Code:084 最後のメッセージ①
* * *
戦いは、終わった。
ミラフィスは壁に体重を預け、ようやく力を抜く。
操術種が最後に放った弾は、膝の上下を完全に貫通していた。
傷口から流れ出る血は強く押さえつけてもなお滴り落ち、赤黒い水溜まりを広げていく。
痛みは波のように押し寄せ、引いたと思えばまた来る。
意識を保つのが、やっとだった。
「っ……はぁ……はぁ……」
腰のポーチから包帯を引き出し、きつく脚に巻きつける。
白い布はみるみるうちに赤く染まり、重くなっていく。
魔導回路が発達しているゆえに自然治癒力が高い術式師でなければ、とうに意識を失いショック死していてもおかしくなかっただろう。
ミラフィスは意識を強く保ちながら、DOCを開く。
鉱山の外にいる相手との通信は不可能だが、同じ坑道にいる相手になら辛うじて通信できるはずだ。
祈るようにして、連絡先をタップする。
「アルト、聞こえる?」
ノイズに埋もれそうな声が、かろうじて返ってきた。
『ミラフィス先輩! 無事ですか!?』
普段は取り乱すことのないアルトだが、その声からは隠しきれない焦燥感が感じ取れた。
「ちょっと怪我しちゃったけど、なんとか無事。災魔は、もう倒したから」
それを聞いて、アルトの声音が少しばかり冷静さを取り戻す。
『流石です、ミラフィス先輩! 脱出はできそうですか?』
「……ちょっと、難しい、かも」
『分かりました、すぐに迎えに行きますから、そこで待って——』
その時だった。
ゴゴゴゴゴォォォ……
大地が唸った。
最初は遠い雷鳴のような音だった。
それが次第に近づき、第三区画の坑道全体が身震いを始める。
壁に亀裂が走り、天井から土砂が降り注ぐ。
ミラフィスは反射的に頭を庇い、壁にさらに身を寄せた。
『今の音は!?』
アルトの声に被さるように、通信に激しいノイズが走る。
画面が明滅し、音声が途切れ途切れになっていく。
『ミラ……ス先輩! 大丈……か!?』
「アルト!?」
必死に呼びかける。返事はなかった。
通信は、もう繋がらない。
* * *
薄暗い地下室の中央で、転位術式の残光が消えていく。
石壁に囲まれた空間は、どこか古い聖堂を思わせる造りだった。
天井には複雑な紋様が刻まれ、四隅では用途不明の機械装置が低い駆動音を立てている。
「さて……」
仮面の人物は部屋の奥へと歩を進め、古風な周囲の空間に似つかわしくないモニターの画面を凝視した。
画面には複雑怪奇な無数のデータが流れていく。
膨大なデータの中に、赤く点滅する表示が一つ。
「特殊実験体:機能停止」
漏れた吐息に、愉悦が混じっている。
指先が画面を撫でると、詳細なデータが展開された。
「操術種が倒されたか。しかし、想定の範囲内。むしろ、実験データは十分に取れた」
別の画面を呼び出す。
耀魔鉱採掘場の立体図。
いくつもの赤い点が明滅している——彼が仕掛けた「装置」の位置だ。
「耀魔鉱の性質を利用した後片付け……証拠隠滅には最適だ」
中央の制御卓に歩み寄り、複数のスイッチに手をかけた。
「さて、実験は終わった。その痕跡は、全て——」
片手を優雅に掲げる。
パチン、と、指を鳴らす音が地下室に響いた。
「消去する」
仮面の人物は振り返ることなく、部屋の奥の扉へと向かった。その先には、さらなる実験のための準備が待っている。
* * *
「火事だ! 第三区画で火が上がってる!」
血相を変えた鉱夫の言葉に、場は騒然となった。
「爆発音がして……それから一気に火が! 煙が坑道中に広がってるんだ!」
ミラフィスとの通信が途絶えたのは、この火災のせいか。
「おかしい。耀魔鉱は簡単には燃えないはず」
「どういうことだ?」
アルトが詰め寄ると、ザイルは困惑した表情を浮かべる。
そこには、恐怖というより疑念が色濃く見えた。
「ご存じの通り、耀魔鉱は魔導粒子を蓄積する性質があります。通常の火力なら、むしろ炎を吸収して消化してしまう。それは炎の術式が直撃したとしても、同じこと」
周囲の鉱夫たちが不安げに顔を見合わせる。ザイルは続けた。
「けれども、炎属性の魔導粒子が飽和状態になったなら、話は別です。蓄積量の限界を超えた瞬間、耀魔鉱は一転して激しく燃え上がる可燃物と化す。しかも、一度燃え始めたら、連鎖反応で周囲の耀魔鉱にも次々と引火する……」
その言葉が意味するものを理解した瞬間、場の空気が変わった。
「このまま第三区画の火災が拡大すれば、坑道全体の耀魔鉱が連鎖的に発火する可能性があります。そうなれば……」
「坑道が高温で膨張して……」
「支柱が焼け落ちて……」
「第三区画だけじゃない、第二区画も、この第一区画も、全部崩れ落ちるぞ!」
恐怖が伝染するのは、一瞬だ。
「早く逃げるんだ!」
「第一区画も安全じゃねぇ! 坑道全体が墓場になるぞ!」
恐慌状態の鉱夫たちは我先にと出口へ殺到する。
転倒する者、仲間を踏み越える者、我を忘れて叫ぶ者。
その混乱の中で、アルトは必死にDOCを操作していた。
画面を何度もタップし、通信の再接続を試みる。
しかし、何度試してもミラフィスに繋がることはない。
「くそっ!」
逃げ惑う人波を押し分け、アルトは第三区画の入り口へと向かった。
「おい、坊主! 死ぬ気か!」
「あっちは火の海だぞ!」
制止の声を無視し、アルトは坑道へと飛び込んだ。
通信が利かなくなったDOCに駄目元でメッセージを打ち込み、迷わずに走り出す。
『すぐに戻ります。待っていてください』
入り口には既に、煙の匂いが漂っている。
先ほど来た時は肌寒いくらいの冷気が支配していた空間も、奥へ進むにつれて気温が上昇し、熱気が肌を刺す。
それでも、足は止まらなかった。
* * *
通信が途切れた後、ミラフィスは必死に左脚の止血を続けていた。
包帯を幾重にも巻いたが、血は執拗に滲み出てくる。
「まだ……大丈夫……」
自分に言い聞かせるように呟きながら、立ち上がろうとした。
壁に手をつき、ゆっくりと体を起こすが——
「あっ……!」
激痛が走り、身体が崩れ落ちた。
左脚にまったく力が入らない。歩くどころか、立つことすら困難だった。
その時、坑道の先から、鼻を突く異臭が漂ってきた。
「煙……?」
最初は微かな匂いも、次第に濃くなり、やがて目に見える煙が坑道の奥から流れてきた。
不吉な予感を覚えた直後、轟音と共に坑道奥の壁が崩壊する。
その向こうから——赤い炎が姿を現した。
「うそ……でしょ……?」
呆然と見つめる目の前で、炎は瞬く間に勢いを増していった。
耀魔鉱を多く含む壁が導火線のように次々と発火し、異様な色彩を放ちながら坑道を埋め尽くしていく。
震える手でDOCを操作し、必死に操作する。
アルトに、ギルドメンバーに、誰でもいいから助けを——しかし画面は沈黙したまま。
通信は完全に途絶えていた。
熱波が次々と押し寄せる。最初は生暖かい風程度だったものが、すぐに肌を焼くような熱気に変わった。
呼吸をするたびに、熱い空気が肺を焼く。
汗が滝のように流れ、すぐに蒸発していく。
「逃げなきゃ……!」
歩けないのなら、這ってでも。
地面に手をつき、傷ついた左足を引きずりながら必死に前へ。
しかし、進むスピードは絶望的に遅い。
その間にも炎は容赦なく迫ってくる。
炎は生き物のように壁をせり上がり、天井を舐め、次々と坑道を飲み込んでいく。
退路はすでに炎の壁となり、前方からも新たな火の手が上がった。
やがて、ミラフィスは坑道の少し開けた空間に辿り着いた。
だが、そこで、完全に行き止まりとなる。
前後左右、すべてを炎に囲まれた。
逃げ場は、もうどこにもない。
「そんな……ウチ、あんなに頑張ったのに……」
膝をついたまま、ミラフィスは炎の壁を見上げた。
揺れる炎が顔を照らし、金色の髪が熱風にたなびく。
涙が頬を伝ったが、流れ落ちる前に蒸発して消えた。
「みんなを守るために、災魔と戦って……勝って……それなのに……」
声が掠れ、喉が焼けるように痛い。
煙を吸い込むたびに、視界がぼやけていく。
「ここで、死ぬの……?」
* * *
薄暗い坑道に立ち込める煙は刻一刻と濃度を増し、視界は悪化の一途を辿っていた。
遠くから響く爆発音が、まるでカウントダウンのように事態の切迫を刻み続ける。
それでも、アルトは足を止めない。
煙を吸わないように呼吸は最小限で、それでいて限界を超えた速度で地面を蹴り続ける。
中間地点を通過したとき、DOCの振動が着信を告げた。
「ミラフィス先輩!」
反射的に、画面も見ずに通信を取る。
『やあ、随分と熱くなってるみたいだね』
聞き慣れた、どこか人を食ったような声。
「ヴァラム!? なんでお前が——」
『鉱山の連絡用に使われていた旧式回線に侵入させてもらった。見つけてしまえば、レガシーシステムってやつは本当に脆弱でね』
飄々とした口調とは裏腹に、激しくキーボードを叩く音が聞こえてくる。
『状況は把握してる。第三区画で大規模な火災、ミラフィスが中に取り残されてる。そして君は今、彼女を助けに向かってる……違うか?』
「時間がない。用件を言え」
苛立ちを隠さずに言い放ちながら、アルトは再び速度を上げた。
『相変わらず直情的だな。まあいい、単刀直入に言わせてもらおう』
一呼吸の間。
そして——
『引き返せ』
軽い口調が消えていた。冷徹な、突き放すような声。
『今すぐ第一区画へ戻れ。これは提案じゃない』
「は?」
走りながら、DOCの画面を睨みつける。
「ミラフィスを見捨てろって言うのか?」
『そうだ』
返ってきたのは、感情の欠片もない一言だった。




