかけた言葉は、崩落の音に飲み込まれるようにして、消えた。

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