Code:081 不退転の覚悟②
足音が遠ざかっていく背後で、見上げた先には白いエネルギーを天秤に蓄えた操術種が、獲物を見定めるように身構えていた。
「はぁ、格好付けすぎちゃったかな……」
呟くと同時に、操術種の輪郭がぼやけ始めた。
水面に落ちた墨のように、その姿が周囲の闇に溶け込んでいく。
白いエネルギーだけが朧げに残り、やがてそれさえも薄れて消えた。
「でも、もう、やるしかないでしょ……っ!」
ミラフィスは静かに息を整えた。
透明化した操術種の気配を探るため、精神を研ぎ澄ませる。
僅かな空気の揺らぎ、地面を踏む微細な振動、そして何より——殺気という名の無形の圧力。
それら全てが、彼女の全神経に語りかけていた。
一方では、薄暗い坑道を鉱夫たちが駆け抜けていく。
先頭を走るアルトの手に握られたDOCの魔導粒子追跡だけが、迷路のような坑道で唯一の希望の灯火となっていた。
「私が言うのもどうかと思いますが……あの方を一人残して大丈夫なのでしょうか」
荒い息の合間に絞り出された言葉は、全員が抱えている疑問そのものだった。
アルトは振り返らずに答える。
「ミラフィス先輩は、あんたたちが考えてるよりずっと強ぇよ」
口調からは丁寧な物腰が消え、荒々しい言葉遣いに変わっている。
しかし今は、そんな些細な変化に気付く者もいない。
鉱夫たちの呼吸は次第に乱れ、足取りも重くなっていく。
「はぁ……はぁ……まだ、なのか」
息を乱さず先導するアルトの背中だけを頼りに、機械的に足を前へ出し続ける。
生への執着が、極限状態の中でも彼らの身体を突き動かしていた。
20分ほど走っただろうか。
突然、アルトが壁の前で足を止める。
「なんだ……行き止まりじゃないか!」
堅牢な岩壁が、行く手を完全に塞いでいた。
鉱夫たちが絶望的な声を上げる。その声が坑道に反響し、不吉な残響となって返ってきた。
立ち尽くす者、座り込む者、地団駄を踏む者。
この場所がいつ崩落するか分からない。背後からいつ災魔が追ってくるとも知れない。
絶望が、流行り病のように伝播していく。
「こいつは嘘つきだ! 俺たちを騙しやがった!」
別の鉱夫がアルトとそのDOCを指差して怒鳴る。
恐怖と疲労が限界に達し、理性の箍が外れかけていた。
数人が同調し、怒声が飛び交う。
「最初から、逃げ道なんてなかったんだ!」
「こんな機械なんか、信じるんじゃなかった!」
ザイルも困惑した表情でアルトを見つめた。
だが、その瞳には非難の色はなく、むしろ助けを求めるような切実さがあった。
アルトは動じなかった。
怒声をよそに壁へ歩み寄り、手のひらで岩肌に触れる。
指先が表面をなぞり、何かを探っていた。
「……なるほどな」
小さく呟き、振り返る。その表情に、迷いはなかった。
「下がってろ」
短く告げ、術式波を展開する。
複雑な幾何学模様の魔導陣が空中に浮かび上がり、魔導粒子の奔流が渦を巻いた。
鉱夫たちが本能的に後ずさる。
次の瞬間——轟音。
岩壁が内側から弾けるように崩れ落ちた。
砕けた岩片が飛び散り、土煙が濃密な雲となって噴き上がる。
やがて煙が晴れると、崩れた壁の向こうに見覚えのある坑道が広がっていた。
「これは……第一区画か!?」
鉱夫の一人が、信じられないという様子で叫んだ。
整備された通路、規則正しく並ぶ支柱、そして何より——安全を約束する、地上への道。
「助かった……助かったんだ!」
歓喜の声が次々と上がる。
絶望の淵から一転、希望の光が差し込んだ瞬間だった。
第一区画には、救援のために待機していた鉱夫たちもいた。
突然崩れた壁から現れた仲間たちを見て、一瞬呆然としたが、すぐに事態を理解した。
「お前たち、無事だったのか!」
抱き合い、涙を流す者。座り込んで天を仰ぐ者。
長年苦楽を共にしてきた仲間の無事を、それぞれのやり方で噛みしめていた。
「今回ばかりは、もう駄目かと思ったよ」
「災魔に襲われた時は死ぬかと思ったが、神様は俺らを見放してなかったぜ」
死の恐怖から解放された者たちは、生きている実感を噛みしめていた。
しかし、その感動的な光景の中でアルトは一言も発さず、踵を返す。
「どこへ行くつもりですか?」
それに気付いて慌てて呼び止めるザイルの声に、アルトは一瞬だけ足を止めた。
「決まってんだろ。ミラフィスを迎えに行く」
その言葉に、周囲がざわめく。せっかく死地から逃れたというのに、また戻るというのか。
「正気ですか? 第三区画は、もうすぐ崩壊するんですよ!」
「だからこそだ」
真っ直ぐにザイルを見据える。
「仲間を放って逃げられるかよ。それがギルドの流儀ってもんだろ」
誰も、止める者はいなかった。アルトは再び坑道へと向き直る。
一瞬の躊躇もなく、闇の中へと駆け出そうとする。
ちょうど、その時だった。
血相を変えた第一区画組の鉱夫が、とある重大な情報を伝えにきたのは。
* * *
第三区画の最深部。
ゴゴゴ、と不吉な地鳴りが断続的に響いていた。
天井から細かな土砂がパラパラと降り注ぎ、時折、支柱が軋む音が耳を劈く。
崩落の予兆は、もはや隠しようもなかった。
そんな死と隣り合わせの空間で、ミラフィスは微動だにせず佇んでいた。
透明化した操術種の動きを読むことに精神を集中させている。
呼吸は限りなく浅く、心拍は驚くほど穏やかだ。
まるで瞑想をしているかのような静謐さだった。
(「あと何分持つかな、この坑道……」)
頭上で再び轟音が響き、拳大の岩塊が落下してきた。
ミラフィスは視線すら向けず、身体を軽く傾けてそれを避ける。
崩落までのタイムリミット。対峙する操術種の脅威。
二つの死兆星が、彼女に極限の集中力をもたらしていた。
深呼吸、そして、右手に光が宿る。
最初は種火のような儚い輝き。
しかし瞬く間に光量を増し、眩いばかりの光芒へと変化していく。
光は螺旋を描いて収束し、一本の術式槍へと形を成した。
それは、先ほど使用した《ルクスジャヴェロット》とは、明らかに次元が違っていた。
より細く——まるで光線を固めたかのような細身。
より鋭く——視線が触れただけで切れそうな、研ぎ澄まされた切っ先。
そして何より——内包する圧縮された魔導粒子の量が桁違いだった。
槍の表面を流れる光の粒子は、まるで生命を宿したかのように脈動している。
「来て——《閃き輝く光穿天槍》」




